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本編
運命 5
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一度屋敷に帰って主治医に相談しよう――と思い立った。
俺の性別について知っているのは、弟のジョシュアと初老の執事、そして主治医の先生の三人だ。
お医者様の先生になら、運命の番についても相談できるだろう。体の反応なのだから薬で抑えられるかもしれない。
帰宅させてもらうことを事務員に伝えると、俺は更衣室へ戻った。騎士たちは全員出払っているので無人状態だ。余韻なのか指先の感覚が痺れており、手間取りながら着替える。訓練を放り出して早退するなんて初めてのことなので、焦燥と自責に駆られながら家路を急いだ。
屋敷の扉を開くと、初老の執事が珍しく動揺した様子で出迎えてくれた。
「どうなさったのです、まだご帰宅の時間では」
「体調を崩したんだ。その、マイルズ先生を呼んでくれるか」
短い言葉で、執事は何が起きたのかを察したようだった。
「かしこまりました。すぐにお呼びいたします」
俺は現当主なのに、心配かけてしまって情けないなと思う。
祖父は外の世界に出すために俺を当主に立てたのではない。俺は、あくまで弟が成人して学校を卒業するまでの繋ぎ役でしかないのだ。本当は屋敷に閉じこもっていたほうが正しいのだろう。俺のしていることは間違っているんだろう。でも、箱庭に仕舞われているだけの存在になりたくなかった。
寝室の扉を開くと、ほのかに弟のバニラの香りがして体のこわばりがとけた。ベッドの端に腰かければ、柔らかい弾力の中に腰が沈む。ノックが鳴って、どうぞと返事すると、執事がハーブティーを乗せたお盆を持っていた。
「マイルズ先生はすぐにお越しになられるとのことです」
「うん、助かる……」
執事は温和な微笑を浮かべてくれた。応援してくれる人たちはこんなにも優しい。
ハーブティーを口にすると、独特の渋みと香りで冷静さが少しもどってきた。執事が退室したあと、一口一口飲んでいく。
カップが空になったころ、再びノックが鳴った。扉を開けば、待ち望んだ人物が立っていた。
「マイルズ先生……」
「お待たせいたしました、ロイズ様」
レオン・マイルズ先生。柔和な微笑で、頼ってしまいたくなる温かい包容力を纏っている。
瞳は澄んだ青色で、髪型は亜麻色の髪を後ろに撫でつけていて洒落ている。三十代半ばらしいけれど若々しい。何があっても取り乱さずに話を聞いてくれる人だ。白衣は清潔で良く似合っている。
問診道具をテーブルに起くと、先生は聴診器を取り出した。
「それで、どうされたのです? ヒート期間中ではないはずですが、そのご様子ですと――」
「あの、わかりますか」
ヒートがあったとひと目でわかる様子なのだろうか。
広場にも帰宅時にも人がたくさんいたので焦燥に駆られていると、先生は「ああ」と合点がいったように微笑んだ。
「私はあなたの事情を知っていますからね。それにオメガ性の方を何人も診てきましたから」
そうか、それなら大丈夫か……。俺はベッドの端へ腰を落ち着けた。
まずは診察を、ということで口内や心拍、呼吸の音などを確かめた。異常はないようだ。
「それで、ヒートが起きたんですね?」
「はい。新しく赴任してきた方を目にして、急に……」
「どのような症状が出られましたか?」
「その……動けなくなってしまって、目が離せなくなってしまって」
「ふむ……」
「あと……体が熱くなって、汗が」
「他には?」
あらぬ場所が切なくなった、ということは口にしたくない。
けれど診察なのだから話さないといけないのだろう。
「……その、お尻の奥が、熱くなって」
「ヒート症状ですね。オメガ性の生理反応です。恥ずかしい事はありませんよ」
先生は柔和な笑みを保っており、そうされると何てことないのだと思えてくる。
「理性が途絶えるようなことはありましたか?」
「少しだけ……」
「どのように理性は戻りました?」
「あ、友人に話しかけられてすぐに……」
「薬は飲ませてもらったのでしょうか?」
「いえ、その場を離れて……自分で飲みました」
「歩行が可能で、意識も明瞭だったと」
先生は少し困惑した気配になった。
「ヒートは初期症状で済んだということですね。確認しますが、初対面のおひと方だけに反応されたのですね?」
「は、はい」
先生はさらに熟考する様子になる。
俺は沈黙に耐えられなくなった。
「あの……相手に近づいた時、動けなくなってしまって……相手もこちらと同じような反応で……」
「ふむ……」
「運命の番、だと感じました……」
ついに口走っていた。先生も思案げに頷く。
「そうですね……。状況を見ておりませんし、断言することはできません。しかし、お話を聞く限りではもしかするとお相手はロイス様の運命の番なのかもしれません」
改めて先生の言葉として聞くと、宣託を下されたかのような衝撃だった。
運命の番。頭の中が真っ白になってくる。
「運命の番であられた場合、お相手のフェロモンを感知できたはずです。お心当たりは?」
「あ……あり、ます……」
ムスクとシトラスの香りだ。今も鼻腔に残っているかのように、鮮明に思い出せる。
「離れがたい、という衝動はありましたか?」
「あり、ました」
「ロイス様ご自身は、番になりたいと思われますか?」
「それは……いいえ。相手のことなんて何も知りませんし、こんな急に……」
「理性ではなく、感覚としては?」
「……」
うなじを差し出したい、と思った。握った手を放さないでほしいと思った。
先生は全てを悟った様子で頷いた。
俺の性別について知っているのは、弟のジョシュアと初老の執事、そして主治医の先生の三人だ。
お医者様の先生になら、運命の番についても相談できるだろう。体の反応なのだから薬で抑えられるかもしれない。
帰宅させてもらうことを事務員に伝えると、俺は更衣室へ戻った。騎士たちは全員出払っているので無人状態だ。余韻なのか指先の感覚が痺れており、手間取りながら着替える。訓練を放り出して早退するなんて初めてのことなので、焦燥と自責に駆られながら家路を急いだ。
屋敷の扉を開くと、初老の執事が珍しく動揺した様子で出迎えてくれた。
「どうなさったのです、まだご帰宅の時間では」
「体調を崩したんだ。その、マイルズ先生を呼んでくれるか」
短い言葉で、執事は何が起きたのかを察したようだった。
「かしこまりました。すぐにお呼びいたします」
俺は現当主なのに、心配かけてしまって情けないなと思う。
祖父は外の世界に出すために俺を当主に立てたのではない。俺は、あくまで弟が成人して学校を卒業するまでの繋ぎ役でしかないのだ。本当は屋敷に閉じこもっていたほうが正しいのだろう。俺のしていることは間違っているんだろう。でも、箱庭に仕舞われているだけの存在になりたくなかった。
寝室の扉を開くと、ほのかに弟のバニラの香りがして体のこわばりがとけた。ベッドの端に腰かければ、柔らかい弾力の中に腰が沈む。ノックが鳴って、どうぞと返事すると、執事がハーブティーを乗せたお盆を持っていた。
「マイルズ先生はすぐにお越しになられるとのことです」
「うん、助かる……」
執事は温和な微笑を浮かべてくれた。応援してくれる人たちはこんなにも優しい。
ハーブティーを口にすると、独特の渋みと香りで冷静さが少しもどってきた。執事が退室したあと、一口一口飲んでいく。
カップが空になったころ、再びノックが鳴った。扉を開けば、待ち望んだ人物が立っていた。
「マイルズ先生……」
「お待たせいたしました、ロイズ様」
レオン・マイルズ先生。柔和な微笑で、頼ってしまいたくなる温かい包容力を纏っている。
瞳は澄んだ青色で、髪型は亜麻色の髪を後ろに撫でつけていて洒落ている。三十代半ばらしいけれど若々しい。何があっても取り乱さずに話を聞いてくれる人だ。白衣は清潔で良く似合っている。
問診道具をテーブルに起くと、先生は聴診器を取り出した。
「それで、どうされたのです? ヒート期間中ではないはずですが、そのご様子ですと――」
「あの、わかりますか」
ヒートがあったとひと目でわかる様子なのだろうか。
広場にも帰宅時にも人がたくさんいたので焦燥に駆られていると、先生は「ああ」と合点がいったように微笑んだ。
「私はあなたの事情を知っていますからね。それにオメガ性の方を何人も診てきましたから」
そうか、それなら大丈夫か……。俺はベッドの端へ腰を落ち着けた。
まずは診察を、ということで口内や心拍、呼吸の音などを確かめた。異常はないようだ。
「それで、ヒートが起きたんですね?」
「はい。新しく赴任してきた方を目にして、急に……」
「どのような症状が出られましたか?」
「その……動けなくなってしまって、目が離せなくなってしまって」
「ふむ……」
「あと……体が熱くなって、汗が」
「他には?」
あらぬ場所が切なくなった、ということは口にしたくない。
けれど診察なのだから話さないといけないのだろう。
「……その、お尻の奥が、熱くなって」
「ヒート症状ですね。オメガ性の生理反応です。恥ずかしい事はありませんよ」
先生は柔和な笑みを保っており、そうされると何てことないのだと思えてくる。
「理性が途絶えるようなことはありましたか?」
「少しだけ……」
「どのように理性は戻りました?」
「あ、友人に話しかけられてすぐに……」
「薬は飲ませてもらったのでしょうか?」
「いえ、その場を離れて……自分で飲みました」
「歩行が可能で、意識も明瞭だったと」
先生は少し困惑した気配になった。
「ヒートは初期症状で済んだということですね。確認しますが、初対面のおひと方だけに反応されたのですね?」
「は、はい」
先生はさらに熟考する様子になる。
俺は沈黙に耐えられなくなった。
「あの……相手に近づいた時、動けなくなってしまって……相手もこちらと同じような反応で……」
「ふむ……」
「運命の番、だと感じました……」
ついに口走っていた。先生も思案げに頷く。
「そうですね……。状況を見ておりませんし、断言することはできません。しかし、お話を聞く限りではもしかするとお相手はロイス様の運命の番なのかもしれません」
改めて先生の言葉として聞くと、宣託を下されたかのような衝撃だった。
運命の番。頭の中が真っ白になってくる。
「運命の番であられた場合、お相手のフェロモンを感知できたはずです。お心当たりは?」
「あ……あり、ます……」
ムスクとシトラスの香りだ。今も鼻腔に残っているかのように、鮮明に思い出せる。
「離れがたい、という衝動はありましたか?」
「あり、ました」
「ロイス様ご自身は、番になりたいと思われますか?」
「それは……いいえ。相手のことなんて何も知りませんし、こんな急に……」
「理性ではなく、感覚としては?」
「……」
うなじを差し出したい、と思った。握った手を放さないでほしいと思った。
先生は全てを悟った様子で頷いた。
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