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本編
運命 6
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「運命の番の可能性が高いです。その前提で診察していきましょう」
そんな、と思った。待ってほしい。頭を鈍器で殴られたような感覚だった。
泣き出しそうな気持ちで先生を見上げる。
「俺はっ、運命の番なんて求めてなくて。騎士でいたいと……」
「ええ。そのために私がいます」
不安が止まらなかった。しかし先生に泣きついても困らせてしまうだけだろう。
マイルズ先生は背筋を正して話した。
「『運命の力には抗えない』。舞台や小説でよく使われる台詞です。ですが、医学的には未解明なのです。そんなことはないはずです」
信じたい。膝の上でぐっと両手を握って、願うように質問していた。
「この衝動は……抑えられますか?」
マイルズ先生はしっかりと頷いた。
「ロイス様。常用薬の内容を変更しましょう。鎮静作用の他に、嗅覚を鈍麻させる作用の薬を処方いたします。それでお相手のフェロモンの作用を緩和できます。まずはその状態で試してみましょう」
その瞬間、俺には先生が神々しく見えた。
「ありがとうございます……!」
「それから、大事な注意点について」
先生が口調を改め、俺は聞き入った。
「お相手の方とは、極力距離を置いてください」
「……職務上、難しいかと。それに今後、社交界でも会うかも」
社交界に行かなければ貴族としてはみ出し者にされてしまう。
「社交界はなるべく控えて頂けますか?」
「――はい」
最低限にするしかない。
「それから、お相手の方にも接近しないようお伝えできればいいのですが……」
「それは……」
できるだろうか。不安を覚えたけれど、すぐにできるかもしれない、と思った。
憲兵との合同訓練のとき、先に理性を取り戻したのは彼だ。意志が強いのだろう。
それに元々、彼は王都の名家の貴族だ。一時的に赴任してきただけで、三・四年も経てば故郷へ帰っていくだろう。出世したいはずだから、俺よりもふさわしい相手を選ぶはずだ。
うちのウェンダル家は、祖父の代で戦争の武勲を立てて男爵から伯爵になったばかりの家だ。そのときは防衛戦だったので、勝利時の褒美もほぼなく、領地は片田舎に猫の額ほどあるだけだ。名誉も資産も、彼の伯爵家の足下にも及ばない。
俺に事情があるように、あちらにも事情があるだろう。運命にわずらっている場合ではない。だんだん希望が湧いてきた。
俺は力強く先生を見つめた。
「話してみます。わかってもらえると思います」
「ええ、そうなさってください。同意が得られればそれが一番ですから」
次々問題が解決していき、俺は安心した。
今日の夜に騎士たちの集う社交サロンがあるけれど、そこでさっそく話す機会もあるはずだ。
つづけてマイルズ先生は改まった様子で口を開いた。
「それから。番契約を結べば、他のアルファのフェロモンは一切感知できなくなります。運命の番といえどその力は弱まるはずです。決まった相手が見つかれば早めに契約を結んでください」
「……はい」
「契約は解除と再契約が可能ですが、オメガ側には大きな負担になりますので、その場しのぎでの契約はしないようになさってくださいね」
頷くと、マイルズ先生が茶目っ気をこめて付けたした。
「いざという時には、私がロイス様の番になりますよ」
俺は「ふ」と笑みを漏らした。
「マイルズ先生は娘さんがいらっしゃるでしょう?」
「もう随分大きくなりました。妻が亡くなって十年になりますから、妻も娘も許してくれるはずです」
「……はい、考えておきます」
「ぜひ。娘も喜んでくれるでしょう」
ジョークかリップサービスなのだろう。他の方にもそう話していそうだ。
先生は気さくに微笑みながら、カバンを持った。
「薬はのちほど診療所の職員に届けさせます。ロイス様は今日はもうゆっくりなさって、午後は薬の副作用がないかどうかを確かめてください」
「はい。あの、すみません。診療所も忙しいはずなのに」
「お気になさらないでください。診療時には他の医師もおりますから」
「ありがとうございます……」
診察に伺えたらいいのだけれど、プライバシー厳守のためこうして足を運んでもらっている。
「……それと、こちらを」
封筒を渡すと、マイルズ先生は中身を確認して瞬いた。かなり大目に紙幣を包んでいる。
「これは?」
「緊急で往診してくださいましたし、秘密を守って頂いていますので……その、受け取って頂きたくて」
「ああ、必要ありません。診察料は月々の分を既に頂いておりますから。それより、私とのお付き合いの話を考えてくれると嬉しいですね」
ありがたかった。貴族の大多数が万年金欠ぎみなことも先生は見抜いているのだろう。
「それでは、次の定期診察日に」
玄関前まで見送ると、先生は軽やかに帽子をかぶって辻馬車に乗り込んだ。
そんな、と思った。待ってほしい。頭を鈍器で殴られたような感覚だった。
泣き出しそうな気持ちで先生を見上げる。
「俺はっ、運命の番なんて求めてなくて。騎士でいたいと……」
「ええ。そのために私がいます」
不安が止まらなかった。しかし先生に泣きついても困らせてしまうだけだろう。
マイルズ先生は背筋を正して話した。
「『運命の力には抗えない』。舞台や小説でよく使われる台詞です。ですが、医学的には未解明なのです。そんなことはないはずです」
信じたい。膝の上でぐっと両手を握って、願うように質問していた。
「この衝動は……抑えられますか?」
マイルズ先生はしっかりと頷いた。
「ロイス様。常用薬の内容を変更しましょう。鎮静作用の他に、嗅覚を鈍麻させる作用の薬を処方いたします。それでお相手のフェロモンの作用を緩和できます。まずはその状態で試してみましょう」
その瞬間、俺には先生が神々しく見えた。
「ありがとうございます……!」
「それから、大事な注意点について」
先生が口調を改め、俺は聞き入った。
「お相手の方とは、極力距離を置いてください」
「……職務上、難しいかと。それに今後、社交界でも会うかも」
社交界に行かなければ貴族としてはみ出し者にされてしまう。
「社交界はなるべく控えて頂けますか?」
「――はい」
最低限にするしかない。
「それから、お相手の方にも接近しないようお伝えできればいいのですが……」
「それは……」
できるだろうか。不安を覚えたけれど、すぐにできるかもしれない、と思った。
憲兵との合同訓練のとき、先に理性を取り戻したのは彼だ。意志が強いのだろう。
それに元々、彼は王都の名家の貴族だ。一時的に赴任してきただけで、三・四年も経てば故郷へ帰っていくだろう。出世したいはずだから、俺よりもふさわしい相手を選ぶはずだ。
うちのウェンダル家は、祖父の代で戦争の武勲を立てて男爵から伯爵になったばかりの家だ。そのときは防衛戦だったので、勝利時の褒美もほぼなく、領地は片田舎に猫の額ほどあるだけだ。名誉も資産も、彼の伯爵家の足下にも及ばない。
俺に事情があるように、あちらにも事情があるだろう。運命にわずらっている場合ではない。だんだん希望が湧いてきた。
俺は力強く先生を見つめた。
「話してみます。わかってもらえると思います」
「ええ、そうなさってください。同意が得られればそれが一番ですから」
次々問題が解決していき、俺は安心した。
今日の夜に騎士たちの集う社交サロンがあるけれど、そこでさっそく話す機会もあるはずだ。
つづけてマイルズ先生は改まった様子で口を開いた。
「それから。番契約を結べば、他のアルファのフェロモンは一切感知できなくなります。運命の番といえどその力は弱まるはずです。決まった相手が見つかれば早めに契約を結んでください」
「……はい」
「契約は解除と再契約が可能ですが、オメガ側には大きな負担になりますので、その場しのぎでの契約はしないようになさってくださいね」
頷くと、マイルズ先生が茶目っ気をこめて付けたした。
「いざという時には、私がロイス様の番になりますよ」
俺は「ふ」と笑みを漏らした。
「マイルズ先生は娘さんがいらっしゃるでしょう?」
「もう随分大きくなりました。妻が亡くなって十年になりますから、妻も娘も許してくれるはずです」
「……はい、考えておきます」
「ぜひ。娘も喜んでくれるでしょう」
ジョークかリップサービスなのだろう。他の方にもそう話していそうだ。
先生は気さくに微笑みながら、カバンを持った。
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