【完】オメガ騎士は運命の番に愛される《義弟の濃厚マーキングでアルファ偽装中》

市川パナ

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本編

運命 4

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 基地の厩舎には馬がいる。気性の穏やかな茶毛の相棒にまたがると、たずなを振るって大広場の訓練場へ駆けた。
 今日は憲兵隊のうちの約二百名が集められており、一様に整列している様子は壮観だ。

「今回も睨んでくるねぇ」
「敵視されているからな、仕方ない」

 一部の憲兵は騎士をライバル視している。
 基本的に貴族しか騎士になれないためだ。平民がなるには厳しい選抜試験をくぐって騎士学校に編入するしかない。
 街を守る憲兵、戦争や有事に備える騎士というふうに役割分担しているが、望まぬ道に進めば不満も出るだろう。その気持ちは痛いくらいわかる。
 大多数の憲兵たちは貴族を畏れているので、睨んでくる者にはそれだけ耐えがたい不満や自負心が滲んでいる。

「おや。新隊長のお出ましだぜ」

 ミカエルの視線の先を見ると、白馬に乗った騎士が厩舎の方から来ていた。
 そのとき、肌がざわりと粟立った。なんだろう。落ち着かない感覚だった。白馬の方向が妙に気になる。
 周囲を見ても変わった様子はなさそうだ。騎士たちは引き締まった顔つきで、馬は軽く耳を動かしている。
 ミカエルが怪訝そうに声をかけてきた。

「ロイス、どうした?」
「いや、何でも……」

 頭をちいさく振って、騎馬の列に並んだ。
 だんだん恐怖と期待の感覚がない交ぜになっていた。しかし状況的に動けないし、体もなぜか動けなくなっていた。心臓が激しく拍動している。たずなを握っている手の平には汗が滲んでいる。
 白馬が近づいてきて、騎士と目が合った。視線が縫いとめられたように逸らせない。白馬は列の先頭に来て止まった。騎士の姿が良く見える。湖色の瞳、絹糸のような白金の髪、優雅で涼やかな顔立ち。
 風に乗って、ムスクとシトラスの甘く爽やかな香りが運ばれてくる。世界を隔てたように、紹介の声が聞こえた。

「王都から赴任してきた、ユリウス・ハルバード隊――」

 ユリウス隊長。次の瞬間、隊長はたずなを振るって、白馬を走らせてきた。俺のすぐそばまで来ると、あざやかな身のこなしで馬を降りる。目線はずっと俺を射抜いていた。俺は縛られているかのように、もう身動きひとつできなかった。全身に痺れが走っている。
 隊長は俺のすぐ隣に来て、馬上の俺を見上げた。凝視したまま震える口を開く。

「君は、」
 硬質で魅惑的な声色だ。脳が蕩けていく。

「――待った、何やってるんですか。ユリウス隊長」
 さえぎったのはミカエルだ。いつの間にか馬を下りていて、俺たちの間に割り込んできた。
 隊長はミカエルを邪魔な障害物のように睨みつけた。

「そこを退け」
「これから訓練でしょ? 何やってるんすか」
「今はそれどころでは――」

 言いかけて、はた、と隊長は我に返った様子になった。
 おもむろに周りを見回すと、一瞬固まる。そして何かを振り払うかのようにかぶりを振った。再び見上げてきた顔には苦悩と葛藤が滲んでいた。

「君の、名前を」
「ロイス・ウェンダルです」
 俺は反射的に答えていた。頬が熱くて息は弾んでいた。

「ロイス……」
 呼ばれた瞬間、絶頂しそうな歓喜に飲まれた。まちがいない。この人はおれの、運命。運命の番――。

「――ロイス!!」

 ミカエルの声で、俺は「あ」と理性を取り戻した。急速に現実感が戻ってくる。見まわせば、周りの騎士たちは戸惑った顔でぱちくりと瞬いている。隣で整列している憲兵たちは何事かとざわめていている。
 冷静になろうと慌てて挙動を抑えるけれど、隊長の存在に意識が吸い寄せられてしまって動揺が鎮まらない。馬が神経質そうに身じろぎする。

「具合が悪いんだろ、救護室に行こう。俺も付き添う」

 ミカエルの言葉にどうにか頷き、ひとりで行ける、と伝える。
 落馬したら危険なので馬を下りると、すぐにユリウス隊長に片手を握られた。

「ロイス。タイミングを見て私もすぐに向かう。待っていろ」

 熱い吐息が溢れた。この手をつなぎ止めていたい。しかしミカエルが振り払った。酷い、と思ったし、助かった、とも思った。
 ミカエルは険しい顔つきだった。

「ロイス、俺も付き添うから」
「いい……、平気だ」

 もつれる足を動かして逃げるようにその場から離れた。背後から様々な目線を感じる。俺をどう思っているだろう。建物の中に入ったけれど、体の熱はまだ収まらない。汗で肌がしめり、あらぬ所がじんわりと疼いて濡れていた。ヒートの初期症状だ。
 物陰に隠れると、俺は急いで内ポケットから緊急用のヒート抑制剤を取り出した。口に放り込んで上を向き、ゴクンと飲み込んで時を待つ。抑制剤を常用しているが、フェロモンが漏れてしまっているかもしれない。だが弟のフェロモンのカバーのおかげで少量なら誤魔化せるだろう。
 救護室に行けと言われたけれど、そこには行けない。診察されたらオメガだとバレてしまうだろう。床に座りこみながら考える。
 ヒートが落ち着いたら訓練に戻りたい。できるだろうか。無茶だろう。彼の前で理性を保っていられそうにない。
 彼が新隊長だという話だった。これからどうすればいい。せっかく騎士になれたのに。自分の存在価値を手に入れたのに。子供を孕む以外の価値が自分にあるのだと思ったのに。
 今も、彼のもとに行ってうなじを差し出してしまいたい衝動に駆られている。しばらくしてヒートの症状がおさまってきたけれど、異様な喜びは残っている。
 運命の番、という言葉が頭の中を駆け巡っていた。



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