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あの日、アクアは発情期のフェロモンを使ってターゲットを殺害した。しかし想定より耐性のあった相手は最期の瞬間、アクアに反撃してきたのだ。
ざっくりと腕を切られ、ボタボタと血が流れ落ちる。痛みに集中が途切れてフェロモンも抑えきれない。
床に付着した血は見届け人が片付けてくれるだろうし、アクアは仕事後の原則に従ってすぐに現場を離れなければならなかった。だが――
「君、大丈夫か!?」
外に出たとき声を掛けられて、アクアは猛烈に焦った。部屋から出てくるところを見られた?それともフェロモンを感じ取られてしまっただろうか。
相手は背が高く男らしい人で、きっとアルファだ、と思った。口封じは……できない。彼は無関係の人間だ。
でもふらふらしているオメガに襲いかかろうとしているのだったら、昏倒くらいさせてもいいよね?
アクアは瞬時に考え結論をだしていたものの、その男――ブラッドは本当にアクアを心配しているだけのようだった。
「怪我をしているじゃないか!それに……発情期なんだろう?うちに医師を呼ぶから手当てさせてほしい。私もアルファ用の抑制剤を飲んでいるから絶対に手は出さない。安全な場所を提供するから……」
「結構です」
――そんな都合のいい話、あるかよ。悪い人には見えなかったけど。
怪我した腕を押さえながら棲家に戻り、すぐに発情期二日目を迎えた。ろくに手当てもできないままのヒートは思った以上につらい。
体温が上がるせいで、血が止まらない。痛みがひどくても性欲は収まらず、いつも冷静だったはずのアクアでさえ頭がおかしくなりそうだった。
隣の部屋で人が死にかけていても、死んでいても気にしないのがこの地域の特徴だ。
視界が霞み、意識が朦朧としてきてやっと「あぁ、自分はここで死ぬんだな」と悟った。生きる手段とはいえ多くの人の命を手にかけてきた自分が、碌な死に方をしないのは分かっていた。
ひとりで、本当なら死に結びつかないはずの怪我ひとつで誰にも惜しまれずに死ぬなんて、アクアにお似合いだ。しかも尻を愛液でどろどろにして素っ裸のままとか、笑えない。
もう、いいや。全てを諦めて目を閉じる。もう目を覚ますことはないだろうな……
――と、思っていたんだけど。ふわっと優しく抱き上げられて、アクアは目を覚ました。まだ生きてる。腕も頭も痛いし、喉はカラカラだ。
「はっ……ゔ……」
「すまない、見つけるのに手間取ってしまってね。すぐに私の屋敷で手当てしよう」
(あー、こいつの奴隷にでもされるのかな)
いろいろな体液で汚れた自分の身体をブラッドの清潔な上着で包まれていたことに、このときはまだ気づかなかった。
誰かに優しく身体を洗われ、腕の手当てをされて、飲み物や食べ物を与えられた。ここは天国?自分の行き先は地獄だと思っていたけれど。
毒、という単語が聞こえてきて納得する。あんな怪我ひとつで死にかけるなんて、おかしいと思った。毒には耐性があるとはいえ、対処を全くしなかったせいで全身に回ってしまったのだろう。
あぁ、熱が収まらない。こんなときでもヒートに侵されるオメガの身体が憎い。仕事には使えるけどさぁ。
身体を洗ってくれた人がそこの処理までしてくれる。初めて他人に触れられた身体はあっという間に高みへと到達し、一瞬だけ冷静になる。
怖い。誰かに犯される!
「ひっ……やだ」
「あぁ、大丈夫だ。怖がらないでくれ」
「ん、あ。ぁんっ……」
手で快感だけを与えられ、何度もイかされた。気持ちよかった……という感想だけを抱いて、弱っていたアクアはそのまま眠ってしまう。
熱に苦しみながら、自分の意志で身体を動かせない数日が過ぎて、アクアは突然我に返った。
「ここ……どこ」
「目が覚めた?はじめまして、私はブラッド。勝手だが君を保護させてもらった。あの一帯の……治安改善をしていてね。君は、あそこで住むにはかなり生きづらそうだ。よかったら私と契約しないか?」
そう言ってブラッドは契約の内容を説明した。結婚!?と驚いたものの、嫌ではない。アクアはもう彼のことを信用していた。
身寄りのないオメガが目の前でヒートを迎えているのに手を出さないなんて、お人好しにもほどがある。しかも番を持たないアルファなのに、だ。
契約はブラッドにとってもメリットのあるものだったから、アクアは了承したのだ。さいわい怪我の原因については詳しく尋ねられなかったし、「朝食だけ一緒に食べよう」という彼の提案はアクアにとって都合が良すぎた。
「おはようアクア!」
「……おはようございます」
さっぱりとした性格のブラッドを、アクアはすぐに好きになった。もちろん人間として。
人を好きになったことなんてなかったから、その感情を受け入れるだけでも一苦労だったのだ。
だんなさま、と初めて呼んだときの彼の顔。こちらが驚くぐらいポカンとして間抜けな顔だっただから、くすっと笑いを零してしまった。こんな風に笑うのでさえ、初めてな気がした。
ブラッドとの協力関係は心地よかった。お互いに干渉せず一緒にいるだけで、生活の安定に繋がっていた。なにもしていないと彼は言ったものの、アクアはブラッドからたくさんのものを与えてもらった。
あたたかい家や服、無条件の優しさ、何気ない会話。きっとそれは、普通の人が持っているものなんだと思う。
アクアは彼がいないと、手に入れる方法さえ分からないけれど。
ざっくりと腕を切られ、ボタボタと血が流れ落ちる。痛みに集中が途切れてフェロモンも抑えきれない。
床に付着した血は見届け人が片付けてくれるだろうし、アクアは仕事後の原則に従ってすぐに現場を離れなければならなかった。だが――
「君、大丈夫か!?」
外に出たとき声を掛けられて、アクアは猛烈に焦った。部屋から出てくるところを見られた?それともフェロモンを感じ取られてしまっただろうか。
相手は背が高く男らしい人で、きっとアルファだ、と思った。口封じは……できない。彼は無関係の人間だ。
でもふらふらしているオメガに襲いかかろうとしているのだったら、昏倒くらいさせてもいいよね?
アクアは瞬時に考え結論をだしていたものの、その男――ブラッドは本当にアクアを心配しているだけのようだった。
「怪我をしているじゃないか!それに……発情期なんだろう?うちに医師を呼ぶから手当てさせてほしい。私もアルファ用の抑制剤を飲んでいるから絶対に手は出さない。安全な場所を提供するから……」
「結構です」
――そんな都合のいい話、あるかよ。悪い人には見えなかったけど。
怪我した腕を押さえながら棲家に戻り、すぐに発情期二日目を迎えた。ろくに手当てもできないままのヒートは思った以上につらい。
体温が上がるせいで、血が止まらない。痛みがひどくても性欲は収まらず、いつも冷静だったはずのアクアでさえ頭がおかしくなりそうだった。
隣の部屋で人が死にかけていても、死んでいても気にしないのがこの地域の特徴だ。
視界が霞み、意識が朦朧としてきてやっと「あぁ、自分はここで死ぬんだな」と悟った。生きる手段とはいえ多くの人の命を手にかけてきた自分が、碌な死に方をしないのは分かっていた。
ひとりで、本当なら死に結びつかないはずの怪我ひとつで誰にも惜しまれずに死ぬなんて、アクアにお似合いだ。しかも尻を愛液でどろどろにして素っ裸のままとか、笑えない。
もう、いいや。全てを諦めて目を閉じる。もう目を覚ますことはないだろうな……
――と、思っていたんだけど。ふわっと優しく抱き上げられて、アクアは目を覚ました。まだ生きてる。腕も頭も痛いし、喉はカラカラだ。
「はっ……ゔ……」
「すまない、見つけるのに手間取ってしまってね。すぐに私の屋敷で手当てしよう」
(あー、こいつの奴隷にでもされるのかな)
いろいろな体液で汚れた自分の身体をブラッドの清潔な上着で包まれていたことに、このときはまだ気づかなかった。
誰かに優しく身体を洗われ、腕の手当てをされて、飲み物や食べ物を与えられた。ここは天国?自分の行き先は地獄だと思っていたけれど。
毒、という単語が聞こえてきて納得する。あんな怪我ひとつで死にかけるなんて、おかしいと思った。毒には耐性があるとはいえ、対処を全くしなかったせいで全身に回ってしまったのだろう。
あぁ、熱が収まらない。こんなときでもヒートに侵されるオメガの身体が憎い。仕事には使えるけどさぁ。
身体を洗ってくれた人がそこの処理までしてくれる。初めて他人に触れられた身体はあっという間に高みへと到達し、一瞬だけ冷静になる。
怖い。誰かに犯される!
「ひっ……やだ」
「あぁ、大丈夫だ。怖がらないでくれ」
「ん、あ。ぁんっ……」
手で快感だけを与えられ、何度もイかされた。気持ちよかった……という感想だけを抱いて、弱っていたアクアはそのまま眠ってしまう。
熱に苦しみながら、自分の意志で身体を動かせない数日が過ぎて、アクアは突然我に返った。
「ここ……どこ」
「目が覚めた?はじめまして、私はブラッド。勝手だが君を保護させてもらった。あの一帯の……治安改善をしていてね。君は、あそこで住むにはかなり生きづらそうだ。よかったら私と契約しないか?」
そう言ってブラッドは契約の内容を説明した。結婚!?と驚いたものの、嫌ではない。アクアはもう彼のことを信用していた。
身寄りのないオメガが目の前でヒートを迎えているのに手を出さないなんて、お人好しにもほどがある。しかも番を持たないアルファなのに、だ。
契約はブラッドにとってもメリットのあるものだったから、アクアは了承したのだ。さいわい怪我の原因については詳しく尋ねられなかったし、「朝食だけ一緒に食べよう」という彼の提案はアクアにとって都合が良すぎた。
「おはようアクア!」
「……おはようございます」
さっぱりとした性格のブラッドを、アクアはすぐに好きになった。もちろん人間として。
人を好きになったことなんてなかったから、その感情を受け入れるだけでも一苦労だったのだ。
だんなさま、と初めて呼んだときの彼の顔。こちらが驚くぐらいポカンとして間抜けな顔だっただから、くすっと笑いを零してしまった。こんな風に笑うのでさえ、初めてな気がした。
ブラッドとの協力関係は心地よかった。お互いに干渉せず一緒にいるだけで、生活の安定に繋がっていた。なにもしていないと彼は言ったものの、アクアはブラッドからたくさんのものを与えてもらった。
あたたかい家や服、無条件の優しさ、何気ない会話。きっとそれは、普通の人が持っているものなんだと思う。
アクアは彼がいないと、手に入れる方法さえ分からないけれど。
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