燦燦さんぽ日和

加藤泰幸

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虹の卵編

第二十五話/センダンが休んだ日(前編)

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「魔法……一言でそう纏められがちな概念ですが、ええと……実はこれには、非常に多くの系統が存在していたようです」
 海桶屋のフロントで、ヒロは参考書を片手にたどたどしく文面を読み上げた。

 先日、カナの合格祝いでロビンを訪れた帰りに、書店ロレーヌで購入した書籍である。
 入手困難の書籍につき、価格10000レスタ。ヒロの一ヶ月の小遣いに相当する額だ。
 少々痛い出費ではあったが、ソファに腰掛けるセンダンが、珍しく真面目な表情で講義を聞いてくれている事には、少しだけ救われる。


「まずは人智を超えた超自然現象を引き起こすもの。これが一般的に魔法と認識されている現象です。
 自然を操る事で起こる現象なので、専門家はマナが関連していると睨んでいます」
「ミクリちゃんが調べているものね」
「ええ。次に死霊術。これは死者の魂を呼び起こして、死者から秘密等を聞き起こす秘術です。
 他には錬丹術とか。不老不死になる為の術……なのかな。これは。
 あとは、ヒノモトにも陰陽という、物に魂を与える秘術が存在していたようです。
 他にもまだまだ、いくらでもありますね」
「なぁるほど」
「中にはその後、薬学等に統合された術も存在します」
「ほうほう」
「ただ……肝心の超常現象が実在したかという事になれば、多くが眉唾物ではあるようです」
「ふむぅ」
 センダンが何度か相槌を打つ。
 決しておざなりな口調ではなかったのだが、彼女は片方の眉をひそめていた。
 何か思う所がありそうな表情を、こうも見せ付けられては、ヒロも無視して続きを読み上げるわけにもいかない。
 どうかしたのか、と尋ねようとした所で、先にセンダンが口を開いた。


「ねえ、ヒロ君」
「なんでしょうか?」
「……すっごい胡散臭いね」
「まあ、そうですね」
 ぱたん、と音を立てて本を閉じながら頷く。
 センダンは、これまで魔法について学んだ事がなく、ほぼ無知も同様であった。
 そういう者が……すなわち、一般人が魔法の説明を受ければ、好意的には見られ難いという事である。



「あ。もちろんミクリちゃんの研究は応援するわよ。
 ただ、話を聞いていると、雲を掴むような研究なのかな、という気もするわ」
「だからこそ、税金で研究をしている魔法省は、好意的に見られないのでしょうね」
「ふむう。ミクリちゃんも大変だわ」
「そうですね」
 ヒロは元気なく言う。
 同時に、先日、夜の海を前に黄昏ていたミクリの事を思い出す。
 彼女の口から、自分は変わりつつあるという事を聞く事ができたのは大きい。
 自分やセンダンが、ミクリを笑わせようと取り組んできた事も、少しはミクリの心理の変化に影響しているのかもしれない。

 だが一方では、ミクリが背負っている魔法への想いが大きい事も、理解している。
 それは、ミクリに暖かな日々を送ってもらうという意味では、障害になっている。
 ただし、ミクリの立場で考えてみれば、その想いを邪険にするわけにもいかない。
 亡くなった両親の意思を継ぐ事も、それはそれで尊い事なのだ。

 焦らせるわけにはいかない。
 ミクリも、落ち着く時間が欲しいと言っていた。
 あの日からミクリは海桶屋には顔を出していない。
 だから……とヒロは思う。
 次に、ミクリが海桶屋に来た時。
 その日、その時が、勝負の瞬間となるのかもしれない。
 では、彼女はいつ頃顔を見せるのだろうか。
 願わくば、春までには……。




「ヒロ君」
 センダンに名を呼ばれて、ヒロは思考を断ち切った。
「はい、なんでしょうか?」
「それはそれとして、大事な話があるんだけれど」
「はあ」
 気の抜けた返事をする。
 ミクリの件以外で、大事な話を受ける思い当たりがなかった。
 多分、またいつものくだらない話だろう。
 そう考えながらセンダンの顔を見たが、すぐにその考えを改める。
 先程までは気がつかなかったが、センダンの鼻の周りがうっすらと赤く火照っていた。
 瞼には、うっすらと涙が溜まっているように見える。
 彼女が泣いた事が、これまでにあっただろうか。
 瞬時には思い出す事ができなかったが、すなわち、あったとしても相当稀な事だ。

「センダンさん……?」
 思わず半身を乗り出しながら彼女の名を呼ぶ。
「あのね、ヒロ君」
「はい」
「私ね、今……」
 溜めを作られた。
 今、何なのだ。
 無言で言葉の先を促す。
 それを受けたセンダンは、ゆっくりと口を開き、開き、開き、まだ開き……





「……ぶえぇっくしょんっ!!!」
 中年のおっさんのようなくしゃみが、彼女の口から飛び出した。










 燦燦さんぽ日和

 第二十五話/センダンが休んだ日










 三月である。
 まだ暖かいとは言い難いが、寒さは明らかに和らいでいて、雪が降る兆しはもう見受けられない。
 外出時も、日中ならばコートは不要と言って良い。
 冬はもう間もなく終わりを迎えるのだ。

 草木は芽生えだす。
 風からは冷気が抜ける。
 人は心を躍らせる。
 素晴らしい季節の始まりである。
 ……ごく一部の持病持ちを除いては。



「ぶぇーっくしっ!!」
 花粉症持ちのセンダンが、また品のないくしゃみをして、辛そうに鼻を掻いた。
 ヒロは、ふと、何故くしゃみの勢いには個人差があるのだろう、という事を考える。
 センダンのようにみっともないくしゃみがあれば、小鳥のさえずりのような小さなくしゃみをする者もいる。
 それも、意識して勢いを大幅に変える事は難しいものだ。
 そういえば、自分はくしゃみの事を殆ど何も知らない。
 そんなどうでも良い思考を暫し走らせるが、今はセンダンの話であると気がついた所で、それは止めた。


「そう言えばセンダンさん、花粉症でしたね」
「うん。スギ花粉が駄目。今日になって、急に強烈なのが来たわ」
「でも昨年はなんともなかったですよね?」
「隔年で強烈なのが来るのよ。ぶぇーく! ぶぇーく! ……うう。ずびぃ」
 二度小さめのくしゃみをして、涙目になりながら鼻をかむ。
 花粉症に罹った事のないヒロには、その辛さは今ひとつ分からなかった。
 大きな症状としては、単にくしゃみが止まらないだけに見える。
 目が痛いのは、まあ辛いかもしれない。
 彼女曰く、だるさや気力の欠落も起こるそうだが、それは良く分からない。


「うう、しんど……」
「狐も花粉症に罹るんですね」
「狐がどうなのかは知らないけれど、狐亜人は普通に罹るわよ」
「そんなものなんですか」
「そんなもの、そんなもの。
 うう。どうでも良い事考えたら、まただるくなった気がするわ」
 センダンはそう言って、ソファに深く背中を預けて脱力した。

 彼女がカラ元気さえも出せないのだから、相当辛いのだろう。
 さすがに気の毒だし、接客にも支障が出る。
 ヒロは片手を掲げ『少し待って』とジェスチャーで伝え、厨房の裏にある業務用のチェストから薬箱を持ってきた。
 中には包帯、絆創膏、湿布、体温計、他には各種塗り薬、飲み薬が入っている。
 花粉症に効く飲み薬も、あるにはあった。
 ガラス瓶入りのそれを取り出して、受付台の上に置く。

 だが、これには一つ問題がある。
 この薬を含む各種飲み薬は、市販物ではない。
 民間薬……有り体に言えば、ウメエが調合した薬なのである。
 爆弾、とも言う。





「……お婆ちゃんが作った薬ならありますが」
「自家製じゃないけれど、いつだったか、お風呂の素が爆発した事もあったわね」
 センダンが、いぶかしむ目つきでガラス瓶を見る。
 ガラスは古さを示すように濁っていて、それがまたセンダンを不安にさせるようだ。
 ウメエの事は尊敬しているらしいが、それとこれとは話が違うのだろう。

「飲んでみます……?」
「……背に腹は代えられないわ。飲む」
 意を決した彼女は、瓶の蓋を開け、水も使わずに中身を飲み込んだ。
 それから、薬を体に馴染ませるように、ゆるやかな動きで上半身を揺する。

「……効きそうですか?」
 即効性はないはずだが、一応尋ねた。
「んー……」
 センダンが首を傾げる。
「プラプーラ効果かもしれないけど」
「プラシーボ効果」
「そうそれ。プラシーボ効果かもしれないけれど、なんだか楽になったような気がするわ」
 そう言って、センダンがようやく笑った。
 どうやら、少しは効果があったようだ。
 ほっと胸を撫で下ろした……その瞬間である。



「!??」
 センダンの顔色が、一瞬で真っ青に染まった。
 目を見開きながら腹に手をあてがい、中腰気味に体を曲げる。
 何かに耐えているように見えたが、それもすぐに限界に達したのだろう。
 屈めた体をすぐに伸ばすと、何も言わずに、猛烈な勢いで廊下を駆けた。
 その先にあるのは、トイレであった。

「ぶええええっくしょんっ!!」
 酷く大きなくしゃみを発してトイレに飛び込んでいった。
 新たに腹痛を患った上に、花粉症も治っていない。
 どうやら、効果は最悪のようだ。







 ◇







「で、ワシの出番というわけか」
 急遽呼び出されたウメエは、海桶屋の廊下の奥を眺めながら、面倒臭そうにそう言った。
 ウメエの視線の先には、壁で隠れていて直接見えはしないが、センダンの自室がある。
 到底勤務できる体調ではないセンダンは、自室で横になっている。
 彼女の事はヒロも気にはなるが、つきっきりで看病するわけにもいかない。
 なにせ、今日は予約客が三組も入っているのだ。

「お婆ちゃんの変な薬のせいだよ。あれ、いつ作った薬なの?」
「細かい事は覚えとらんが、十年くらい前だろうかね」
「へっ?」
 思わず声が裏返る。
 仮に本来は薬効があったとしても、それだけ古ければ、今では役立たずになっているだろう。
 確認を怠った自分にも責任はあるが、どうしてそんな代物を処分していなかったのだろうか。
 体調を崩した客に、薬を求められた事がなかったのが、不幸中の幸いかもしれない。



「……後で、お婆ちゃんが作った薬を全部教えてね。処分するから」
「うむ。後でな。それよりさっさと仕事を始めるぞ。今日の予定はどうなっとる?」
「あ、うん。えっと……」
 受付台の上に置いていたメモを手に取り、内容を読み上げる。

「今日は予約客が三組。三人家族、五人家族、あとカップルが一組だね」
「全員、夕食は普通に食べるんじゃな?」
「うん」
「特別メニューの類は?」
 ウメエが手短に要点を確認する。
 いつの間にか、その表情には真剣さが篭っている。

「全員魚介類は大丈夫らしいから、なしだよ」
「家族連れさんは大丈夫なのか?」
「あ、そっか。五人家族さんの所の子が小さいんで、一人分離乳食だった」
「食材は?」
「もう少ししたら買いに行くよ」
「今から買ってこい。何せ人数が多いから、お前一人では間に合わんかもしれん。
 ワシも手伝うが、その間フロントをカラにするわけにもいかんからな。
 チェックインを始める前に、あらかた済ませてしまうぞ」
「了解」
 ウメエの判断に、特に異論はない。
 ヒロは素直に返事をして、土間へと向かった。
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