燦燦さんぽ日和

加藤泰幸

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竜伐祭編

第四話/お肉が食べたい!(前編)

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「おいしい! なにこの焼きそば?」
「おう……うめえな」

 焼きそばを食べたヒロとゴウの第一声は、どちらも普段よりトーンが高かった。


「えへへ。ありがとう」
 サヨコが柔らかいパーマの掛かった黒髪を揺らしながら笑みを浮かべる。
 昼営業中のちとせには、ヒロとゴウ以外に客はいなかった。
 他に客がいると、人見知りのサヨコはこうは笑わない。
 なかなかお目にかかれない、混じり気のないサヨコの笑顔と、注文した焼きそばの味に、ヒロの頬も自然と綻んだ。



「ふむ……」
 隣に座るゴウが、また一口焼きそばを食べる。
 つられてヒロも食べた。
 ソースで味付けされたそばの味が、口の中に充満していく。
 これはこれで美味しいのだが、感嘆の声の源は別にあった。

「このお肉が違うのかな?」
「みたいだな」
 二口目を食べ終えたゴウと顔を見合わせる。


 肉が旨いのである。
 豚肉ではなく牛肉のようだが、もも肉ではない。
 赤身にはしっかりと火が通っていて、やや黒いようにも見える。

 特徴的なのは歯応えである。
 牛すじ程の歯応えはないが、適度に噛み締める事が出来て、程良い食感だ。
 更に、噛み締める毎に、ジューシーな味わいが肉から開放される。
 旨みと甘みの混ざった豊潤な味。
 特に脂身を噛み砕くと、味が脂身から弾けるように広がる。
 センダンなら、肉の新世界だの新時代だのと言い出しそうな感覚である。




「それ、しょぶり肉って言うの」
 サヨコは待っていましたと言わんばかりに、冷蔵庫の中からトレーに入った肉を取り出した。
 ヒロとゴウは、眼前に出されたそれを覗き込む。
 トレーの中の肉は、やや脂身の比率が高いように見えた。

「これがしょぶり肉?」
「うん。ヒロちゃんは聞いた事がない?」
「ないよ」
「ゴウちゃんは?」
「俺もない」
「そっか……牛の中落ち肉の事。あまり取れないお肉だから、ちょっとだけ高いんだ」
「へえ。これが……」
 その言葉を受けて、焼きそばの肉だけを抽出して食べてみる。
 中落ち肉なら食べた事はあったが、焼きそばのソースに絡まるとまた味が違う。
 濃い目の味付けが好きな者なら、たまらない味だった。





「……うちでもお肉、出そうかな」
 ヒロがぼそりと呟く。
 海桶屋の献立は、現状で及第点だと思っている。
 だが、これを客に食べて貰えば、より満足してもらえるのではという気持ちが湧き上がった。
 しょぶり肉は、それ程までに衝撃的な味だった。

「ヒロちゃんのお店、お肉出していないの?」
「出していない事はないけれど、メインで出す事は殆どないかな」
「じゃあ、今はお魚ばっかり?」
「うん。ゴウ君のお店から買ってる奴ね」
「その方針は変えなくて良いぞ」
 ゴウが強い口調で二人の会話に入ってくる。
「ええー? でもこんなに美味しいし……」
「駄目だ、駄目駄目。言う事聞かないとお前の店に売る魚だけ値上げするぞ」
 横暴である。



「ふふふっ。……あ、ところでヒロちゃん」
「あ、うん?」
「お店と言えば、お昼に抜けてきて大丈夫なの?」
「今はセンダンさんが店番してくれているから大丈夫だよ」
 のほほんと言う。

「危機感ない顔しやがって……お前の店、本当に大丈夫なのか?」
 ゴウが眉をひそめる。
「今日は夕方から珍しくお客様の予約もあるよ」
「ああ、そういえば、今日魚の注文受けてたな」
「うちだって、たまにはお客様が来るんだよ。帰ったら夕食の準備しなくっちゃ」
 そう言って、昼食を再開しようとする。
 だが、一度焼きそばに落とした視線をすぐに上げ、サヨコを見た。


「そうだ……サヨちゃん、ちょっと良い?」
「うん、どうしたの?」
「一つ持ち帰りで作って欲しいものがあるんだけれど……」
「今はお父さんが休憩しているから、私で作れるものだったら大丈夫。何が良いの?」
「うん……」
 ヒロは頭を掻く。
 自分が食べたいわけではないのに、なんだかその名を口にするのは恥ずかしい気がした。






「……きつね納豆」










 燦燦さんぽ日和

 第四話/お肉が食べたい!










「ようこそ、いらっしゃいませぇ!!」
 センダンの甲高い声が海桶屋に響き渡る。
 久々に聞く接客の声は、普段よりもテンションが高いように感じられた。
 それだけ彼女も嬉しいのだろう。



(嬉しいのは良いんだけれど、お客様が驚いてないかな……)
 不安になって、顔を持ち上げるようにして、フロントから土間にいる客を覗き込む。
 若い夫婦と、まだ下級アカデミーにも入学していなさそうな女児の三名の客は、
 案の定、センダンの第一声に少々驚いたようであった。
 だが、すぐに夫がにこやかに微笑んでセンダンに会釈をしてくれる。
 夫人と女児もそれに続き、一行は靴を脱いで中へと入ってきた。



「こちらにご記帳をお願いします」
「ん……分かりました」
 ヒロの強面に、夫は思わず僅かに狼狽してしまったようだった。
 だが、それ以上過剰に反応する事はなく、宿泊者カードに記帳を始めた。
 その間にセンダンが、夫人と女児をソファへ案内してから、飲み物を取ってきた。

「島で取れたオレンジジュースです」
「あら、ありがとう」
 カップを受け取った夫人は上品に微笑んだ。
「はい、オレンジジュース」
 続けて、センダンは身を屈めて女児と視線の高さを合わせる。
 両手で包み込むように、女児にもカップを差し出した。
 人見知りなのか、それともセンダンをまだ警戒しているのか、女児は戸惑って、センダンと夫人を交互に見て反応を求めた。


「キィちゃん、貰っても良いのよ。ちゃんとお礼を言ってね」
「ん……」
 キィちゃんと呼ばれた女児が返事をする。
 カップをしっかりと受け取って、キィは大きく頭を下げた。

「お姉ちゃん、ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして!」
 センダンが歯を見せて笑いかける。
 その笑顔につられて、キィの表情も綻んだ。
 朗らかな空気が出来上がる。



「キィちゃん達は、今日はどこから来たのかな?」
「んっとね。おっきい島」
「そっか、おっきい島かあ。島には何しに来たの?」
「んー……分かんない」
「そっか、分かんないかあ」
「うん。分かんないの」
 センダンがキィと談笑している。
 そこへ夫人が、フタナノからヒノモト文化の観光に来た、と補足するのが聞こえてきた。
 フタナノは、楕円状の国土の南部に、楕円を抉るように位置している大きめの島だ。
 ロビンから船で二時間もあれば着く島で、ロビンのみならず兄花島にとっても、フタナノ島は『ご近所』である。

 実は、海桶屋宿泊客には、そのご近所から来る者が多い。
 その多くは、ヒノモト風の街並みや建造物を求めての観光である。





(観光かあ。やっぱり裏の兄花通りを薦めようか……いや、でもそれ位は知っているかな。
 それに小さい子がいるし、もっと遊べるような所が良いかな……むう……)
 女性陣のやりとりを眺めながら、案内を求められた時の流れをシミュレーションする。
 そうして接客の流れを考えるのは、従来よりも楽しかった。
 センダンのみならずヒロも、久々の予約客に気分が昂揚していた。


「これで良いかな?」
 夫が宿泊者カードを書き終えた。
 ヒロは思考を断ち切ると、両手でカードを受け取って深く頭を下げる。
「はい、問題ございません。
 それではお部屋まで仲居が案内させて頂きます」
「うん、宜しく頼むよ」

 受付が終わったのを見計らって、センダンが前に進み出た。
 一行を、二階に通じる階段へと先導する。
 その際に、夫人とキィがフロントの前を通過した。



「ごゆっくりお寛ぎ下さい」
「あ、は、はい」
 近距離で初めてヒロの顔を見た夫人が少し戸惑う。
 よくある反応である。
 特に悪く思う事はない。

「キィちゃんも、楽しんでいってね」
「ふぇ……?」
 同じくヒロの顔を見たキィの足が止まった。
 茫然と立ち尽くし、目を大きく開けてヒロを凝視する。
 嫌な予感が、ヒロの心中に訪れた。



「う……」
「う?」
「うぇ……」
「キ、キィちゃん……?」
「うぇええええええぇぇぇぇぇぇーん!!」
 キィが声を張り上げて泣きだした。
 これも、よくある反応である。

 だが、困る。
 大いに困る。
 相手は客なのだから一層困る。
 取り繕おうとすれば余計怖がられるのだから、とにかく困る。




「あ……えっと……うあ……」
「あー、キィちゃん、ごめんねー!」
 前を歩いていたセンダンが慌てて戻ってきた。
 ここはセンダンに任せる事にして、ヒロは行方を見守る。

「うぇえええええーん!」
「本当にごめんねー」
「このお兄ちゃん鬼さんみたいで怖いよねー。ごめんねー。後でお姉ちゃんがやっつけておくから!」
 センダンに言われると少々癪に障るのだが、とにかく任せる事にする。
「ふ、ふぇ……」
「ね? だから泣かないで。お姉ちゃんが付いてるから!」
「ん……」
 センダンがあやした甲斐あって、キィはようやく泣きやんでくれた。
 ヒロと同じく、申し訳なさそうに行方を見守っていた夫妻に、手振りで問題ない事を伝えたセンダンはまた前に出る。




「さあ、お姉ちゃんが奇麗なお部屋に連れて行ってあげるから! こっちだよー」
 キィの方を振り返りながら歩くセンダン。
 そんな彼女に一つ忠告しようと思い立った時には……もう遅かった。


「さあ、二階に……あたっ!??」
 朱塗りの柱に頭をぶつけたセンダンの声は、間の抜けたものだった。
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