燦燦さんぽ日和

加藤泰幸

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虹の卵編

第二十二話/ギャンブラー達の新年会(前編)

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 一月も中旬になると、海桶屋への客足はようやく落ち着きをみせた。
 海桶屋のみならず、兄花島全体への観光客が減少した為である。
 それでも、毎日一組、二組の客が泊まりに来る辺り、景気はそう悪いものではない。
 昨年の今頃は、落ち着くを通り越して、完全に閑古鳥が鳴いている状態だった。



(とはいえ……ミクリちゃんは、最近じゃ『お客様』って感じじゃないなあ)
 この日の昼下がり。
 フロントの受付台で頬杖をつき、もう片手で虹の卵を弄りながら、ヒロはそんな事を考える。
 彼の視線の先には、フロントのソファに腰掛けて雑談しているセンダンとミクリの姿があった。

 昨年末から、ミクリが海桶屋に泊まりにくる頻度は大分増えていた。
 魔法の研究について詳しい話は聞いていないのだが、精霊の伝承に関する話が多く聞けているらしい。
 マナも観測したいとの事で、おそらくは今年の冬の間は、こうして足しげく通ってくれるとの事である。
 彼女が長く滞在してくれるのは、もちろん嬉しい事だ。
 客室も、当分は満室にならないだろうから、特に問題はない。


 ミクリ絡みで悩ましいのは、ミクリを笑わせる計画だけである。

 あれから、ヒロとセンダンは事ある毎にミクリを笑わせようとしてみた。
 特にセンダンの入れ込み具合は、相当なものである。
 普通に冗談を言ってみたり、くだらない事を言って苦笑を誘ってみたり、あえて酷く寒い駄洒落を飛ばしたり。
 それらの試みに対し、ミクリよりも先にセンダンが大笑いして、笑いの誘発を誘ってみたりもした。
 だが、結果は全敗なのである。



「あっぱらぱびろ~ん」
 センダンが、わけの分からない事を口走しった。
 いや、分からないのだが、分かる。
 もう何を言っても効果がないので、今度は不条理な笑いを誘おうという算段だろう。
 だが、笑いのハードルが高すぎる。

「なんですかそれ」
 ミクリが淡々と突っ込む。
「……いや、特に意味はないわ」
「そうですか」
「うん。……その、なんか……ごめん」
 しゅん、とセンダンの耳が垂れ下がる。
 さすがに今の冗談らしき発言では、当然の自爆である。
 だが、哀愁を漂わせる落ち込みようには、少しばかり同情したくなった。



「ヒロ」
 だが、当のミクリはそんなセンダンに構いもせず、ヒロに声をかけてきた。

「うん、なにかな」
「前から気になっていたのだが、その卵は何なのだ?」
「あ、これ?」
 ミクリの言葉を受けて、ヒロは卵を弄るのを止めた。
 それと同時に、卵をくれたウィグの姿が脳裏を過ぎる。
 きっと、今も元気に、この大陸のどこかで人形劇を開いている事だろう。
 そう思うと、ヒロの声は自然と笑い混じりになった。

「これは、前に泊まった人形使いのお客さんから貰ったんだ」
「ふむ。珍しい色だね」
「なんでも、失われた都で発掘された卵らしいんだ。
 いつ頃の卵とか、詳しい事は何も分からないんだけれど、
 この色を見ても、なんだか普通の卵じゃなさそうだよね」
「失われた都、か……」
 ミクリの声が少し低くなった。
 立ち上がり、受付台の前まで来て卵を凝視する。

「ミクリちゃん、失われた都を知ってるの?」
 センダンが息を吹き返して尋ねる。
「もちろんだよ。大抵はガラクタしか発掘されないものだが、
 ごく稀に、歴史の謎を解いてしまう世紀の遺物が見つかる事もあるらしいな」
「へえー、世紀の遺物かあ。案外これもそうだったりして」
 そうであれば、面白い。
 新年の忙しさで忘れていた卵への好奇心が、またヒロの中で頭をもたげ始めた。



「……良かったら、これについて調べてみても良いだろうか?」
 ミクリが、まだ卵を見ながら言う。
 特に異論はない提案である。
 自分達とは違う視点や人脈を持つ彼女が調べれば、何か分かる事があるかもしれない。

「いいよ。持って帰って調べてくれても良いよ」
「持って帰っても良いのか? 割れるかもしれないが……」
「それが、この卵は随分と頑丈で割れないんだ。やっぱり普通の卵じゃないんだろうね。
 割れるなら、もっと早くに誰かが割って中を見ているだろうし」
「なるほど」
 ミクリが頷く。

「ちなみに、これ、魔法に関係がありそうなの?」
「いや、分からないが、多分関係ないだろう。
 単なる好奇心と思ってくれて構わない」
「そっか。大事な戴き物だから、あげるわけにはいかないけれど、
 中身は僕らも気になるから、好きなだけ調べてくれて良いよ」
「そうか。そういう事なら借りよう」

 そう言って、ミクリは卵を掴む。
 手の上で暫し眺めた後、それは彼女のポケットへとしまわれた。










 燦燦さんぽ日和

 第二十二話/ギャンブラー達の新年会










 この日、ヒロは夕食を作らなかった。
 ちとせで、島の若者が集まっての新年会があり、夕食はそこで代用できるからである。
 この所の夕食は、客に出す料理の余り物で済ませていた為に、一緒に新年会に行くセンダンは、夕方から大いにはしゃいでいた。

 ヒロとセンダンは、それで良い。
 だが『宿泊客』がいれば、そうはいかない。
 その点、今日はどうなのかというと、海桶屋に泊まるのはミクリ一人だったのだが……最近の彼女は『宿泊客』とは言い難かった。

 確かに海桶屋の客室を利用しているし、宿泊料も貰っているのだが、彼女からは特別料金として雀の涙程度の料金しか受け取っていない。
 その代わり、他の客の目がない時には、掃除や料理を手伝ってもらったりしているし、夕食もヒロらと同様の賄い物だ。
 この状態は『居候』とでも言うのが適切かもしれなかった。




 夜の兄花通りを三人が歩く。
 兄花島の夜はただでさえ明かりが少なく、暗い。
 冬になると夜闇の色が濃くなって、一層暗さを増す。
 だがこの日は、陽が落ちるのと同時に降り始めた雪のお陰で、比較的明るい気がする夜ではあった。
 明朝になっても積もる事のなさそうな、ささやかな雪ではあるが、それは夜闇の中でしっかりと己の色を主張している。


「ふふふ~ん♪ いやー、ちとせに行くの、久しぶりよねぇ~」
 その先頭を歩いているセンダンが、鼻歌を歌いながら呟いた。
 時折、軽快なテンポで体を一回転させ、その都度彼女のコートの裾がはためいて、降り注ぐ雪を吹き飛ばしている。
「サヨコの店、だったね。今日はどんな集まりなんだ?」
 一方のミクリは、寒さに堪えるように、コートの中で身を丸めながら聞く。

「今日は新年会よ。観光地区の若い人達が集まっての飲み会」
「という事は、ゴウや、ええと、名前を思い出せないが……ギルドの猫亜人も来るのか?」
「ゴウ君は来るわね。むしろ親だし。ギルドの猫亜人というと、ベラミンかな。
 ベラミンは多分こないんじゃないかなぁ」
「ちょっと待ってくれ、センダン。親とは……?」
 ミクリが怪訝そうな表情になる。
 ヒロも、突然のセンダンの発言に思わず目を丸くした。

「親って、父親、って事ですよね? 僕も何も聞いてませんよ?」
「あ、あー。そうか、昨年はヒロ君いなかったか」
「ええ、昨年はちょうど風邪引いて欠席でしたけれど……
 え? もしかして昨年のうちから子供が?」
「ノンノン!! 違うわ、その親じゃないのよ。ややこしくてごめんね」
 センダンが両手を合わせて謝る。
 どうにも、彼女の言っている事の意味がよく分からずに、ヒロは無意識に首を傾げる。
「その親じゃない……? センダンさん、詳しく話してください」
「うんうん。この勘違いをこじらせちゃ大事だからね。それはいけないよね」
 一番こじらせそうな者が、知ったような口を利く。


「で、どういう事です?」
「親といっても、ゲームのカブの親なのよ。カブ、知ってる?」
 その言葉に、一瞬野菜の蕪が脳裏を過ぎる。
 だが、前後の言葉からして、それは別の『カブ』である事がすぐに分かった。

「ええと……あれですか? 花札を使ってやる賭け事のカブ?」
「そうそう。実は新年会の途中で、そのカブを余興でやるのよ。
 昨年もやってたんだけれど、ヒロ君はいなかったから知らないわよね、って事だったの」
「なるほど」
「で、それを取り仕切ってるのが、ゴウ君なの。これでオッケー?」
「ええ、分かりました」
 目礼しつつ返事をする。
 それから、隣を歩くミクリを見る。
 彼女はヒロとは異なり、何やら考え込んでいる様子だった。

「ミクリちゃん、話の内容、分かった?」
 同じくミクリの様子に気がついたセンダンが尋ねる。
「あ、うん。それは分かった。……しかし、賭け事か……」
「そっか。そこが心配だったのね。参加は任意だから大丈夫よ」
 センダンが明るい声で言う。
「やりたい人だけやる遊びだからね。
 ミクリちゃんはやらなくても大丈夫、大丈夫」
「……そうか」
 ミクリが頷く。
 その声は、どことなく元気がないように感じられた。







 ◇







 ちとせのガラス戸を開けて、中に足を一歩踏み入れると、店内の十分に暖められた空気がヒロらを包んだ。
 雪降る冬の夜の屋外とは対照的な暖気に、思わず幸福の吐息が漏れる。
 横に目を向けると、小型のマナストーブが置かれていた。
 すぐに暖まれるようにという気遣いなのだろう。
 そこで長々と呆けているわけにもいかないので、戸を閉めて店内を覗き込むと、既にヒロら以外の者は来ているようだった。
 参加者の中には、ゴウの顔も見える。
 向こうもヒロに気が付いたようで、軽く手を掲げて挨拶をしてくれた。



「あら、いらっしゃいませ」
 サヨコが小走りで近づいてきた。
 エプロン姿の彼女は、穏やかな笑みを浮かべながらペコリと頭を下げる。

「サヨちゃん、こんばんわ」
「いやー、お待たせお待たせー!」
「……こんばんわ」
 ヒロらがサヨコと挨拶を交わす。
 その三人目の声を受けて、サヨコの表情はパッと明るくなった。

「あ、ミクリちゃんも来てくれたんだ」
「うん。夕食がてらにね」
「そうなんだ。お父さんが作る料理が口に合うと良いけれど……」
「サヨコの父は、どういう料理が得意なんだ?」
「何でも得意だけれど、特に美味しいのは煮物かなあ。あとで頼んでみる?」
「考えておこう」
「宜しくね。本当に美味しいのよ」
 サヨコはそう言うと、頬に手を当てながら目を細めた。


(……仲、良いなあ)
 そんな二人の様子を、ヒロは興味深そうに眺める。

 前々から思っていた事だが、サヨコはミクリに対して物怖じしていない。
 気の小さいサヨコにしては、珍しい事である。
 ミクリもまた、人と関わる余裕がないというわりには、サヨコを邪険にしない。
 やはり、同性で年齢も近い事が理由なのだろうか。
 社では精霊の話もしたというし、相通じるものがあるのかもしれない。



「サヨコちゃん、その子誰ー!?」
「わっは! 可愛いじゃん!」
「島の子じゃないよね? まだ十代?」
「もぐもがもご……?」
 不意に、近くのカウンターから聞こえてきた男達の声が、ヒロの意識を引き戻す。
 既に来ていた新年会の参加者である。
 竜伐祭の時にはヒロと同じく設営班として務めていて、皆気の良い男達だった。


「ミクリ・トプハムだ。海桶屋で少々世話になっていてね」
 ミクリは無表情で淡々と返事をする。
 無表情さも相まって、冷たい反応ととられてもおかしくはない。
 だが、男達はその反応に色めき立った。

「おぉー! クールでいい子じゃん!」
「ヒロ! お前、なんで隠してたんだよ!」
「ねねね! ここ、ここ! 俺の隣に座わんなよ!」
「枝豆食べよう、枝豆! すっごく美味しいんだよ! 枝豆!!」
 どよめきと共に、矢継ぎ早にミクリに声を掛ける。
 一方のミクリは、微かに眉をひそめてたじろぐような仕草を見せていた。
 この予想外の大歓迎には、さすがに困惑しているようである。

 だが、そんなミクリの姿を覆う者がいた。



「はいは~い、そこの男共は、な~んで私には歓声を上げないのかな?」
 笑顔を浮かべながら、仁王立ちで男達の前に立ち塞がるセンダンである。
 だが、耳は彼女の心中の何かを示すように激しく振動しており、口の端は微かに揺れていた。
 明らかに、ただの笑顔ではない。

「あ、あっ」
「いえ、その」
「ごめんなさい」
「枝豆……」
 男達が一斉に消沈する。
 それに満足したのか、センダンはミクリの方へ振り返ると、今度こそ普通に笑ってみせた。
 笑顔の意味が分からなかったのか、ミクリは微かに首を傾げている。
 だが、ヒロには分かった。
 先程の笑顔の半分は、ミクリの防波堤で出来ていたのだろう。

(で、残りの半分は、普通に怒っていたんだろうな……)








 ◇







 ヒロら三人は、空いているテーブル席に着いた。
 腰を落ち着けると、木製椅子の上に敷かれた座布団が柔らかく心地良い。
 三人ともビールを頼むと、サヨコが構えていたかのように即座に出してくれた。



「それじゃあ皆、新年おめでとう。乾杯!」
「「「「「かんぱ~~い!!!」」」」」

 ビールが行き渡ると、ゴウが早速乾杯の音頭をとった。
 あっさりとした音頭だったが、それに続く乾杯の大合唱が場を盛り上げる。
 その景気の良さに押されるように、ヒロはビールを一気に煽った。
 店内の暖かさとは対照的な冷気が喉を駆け抜けて、なんとも爽快である。
 満足いくまでその温暖差を楽しんでからジョッキをテーブルに置くと、同時に隣のセンダンが勢い良く手を上げた。

「サヨコちゃん、おでんちょうだい! いつもの八つ!」
「はい、すぐに用意しますねー」
 サヨコが小さな声ですぐに答える。

 この速さ、しかも八つだ。
 センダンが、そこまでおでん好きだとは知らなかった。
 隣の彼女を一瞥すれば、口の端が緩みきっており、尾はぶんぶんと激しく左右に振られている。
 それ程までにもおでんが待ち遠しいのだろうか。 



「はい、お待たせしました」
 サヨコが手早くおでんを皿に盛って運んでくる。
 センダンの前に置かれたその皿を、首を伸ばして覗き込む。
 疑問は瞬時に解決した。
 同時に、この構成をおでんと言って良いものなのだろうかという疑問が沸く。

「センダンさん……」
「なに? 私今からおでん食べるのに忙しいんだけれど」
 あからさまに面倒臭そうな口調で返事をされる。

「厚揚げ八つって、おでんと言って良いんですか?」
「おでんじゃなきゃ、何なのよ。厚揚げだっておでんでしょ?」
「いや、そういう事ではなく……」
 言葉に詰まる。
 その反応を受けて、センダンは話は終わったと解釈したのか、早速厚揚げをかじった。

「んん~っ♪ これこれ! 冬の居酒屋はこれよ! だしの染み込んだ厚揚げ、さいっこう!!」
 センダンの目尻が限界まで緩む。
 適当に咀嚼してから飲み込み、天を仰いで嘆息を漏らす。
 なんとも幸福感溢れる表情である。
 おでんの定義についてもう少し突っ込みたい所だったが、そんな表情を見せ付けられては、ヒロの考えも変化する。

「センダンさん」
「今度はなに? まったくもう!」
「それ、一つくれませんか?」
「ふむ」
 値踏みするような目つきで見てきた。
「いいわ。一つだけね」
「どうも」
 彼女の許可を得て、テーブルを越えて箸を伸ばす。

「ていっ」
 箸を持つ手が、センダンの手に叩き落された。
 さっき、一つくれると言ったばかりである。
 無言でセンダンに抗議の視線を向けると、彼女は小さく首を横に振った。

「特別価格、一つ1000レスタになりまーす」
「壁に『おでん 150レスタ』とあるんですが……」

 横暴なのであった。
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