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虹の卵編
第二十六話/家族(前編)
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ようやく満開に漕ぎ着けた梅の花は、一日で散ろうとしていた。
ヒロは溜息をつきながら、店の軒先に咲く梅を窓越しに眺めたが、はっきりとは見えない。
というのも、酷く強く降る雨が窓を叩き、強風が度々に窓枠を揺らす為である。
梅の花も、その風雨によって散らされている。
客に満開の梅を楽しんで貰えるようになった矢先の事で、なんとも間が悪い。
目線を少し奥に移せば、路上では時折、折れた木の枝等が飛んでいた。
更にその奥の海上では、波が生き物のようにあらぶっている。
上空には黒々とした雨雲が敷き詰められていて、日中とは思えない薄暗さを醸し出していた。
「随分酷い嵐がきたものねえ」
同じく外を眺めていたセンダンが、呆気にとられたように呟く。
「雨や風も凄いですけど、時々雷も落ちているみたいですよ」
「怖わ。こんな嵐初めて見るんだけれど、ロビンや兄花島ではよくあるの?」
「いやいや、そんな事はありませんよ。
なので、ウチも含めて備えがない所ばかりでしょうね」
「あらー。災害とか起こらないと良いんだけれどねえ」
センダンは不安げにそう言って、ソファに腰掛けた。
春の嵐の到来である。
昨晩までは晴天そのものだった天候は、今朝方には豪雨と暴風へと姿を変えてしまった。
梅のみならず、芽生えだした緑は、殺人的に降りつける雨に打たれ、
海桶屋を含む古い町並みは、家屋を壊さんばかりの勢いで吹きつける風に晒されている。
この様な天候だから、外を歩こうとする者は基本的にはいないのだが、一人だけ例外がいた。
島の外からやってきたミクリである。
まだ早朝である先刻、久々にやってきた彼女の第一声は「途中で降られた」であった。
短い言葉ではあったが、全身濡れ鼠状態で、疲労困憊の様子からも、散々な目に遭った事は十分伝わってくる。
何にしてもまずは体を温めようという話になり、彼女は現在、急遽焚かれた風呂で体を温めていた。
「……ところでヒロ君。良い事思いついたんだけれど」
センダンがソファに座ったままで言う。
顔を見れば、口を限界まで開く、彼女特有の笑顔を浮かべていた。
猛烈に嫌な予感が過するが、聞かずに済むものでもない。
「またくだらない事思いついたんですか……」
顎を引いてジト目で睨む。
「くだらないってどういう事よ!」
「例えば、嵐に合わせて100メートル走ったらどんな記録が出るか、とか」
「あ、それ良いわね」
ヤブヘビである。
「でも、それは次の機会にしましょう。ミクリちゃんの事よ」
「む……」
ミクリと聞いて、反射的に背筋を伸ばした。
浴場の方に視線を移すが、まだミクリが出てくる様子はない。
「なんでしょうか。上がってくる前に、手短に」
「ミクリちゃんを笑わせる計画なんだけれど、あれ、今日で決めちゃわない?」
「今日で、ですか」
「ミクリちゃんの気持ちは揺れつつあるんでしょう? じゃあ、今こそ勝負する時だと思うのよね」
「ふむ……」
センダンの言葉を受けて、先月の梅見祭の夜を思い出す。
確かに、彼女は戸惑いを口にしてくれた。
落ち着く時間が欲しいとも言っていた。
その事はセンダンにも掻い摘んで話していたので、次に来た時が好機だと思っていたのだろう。
自分も似たような事を考えていたのだから、異論はない。
「……でも、できるかな」
「なに。反対なの?」
「いえ。異論はありませんが、自信もなくて。
確かにミクリちゃんは変わってきていますけれど、
この数ヶ月間、仕損じ続けている事を思うと、どうにも……」
「大丈夫! なんとかなるって!!」
センダンは声を張り上げて主張した。
同時にソファから立ち上がり、力強く片腕を掲げてみせる。
言葉通りの、自信に満ち溢れた振舞い。
成功する根拠もないのに、大したものである。
彼女の、勢いだけの行動を楽しく感じるようになったのは、いつ頃からだっただろうか。
「……分かりました。やってみましょうか」
呆れたような口調で、だが口の端を緩めながら、ヒロは頷いた。
燦燦さんぽ日和
第二十六話/家族
サリッ……サリッ、サリッ……サリッ。
不定期なペースで本を捲る音が、フロントに響く。
風呂から上がって一息ついたミクリは、フロントのソファに腰掛けて読書をしていた。
ページに触れる指先と、切れ長の目の奥で輝く瞳だけを動かしながら、一ページ一ページの内容を脳裏に刻む。
もう、かれこれ三十分はそうして本を読み続けているだろうか。
その行為に没頭する彼女の姿は絵になっていて、受付台の前に座るヒロは、時折そんなミクリに見惚れてしまった。
「ふぅ……」
ミクリが小さく息を吐いて本を畳む。
ようやく小休止を取るようである。
このひと段落を、ずっとヒロは待っていた。
即座に立ち上がって厨房に入り、冷蔵機からオレンジジュースを取り出してミクリの傍に向かう。
「はい、どうぞ」
「ん……」
本が閉じられてから、十秒強。
ミクリが読書に復帰する前にジュースを差し出す事に成功した。
「ああ、すまない。ちょうど喉が渇いていたんだ」
「それなら良かったよ」
「ヒロは気が利くな。……うん。美味しい」
ミクリは小さく会釈すると、喉を鳴らしながらジュースを飲んだ。
これで、掴みは問題ない。
さて、勝負はここからである。
ようやくミクリに声を掛ける事が出来たのだから、今こそ仕掛けなくてはならない。
これまで、何をやってもミクリは笑ってくれなかった。
そんな彼女を、一体どうやって笑わせれば良いのか。
まだ試していない手は残っているのか。
あったとしても、それが通用するのか。
考えに考え抜いたヒロが弾き出した結論は……残念ながら、斬新なものではなかった。
(このオレンジジュース、柿を混ぜてアレンジジュースにしてみたよ。
……よし、いける)
いけない。
脳内でシミュレーションをするヒロは、本気でそれで勝負するつもりだった。
彼の結論は、なんの事はない、ただのダジャレである。
それも、凄まじく酷い出来。
だが、ヒロには他に何も妙案がないのだ。
これが、彼の笑いのセンスの限界だった。
「この……」
「そうだ、ヒロ。虹の卵の事なんだが」
満を持して、破滅の一言を発しようとした所で、ミクリの言葉がそれを制した。
思わずつんのめりそうになるが、すぐに気を取り直す。
そう言えば、ミクリを笑わせる事ばかり考えていて、虹の卵の事は忘れていた。
それはそれで、気になる話である。
「ああ、うん。何か分かったの?」
「ヒロの友人が言っていた『手にした者の気持ちに応えて』という路線でも調べてみたんだよ。
だが、残念ながら何も分からなかった」
「あらら」
「もう一つ何か情報があれば、ドミノ倒しのように謎が解けそうな気もするんだけれどね。
私の方では、もう何も分かりそうにない。後で返すよ」
「分かった。わざわざありがとうね」
明るい声でそう言うが、内心では肩を落とした。
どうやら、虹の卵に関してはこれで完全にお手上げだ。
だが、分からないのだからどうしようもない。
それに、そもそもはウィグから出会いを記念してもらったものである。
友情の証として、また飾っておけば良いだけだ。
それよりも、今はもっと重要な事がある。
ヒロは、改めて意を決した。
「ところでミクリちゃん」
「うん?」
ミクリが首を傾げた。
今度こそ、決める時。
「このオレンジジュース、柿を混ぜてアレンジジュースにしてみたよ」
「へえ。言われてみれば、味に深みが出ている気がするよ」
「………」
通じなかった。
気づかれもしなかった。
当然の結果である。
「どうした? 急に小難しい顔になったが」
「えっと、今のは……」
「今のは?」
「……いや。なんでもないや。はは、ははは……はぁ」
ダジャレの解説ほど虚しい事は無い。
ヒロは、深く嘆息した。
◇
「はぁん! 駄目ねえ。ヒロ君は本当に駄目ねえ!」
厨房改め、良い事作戦本部。
その奥で、ふんぞり返りながら椅子に座るセンダンは、
とぼとぼと帰ってきたヒロを、早速鼻で笑い飛ばしてきた。
「そ、そこまで言う事ないでしょうに」
ヒロとしては、自信があるダジャレだったのだ。
結果は惨敗であったが、さすがに悔しくて抗議をする。
「だって全然だったじゃないの。今の、オレンジとアレンジをかけたんでしょ?」
「そうですが」
「分かりにくすぎ! 実際、気づいてもらえなかったじゃない!」
「ぐう」
思わずぐうの音が漏れる。
反論の余地は無かった。
「じ、じゃあ、センダンさんならどうするんですか?」
「うむうむ。よくぞ聞いてくれました!
まずダジャレという選択が間違ってるわ。
そんなの何回も試してきたんだから、今さら通用するはずないじゃない」
「それはそうかもしれませんけれど、他に何も思い浮かばなくて……」
「いいえ。まだやり様はあるわ」
センダンは不敵な笑みを浮かべた。
尾はブンブンと振られていて、どうやらテンションが高まっているように見受けられる。
それ程の隠し玉が、まだ残っていただろうか。
ヒロには何も思い当たりはない。
もう、それは散々考え尽した事なのだ。
「私達はこれまで、ミクリちゃんの感情に語りかけようとばかりしてきたわよね」
センダンが椅子から立ち上がった。
フロントの方に向いながら、彼女はなおも喋る。
「でも、最初の一回は感情からくる笑いじゃなくても良いと思うのよ」
「はあ」
今一つ、センダンが何を言いたいのか分らないが、曖昧な相槌を打つ。
「ま、私がバッチリ決めてくるから、ヒロ君はここで見てなさいな」
センダンは、そのまま厨房からフロントへと出た。
後を追いかけて、遠目にフロントの様子を伺うと、ミクリは読書を再開していた。
外では相変わらず嵐が激しくて、風雨が窓を叩き続けているが、
ミクリからは、それを気にする様子は一切感じられない。
場所や状況は関係なく、集中できるのかもしれない。
そんなミクリに対して、センダンはどう声を掛けるつもりなのだろうか、とヒロは思う。
自分の場合は、一服するタイミングを見計らったが……
「ねえねえ、ミクリちゃーん」
普通に話しかけた。
センダンは、そんなもんである。
「ん……?」
ミクリは反応こそしてくれたものの、声の調子は生返事だった。
顔も上げてはくれず、案の定の対応。
この状態では、どれだけ面白い事を口にしても難しい。
……だが、センダンの選択は『言葉』ではなかった。
「失礼~! こーちょこちょこちょこちょー!!」
「むっ!??」
センダンが、ミクリに飛びかかった。
ミクリに抱きつくように腕を回し、十本の指をそれぞれ過敏に動かして脇をくすぐる。
服の上からという事もあってか、しっかりと刺激が伝わるように、その動きはダイナミックでもあった。
そして一方のミクリはというと、あまりにも突然の事だからか、思わず本を手放して、されるがままにくすぐられている。
「こちょこちょー! こーちょこちょこちょー!」
「………」
センダンは、なおもくすぐり続ける。
なるほど、確かにこの方法は盲点だった。
心ではなく、体で笑わせるという事は、ミクリを魔法の呪縛から解き放つという本来の趣旨からは離れている。
だが、これがきっかけになって、ミクリが開放的になる可能性も考えられるのだ。
センダンにしては、妙案を思い付いたものである。
これで、ミクリがくすぐったがって笑ってくれれば、ベストであったが。
「こちょこちょー! こちょ……ぉ……?」
「………」
ミクリは、笑うどころか口を開こうともしない。
無表情になって、自分をくすぐってくるセンダンを黙って見下ろしている。
「……あ、あの、ミクリちゃん?」
センダンが指の動きを止めた。
汗をかき、気まずそうな表情でミクリを見上げる。
「……なんだろうか?」
「もしかして、ミクリちゃん……くすぐりに強い?」
「いかにも、そうだが」
淡々とした返事。
センダンは、がくりと崩れ落ちた。
ヒロは溜息をつきながら、店の軒先に咲く梅を窓越しに眺めたが、はっきりとは見えない。
というのも、酷く強く降る雨が窓を叩き、強風が度々に窓枠を揺らす為である。
梅の花も、その風雨によって散らされている。
客に満開の梅を楽しんで貰えるようになった矢先の事で、なんとも間が悪い。
目線を少し奥に移せば、路上では時折、折れた木の枝等が飛んでいた。
更にその奥の海上では、波が生き物のようにあらぶっている。
上空には黒々とした雨雲が敷き詰められていて、日中とは思えない薄暗さを醸し出していた。
「随分酷い嵐がきたものねえ」
同じく外を眺めていたセンダンが、呆気にとられたように呟く。
「雨や風も凄いですけど、時々雷も落ちているみたいですよ」
「怖わ。こんな嵐初めて見るんだけれど、ロビンや兄花島ではよくあるの?」
「いやいや、そんな事はありませんよ。
なので、ウチも含めて備えがない所ばかりでしょうね」
「あらー。災害とか起こらないと良いんだけれどねえ」
センダンは不安げにそう言って、ソファに腰掛けた。
春の嵐の到来である。
昨晩までは晴天そのものだった天候は、今朝方には豪雨と暴風へと姿を変えてしまった。
梅のみならず、芽生えだした緑は、殺人的に降りつける雨に打たれ、
海桶屋を含む古い町並みは、家屋を壊さんばかりの勢いで吹きつける風に晒されている。
この様な天候だから、外を歩こうとする者は基本的にはいないのだが、一人だけ例外がいた。
島の外からやってきたミクリである。
まだ早朝である先刻、久々にやってきた彼女の第一声は「途中で降られた」であった。
短い言葉ではあったが、全身濡れ鼠状態で、疲労困憊の様子からも、散々な目に遭った事は十分伝わってくる。
何にしてもまずは体を温めようという話になり、彼女は現在、急遽焚かれた風呂で体を温めていた。
「……ところでヒロ君。良い事思いついたんだけれど」
センダンがソファに座ったままで言う。
顔を見れば、口を限界まで開く、彼女特有の笑顔を浮かべていた。
猛烈に嫌な予感が過するが、聞かずに済むものでもない。
「またくだらない事思いついたんですか……」
顎を引いてジト目で睨む。
「くだらないってどういう事よ!」
「例えば、嵐に合わせて100メートル走ったらどんな記録が出るか、とか」
「あ、それ良いわね」
ヤブヘビである。
「でも、それは次の機会にしましょう。ミクリちゃんの事よ」
「む……」
ミクリと聞いて、反射的に背筋を伸ばした。
浴場の方に視線を移すが、まだミクリが出てくる様子はない。
「なんでしょうか。上がってくる前に、手短に」
「ミクリちゃんを笑わせる計画なんだけれど、あれ、今日で決めちゃわない?」
「今日で、ですか」
「ミクリちゃんの気持ちは揺れつつあるんでしょう? じゃあ、今こそ勝負する時だと思うのよね」
「ふむ……」
センダンの言葉を受けて、先月の梅見祭の夜を思い出す。
確かに、彼女は戸惑いを口にしてくれた。
落ち着く時間が欲しいとも言っていた。
その事はセンダンにも掻い摘んで話していたので、次に来た時が好機だと思っていたのだろう。
自分も似たような事を考えていたのだから、異論はない。
「……でも、できるかな」
「なに。反対なの?」
「いえ。異論はありませんが、自信もなくて。
確かにミクリちゃんは変わってきていますけれど、
この数ヶ月間、仕損じ続けている事を思うと、どうにも……」
「大丈夫! なんとかなるって!!」
センダンは声を張り上げて主張した。
同時にソファから立ち上がり、力強く片腕を掲げてみせる。
言葉通りの、自信に満ち溢れた振舞い。
成功する根拠もないのに、大したものである。
彼女の、勢いだけの行動を楽しく感じるようになったのは、いつ頃からだっただろうか。
「……分かりました。やってみましょうか」
呆れたような口調で、だが口の端を緩めながら、ヒロは頷いた。
燦燦さんぽ日和
第二十六話/家族
サリッ……サリッ、サリッ……サリッ。
不定期なペースで本を捲る音が、フロントに響く。
風呂から上がって一息ついたミクリは、フロントのソファに腰掛けて読書をしていた。
ページに触れる指先と、切れ長の目の奥で輝く瞳だけを動かしながら、一ページ一ページの内容を脳裏に刻む。
もう、かれこれ三十分はそうして本を読み続けているだろうか。
その行為に没頭する彼女の姿は絵になっていて、受付台の前に座るヒロは、時折そんなミクリに見惚れてしまった。
「ふぅ……」
ミクリが小さく息を吐いて本を畳む。
ようやく小休止を取るようである。
このひと段落を、ずっとヒロは待っていた。
即座に立ち上がって厨房に入り、冷蔵機からオレンジジュースを取り出してミクリの傍に向かう。
「はい、どうぞ」
「ん……」
本が閉じられてから、十秒強。
ミクリが読書に復帰する前にジュースを差し出す事に成功した。
「ああ、すまない。ちょうど喉が渇いていたんだ」
「それなら良かったよ」
「ヒロは気が利くな。……うん。美味しい」
ミクリは小さく会釈すると、喉を鳴らしながらジュースを飲んだ。
これで、掴みは問題ない。
さて、勝負はここからである。
ようやくミクリに声を掛ける事が出来たのだから、今こそ仕掛けなくてはならない。
これまで、何をやってもミクリは笑ってくれなかった。
そんな彼女を、一体どうやって笑わせれば良いのか。
まだ試していない手は残っているのか。
あったとしても、それが通用するのか。
考えに考え抜いたヒロが弾き出した結論は……残念ながら、斬新なものではなかった。
(このオレンジジュース、柿を混ぜてアレンジジュースにしてみたよ。
……よし、いける)
いけない。
脳内でシミュレーションをするヒロは、本気でそれで勝負するつもりだった。
彼の結論は、なんの事はない、ただのダジャレである。
それも、凄まじく酷い出来。
だが、ヒロには他に何も妙案がないのだ。
これが、彼の笑いのセンスの限界だった。
「この……」
「そうだ、ヒロ。虹の卵の事なんだが」
満を持して、破滅の一言を発しようとした所で、ミクリの言葉がそれを制した。
思わずつんのめりそうになるが、すぐに気を取り直す。
そう言えば、ミクリを笑わせる事ばかり考えていて、虹の卵の事は忘れていた。
それはそれで、気になる話である。
「ああ、うん。何か分かったの?」
「ヒロの友人が言っていた『手にした者の気持ちに応えて』という路線でも調べてみたんだよ。
だが、残念ながら何も分からなかった」
「あらら」
「もう一つ何か情報があれば、ドミノ倒しのように謎が解けそうな気もするんだけれどね。
私の方では、もう何も分かりそうにない。後で返すよ」
「分かった。わざわざありがとうね」
明るい声でそう言うが、内心では肩を落とした。
どうやら、虹の卵に関してはこれで完全にお手上げだ。
だが、分からないのだからどうしようもない。
それに、そもそもはウィグから出会いを記念してもらったものである。
友情の証として、また飾っておけば良いだけだ。
それよりも、今はもっと重要な事がある。
ヒロは、改めて意を決した。
「ところでミクリちゃん」
「うん?」
ミクリが首を傾げた。
今度こそ、決める時。
「このオレンジジュース、柿を混ぜてアレンジジュースにしてみたよ」
「へえ。言われてみれば、味に深みが出ている気がするよ」
「………」
通じなかった。
気づかれもしなかった。
当然の結果である。
「どうした? 急に小難しい顔になったが」
「えっと、今のは……」
「今のは?」
「……いや。なんでもないや。はは、ははは……はぁ」
ダジャレの解説ほど虚しい事は無い。
ヒロは、深く嘆息した。
◇
「はぁん! 駄目ねえ。ヒロ君は本当に駄目ねえ!」
厨房改め、良い事作戦本部。
その奥で、ふんぞり返りながら椅子に座るセンダンは、
とぼとぼと帰ってきたヒロを、早速鼻で笑い飛ばしてきた。
「そ、そこまで言う事ないでしょうに」
ヒロとしては、自信があるダジャレだったのだ。
結果は惨敗であったが、さすがに悔しくて抗議をする。
「だって全然だったじゃないの。今の、オレンジとアレンジをかけたんでしょ?」
「そうですが」
「分かりにくすぎ! 実際、気づいてもらえなかったじゃない!」
「ぐう」
思わずぐうの音が漏れる。
反論の余地は無かった。
「じ、じゃあ、センダンさんならどうするんですか?」
「うむうむ。よくぞ聞いてくれました!
まずダジャレという選択が間違ってるわ。
そんなの何回も試してきたんだから、今さら通用するはずないじゃない」
「それはそうかもしれませんけれど、他に何も思い浮かばなくて……」
「いいえ。まだやり様はあるわ」
センダンは不敵な笑みを浮かべた。
尾はブンブンと振られていて、どうやらテンションが高まっているように見受けられる。
それ程の隠し玉が、まだ残っていただろうか。
ヒロには何も思い当たりはない。
もう、それは散々考え尽した事なのだ。
「私達はこれまで、ミクリちゃんの感情に語りかけようとばかりしてきたわよね」
センダンが椅子から立ち上がった。
フロントの方に向いながら、彼女はなおも喋る。
「でも、最初の一回は感情からくる笑いじゃなくても良いと思うのよ」
「はあ」
今一つ、センダンが何を言いたいのか分らないが、曖昧な相槌を打つ。
「ま、私がバッチリ決めてくるから、ヒロ君はここで見てなさいな」
センダンは、そのまま厨房からフロントへと出た。
後を追いかけて、遠目にフロントの様子を伺うと、ミクリは読書を再開していた。
外では相変わらず嵐が激しくて、風雨が窓を叩き続けているが、
ミクリからは、それを気にする様子は一切感じられない。
場所や状況は関係なく、集中できるのかもしれない。
そんなミクリに対して、センダンはどう声を掛けるつもりなのだろうか、とヒロは思う。
自分の場合は、一服するタイミングを見計らったが……
「ねえねえ、ミクリちゃーん」
普通に話しかけた。
センダンは、そんなもんである。
「ん……?」
ミクリは反応こそしてくれたものの、声の調子は生返事だった。
顔も上げてはくれず、案の定の対応。
この状態では、どれだけ面白い事を口にしても難しい。
……だが、センダンの選択は『言葉』ではなかった。
「失礼~! こーちょこちょこちょこちょー!!」
「むっ!??」
センダンが、ミクリに飛びかかった。
ミクリに抱きつくように腕を回し、十本の指をそれぞれ過敏に動かして脇をくすぐる。
服の上からという事もあってか、しっかりと刺激が伝わるように、その動きはダイナミックでもあった。
そして一方のミクリはというと、あまりにも突然の事だからか、思わず本を手放して、されるがままにくすぐられている。
「こちょこちょー! こーちょこちょこちょー!」
「………」
センダンは、なおもくすぐり続ける。
なるほど、確かにこの方法は盲点だった。
心ではなく、体で笑わせるという事は、ミクリを魔法の呪縛から解き放つという本来の趣旨からは離れている。
だが、これがきっかけになって、ミクリが開放的になる可能性も考えられるのだ。
センダンにしては、妙案を思い付いたものである。
これで、ミクリがくすぐったがって笑ってくれれば、ベストであったが。
「こちょこちょー! こちょ……ぉ……?」
「………」
ミクリは、笑うどころか口を開こうともしない。
無表情になって、自分をくすぐってくるセンダンを黙って見下ろしている。
「……あ、あの、ミクリちゃん?」
センダンが指の動きを止めた。
汗をかき、気まずそうな表情でミクリを見上げる。
「……なんだろうか?」
「もしかして、ミクリちゃん……くすぐりに強い?」
「いかにも、そうだが」
淡々とした返事。
センダンは、がくりと崩れ落ちた。
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身内の者に描いてもらっています。
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