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本編
ムスクと甘い時間 3
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執務室での記録も済ませ、報告を終えて廊下に出たときだった。
「よ、おつかれさん」
壁にもたれたミカエルに声をかけられた。待っていてくれたようだ。
今はざっくばらんな雰囲気である。
「うん……。おつかれ」
「話、いい?」
俺は黙って頷いた。
「俺の屋敷でいいか」
「うん」
彼を警戒する必要なんてない。
きちんと話を聞きたい。
紅茶の入ったカップが静かに置かれる。
ミカエルが「席を外してくれ」という指示すると使用人は退室していき、応接間にミカエルとふたりきりになった。
「さて。まあ驚いてるだろうけど」
「うん……いつから気付いてたんだ?」
マーキングについて問う。
ミカエルは紅茶にミルクをそそぐと、スプーンでくるくると混ぜていく。
「ずっと前からね。学生ンとき、放課後よく一緒に自主練してただろ? そしたらロイスの汗から甘い匂いがちょっとしててさ。何の匂いだろうって思って、その日から意識して嗅いでみて確信した。オメガの女の子ともよく遊んでたから同じ匂いだって気付いた」
「……そんなに、前から」
俺は深刻な心境だった。他の誰かにもバレているかもしれない。
するとミカエルが軽い様子で言う。
「まー気付いてたのは多分俺だけだよ。オメガの匂いをそもそも知らないやつも多いし、知っててもあれくらいなら恋人のオメガの香りが移ったのかなって判断する。なんせ、お前ってアルファの匂いの方がよっぽどぷんぷんしてたもん」
「……ほんとうに?」
「うん。俺はお前に恋人がいないことを知ってたから、おかしいなって思っただけ」
「あの……なんで黙ってたんだ……?」
ミカエルは微笑んだ。
「せっかくお前とお近づきになれたんだもん。もっと仲良くなりたかったから」
俺は「う」と詰まった。少しでも警戒した自分が恥ずかしい。そして嬉しくて気恥ずかしい。
「気付いてからは、俺のフェロモンでも守ってやろうと思ってさ。お前の横に張り付いて肩組んだりしてた」
「え!?」
やけにいつも距離感が近いと思っていたが、そういうことだったのか。
ミカエルは他の者にも距離が近いけれど、確かに触れ合ったりしてくるのは俺に対してだけだ。
今朝離れるなと言ったのも、周囲の鼻を誤魔化そうとしてのことだったのだ。
「あとシャワーの後とか、絶対に俺待ってただろ? 匂いが薄くなっちゃうからね。俺の匂いでカバーしないとって」
「ぜんぜん知らなかった……」
「まあ無防備だよなぁ。すっかり信頼してくれちゃって。可愛いからよかったけど」
む……とすると、ふっと柔らかく笑われる。
「ジョシュアの様子はどうだ?」
「……分からない。今日お医者様が往診してくれてるから、帰って結果を聞かないと」
弟のことを思うと焦燥感に駆られる。ミカエルとの話を終えたら、すぐにでも家に帰りたい。
「マーキングはどうすんの? スカーフからは匂いがしてるけど、あの程度じゃ焼け石に水だぜ」
「……」
やっぱりあの程度ではだめなのか。
俺は紅茶を見つめた。湯気に乗って香りが立ち昇っている。これまで抱いていた迷いが膨らんでくる。
「――――騎士を、辞めるべきだろうか」
意を決した言葉だった。
「ん?」
「ずっと考えいてたんだ。オメガの人間が騎士をするなんて無謀だと。身の危険とかだけじゃなく、周りに迷惑がかかる。突発的にヒートを起こしたらみんなを混乱させる。有事のときなら、死人が出るかもしれない……」
「ふーん?」
「学生のときは騎士になれると思って夢中だったけど、いざなってみたら怖くなった。何かあった時……そう、手遅れになるかもしれない」
「手遅れね」
ミカエルは悠々と紅茶を飲んでおり、俺は思わず睨みつけた。
「真剣に話してるんだが」
「知ってるよ。でも、そこまで真剣になる必要はないとおもって」
「……」
そうは思えず、眉が寄る。
「お前がいるとみんながまとまるんだよ。辞めたら困るし寂しい。それに、今は有事じゃないだろ? 可能性の上に可能性を重ねてるだけじゃん」
「……何が起こるかなんてわからない」
「それはそう。で、俺もずっと考えてたことがある」
ミカエルが口調を改めた。
「番を持てばいい。そうしたらフェロモンが溢れて周りを混乱させることはない」
「……番って、そんな簡単に。相手だって」
「ん、ユリウス隊長はダメだ。運命の番なんだろうけど、お前を家に囲っちまう」
「……うん」
「ジョシュアはお前にとっちゃ弟だろ? 関係が崩れるのは困るよな」
「……うん」
ジョシュア本人も俺を兄と思っている。添い寝も拒まれた。
するとミカエルが言った。
「俺がなるよ」
「え?」
ミカエルは笑みを浮かべる。
「ロイスの番になりたい」
「いや……え?」
「騎士を続けて欲しいから」
「え……」
友達としての気持ちは嬉しいが、それで番になるのはおかしい。
「一度契約しても破棄して再契約できるし、試してみたらいいんじゃねーの? 破棄するときにお前の負担になるから、かなり慎重にしないといけないけど」
「いや……だけど、本能を縛ったりするんだろう?」
「俺はロイスに縛られてもいいけど」
「……だめだ」
「まあ、それなら仕方ない。B作戦だ」
「え?」
ミカエルは一転、表情を悪戯っぽくした。
「急に決断しろってのは難しいだろうからさ。今日はとりあえず俺とマーキングだけしてみない?」
「ん?」
俺は耳を疑った。
「アルファの匂いには多少違いがあるけど、基本的にムスクっぽい匂いがすんの。それはジョシュアも俺もみんな一緒。それに俺はいつも近くにいたから、今更変化なんてほとんどない。少なくともお前のオメガのフェロモンが漏れちゃうより、俺の匂いでカバーしたほうが安全だ」
「それは……。そうかもしれない、……けど」
「番は簡単には取り消せないけど、マーキングならすぐに消せる。だろ?」
「……そう、かも」
「ジョシュアもさ、お前が今騎士を辞めたらショックを受けるぜ。自分のせいだって思うんじゃあねえの」
「そう、かもしれない」
俺は気合いを入れた。
「――マーキング、頼んでもいいか」
ミカエルは「喜んで」と笑った。
「よ、おつかれさん」
壁にもたれたミカエルに声をかけられた。待っていてくれたようだ。
今はざっくばらんな雰囲気である。
「うん……。おつかれ」
「話、いい?」
俺は黙って頷いた。
「俺の屋敷でいいか」
「うん」
彼を警戒する必要なんてない。
きちんと話を聞きたい。
紅茶の入ったカップが静かに置かれる。
ミカエルが「席を外してくれ」という指示すると使用人は退室していき、応接間にミカエルとふたりきりになった。
「さて。まあ驚いてるだろうけど」
「うん……いつから気付いてたんだ?」
マーキングについて問う。
ミカエルは紅茶にミルクをそそぐと、スプーンでくるくると混ぜていく。
「ずっと前からね。学生ンとき、放課後よく一緒に自主練してただろ? そしたらロイスの汗から甘い匂いがちょっとしててさ。何の匂いだろうって思って、その日から意識して嗅いでみて確信した。オメガの女の子ともよく遊んでたから同じ匂いだって気付いた」
「……そんなに、前から」
俺は深刻な心境だった。他の誰かにもバレているかもしれない。
するとミカエルが軽い様子で言う。
「まー気付いてたのは多分俺だけだよ。オメガの匂いをそもそも知らないやつも多いし、知っててもあれくらいなら恋人のオメガの香りが移ったのかなって判断する。なんせ、お前ってアルファの匂いの方がよっぽどぷんぷんしてたもん」
「……ほんとうに?」
「うん。俺はお前に恋人がいないことを知ってたから、おかしいなって思っただけ」
「あの……なんで黙ってたんだ……?」
ミカエルは微笑んだ。
「せっかくお前とお近づきになれたんだもん。もっと仲良くなりたかったから」
俺は「う」と詰まった。少しでも警戒した自分が恥ずかしい。そして嬉しくて気恥ずかしい。
「気付いてからは、俺のフェロモンでも守ってやろうと思ってさ。お前の横に張り付いて肩組んだりしてた」
「え!?」
やけにいつも距離感が近いと思っていたが、そういうことだったのか。
ミカエルは他の者にも距離が近いけれど、確かに触れ合ったりしてくるのは俺に対してだけだ。
今朝離れるなと言ったのも、周囲の鼻を誤魔化そうとしてのことだったのだ。
「あとシャワーの後とか、絶対に俺待ってただろ? 匂いが薄くなっちゃうからね。俺の匂いでカバーしないとって」
「ぜんぜん知らなかった……」
「まあ無防備だよなぁ。すっかり信頼してくれちゃって。可愛いからよかったけど」
む……とすると、ふっと柔らかく笑われる。
「ジョシュアの様子はどうだ?」
「……分からない。今日お医者様が往診してくれてるから、帰って結果を聞かないと」
弟のことを思うと焦燥感に駆られる。ミカエルとの話を終えたら、すぐにでも家に帰りたい。
「マーキングはどうすんの? スカーフからは匂いがしてるけど、あの程度じゃ焼け石に水だぜ」
「……」
やっぱりあの程度ではだめなのか。
俺は紅茶を見つめた。湯気に乗って香りが立ち昇っている。これまで抱いていた迷いが膨らんでくる。
「――――騎士を、辞めるべきだろうか」
意を決した言葉だった。
「ん?」
「ずっと考えいてたんだ。オメガの人間が騎士をするなんて無謀だと。身の危険とかだけじゃなく、周りに迷惑がかかる。突発的にヒートを起こしたらみんなを混乱させる。有事のときなら、死人が出るかもしれない……」
「ふーん?」
「学生のときは騎士になれると思って夢中だったけど、いざなってみたら怖くなった。何かあった時……そう、手遅れになるかもしれない」
「手遅れね」
ミカエルは悠々と紅茶を飲んでおり、俺は思わず睨みつけた。
「真剣に話してるんだが」
「知ってるよ。でも、そこまで真剣になる必要はないとおもって」
「……」
そうは思えず、眉が寄る。
「お前がいるとみんながまとまるんだよ。辞めたら困るし寂しい。それに、今は有事じゃないだろ? 可能性の上に可能性を重ねてるだけじゃん」
「……何が起こるかなんてわからない」
「それはそう。で、俺もずっと考えてたことがある」
ミカエルが口調を改めた。
「番を持てばいい。そうしたらフェロモンが溢れて周りを混乱させることはない」
「……番って、そんな簡単に。相手だって」
「ん、ユリウス隊長はダメだ。運命の番なんだろうけど、お前を家に囲っちまう」
「……うん」
「ジョシュアはお前にとっちゃ弟だろ? 関係が崩れるのは困るよな」
「……うん」
ジョシュア本人も俺を兄と思っている。添い寝も拒まれた。
するとミカエルが言った。
「俺がなるよ」
「え?」
ミカエルは笑みを浮かべる。
「ロイスの番になりたい」
「いや……え?」
「騎士を続けて欲しいから」
「え……」
友達としての気持ちは嬉しいが、それで番になるのはおかしい。
「一度契約しても破棄して再契約できるし、試してみたらいいんじゃねーの? 破棄するときにお前の負担になるから、かなり慎重にしないといけないけど」
「いや……だけど、本能を縛ったりするんだろう?」
「俺はロイスに縛られてもいいけど」
「……だめだ」
「まあ、それなら仕方ない。B作戦だ」
「え?」
ミカエルは一転、表情を悪戯っぽくした。
「急に決断しろってのは難しいだろうからさ。今日はとりあえず俺とマーキングだけしてみない?」
「ん?」
俺は耳を疑った。
「アルファの匂いには多少違いがあるけど、基本的にムスクっぽい匂いがすんの。それはジョシュアも俺もみんな一緒。それに俺はいつも近くにいたから、今更変化なんてほとんどない。少なくともお前のオメガのフェロモンが漏れちゃうより、俺の匂いでカバーしたほうが安全だ」
「それは……。そうかもしれない、……けど」
「番は簡単には取り消せないけど、マーキングならすぐに消せる。だろ?」
「……そう、かも」
「ジョシュアもさ、お前が今騎士を辞めたらショックを受けるぜ。自分のせいだって思うんじゃあねえの」
「そう、かもしれない」
俺は気合いを入れた。
「――マーキング、頼んでもいいか」
ミカエルは「喜んで」と笑った。
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