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本編

庭園とバニラ 6

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「起きろ、グレイ」
「ん、んー……? あー?」

 ミカエルの声で起きたのは、オバーサイズの服を着たチンピラのような若い男だった。
 艶やかな茶髪で、瞳は赤い。
 目が合うとにやりと悪辣に笑った。

「へーえ。その子が例のオメガの子? 美人だね」

 どうして俺の性別を知っている。

「ミカエル、どういうことだ」
「コイツの名前はグレイ・オルセン。性別のことは必要だったから説明した。金で雇ってるから口外はしない」

 訳が分からずにいるとミカエルが言った。

「グレイ、ちょっと来い」
「面倒くせーなぁ」

 男は気だるげに歩いてくる。

「ロイス、こいつの匂い嗅いでみて」
「え……?」
「いいから」
 
 恐る恐る鎖骨のあたりを嗅いでみて、俺は驚愕した。

「ムスクと、バニラの匂い……?」
「そ。コイツのことは二年前に歓楽街で見つけたんだ。ジョシュアのフェロモンとソックリだったから気になって探偵を使って調べた。ジョシュアって養子だろ。出生もわからないって聞いてたから、何か身元の手がかりが掴めないかって思って。グレイも孤児だったから結局手掛かりはなかったんだけどな」

 勝手に調べてごめん、と固い口調で続けられる。

「それはいい、けど……」

 話にも驚いたけれど、そのこと以上に、全くの別人から弟の匂いがしていて理解が追いつかない。
 ミカエルはどういうつもりで彼を雇って――?

「ロイス。コイツにマーキングしてもらえば騎士を続けられる。これまでみたいにアルファとしてだ。ジョシュアの匂いが消えたこともこの状況ならプラスに働く。バニラの匂いがお前自身のものだって、怪しんでるやつらに証明できる」
「……」

 そうかも、しれないけど……。

「ジョシュアもお前が騎士を続ける事を望んでる。そうだろ?」

 その通り……だ。しかし頭の中では警鐘が鳴っている。見ず知らずのアルファにマーキングされるなんて。
 蝋燭のランプが灯されたうす暗い部屋の中で、グレイは重ねた服を脱いでいく。
 しなやかな筋肉がついた細身の体だ。陰影のせいでより妖しく見える。

「グレイ、下は脱がなくていい」
「ハァ? マーキングしてくれっつったのはそっちだろーがよ」
「ハグだけでいい」
「ハグ!? ハグだけ!? バッカじゃねえの、一体何時間かかると思って、」
「いいから――」

 二人が何かを話しているけれど、意識がだんだん現実逃避するように遠くなっていく。

「ロイス、スカーフにも匂いを付けた方がいいだろ」
「え……あ……?」

 言われるままコートからスカーフを取り出したとき、グレイが鮮やかな手つきで奪っていった。

「へーえ? 上等なスカーフだね。さっすがお貴族サマ」
「え」
「アンタ名前は?」
「ロイス……」
「年はいくつ?」
「21……」
「ふーん。オレは26」
「……26?」
 同年代に見える。
「ああ、25だった」
「余計な口聞かなくていい。お前は仕事だけしろ」

 渡したスカーフはグレイの手の中で乱雑に握られている。

「っあの、すまない。やっぱりそれは……」
「なに」
「……返してくれないか」
「ほーん? なんで? 遠慮すんなよ。騎士のスカーフだろ?」
「そうだ……」
「ってことは首に巻いて働くんだよな? 面白れーよなぁー? 別世界の騎士サマが俺の匂いのスカーフつけて働くなんてよぉ。笑っちゃうね」
「――返してくれ」
「どうしよっかなァ」

 ミカエルが注意しようと口を開いた瞬間、先に言った。

「……返せ」

 怒気を込めて睨むと、グレイは「ハッ」と笑った。
 そしてスカーフを背後へ高く放り投げた。
 俺は目を見開いて硬直していた。

「あ、走って取りに行かないの?」
「グレイ……ふざけてんじゃねえぞ」

 ミカエルが鋭く殺気を放って、グレイは冗談ぽく肩をすくめる。
 白いスカーフが、ひらひらとグレイの背後に落下していく。
 混乱のあまり、俺は身動きができなかった。
 今から走れば間に合うだろうか。そう思っている間に、スカーフはフローリングの床に落ちた。
 すかさずグレイが指先で摘まみ上げる。

「返してほしい?」
「ッ……返せ」

 今度こそ奪い返すと、グレイは笑みを深くする。馬鹿にされているのだ。

「いいね、その目」
「ッ代金は自分で支払う。さっさとやってくれ」

 コートにスカーフを入れて服を脱いでいると、不意にヒュウッと上機嫌な口笛が上がった。

「鍛えてるねえ、ホットな夜になりそーだ」
「黙れ、グレイ」
 ミカエルが言うが、グレイは意に介さない。
「なぁ、この邪魔者のいないとこに行かない?」
「……黙ってくれ」

 俺もミカエルに続いて睨み返した。
 グレイは薄く笑み、ベッドの上に行くと両腕を開けた。

「来いよ、ハニー?」

 ミカエルはベッドの足下に椅子を持ってきて座る。

「監視してる。変な真似はさせねえ」
「……うん」

 怒りが立っていて、俺はその気持ちの勢いでグレイの腕の中へ行った。
 薄っすらと漂ってくるのは弟の香りだ。正面から抱きしめられて横になる。待っていれば落ち着くはずだ、ミカエルのときはそうだった。
 しかしグレイの息はだんだん荒くなり、肌が熱くなって汗ばみだしてきて、俺はおぞ気を覚えた。体が縮こまるが今更後には引けない。

「っ」

 グレイが身じろぎしたとき、偶然なのか背中に指先がかすめてきた。
 ミカエルが声のトーンを低める。

「動くな」
「ハァー? 石像じゃねーんだから」
「支払いのうちだろ」
 
 グレイはしばらくじっとしていたけれど、ううーん、と時折唸りながら猛った物を緩慢に押しつけてくる。緩やかな動作なのでミカエルは何も言わない。
 さらに監視をかいくぐるように指先が背中をなでてきた。ミカエルに助けてほしいけれど言えなくて、ぎゅうと目を瞑って刺激を耐えた。バニラの匂いがさらに鮮明になっていく。
 正面からのマーキングを一時間してから、背後からもすることになった。
 そうなるとグレイの姿は完全に見えず、ただ弟の匂いがするだけの状態になった。首筋に熱い吐息が当たり、お尻には興奮の証が押しつけられている。ジョシュアの姿を連想してしまって、頭が狂ってしまいそうだった。

「ひんっ」

 フーッと細く息を当てられ、体がわなないた。

「グレイ、」

 ミカエルが地を這うような声音で言う。くっくっとグレイは喉を鳴らして笑った。
 だんだんこちらの困窮した状況を察知してきているようだった。


「ハー、疲れた。んじゃーね、お坊ちゃま方。また明日」

 代金のお金をフリフリと揺らしてポケットに突っ込むと、グレイは扉を開けて出て行った。
 俺は呆然としながら見送った。支払いのときも放心状態で、ミカエルに全額払わせてしまったし、そもそも俺の手持ちで払える金額でもなかった。
 毎日払いつづけるとなると、うちの小さな財源では不可能だ。
 
 屋敷まで送ってもらい玄関ホールに入ると、出迎えにきた弟が愕然とした顔をした。

「何……どういうこと?」
「マーキングしてくれる相手が見つかったんだ」

 機械になったつもりで平静を装って伝えたが、弟の眉は険しく寄っていく。

「兄さん――」
「これで騎士を続けられるんだ」

 力になれなくてごめん、なんて言わせない。添い寝以外はいつも通りの生活ができる。
 仮にバレても、これまでのマーキングの件も弟は無関係だと理由がつけられる。
 俺の肌からは、薄っすらとバニラとムスクの匂いがたちのぼっている。





*****

6/12幕完結です。
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