燦燦さんぽ日和

加藤泰幸

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虹の卵編

第二十四話/梅見祭(前編)

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「今日は皆さんに良いお知らせがありまーす!」
 海桶屋のフロントで、センダンが両手を上げて大きな声を出す。

 発言をアピールするのなら、普通は片手だけを上げるのだが、センダンは両手だ。
 受付台の前に座ってマナの雑誌を眺めているヒロと、
 ソファに腰掛けて何やら難しそうな専門書を眺めていたミクリは、
 そんなセンダンをチラリと一瞥しただけで、視線をすぐに眼前の書籍へと移した。
 おそらくは、いつものくだらない話だと、二人とも分かっている。
 そうして周囲が邪険にするからこそ、センダンも両手で過剰なアピールをするのであった。


「良いお知らせがありまーす!」
 センダンはめげない。
「……どんなお知らせなんだい?」
 さすがにそれ以上放置するのも可哀想だと思ったのだろうか、ミクリが少し面倒臭そうに反応する。
「おおミクリちゃん、よくぞ聞いてくれました!
 あのね。今日は兄花島でお祭りがあるのよ!」
「祭……? 竜討祭以外にも祭りがあるのか?」
「ああ。そういえば昨年もやりましたよね」
 どうやら、今回の話は捨てたものでもなさそうである。
 ヒロも会話に加わると、センダンは嬉しそうに首を縦に振った。

「そうそうそうそうそうそうそう!
 毎年梅が咲く頃に小さなお祭りをするのよ。
 その名も聞いて驚くが良い、梅見祭!」
「そのまんまで驚くような名じゃありませんけどね」
「ヒロ君無粋な事言わない! 面白いんだから!
 梅を見ながら通りを練り歩いて、お団子食べたり、甘酒飲んだりするのよ」

「なるほど。梅の祭りか……」
 ミクリはまんざらでもない様子で、窓の外を見た。
 つられてヒロも同じ方を向くと、海桶屋の軒先に植えてある小さな梅の木が見えた。
 海桶屋に植えてある木は紅梅で、花が開いているのは半分といった所だろう。
 今年は暖冬の為に、二月下旬の現在にしては、随分と咲いている方である。
 一つ一つは小さな花だが、その存在を主張しようと精一杯広がっているおしべが可愛らしい。
 春の兆しを感じさせてくれる、美しい花だ。



「……なにか、研究の参考になるだろうか」
 ミクリが梅を見つめながら呟く。
「うーん。研究には無関係かもねえ。由緒ある行事じゃなくて、近年始まったお祭りだから」
 センダンが申し訳なさそうに言う。
「そうか。無関係か」
「規模も凄く小さいの。竜伐祭みたいなものを想像したらガックリくるかも。
 その実は町内行事のようなものだから、外にも告知していないイベントだしね。
 ね。ミクリちゃんも一緒に観に行かない?」
「ふむ……」
 ミクリが、梅から視線を外した。
 左手で右の肘を押さえ、右手を口にあてがって、思慮をめぐらせているようである。

 その様子にヒロは、色好い返事が返ってこない気がしてしまう。
 少しずつ打ち解けてきたとはいえ、彼女が兄花島に入り浸っているのは研究目的だ。
 その研究と梅見とでは、研究の方が優先度は高いに決まっている。
 しかし、一人研究に勤しむ彼女を置いて、センダンと梅を観に行くというのも寂しい話である。
 気がつけば、ミクリの返事を待つセンダンも、不安げな表情を浮かべている。
 おそらくは、彼女も同じ事を危惧しているのであろう。


「なあ、センダン」
 ミクリが考えるのを止めた。
「なになに?」
「梅見は、何時頃から始まるのだ?」
「夕方頃からだけれど……誘っておいてこういう事言うのもなんだけれど、
 ミクリちゃん、研究とは無関係でも来てくれるの?」
「そうだが」
「「!!」」
 ミクリの返事に、ヒロとセンダンは表情を輝かせた。
 それから、顔を見合わせあい、ニマァと口の端を緩める。
 ミクリの心境に、小さな変化が起こりつつあるのかもしれないのだ。



「二人とも、その顔はなんなんだ……」
 一方、ヒロ達の企みを知らないミクリは、ばつが悪そうに頭を掻いた。










 燦燦さんぽ日和

 第二十四話/梅見祭










 二月の夕方は、控え目である。
 夏の夕方の如き、柿のような華やかな橙色をしてはおらず、
 その橙色を、薄い空の色で薄めたような淡さをしている。

 その控え目な夕方が、梅には良い。
 兄花通りに咲き並んだ紅白の梅の艶やかな色合いは、夕方の光景に包まれると映えて見える。
 梅の濃に空気の淡と、コントラストが効いているからだろう。
 通りをゆったりと歩きながら眺める夕方の梅は、日中に見るよりも特別綺麗に感じられた。



「まだまだ冬だけれど、どの梅も寒さに負けないように元気に咲いてるねえ」
 楽しそうな声でそう言ったのはセンダンだ。
 良い事を言うものだと思いながら彼女を見れば、団子を頬張ろうとしていた。
 結局は、花よりなんとやらなのである。

 兄花通りには、他にも梅を見歩く者の姿が数多く見受けられた。
 通りの民家の軒先には、大抵梅が植えられているので、場所を取り合う事もなく、皆ゆったりと観梅を楽しんでいる。
 わざわざ緋毛繊の掛かった縁台を用意してくれている家もある程で、この日の兄花通りはどこか優雅ですらあった。
 観梅している者の多くは、センダンと同様に何かしらの飲食物を手にしている。
 それというのも、民家の中には、自家製の飲食物を無料で配っている所がある為だ。
 一緒に歩くミクリも、暖かい甘酒を貰い、両手でそれを掴みながらチビチビと飲んでいた。



「一つ聞いても良いだろうか」
 そのミクリが、二人を見回しながら声をかけてきた。
「ふん、ほうひはほ?」
 センダンが、団子を含んだ口をモゴモゴさせながら返事をする。
 みっともないので彼女を睨んだが、あまり気にはしていないようである。

「センダンが何と言ったのかは分からないが、聞かせてもらうよ。
 ええと……兄花島と梅には、何か関係があるのかね?
 見た所、殆どの家が軒先に梅を植えているし、
 梅がない家も、折り紙の梅を飾っているようだが……」
「はあ、ほへほほほね」
「センダンさん、食べるの止めてから喋って下さい」
 今度は、モゴモゴを言葉で嗜める。
 モゴモゴとしても、意思の疎通が出来ないという自覚はあるようで、
 ヒロの言葉通りに、すぐに団子を飲み込んでしまった。

「ぷはあっ! で……ミクリちゃん、ナイスクエスチョンよ!」
 モゴモゴ、親指を突き立てる。
「ふむ?」
「ちょっとした昔話になるけれどね。兄花島はその昔、花街だったの。
 その事はミクリちゃんも、多分知っているわよね?」
「研究の際に入ってきた情報だな」
「オッケオッケ。で『花街というからには本物の花だって必要』って話になったのよ。
 街を花で飾って、お店も綺麗に見せましょう、優雅な雰囲気を作りましょう、って事ね。
 そういうわけで、花街になるのとほぼ同時期に、兄花島には梅が沢山植えられたらしいわ」
「花といえば、桜ではないのか? 桜はヒノモトの代表的な花と聞いているが」
「ミクリちゃん物知りねえ。
 そうなんだけれど、ほら、梅って香りが強いでしょ?
 だから、桜よりも梅にして香りも楽しんで貰おう、って事らしいわ」
「へえぇ」
 感嘆の声を漏らしたのは、ヒロである。
 確かに、周囲には柔らかく甘い香りが漂っている。
 思えば、梅見祭が始まった時期も彼女は知っていた。
 島の知識ならば、もはや古株の島民並に詳しいかもしれない。

「ちなみに兄花島の名前も梅に由来しているのよ」
 センダンはなおも言葉を続ける。
「梅には兄花という別称があるの。
 梅って、十二ヶ月の中で早い方に咲く花じゃない」
「確かに、他の花が咲くのは、大抵は暖かい春以降だな」
「でしょでしょ。早くに咲く花……つまり花の兄。
 というわけで、この島には兄花島という名前が付いたらしいわ」
「なるほど。名前一つにも歴史があるものだな」
 ミクリは合点がいったように頷いた。
 ヒロも相槌を打つように腕を組みながら、もう一度梅の花を見る。
 すると、その梅の花の奥に、人影が見えた。

「ん……?」
 人影は、ヒロ達に向かって手招きをしている。
 体を動かし、直接人影を見てみると……すぐにヒロは、その行為を後悔した。



「いやあ、ヒロ君~!」
 締りのない笑顔を浮かべて手招きするベラミ・イスナットと、
 きょとんとした表情で彼を見上げている、下級アカデミーの少女、コヨリがいた。
 コヨリは問題ない。
 コヨリは。
 問題なのは、餅男だ。


「ヒロ。呼ばれているのではないか?」
「……うん。やっぱり呼ばれているよね。気のせいじゃないよね」
 ヒロは眉間に手を当てながら、溜息をついた。







 ◇







「梅の花びらをお兄ちゃんに届けたい?」
「うん」
 コヨリから聞いた言葉をオウム返しにすると、コヨリは子供らしく元気に頷いた。

「コヨリちゃんには、昨年の春まで一緒に暮らしていた兄がいるのさー」
 ベラミがコヨリの頭を撫でながら、補足を始める。
 どうやら、餅の話ではないようだ。
「だけれど、昨年の春からはロビンで住み込みで働いていてねー。
 で、そのお兄ちゃんが、梅見祭を毎年楽しみにしていたそうだから、
 せめて、花びらを届けてあげたい、ってわけだねぇー」
「そうなの。届けたいの」
 コヨリがそう言って両手を前に突き出す。
 彼女の手のひらの上には、紅白の梅の花びらが数十枚乗っていた。
 まだ梅は咲き始めで、散った花びらは殆ど目につかない。
 この少女が兄の為に、懸命に花びらを拾い集めたのだろうと思うと、
 僅かながら、胸が熱くなる感覚をヒロは覚えた。


「伝書鷹には頼めないのかい?
 あれならロビンまで一時間程で、軽量荷物の宅配もしてくれるはずだよ」
 一緒に話を聞いていたミクリがそう提案する。
「それは僕も考えたんだよー。
 残念だけど、島の伝書鷹屋さんは、今日はお休みでねえー」
「ふむ……」

「それじゃ、普通に郵便で送るしかないかなあ」
 と、今度はセンダン。
「ただでさえ散って痛み気味の花びらだからねえー。
 できれば、今すぐ送りたいらしいんだよー」
「ありゃあ」

 私案が却下されて、ミクリとセンダンは思わず唸る。
 二人とも、決して気分を害したわけではない。
 だが、大人が難しそうな顔をした事で不安を感じたのか、コヨリは慌てて皆の前で首を横に振った。

「ね、ねえ。もう大丈夫だよ。無茶な事言ってごめんね。
 だから、もうこのお話は終わりにしよう?」
「いーや、大丈夫だよー! なんとかなるよー」
 唐突に、ベラミが前に躍り出ながら豪語した。
 まだ何か妙案を持ち合わせているのだろうかと、少し期待を持ってしまう。

「このヒロ君が!!」
 なぁんだ。



「いや、ベラミさん、突然そんなの振られても……」
「ヒロ君、ノーは駄目よ。ノーは」
 抗議しようとしたが、センダンが会話に加わってきた。
 ヒロはなおも食い下がろうと思ったが、センダンの視線が自分に向いていない事に気が付いた。
 彼女が横目で見ているのは……コヨリである。
 コヨリは相変わらず不安げな表情を浮かべていたが、それに加えて、瞳には憂いの色も見えた。



(つまりは、コヨリちゃんの為にも簡単に諦めるなって事ね)
 センダンの言いたい事を把握したヒロは、目を閉じて考え込む。

 すぐに思いついたのは、馬で直接渡しに行く方法だ。
 だが、住所を聞いてもコヨリの兄の家をスムーズに見つけられるとは限らないし、
 下手をすれば、帰りが日付を跨いでしまうかもしれない。
 これはあまり現実的な方法ではない。
 であれば、他に良い運搬方法はあるだろうか。
 ない。
 定期船で行くにしても、待ち時間を考えれば馬とは大差がない。
 マナを原動力にした馬いらずの四輪車という乗り物も、あるにはある。
 馬とは比較にならない程の速さが出るそうで、それさえあれば楽に届けられるだろう。
 だが、まだごく一部の上流階級でのみ用いられている代物で、当然ながら兄花島には所有者はいない。
 やはり、どうしようもないのだろうか。
 目を開けて、思わず天を仰ぐ。
 薄い夕焼け空の中で、マナがささやかに瞬いていた。



(……いや。待てよ)
 ふと、思い立つ。
 まだヒロには選択肢が残されていた。
 手前味噌ながら、兄花島ではおそらく自分しかできない方法だ。


「なんとかなる……かもしれません。
 ちょっと、準備してみます」
 頭を下げて、皆にそう告げる。
 自分を見つめるコヨリの瞳に、輝きが戻ったような気がした。
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