【完】オメガ騎士は運命の番に愛される《義弟の濃厚マーキングでアルファ偽装中》

市川パナ

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本編

運命 1

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 騎士の家系だった。
 祖父は先の戦争で功績を立てた人で、俺はその偉大な背中を畏怖し、尊敬して育った。騎士の学校にも通い、自分も騎士になるものだと信じきっていた。

「オメガ性でいらっしゃいます」

 十五歳の遅めの診断だった。
 その日を境に、祖父からの剣の指導はぱったりとなくなり、学校を退学することになった。



 春を知らせるように、花のつぼみが膨らんでいる。
 二階の窓から見下ろす庭園の景色は美しいけれど、閉じた箱庭の世界のようだった。屋敷に閉じ込められてからそろそろ一年なるだろうか。

 そのとき、玄関から小さな物音が聞こえてきた。予定通り、新しい家族が到着したのだろう。深呼吸して心をなだめると、持て余していた手元の小説を書棚に戻し、玄関ホールへ向かった。

 階段へ踏み出したとき、扉の前に立つ祖父の姿がまず見えた。
 背筋を伸ばして顎を引いた佇まいは堂に入っており、上に立つ事に慣れている人物だと見て取れる。
 出迎えの執事にコートを渡してから、祖父は隣に立つ少年の肩に手を置いた。

「今日からこれの教育を任せる。剣技の指導は私が直接付ける」

 少年はぼろぼろの古着を着ており、肌は汚れており痩せこけていて、まるで浮浪児のようだった。黒い短髪は自分で切っているのかざんばらだ。瞳は珍しい紫色だが、その輝きは冷たく荒んでいる。
 かしこまりました、と年配の執事は穏やかな物腰で答えた。

「ロイス。来なさい」

 祖父の高圧的な声を聞いて、俺は静かに階段を下りた。外見では落ち着いた振る舞いをしているが、内面では動揺しきっていた。
 俺はオメガ性で、家督を継げない。
 跡取りがいくなったので代役として養子にされたのが、彼なのだ。
 祖父は実力主義なので、この少年の能力を見込んだのだろう。祖父が単調な声音で言う。

「今日から共に屋敷で生活する。良くしてやるように」
「はい、心得ております」

 俺は機械になりきったように答えたけれど、この少年との関係は複雑なので、実際にどう対処すべきなのかはさっぱりだった。
 彼が跡取り候補ということは――
 オメガの俺は、のちのち彼と結婚することになるのだろうか? 許嫁、なのだろうか。
 しかし少年の体はあまりにも華奢で、肩にある祖父の手が重そうに見えるほどだった。どう見ても守ってあげるべき対象だ。
 ひとまず少年に声をかける。

「俺の名前はロイス。君は」
「ジョシュアです」

 ソプラノボイスには、利発さが宿っていた。
 そこで祖父が小さく頷いて去っていき、その圧力も一緒に消えていった。
 俺は少し余裕を取り戻して、少年に目線を合わせて腰をかがめた。

「年はいくつ?」
「十二です」
「俺は十六だ。少し離れているけど、仲良くしていこう」
「はい、ロイス様」
「『様』はいらないよ。もう家族なんだ、敬語もいいよ。俺のことはそうだな、ええと――」

 何と呼んでもらうべきだろうか。
 呼び捨てでロイス……こんな小さな子に突然呼び捨てにされるのは……違和感が大きい。

「とりあえず、兄さん……とか」
「兄さん……」

 その日から俺は、兄になった。
 両親は俺が生まれてすぐに事故で亡くなっていたので、家族はずっと祖父一人だけだった。
 これからは不思議な三人家族になるのだ。俺は兄らしくなろうと心に決めた。

 祖父の剣の稽古は苛烈を極めた。
 戦場で命を賭けたものだけの経験でもってして、弟をしごき抜いた。
 二階から稽古の様子を眺め、俺が弟の場所に立っていたことを思い出して複雑になった。

「つらくないか」とある日問うと、
「平気だよ」と弟は微笑んだ。

 その矢先のことだった。
 偉大な祖父は、亡くなった。不慮の事故死だった。
 教会の墓地の空にはどんよりした黒い雲が流れていた。
 
 棺に入れられて花に包まれた祖父の顔は、見慣れたものよりいくぶん穏やかだった。
 シャベルで無造作に土がかぶせられていく光景を、俺は弟の手を握りしめながら見つめていた。弟は小さな手で握り返してくれた。
 気付けば雨が降っていて、零れた涙を隠してくれた。
 
 翌日に弁護士がたずねてきて、祖父の遺言書を仰々しく読み上げた。

「『ウェンダル家の家督をジョシュアに相続させる。
 ジョシュアが成人し、騎士学校を卒業するまではロイスに相続する』」

 そして俺は一時的な当主になり、弟は次期当主となり、俺たちは二人家族になった。祖父の代わりに剣を取り、彼は微力だけれど弟に稽古をつけた。

「兄さんは騎士を目指していたんだよね」

 ある日、弟が切り出した。
 過去に触れられて苦しくなったけれど、隠す事でもない。弟に微笑みかける。

「むかしは騎士になることが俺の使命だったから」
「使命……」
「今はオメガだってわかったから。オメガとして役に立つことが俺の、」

 使命、と言おうとしたとき、そんな使命はいやだと初めて明確に思った。
 俺は騎士の使命に誇りを抱いていたのだと気付いた。
 弟が意を決した様子になる。

「兄さん、騎士の学校にもどらない?」
「え?」
「僕が兄さんにマーキングすればできるんじゃないかな」
「なにを言って……」
「血縁者はフェロモンの匂いが似てるんだって。僕の素性は誰も知らない。だから同じ匂いでも怪しまれない」

 聞きながら俺は――
 できることなら騎士学校に戻りたいと思った。
 永遠には続けられないだろう。でも、小さな弟が大きくなるまでの間なら。
 俺自身のオメガのフェロモンは薬で抑えられる。できるかもしれない。
 迷う俺のもとに弟が訪れたのは、その日の夜だ。




***
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