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虹の卵編
第二十三話/モコモコに乗って(後編)
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劇場の内装は、レトロ感が溢れるものとなっていた。
装飾はアールデコ調に作られており、色の褪せたメタリックな幾何学模様が歴史を感じさせてくれる。
予算がないのか、それともあえてそのままにしているのだろうか。
どちらにしても、建設当初の装飾がそのまま残っているのだろうようだった。
まるで絵本の世界に入り込んだようで、ヒロは物珍しそうに周囲を見回しながら赤い生地でできた椅子に座る。
流石に椅子は、比較的新しいもののようで、スプリングが適度に効いていて座り心地は悪くない。
「ほぼ満席ね。前売り券買ってて良かったわ」
「うん。大人気なんだねえ」
カナの言葉に頷きながら、今度は他の客に視線を移す。
客席の数は百前後という所だろうか。
人形劇という出し物の為か、客席には家族連れの姿が大分目立って見えた。
大声を出して騒ぐような子はいないものの、劇場内には劇を待ちわびる好意的なざわめきが広がっている。
そういえば、ウィグの名を気にするあまり、今日の演目をしっかりと見ていなかった事を思い出す。
何が始まるのだろうか、と思った所で、ちょうど場内のブザーが鳴り響いた。
『皆様、大変長らくお待たせ致しました。
これより、第一演目【スラムの旅烏】を開始致します。
操者、ウィグ・キーシ。語り、アマクマ・コギョウ』
女性のアナウンスの流暢な声が、開演を告げる。
ウィグの名を聞いた瞬間、ヒロは小さく身震いした。
観客席の照明が落ちると、ざわめきは暗闇に飲み込まれるように消沈してしまう。
ヒロも居住まいを正し、照明の残っている奥のステージを凝視すると、すぐに舞台袖から黒子姿のウィグが現れた。
背中には、海桶屋でも見た箱を背負っている。
顔は見えないが、それで良い。
ウィグは、暖かい拍手を受けながらステージ中央までやってくる。
深々と頭を下げると、箱を降ろして中から手早く一体の人形を取り出した。
大きめの若い男性の人形のようで、衣服は所々ほつれた粗末な物だ。
最も印象的なのは瞳で、色のついたガラスでもはめ込んでいるのか、生命感を感じさせるエネルギーがあった。
「ようこそ、ようこそ皆様おいで下さいました!
わたくし、名をウェインと申しやす!」
唐突に、低い男の声がした。
声の主は、ステージの隅にある台の前に腰掛けていた。
度の強そうな丸眼鏡を掛けた、堀の深い顔つきの中年男性である。
一瞬、この謎の男が勝手に自己紹介を始めた事を不思議に思ったが、すぐに理由は分かった。
台の前には『アマクマ・コギョウ』の張り紙がしてある。
そして何よりも、男の語りに合わせてウィグが人形を操っている。
すなわち、人形劇のセリフは、あの眼鏡男が担当するという事なのだろう。
「ロビンに生まれ、スラムに育ち、
流れ者の実父を持ち、ならず者の義父に育てられた、
由緒正しき下町人間でごぜぇやす!」
語りのアマクマが、威勢良く喋る。
同時に景気をつけるようにテーブルを叩くと、人形がそれに合わせて、オーバーな動きでガッツポーズを取った。
語りの勢いとウィグの操作は、見事な一致を見せてくれて、観客席では早速小さな歓声が湧く。
ヒロもまた、久々に見るウィグの劇に見入りながら、ふと彼と別れた時の事を思い出した。
確かウィグは、劇に声を付けてくれる相方を探しに出ていたはずだ。
あのアマクマという男が、見つけ出した相方なのかもしれない。
そうであれば、ウィグは、自分達の世界を作り上げつつあるのだろう。
そう思うとなんだかヒロまで嬉しくなってきた。
「ようあんた、困った事があるって本当かい!?
俺が力に……ふん、仕事がない?
ああ、そいつだけは力になれねぇ。無職なのは俺も同じでさぁ。はははっ!!」
ステージ上では、劇が進んでいる。
ヒロは知らない話だったが、人間味溢れる主人公の言動が愉快な喜劇だった。
◇
全公演が終了した後、観客があらかた帰るのを見計らってから、
係員にウィグの知り合いである事を告げると、係員はあっさりとウィグに取り次いでくれた。
「これはこれは。ヒロさん、お久しぶりです」
まずはウィグを握手を交わしてから、ロビーのソファに腰掛ける。
久しぶりに聞くウィグの声は、やはり小さくて掠れている。
だが、その声には確かに充実感が満ち溢れていた。
「ええ、お久しぶりです。喋っても大丈夫なんですか?」
「調子は相変わらずですが、少しでしたら。ところで、今日はセンダンさんは?」
「それが、留守番なんです」
ヒロは申し訳なさそうに首を横に振る。
「実は、ウィグさんの事を知らずにたまたま来たもので。
知っていたら誘ったんですが……」
「それは残念です。今度は私が直接海桶屋に伺いますよ」
「是非お願いします。『ヒロ君ばかりずるい』と責められますので」
センダンのセリフの所は、声真似をしてみた。
やや早口気味でテンションの高い声は、自分でも驚く位に上手く再現できた。
ウィグも同感だったようで、思わず、二人で顔を見合わせて笑い合った。
「でも、ヒロ君のお知り合いがいるなんてびっくりしちゃったわね」
「ホントホント。縁ってあるものよねえ」
ヒロらの隣に腰掛けるナバテア姉妹が、感慨深そうに頷く。
ウィグは、その言葉に反応して二人の方を向いた。
「私も、係員の方から『ヒロという恐い顔をした人が来ている』と聞いて驚きましたよ。
恐い顔と言われれば、人違いという事もありませんしね」
冗談めかした喋り方である。
そのお陰で、ナバテア姉妹もくすくすと小さく笑った。
三人が打ち解けているのは良いのだが、ヒロとしては少々複雑な心境である。
「あ……っと。そうだ。ヒロさん、あれはどうなりました?」
ウィグがまたヒロの方を向きながら、そう言った。
「あれ、と言いますと?」
「虹の卵ですよ。まさかとは思いますが、孵りましたか?」
「ああ、その話ですね」
ヒロは、ぽん、と両手を打つ。
「残念ながら、相変わらず孵っていません。
僕とセンダンさんとで調べましたけれど、何の卵かも分かりませんでした」
「そうでしたか。ちょっと気になっていたのですが、やはり分かりませんか」
「でも、調べる手段が尽きたわけじゃないんですよ」
そう言いながら、ミクリの顔を思い浮かべる。
魔法の研究で忙しい彼女は、まだ卵についてはろくに調べていないはずだ。
つまり、これから何か分かる可能性も十分に残っている。
「実は、友達にとても頭が良い女の子がいまして。
今はその子に卵を貸し出して、時間がある時に調べて貰っているんです」
「ほう、なるほど」
「仕事が忙しいみたいですから、何か分かるとしても相当先でしょうが……。
でも、不思議ですよね。あんなに綺麗な卵なんだから、一つや二つ、情報が残っていても良さそうなものですが」
「あの……ヒロ君、ちょっと待って」
そこで、ナナが会話を遮った。
ナナはこめかみに人差し指を押し当て、目をうっすらと瞑っていた。
何かを思い出すように頭を小さく揺り動かし、それから片目だけをそっと開く。
「自信ないけれど……うん。多分あれ。
私、その卵の事、知っているかも……」
◇
夕食は、町外れにある個人経営のステーキハウスで食べる事になった。
店も周囲の路地も小さく、モコモコに長く待ってもらう事は難しかったので、モコモコにはそこで帰ってもらった。
今日半日世話になった毛むくじゃらの生き物を見送ってから、店の方を見る。
木造の外壁に絡まる蔦と、大きな屋根が特徴的な建物で、雰囲気は良い。
中に入ると、よく磨かれたテーブルが橙色の照明を反射していて、小さいながらも明るい店だった。
更には、ウェイトレスである老婆の物腰が非常に柔らかかった。
今日がナナの合格祝いである事を告げると、老婆は自分の事のように手を叩いて喜んでくれ、
注文を確定させる前に、食前酒をサービスで出してくれた。
店構えもサービスも、とても暖かい。
これで、これから運ばれるステーキが美味しければ、百二十点満点。
近所にあれば、また行きたくなるような店である。
「その卵の事かどうかは、分からないんだけれども」
注文を終えると、まず話を切り出したのはナナだった。
向かいに座るヒロは、じっとナナの目を見つめる事で言葉の先を促す。
ナナに心当たりがあったとは、迂闊という他ない。
書店を営む彼女の下には、何らかの情報が入ってきてもおかしくないのである。
だというのに、彼女に確認をしなかったのは、古書店巡りをした時にロレーヌだけは離れた所に建っていた為。
つまりは、ヒロの怠慢だった。
「随分前に、お店に売られてきた絵本に、虹の卵が描かれていたのよ」
「絵本? 古文書とかじゃなくて?」
「ええ。大分新しい絵本で、少なくとも何百年も前に描かれた代物じゃないわ。
普通の古本屋さんに並んでいてもおかしくなさそうな、ただの絵本」
「絵本かあ。それで、内容は?」
「それが……ごめんね。買い取る時に中身をパラパラと眺めただけだから、殆ど覚えていないの」
「ありゃ」
「ただ『風と砂の国にある虹の卵は、手にした者の気持ちに応えて孵る』というような事が描かれていた気はするわ。
覚えているのは、本当にそれっきり。何が孵るとか、なんでそんなものがあるのかとか、全然覚えていないわ」
「その本は、まだあるの?」
「残念だけれど、すぐに売れちゃったわ。作者名も題名も覚えていないの」
「……なるほど」
ヒロは、背もたれに体を預けながら腕を組む。
風と砂の国、という言葉は興味深い。
失われた都の特徴とぴったり噛み合う言葉だ。
土地と、卵の特徴。
この二つが偶然一致するとは、少々考え難い。
そうすると、卵を孵らせるには気持ちが必要なのだろう。
だが、気持ちというだけでは漠然とし過ぎている。
どのような気持ちを持てば良いのか。
心に思うだけで良いのか。
応えるとは、誰が応えるのか。
ヒントを得たはずなのに、謎は深まったような気がする。
「……ヒロ君、随分と考え込んでるね」
ナナの隣に座るカナが声を掛けてきた。
その一言で、ヒロは気持ちを切り替える。
今日は、彼女の合格を祝いにやってきたのである。
卵の事は、帰ってからゆっくりと考えるべきだろう。
「いや……ごめんね。もう大丈夫だよ」
「大事な事なんでしょ? 別に気にしないで良いわよ」
カナの声に不服さは感じられない。
本心から言ってくれているのだろう。
「ううん。本当に大丈夫。
それより……えっと、ここに……あった。はい、これ」
ヒロは、椅子にかけたコートのポケットに手を入れて、中から縦長の小さな木箱を取り出す。
それをカナの前に置くと、カナはきょとんとした顔付きで首を傾げた。
「なにこれ?」
「合格のお祝いだよ。絵道具は自分で選ぶだろうから、万年筆をね」
「えっ? わ、私に?」
「他に誰がいるのさ」
そう言って笑う。
「あらあら。この箱は千年万年筆じゃない?」
ナナが木箱に書かれた文字を見ながら言った。
「ナナちゃん詳しいね」
「お仕事柄、文具も少しは詳しいから。
マナが濃い千年森で採れた木から作られたから、長く握っていても指が疲れ難いのよねえ。
良かったわね、カナ。とても良い物よ」
「………」
気がつけば、カナは木箱を見下ろすようにして顔を伏せていた。
ナナの声にも反応を示そうとはしない。
もしかすると、彼女の気に入らない物だったのかもしれない。
不安になったヒロは、カナに声をかけようと口を開きかける。
……だが、勢い良く顔を上げたカナが、それを遮った。
「ありがとう、ヒロ君!」
「わ、わっ!?」
「私……私、すっごく嬉しい!!」
胸の前で両手を組みながら、カナは歓喜の言葉を口にする。
瞳をマナのようにキラキラと輝かせ、口を大きく開けて、顔全体で笑う。
どこか、センダンにも似た、何の恥じらいもない笑顔だった。
「そっか。気に入ってくれたのなら良かったよ」
「うん。勉強で辛くなっても、これを見て頑張る!
ありがとう! 本当にありがとう!」
何度も礼を述べながら、宝物を扱うかのように、両手でしっかりと木箱を握る。
そこまで喜んで貰えるとは思っていなくて、ヒロは照れを隠すように頭を掻いた。
「なんだか盛り上がっているようですねえ」
そこへ、ウェイトレスの老婆が盆を持ってやってきた。
足取りこそゆったりとしているが、料理の乗っている盆を持つ手に震えはない。
「ステーキ、出来ましたよ。息子が腕によりをかけて作りました」
「あらあ。これは美味しそうねえ」
ナナがテーブルに置かれるステーキを見て、小さく拍手する。
香ばしい香りを漂わせるステーキは、味の濃さを示すような焦げ茶色をしている。
かけられたステーキソースの輝きが、一層肉を美味しそうに見せてくれた。
付け合せの野菜も彩り豊かで、目で味わうとは正しくこの事である。
「それじゃあ」
ヒロがそれだけ言うと、ナバテア姉妹は頷いた。
小さなグラスに入った食前酒を手にし、皆で前に突き出す。
「ナナちゃんの合格を」
「お祝いしまして」
「あ……えっと……乾杯!」
三人のグラスは、軽やかな乾杯の音を立てた。
装飾はアールデコ調に作られており、色の褪せたメタリックな幾何学模様が歴史を感じさせてくれる。
予算がないのか、それともあえてそのままにしているのだろうか。
どちらにしても、建設当初の装飾がそのまま残っているのだろうようだった。
まるで絵本の世界に入り込んだようで、ヒロは物珍しそうに周囲を見回しながら赤い生地でできた椅子に座る。
流石に椅子は、比較的新しいもののようで、スプリングが適度に効いていて座り心地は悪くない。
「ほぼ満席ね。前売り券買ってて良かったわ」
「うん。大人気なんだねえ」
カナの言葉に頷きながら、今度は他の客に視線を移す。
客席の数は百前後という所だろうか。
人形劇という出し物の為か、客席には家族連れの姿が大分目立って見えた。
大声を出して騒ぐような子はいないものの、劇場内には劇を待ちわびる好意的なざわめきが広がっている。
そういえば、ウィグの名を気にするあまり、今日の演目をしっかりと見ていなかった事を思い出す。
何が始まるのだろうか、と思った所で、ちょうど場内のブザーが鳴り響いた。
『皆様、大変長らくお待たせ致しました。
これより、第一演目【スラムの旅烏】を開始致します。
操者、ウィグ・キーシ。語り、アマクマ・コギョウ』
女性のアナウンスの流暢な声が、開演を告げる。
ウィグの名を聞いた瞬間、ヒロは小さく身震いした。
観客席の照明が落ちると、ざわめきは暗闇に飲み込まれるように消沈してしまう。
ヒロも居住まいを正し、照明の残っている奥のステージを凝視すると、すぐに舞台袖から黒子姿のウィグが現れた。
背中には、海桶屋でも見た箱を背負っている。
顔は見えないが、それで良い。
ウィグは、暖かい拍手を受けながらステージ中央までやってくる。
深々と頭を下げると、箱を降ろして中から手早く一体の人形を取り出した。
大きめの若い男性の人形のようで、衣服は所々ほつれた粗末な物だ。
最も印象的なのは瞳で、色のついたガラスでもはめ込んでいるのか、生命感を感じさせるエネルギーがあった。
「ようこそ、ようこそ皆様おいで下さいました!
わたくし、名をウェインと申しやす!」
唐突に、低い男の声がした。
声の主は、ステージの隅にある台の前に腰掛けていた。
度の強そうな丸眼鏡を掛けた、堀の深い顔つきの中年男性である。
一瞬、この謎の男が勝手に自己紹介を始めた事を不思議に思ったが、すぐに理由は分かった。
台の前には『アマクマ・コギョウ』の張り紙がしてある。
そして何よりも、男の語りに合わせてウィグが人形を操っている。
すなわち、人形劇のセリフは、あの眼鏡男が担当するという事なのだろう。
「ロビンに生まれ、スラムに育ち、
流れ者の実父を持ち、ならず者の義父に育てられた、
由緒正しき下町人間でごぜぇやす!」
語りのアマクマが、威勢良く喋る。
同時に景気をつけるようにテーブルを叩くと、人形がそれに合わせて、オーバーな動きでガッツポーズを取った。
語りの勢いとウィグの操作は、見事な一致を見せてくれて、観客席では早速小さな歓声が湧く。
ヒロもまた、久々に見るウィグの劇に見入りながら、ふと彼と別れた時の事を思い出した。
確かウィグは、劇に声を付けてくれる相方を探しに出ていたはずだ。
あのアマクマという男が、見つけ出した相方なのかもしれない。
そうであれば、ウィグは、自分達の世界を作り上げつつあるのだろう。
そう思うとなんだかヒロまで嬉しくなってきた。
「ようあんた、困った事があるって本当かい!?
俺が力に……ふん、仕事がない?
ああ、そいつだけは力になれねぇ。無職なのは俺も同じでさぁ。はははっ!!」
ステージ上では、劇が進んでいる。
ヒロは知らない話だったが、人間味溢れる主人公の言動が愉快な喜劇だった。
◇
全公演が終了した後、観客があらかた帰るのを見計らってから、
係員にウィグの知り合いである事を告げると、係員はあっさりとウィグに取り次いでくれた。
「これはこれは。ヒロさん、お久しぶりです」
まずはウィグを握手を交わしてから、ロビーのソファに腰掛ける。
久しぶりに聞くウィグの声は、やはり小さくて掠れている。
だが、その声には確かに充実感が満ち溢れていた。
「ええ、お久しぶりです。喋っても大丈夫なんですか?」
「調子は相変わらずですが、少しでしたら。ところで、今日はセンダンさんは?」
「それが、留守番なんです」
ヒロは申し訳なさそうに首を横に振る。
「実は、ウィグさんの事を知らずにたまたま来たもので。
知っていたら誘ったんですが……」
「それは残念です。今度は私が直接海桶屋に伺いますよ」
「是非お願いします。『ヒロ君ばかりずるい』と責められますので」
センダンのセリフの所は、声真似をしてみた。
やや早口気味でテンションの高い声は、自分でも驚く位に上手く再現できた。
ウィグも同感だったようで、思わず、二人で顔を見合わせて笑い合った。
「でも、ヒロ君のお知り合いがいるなんてびっくりしちゃったわね」
「ホントホント。縁ってあるものよねえ」
ヒロらの隣に腰掛けるナバテア姉妹が、感慨深そうに頷く。
ウィグは、その言葉に反応して二人の方を向いた。
「私も、係員の方から『ヒロという恐い顔をした人が来ている』と聞いて驚きましたよ。
恐い顔と言われれば、人違いという事もありませんしね」
冗談めかした喋り方である。
そのお陰で、ナバテア姉妹もくすくすと小さく笑った。
三人が打ち解けているのは良いのだが、ヒロとしては少々複雑な心境である。
「あ……っと。そうだ。ヒロさん、あれはどうなりました?」
ウィグがまたヒロの方を向きながら、そう言った。
「あれ、と言いますと?」
「虹の卵ですよ。まさかとは思いますが、孵りましたか?」
「ああ、その話ですね」
ヒロは、ぽん、と両手を打つ。
「残念ながら、相変わらず孵っていません。
僕とセンダンさんとで調べましたけれど、何の卵かも分かりませんでした」
「そうでしたか。ちょっと気になっていたのですが、やはり分かりませんか」
「でも、調べる手段が尽きたわけじゃないんですよ」
そう言いながら、ミクリの顔を思い浮かべる。
魔法の研究で忙しい彼女は、まだ卵についてはろくに調べていないはずだ。
つまり、これから何か分かる可能性も十分に残っている。
「実は、友達にとても頭が良い女の子がいまして。
今はその子に卵を貸し出して、時間がある時に調べて貰っているんです」
「ほう、なるほど」
「仕事が忙しいみたいですから、何か分かるとしても相当先でしょうが……。
でも、不思議ですよね。あんなに綺麗な卵なんだから、一つや二つ、情報が残っていても良さそうなものですが」
「あの……ヒロ君、ちょっと待って」
そこで、ナナが会話を遮った。
ナナはこめかみに人差し指を押し当て、目をうっすらと瞑っていた。
何かを思い出すように頭を小さく揺り動かし、それから片目だけをそっと開く。
「自信ないけれど……うん。多分あれ。
私、その卵の事、知っているかも……」
◇
夕食は、町外れにある個人経営のステーキハウスで食べる事になった。
店も周囲の路地も小さく、モコモコに長く待ってもらう事は難しかったので、モコモコにはそこで帰ってもらった。
今日半日世話になった毛むくじゃらの生き物を見送ってから、店の方を見る。
木造の外壁に絡まる蔦と、大きな屋根が特徴的な建物で、雰囲気は良い。
中に入ると、よく磨かれたテーブルが橙色の照明を反射していて、小さいながらも明るい店だった。
更には、ウェイトレスである老婆の物腰が非常に柔らかかった。
今日がナナの合格祝いである事を告げると、老婆は自分の事のように手を叩いて喜んでくれ、
注文を確定させる前に、食前酒をサービスで出してくれた。
店構えもサービスも、とても暖かい。
これで、これから運ばれるステーキが美味しければ、百二十点満点。
近所にあれば、また行きたくなるような店である。
「その卵の事かどうかは、分からないんだけれども」
注文を終えると、まず話を切り出したのはナナだった。
向かいに座るヒロは、じっとナナの目を見つめる事で言葉の先を促す。
ナナに心当たりがあったとは、迂闊という他ない。
書店を営む彼女の下には、何らかの情報が入ってきてもおかしくないのである。
だというのに、彼女に確認をしなかったのは、古書店巡りをした時にロレーヌだけは離れた所に建っていた為。
つまりは、ヒロの怠慢だった。
「随分前に、お店に売られてきた絵本に、虹の卵が描かれていたのよ」
「絵本? 古文書とかじゃなくて?」
「ええ。大分新しい絵本で、少なくとも何百年も前に描かれた代物じゃないわ。
普通の古本屋さんに並んでいてもおかしくなさそうな、ただの絵本」
「絵本かあ。それで、内容は?」
「それが……ごめんね。買い取る時に中身をパラパラと眺めただけだから、殆ど覚えていないの」
「ありゃ」
「ただ『風と砂の国にある虹の卵は、手にした者の気持ちに応えて孵る』というような事が描かれていた気はするわ。
覚えているのは、本当にそれっきり。何が孵るとか、なんでそんなものがあるのかとか、全然覚えていないわ」
「その本は、まだあるの?」
「残念だけれど、すぐに売れちゃったわ。作者名も題名も覚えていないの」
「……なるほど」
ヒロは、背もたれに体を預けながら腕を組む。
風と砂の国、という言葉は興味深い。
失われた都の特徴とぴったり噛み合う言葉だ。
土地と、卵の特徴。
この二つが偶然一致するとは、少々考え難い。
そうすると、卵を孵らせるには気持ちが必要なのだろう。
だが、気持ちというだけでは漠然とし過ぎている。
どのような気持ちを持てば良いのか。
心に思うだけで良いのか。
応えるとは、誰が応えるのか。
ヒントを得たはずなのに、謎は深まったような気がする。
「……ヒロ君、随分と考え込んでるね」
ナナの隣に座るカナが声を掛けてきた。
その一言で、ヒロは気持ちを切り替える。
今日は、彼女の合格を祝いにやってきたのである。
卵の事は、帰ってからゆっくりと考えるべきだろう。
「いや……ごめんね。もう大丈夫だよ」
「大事な事なんでしょ? 別に気にしないで良いわよ」
カナの声に不服さは感じられない。
本心から言ってくれているのだろう。
「ううん。本当に大丈夫。
それより……えっと、ここに……あった。はい、これ」
ヒロは、椅子にかけたコートのポケットに手を入れて、中から縦長の小さな木箱を取り出す。
それをカナの前に置くと、カナはきょとんとした顔付きで首を傾げた。
「なにこれ?」
「合格のお祝いだよ。絵道具は自分で選ぶだろうから、万年筆をね」
「えっ? わ、私に?」
「他に誰がいるのさ」
そう言って笑う。
「あらあら。この箱は千年万年筆じゃない?」
ナナが木箱に書かれた文字を見ながら言った。
「ナナちゃん詳しいね」
「お仕事柄、文具も少しは詳しいから。
マナが濃い千年森で採れた木から作られたから、長く握っていても指が疲れ難いのよねえ。
良かったわね、カナ。とても良い物よ」
「………」
気がつけば、カナは木箱を見下ろすようにして顔を伏せていた。
ナナの声にも反応を示そうとはしない。
もしかすると、彼女の気に入らない物だったのかもしれない。
不安になったヒロは、カナに声をかけようと口を開きかける。
……だが、勢い良く顔を上げたカナが、それを遮った。
「ありがとう、ヒロ君!」
「わ、わっ!?」
「私……私、すっごく嬉しい!!」
胸の前で両手を組みながら、カナは歓喜の言葉を口にする。
瞳をマナのようにキラキラと輝かせ、口を大きく開けて、顔全体で笑う。
どこか、センダンにも似た、何の恥じらいもない笑顔だった。
「そっか。気に入ってくれたのなら良かったよ」
「うん。勉強で辛くなっても、これを見て頑張る!
ありがとう! 本当にありがとう!」
何度も礼を述べながら、宝物を扱うかのように、両手でしっかりと木箱を握る。
そこまで喜んで貰えるとは思っていなくて、ヒロは照れを隠すように頭を掻いた。
「なんだか盛り上がっているようですねえ」
そこへ、ウェイトレスの老婆が盆を持ってやってきた。
足取りこそゆったりとしているが、料理の乗っている盆を持つ手に震えはない。
「ステーキ、出来ましたよ。息子が腕によりをかけて作りました」
「あらあ。これは美味しそうねえ」
ナナがテーブルに置かれるステーキを見て、小さく拍手する。
香ばしい香りを漂わせるステーキは、味の濃さを示すような焦げ茶色をしている。
かけられたステーキソースの輝きが、一層肉を美味しそうに見せてくれた。
付け合せの野菜も彩り豊かで、目で味わうとは正しくこの事である。
「それじゃあ」
ヒロがそれだけ言うと、ナバテア姉妹は頷いた。
小さなグラスに入った食前酒を手にし、皆で前に突き出す。
「ナナちゃんの合格を」
「お祝いしまして」
「あ……えっと……乾杯!」
三人のグラスは、軽やかな乾杯の音を立てた。
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エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
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