燦燦さんぽ日和

加藤泰幸

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虹の卵編

第二十四話/梅見祭(後編)

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 海桶屋に戻ったヒロは、裏庭の隅に建っている物置の中を漁り始めた。
 物置の中は土木道具や農具、その他にも普段は使わない物で溢れていて、
 目当ての木箱を見つけるのには、随分と時間を要してしまった。

「あったあった」
 嬉しそうな声を漏らして木箱を手にする。 
 肝心なのは、この中身だ。
 木箱の中身を使ったのは数ヶ月前の事だっただろうか。
 学生時代は毎日のように触れていたのに、仕事を始めるとそういうわけにもいかない。
 これからは、もうちょっと意識して扱おうと考えながら、木箱を眺める。
 

「へへっ」
 思わず、にやけ笑いさえ浮かんでしまった。

「なにを笑っているのだ……」
「うへっ!!?」
 そこへ、背後から声をかけられた。
 声を裏返らせながら反射的に振り返ると、ミクリの姿があった。
 どこか呆れたような目つきで見上げられていて、猛烈な恥ずかしさを覚える。
 物置へは一人で来たので、おそらくは木箱を探している最中に追いかけてきたのだろう。

「あ、いや、えっと……久しぶりにこれを扱うと思うと、ちょっと嬉しくなっちゃってね……」
 正直に白状しながら、木箱を地面に置く。
 それから、丁寧な手つきで木箱の蓋を開けると、中には十数個の小さなガラス瓶が入っていた。
 中身は完全に記憶しているので、ラベルは張っていない。
 全て、ヒロの私物のマナである。

「これは……全部マナか? 随分と数があるな」
「まあ、好きだからね。火、水、土、風の基礎マナは全部二瓶ずつ。
 後は光、雷、緑、鉄……レアな所で磁力、音、星、あとは……」
 ガラス瓶を指差しながら、一つ一つ中身を説明した。
 その中から、ヒロは二つの瓶を取り出す。
 そのうちの一つに、ミクリは微かに眉を上げて反応を示した。

「撮り出したのは、風のマナと……もう一つは記憶のマナか」
「うん。これを使えば、梅の花びらを届けられると思う」
「だがヒロ。記憶のマナは相当希少だろう?」
「うん。まあ」
「店には置いていなかったから価格相場までは知らないが、決して安くはないだろう?」
「ううん。どうだろうねえ」
 苦笑して誤魔化そうとする。
 少量でも10000レスタはする代物なのだが、それを知られれば献身性を賞賛されるかもしれない。
 それが、ヒロは嫌だった。
 確かにコヨリの事を思っての行動だが、賞賛されたくてやっているわけではない。
 それに動機の半分は、マナを使いたいという、自身の欲望だ。


「それよりミクリちゃん、そっちは準備はできたの?」
「ああ。それならすぐに終わったが……」
 ミクリが一度言葉を切る。
 片手を腰に当てた彼女は、少し不満そうな声で言葉を続けた。

「……私に、紙飛行機の折り方を指導させるというのは、何かの冗談か?」
「まあ。そんな所かな」
 ヒロは苦笑しながら、木箱を物置に戻した。





 センダンとベラミ、それからコヨリは、予定通り海桶屋のフロントで待っていた。
 ヒロ達が戻ってきた時には、三人で紙飛行機を飛ばし合って遊んでいた。
 とはいえ、センダンとベラミが熱心に飛距離を競い合い、それをコヨリが応援するような構図である。
 これでは、誰が子供なのか分かったものではない。

「コヨリちゃん。折り紙の準備はできたんだよね?」
「あ。ヒロお兄ちゃん」
 ヒロが声を掛けると、ミクリは小走りで近づいてきた。
 彼女が手にしていた紙飛行機は、五角形で羽が大きい独特の形状をしていた。
 胴体中央部には、糸で小袋がくくりつけられている。
 おそらくは、その中に埋めの花びらを入れているのだろう。

「綺麗に折れたよ。ミクリお姉ちゃん、折り方を教えてくれてありがとう」
 その紙飛行機をヒロに見せながら、彼女はミクリの方にも視線を向ける。
「……う。あ。うん」
 ミクリの返事は鈍い。
 コヨリのような少女との交流がなく、どう反応して良いのか分からないのだろうか。

「それじゃあ、ちょっとその紙飛行機を借りても良いかな?」
「はい、どうぞ」
 コヨリから紙飛行機を受け取ると、ポケットから風のマナの瓶を取り出した。
 蓋を開けて中身を紙飛行機に振り掛けると、薄緑色の光球が、ゆったりとした動きで紙飛行機を包んでいった。

「それは何のマナ?」
 いつの間にか、コヨリの後ろに来ていたセンダンが聞いてくる。
「風のマナです。これをかけておけば、紙飛行機を長時間飛ばす事ができるんですよ」
「へえ。かけるだけでいいんだ。マナって意外と簡単に扱えるじゃない」
「いやあ、そういうものじゃありませんよ」
 ヒロは得意げに言う。
 マナの講釈をできるとなると、ヒロの胸は大いに躍った。
「これだけじゃあ、効果が安定せずに墜落してしまいます。
 だから一般に、道具にマナエネルギーを用いる時は、
 事前にマナを加工したり、エネルギー変換器が内臓されていたりするんですよ。
 でも、今回はそんな準備はありませんから……」
「あー、はいはい。実演でよろしく!」
 話の腰を折られた。
 ジト目でセンダンを睨みつけるが、確かにあまり遅くなるわけにもいかない。

「それじゃあ、実際に飛ばしてみましょう。皆、外に出てください」







 ◇







 西向きの海桶屋から出る。

 宿の正面では、日没を見る事が出来た。
 空の大部分はガラスのような薄群青色に染まり、橙色の成分は西の空の果てに少しだけしか残っていない。
 すなわち、陽が沈みかけているのである。
 その沈みかけた陽が、海に太い線を引いていて、海上の道の様にも見えた。
 太陽が、一日の仕事を終えて眠りに就く。
 自然の営みの一部を、はっきりと視認できる瞬間である。
 あまり口外する事はないのだが、ヒロはこの時間を内心好いていた。



「もうすぐ、夜になっちゃうね」
 コヨリが少し焦ったように言う。
 今は自然に見惚れている時ではなかった。
 ヒロは、コヨリを安心させようと彼女の頭を一度軽く撫でる。
 それから、中腰になって視線の高さを少女に合わせると、もう一つの瓶を差し出した。

「大丈夫。まだ間に合うよ。
 コヨリちゃん、この瓶の中身を頭から被ってごらん」
「うん。でも、これなあに?」
「記憶のマナって言うんだ。これを被って、お兄ちゃんの事を考えながら紙飛行機を飛ばすんだ。
 そうしたら、紙飛行機はお兄ちゃんが目的だと記憶する。
 紙飛行機が目的を記憶すれば、風のマナの効果も安定して、ロビンまでなら無事に届くはずさ」
「……ううん。よく分かんない。
 でも、やってみるね」
 コヨリは元気に頷いた。
 早速瓶の中身を頭に降り掛けると、白色の小さな光球が出てきた。
 コヨリの頭の中に吸い込まれるように、そのマナはすぐに消滅してしまう。

「………」
 コヨリは目を瞑って、十秒程沈黙した。
 目を開けると、早速紙飛行機を構え、思い切って海へと投じる。

 紙飛行機は、海上で螺旋を描いた。

 明らかに安定性を失った不安な軌道。

 そのまま海上に沈む光景が、皆の脳裏を過ぎる。

 だが、沈まない。

 海面に近づきつつ、三度程回転。

 それから、唐突に水面を水平飛行。

 機体が、風に押し上げられる。

 水平飛行したままで、徐々に持ち上がっていく。

 軌道が銀色に輝いた気がした。

 あれは、マナの輝きだろうか。

 皆、その動きに見入る。

 上昇。

 更に上昇。

 一度だけ、ロール。

 まるで別れの挨拶だ。

 気がつけば、紙飛行機は点のように小さくなっていった。

 まるで鳥のようだ。

 届くだろうか。

 きっと、大丈夫。

 飛んでいく。

 目的地まで飛んでいく。

 コヨリ兄の所まで。

 梅の花びらを携えて――




「ヒロお兄ちゃん、ミクリお姉ちゃん。それにセンダンさん達も」
 コヨリが、名を呼んだ。
 まだ目線の高さを合わせている彼女の顔を見る。
 少女は、天真爛漫の笑みを浮かべていた。
 
「今日はありがとう。きっと、お兄ちゃんまで届くよね」
「……うん。そうだね。きっと届くさ」
 ヒロも温和な表情を浮かべてみせた。
 コヨリの言葉に、胸が暖かくなるのを感じる。
 そうだ。
 この笑顔の為に、マナを学んできたのだ。

 立ち上がりながら、ちらと横目で他の三人を一瞥する。
 センダンもベラミも、穏やかに笑っている。
 ……だが。


「………」
 ミクリ・トプハムだけは、冴えない表情で俯いていた。







 ◇ 







 夕食の時間になった。
 この日の宿泊者はミクリ一人しかいない為に、囲炉裏を囲んで皆で食べようと、彼女の泊まる部屋をノックしたが、反応がない。
 センダンと一緒に、海桶屋の中を一通り探しても見つからなかったが、これはよくある事である。
 こういう時は大抵、ミクリは外へ調査に出ているのだ。
 外は寒いので出たくないというセンダンに配膳を任せ、ヒロは一人でミクリを探しに海桶屋を出る。
 ミクリの行きそうな所を考えるが、それは無用な思索だった。
 海桶屋の目の前、夕方に紙飛行機を飛ばした場所で、ミクリは目の前に広がる光景を眺めていた。



「ここにいたんだ……ミクリちゃん、晩御飯だよ」
 声をかけるが、ミクリは振り返らない。

 彼女の傍へと歩きながら、ヒロも空と海を眺める。
 夕方の薄群青色がそのまま濃くなっていて、海上というよりは海中のような色だ。
 だが月明かりが強いからか、全体としてはそこまで暗い印象は受けない。
 ミクリの隣まで来るのと同時に、冷たい風が吹き抜けた。
 二月も終わりに近いとはいえ、まだ夜は冷える。
 コートを着てもまだ寒い、などと思いながらミクリを見て、ヒロは驚いた。
 ミクリが纏っているのは室内着のみで、コートもマフラーもない。
 それなのに、寒がる素振りを一切見せずに、彼女は虚空を眺めていた。



「風邪、引くよ?」
「……そうだね」
 ミクリはヒロを見ずに返事をする。
 心ここにあらず、といった風な声だ。
 何を思っているのだろうかと考えるが、すぐに答えは浮かばない。
 その代わりに、コヨリに礼を言われた時の表情が冴えなかった事を、思い出した。


「よいしょっと」
「あ……」
 コートを脱いで、ミクリの肩にかける。
 戸惑われはしたが、彼女はその行為を拒みはしなかった。
 小さく顎を引く事で礼としながら、視線をヒロに向けてくる。

「ミクリちゃん、夕方、元気なかったね」
 なるべく、穏やかな声を意識してそう言う。
「……ああ」
「笑いかけられて、良い気分はしない?」
「そんな事はないさ」
 小さく首を横に振る。
 それから、コートの襟を掴んで、彼女は言葉を続ける。
「……笑顔は、良いね。心が暖かくなる」
「それなら」
「でも……」
「………」
「同時に、強い焦りを感じるのだ」
 ミクリが天を仰いだ。

「このままではいけない。
 この暖かさに浸ってはいけない。
 私は、まだ何も成し遂げていないのに。
 まだ、両親の想いを形にしていないのに……」

 ああ。
 そうか。
 そういう事なのか。
 ようやく、ミクリの思考がトレースできる。
 この子は、迷っている。
 少しずつ、笑う事に近づいている。
 人の暖かさをその身に受けて、感情に変化が起こっている。
 だが、魔法という宿命は消えていない。
 その板挟みにあって、気持ちが整理できていないのだ。





「なあ、ヒロ」
 ミクリは天を仰いだまま、ヒロの名を呼ぶ。
「……なにかな」
「ヒロは、なぜマナの研究を止めたのだ?」
「………」
「私達の志は、似ている。だから参考にしたい」
「うん」
「ヒロは、父の影響で、生命の可能性を信じてマナを研究していたはずだ」
「うん」
「卑下するつもりはないが……それが何故、海桶屋に?」
「その事かあ」
 それは、懐かしい話だった。
 ヒロも同じように空を見る。
 マナは、今日も美しく瞬いている。
 父とその話をした夜も、同じように夜空を見上げていた事を思い出す。




「上級アカデミーを卒業する時に、なかなか就職が決まらなくて、父に今後の事を相談したんだ」
「………」
 ゆっくりと、言葉を噛み締めるように語る。
 ミクリは言葉を挟まないが、ヒロの言葉に集中している気配は伝わってきた。


「その時にお父さんに言われたんだ。『精霊を見つけ、生命の可能性を掴んだとして、それからどうしたいんだい?』ってさ。
 すぐには返事ができなかった。その後の事なんて、何も考えてなかったんだもん。
 父は、そんな僕に、自分が生命の可能性を追求する理由を教えてくれたよ」
「………」
「人が助け合う為だ。ってね。
 精霊の力が、人を良い方向に導けば、助け合う方向にレールが引かれれば、人はより幸福になれる。
 もう、精霊戦争みたいな争いも無くなる……それが、父の研究の奥底にあるものさ」
「……ふむ」
「その為には、必ずしもマナを生業とする必要は無い、とも言ってくれた。
 日常の中にも、マナの力で助け合えるような局面があるはずだ。
 まさしく、今日のような事だね」
「………」
「その言葉で、僕は自分の道を見つけたんだ。
 民宿業という、様々な人々と知り合える日常の中で、マナを生かしたいってね。
 ……まあ、偉そうな事言った所で、結局は就職できずに家業を継いだだけなんだけれどさ」

 そう言い終えて、頭を掻きながら笑ってみせる。
 ミクリは、まだ空を見上げていた。
 ふぅ、と彼女が小さく息を吐く。
 白い吐息が浮かび上がって、すぐに消えてしまった。


「……それでも」
 ミクリの声は。

「魔法は、捨てられないかもしれない」
 吐息と同じように、今にも消えてしまいそうだった。


 ふと、ヒロは思う。

 この子は、これからどうなるのだろうか。
 笑顔の暖かさを振り切って、魔法の道を選ぶとしよう。
 その道は、いつ終わるともしれない道だ。
 なにせ魔法は、人類が何百年も取り戻せていない奇跡なのだ。
 再現できた頃には、年老いているかもしれない。
 或いは、再現できないまま、その一生を終えるかもしれない。

 その時に……この少女は、おそらく独りになるのではないか。
 全てを振り切った少女には、何も残らないのではないか。
 あまりにも寂しすぎる生涯。
 それが、ミクリの可能性の一つとして存在しているのだ。
 それに気がついたヒロの心中が、急激に冷える。
 彼女の可能性が、まるで自分が経験した事のように、ヒロの心に覆い被さってきた。


「……うう」
 嗚咽が漏れた。
 細い涙が、ヒロの頬を伝う。
 慌ててそれを拭ったが、涙は止まらない。

「……ヒロ?」
 ミクリが視線をヒロに向けてきた。
 目が大きく見開かれていて、驚かせたようだ。
 ああ。
 当然だ。
 情けない。
 こんな少女の前で、みっともない。
 でも、涙は溢れ続ける。


「ヒロ。何故、君が泣くのだ?」
「……いけないよ……うぐっ……」
 慟哭は止まらない。
「ミクリちゃん、それは駄目だよ……」
「………」
「そんなの……寂しすぎるじゃないか……」
「……ヒロ」
 ミクリが顔を背けた。
 身を翻し、海桶屋の方へ数歩進んでから立ち止まる。
 彼女の背中が、凄く小さなものに見えた気がした。




「……私も、少し高ぶっている」
「………」
「落ち着く時間が欲しい」
「……うん」
 ヒロは頷く。
 ようやく、声に落ち着きが戻った。

「それと……」
 ミクリは言葉を続ける。
 彼女の言葉に耳を傾けた。
 その先は、すぐには出てこない。
 一度、二人の間を冷気が吹き抜ける。
 それを合図とするように、ミクリがまた海桶屋の方へと進んだ。





「泣いてくれて、ありがとう」
 歩きながら、少女は確かにそう言った。
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