燦燦さんぽ日和

加藤泰幸

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竜伐祭編

第一話/古民宿『海桶屋』(前編)

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 今日も、マナは空で燦燦と輝いている。
 そのマナを眺めるべく、木造の建物から出てきたのは、一人の青年だった。

「今日も良い天気だなあ」
 青年は、空を見上げながら表情を緩める。
 暖かな春の風に包まれた空には、幾多もの光球が浮かんでいた。
 一つ一つは、片手で握れる位の小さなものである。


「うん。光のマナがたくさん見えるや」
 青年がその光球、光のマナに軽く手を振ると、マナは返事をするかのように瞬いた。
 青年は体を大きく逸らして、朝の日光を存分に浴びながら、視線を建物の向かいに広がる海に向ける。
 海は天気と同様に穏やかで、気持ちの良い微かな波音を立てていた。


 ……彼の出てきた建物は、ヒノモト諸島のうち、本土側から数えて四番目の兄花島にある。
 兄花島に本土側である北から入ると、道はすぐに東西それぞれに伸びている。
 東に進めば近代的な建物が多い居住地区に通じ、西側に進めば古い町並みの観光地区に通じている。

 その建物、築二百年を誇る古民宿・海桶屋は、そのうちの観光地区に存在していた。



「これでお店の予約があればなあ」
 背伸びを終えた青年が苦笑する。

 青年は、名をヒロ・タカナと言った。
 ちょうど一年前の春に上級アカデミーを卒業した、二十一歳の若者である。
 卒業後、祖父母が営む海桶屋に、若旦那兼板前見習として就職して以来……彼には一つの悩みがあった。
 正しくは卒業前からの悩みではあったのだが、就職後に一層悩まされる事になったのである。





「あれ?」
 悩める青年が道路の北側を見た。
 道の奥から、二人組の女性が歩いてくる。
 その先の観光案内所で配っている地図を手に持っているのが見えた。
 おそらくは観光客なのであろう。

「おはようございますー」
 やや距離があるうちから、声を掛ける。
 彼の声は穏やかで、見知らぬ人でも安心感を感じる事ができる。
 声は相手には届いたようで、二人組もヒロに気がついてくれた。
「あ、おはようございます」
「いい天気ですねえ」
 明るい声で返事をしながら二人が近づいてくる。

「ええ、本当に。観光の方ですか?」
 ヒロは微笑む。
 二人組との距離は大分縮まり、それぞれの顔つきを伺う事ができた。
 一人はまだ学生と思わしき外見の女性で、もう一人はややしわの目立つ中年の女性である。
 母娘での観光だろうか、とヒロは思う。
 そして、それはともかく……ヒロが二人の顔を見る事が出来たという事は、二人もヒロの顔を見る事が出来るのである。



「ええ、そうなんですよ」
 若い女性が言う。
「主人が出張に出たものでね。その間に娘と……」
 次いで、中年の女性がそう言葉を続けて……その言葉は途中で途切れた。
 彼女の表情がみるみるうちに青冷めていく。
 若い女性も同様であった。


「お母さん、わ、私財布無くしたみたい」
「あ、あらそう? じゃあ急いで探しに戻らなきゃ。それでは失礼……」
「あっ……」
 ヒロが声を漏らした時には、二人組は踵を返していた。
 来た道を猛烈な勢いで駆け戻っていく。
 逃げ出した、という言葉が適切な動きである。

 ヒロは呆然と二人の背中を眺めていたが、その背中はすぐに見えなくなる。
 それでも暫く路上に立ち尽くしていたが、やがてトボトボとした足取りで海桶屋に戻っていった。





 ヒロの目は大きいのだが、黒目は対照的に小さかった。
 やや太い眉は常時つりあがっており、眉間にはこれまたいつでも皺が寄っている。
 身長はやや高い方なのだが、必然的に相手を見下ろしながら会話をする事がある。
 どうやら、それが強い威圧感を生んでいるようである。

 すなわち……彼は、怖かった。
 それは、客商売をする上で最大の悩みであり、また解消のしようがない悩みでもある。





「この顔、そんなに怖いかなあ……」
 強面が力なく呟いた。
 たとえ嘆こうと、それはそれで怖い顔だった。










 燦燦さんぽ日和

 第一話/古民宿『海桶屋』










「あははははっ! ヒロ君ってば、まぁた観光客に逃げられちゃったの?」
「そんなに笑わないで下さいよ、センダンさん。本気で落ち込んでるんですから」
「だってさぁ。くふふふふっ!」

 海桶屋の土間のすぐ側には、休息用のソファがある。
 そこに腰掛けたヒロは、自分の顔を両手で覆う。
 ヒロの向かいには、ポニーテールの女性、センダン・コトノハが座っていた。
 センダンが腹を抱えて笑い声を漏らすたびに、彼女の頭部に生えた狐耳も楽しそうにピコピコと揺れていた。



「ふふふっ、はははっ!」
「それ以上笑うと……」
「く、くく、あっはっはっ!」
「昨日割った分のお皿の代金、お給料から引いてもらいますよ?」
「はは……はえっ!?」
 笑いがピタリと止まる。
 代わりに、間の抜けた声が漏れた。

「ち、ちょっと! そりゃないんじゃないの!?」
 センダンが口を尖らせる。
 なんとも子供っぽい仕草である。

 それが、年相応の仕草なのか、それとも実年齢にそぐわない仕草なのか、ヒロは知らない。
 ヒロが海桶屋に就職した一年前には、狐亜人のセンダンは、もう仲居として働いていた。
 外見年齢は自分と大差なさそうな事と、初対面の時から年長者のように振舞われた為に、一応はセンダンを年上だと思って接している。
 だが、彼女はが楽しい時に見せる表情や仕草は、少女のそれを連想させる。
 何かにつけて笑うものだから、幼げな印象はなおさら強い。
 実際の年齢は、ヒロが就職する前に海桶屋を切り盛りしていた祖父母しか知らぬ所であった。





「そ、それよりさ、今日は予約ないよね?」
 センダンが話題を変える。
「入ってませんよ」
 ヒロも話を皿の事に戻そうとはしない。

 センダンは相当そそっかしい所があり、皿を割るのも一度や二度ではない。
 加えて言えば、家事全般が不得意である。
 仲居として致命的な欠点を抱えているのである。
 だが、仕事への取り組み方は真剣そのものだった。
 ヒロとしても、本気で天引きしてもらうつもりはなかった。



「それじゃさ、今日はロビンに出かけない?」
 センダンが提案する。
「ロビンの都に?」
「そうそう。馬車なら昼前に着くわ」
「都に何しに行くんです?」
「備品の買出しとか」
「民宿協会に所属しているから、備品はそっちで安く買ってるじゃないですか」
「じゃあ、美味しい食材でも買出しに」
「近所のお店の食材で間に合ってますよ」
「都の人気旅館の調査とかどう?」
「調査費がないんです」
 にべもない。
「ぐう」
 センダンからぐうの音が漏れた。

「……遊びに行きたいんですか?」
 センダンの顔色を伺いながら尋ねる。
 海桶屋の営業は、ヒロとセンダンの二名で回っていた。
 経営は近所で暮らすヒロの祖父が担当し、忙しい日にはヒロの祖母がヘルプに入ってくれる。
 とはいえ、常時海桶屋にいるのは二名だけである。
 その分、休日は得難い。
 センダンが気晴らしに出かけたいとしても、無理はない話である。
 だが、おそらくそうではないのだろうとヒロは思っていた。





「うーん、そうじゃないのよね」
 センダンが耳を畳みながら言う。
「お店、暇よね?」
「残念ながらそうですね」
「お客様、来て欲しいよね」
「来て欲しいです」
「それなのよ!!」
「うひゃっ!」
 突然の力強い声。
 ヒロは思わず身を引いてしまう。


「私もそうなの。もっとお客様に来て欲しいし、島や宿を楽しんで欲しいの!」
 センダンがグッと握り拳を作って立ち上がった。
「は、はあ」
「そこで、その為にはどうしたものかといつも考えてるのよ」
「ふむ」
「暇だから考える時間はあるし」
「それはそれでちょっと」
「とにかく、何か変えていくべきだと思うの!」
「その結果がロビンに行くって事ですか」
「いえ~す。そういう事」
「なるほど……」
 ヒロは深刻そうに腕を組む。
 そう言われれば、邪険に出来ない提案である。
 海桶屋の閑古鳥っぷりは、ヒロとしても悩みの種だった。


「ま、それだけじゃなくて、もちろん遊びに行きたい気持ちもあるんだけれどね~」
「ありゃ」
 センダンがニパッと笑って言った。
 同調して悩んでいる所に話題をひっくり返されたヒロは、思わずこけかける。
 だが、暗い顔をしていてはそれこそ客に逃げられてしまう、と考え直した。
 彼もまた、センダンに笑みを返す。



「……確かに、僕も最近ロビンに行ってませんし、たまには行きたいな」
「そうだよねえ~。……ちなみにヒロ君、学生の頃はロビンに住んでたよね」
「ロビン生まれのロビン育ちです」
「その頃はロビンのどこで遊んでたの?」
「遊んでた所、ですか?」
 ふと、考え込む。
 自身が長らく過ごしてきたロビンの町並みを思い出そうとする。

 ロビンは、ヒノモト諸島と橋で繋がっている港街だ。
 三百年前の内乱時代に造られた防壁や城跡といった、古い建造物が所々に残るものの、
 街の中心の商業地区には、近代技術であるコンクリート製の建物が多く並んでいる。
 ショーや模擬戦で剣の技量を競い合う剣術興行のチームも存在している、国の主要都市の一つである。

 一方のヒノモト諸島は、ロビンとは異なる光景を持っている。
 この諸島は、異国の海賊であるヒノモトが長らく支配していた事からそう呼ばれていた。
 内乱時代が終わった後も、ヒノモトの子孫が中心となって発展させた為に、
 木造を中心とした建築様式や、本土では見かけない絹製の行事用衣服等の風習が多々残る、特殊な地帯である。
 ヒノモト諸島でも生活するのに支障はないのだが、娯楽施設は圧倒的にロビンの方が揃っていた。





「あまり、遊びに出かける事は無かったんですけれども……」
「うんうん」
「強いて言えば、西部の地下街かな」
「へえ、意外。あの辺りって雑多な所よね」
「そうですけれど、意外ですか?」
「うん。東部の劇場とか美術館とか、もっとスマートな所に行くものだと思ってた」
「学校から遠いし、東部はあまり行かなかったんですよ。
 地下街は、地下街の古書センターがお気に入りだったんです。
 マナや精霊に関する古い本とかたくさん売ってますから」
「なるほど、マナ絡みなのね」
 合点がいったようで、センダンが一つ頷く。
「やっぱり上級アカデミーでマナ学を専攻していただけの事はあるわね」
「そ、そんなのじゃありませんが……」
 本音なのかおだてなのかは分からないが、何にしてもこそばゆい。
 視線をセンダンから逸らしながら、話題を変えようと思い立つ。



「ま、まあ……日にちを見計らって、そのうち行きましょうか。
 お婆ちゃんも、たまには店番を任せて遊びに行け、って言ってくれてましたし」
「おおっ!」
 センダンが目を輝かせる。
「そうこなくっちゃ! 話が分かるねえ~!」
 頭をぶんぶんと縦に振る。
 木綿製のスカートから覗く尾も、頭と同様に振られている。
 そんな嬉しそうなセンダンを見ていると、自らの気持ちもどこか賑やかなものになった。
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