燦燦さんぽ日和

加藤泰幸

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虹の卵編

第二十一話/新年初『良い事』(後編)

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 ミクリとサヨコが話し込んでいるうちに、ヒロらは先に初詣を済ませる事にした。
 社の前まで向かう途中、両側に立ち並んでいる出店を一瞥すれば、料金表には相場よりも高い金額が記されている。
 祭りの出店とはそのようなものではあると理解はしているのだが、土産の事を考えると少々気が滅入った。


「どったのヒロ君、まだお腹空いてる?」
「あ、いえいえ。お婆ちゃんにお土産を頼まれていたもので……」
「そっか。じゃあ帰りに二人分買ってね」
「二人分?」
「ウメエさんと、私の分」
「却下します」
 センダンの提案をスッパリと切り落とす。
 だというのに、センダンは笑いながら悪態をついていた。

 ヒロもヒロで、彼女の軽口に突っ込むのにもいい加減慣れてきた。
 むしろ、それが自然にさえ感じつつある。
 今年の四月になれば、彼女と仕事をするようになって三年目に突入するのである。
 自然に感じるのも、当然の事かもしれない。





 社の前にやってきた。
 木製で全長一メートル程の、小さな作りである。
 社には扉が付いていて、中には空想上の精霊を模した木彫りの神体があるそうなのだが、ヒロは見た事はなかった。
 社の前には、同じく木製の年季が入った賽銭箱が置かれている。
 ここに賽銭を入れてから、精霊への感謝の気持ちを祈り、そして願掛けをするのがヒノモトのお参りの流れである。


「ところで、ヒロ君は何をお願いするの?」
「あ……っと……」
 そう言われてみれば、考えていなかった。
 この所、特に困ったり悩んだりしている事はない。
 強面の事は……どうしようもないので、対象外である。
 結局、良い答えはすぐに浮かび上がってこなかった。


「世界平和、とか」
「ふふん、悪い意味で期待を裏切らないわよね」
 センダンが鼻で笑い飛ばしてくる。
 手で口を覆いながら上半身を引いていて、なんとも悔しくなる仕草である。
「む、むう……良いじゃないですか」
「だって分かりやす過ぎよ。どうせ何も考えてなかったんでしょ」
「ぐう」
 ぐうの音が漏れた。


「それに、せっかくなんだから、自分の事をお願いしなさいよねー」
「それじゃ、センダンさんは何をお願いするつもりなんですか?」
「おぉう、よくぞ聞いてくれました!
 それはもちろん、今年一年楽しい事がありますように……ってね!」
 そう言いながら、センダンは指を勢い良く鳴らしてみせた。
「センダンさんこそ分かりやす過ぎです」
 ボケられたのか天然なのかは分からない。
 おそらくは、天然だろう。
 どちらにせよ、一応の突っ込みは入れた。



 それから二人して、社の前で頭を垂れて祈る。
 祈り終わって頭を上げると、先に頭を上げていたセンダンが、ヒロの顔を覗き込んでいた。

「なにか?」
「んっとさ」
 センダンが一度言葉を切る。

「今年も良い一年になると良いね」
「……そですね」
 二人は、歯を見せて笑い合った。
 顔の作りは違うのに、鏡写しのような笑みが、そこにはあった。







 ◇







 その後、ミクリも初詣を済ませて、三人は寄り道をせずに帰宅する事にした。
 時刻は正午が近づいていて、気持ち分ではあるが、気温が上がったような気はする。
 それでも吹き付ける風が冷たい事に変わりはなく、ヒロはコートのポケットに手を入れて歩いた。

 会話の最中に、ふと空を見上げる。
 その冷たい風に吹かれたマナが、ささやかに空を流れていた。
 ミクリは、精霊が生み出したこのマナに、魔法の秘密が隠されていると睨んでいる。
 その研究は容易なものではない。
 はたして、彼女の研究に答えが出る日は、くるのだろうか。
 彼女は、その日が来るまで研究を続けるのだろうか……。




「ねねね、ミクリちゃん!」
 思案に耽っている所に、センダンの明るい声が聞こえてきた。
 ととと、と小走りで二人よりも前に出てくると、後ろ歩きをしながらミクリに笑いかける。

「うん?」
「良かったね。今日は友達ができたじゃない!」
「サヨコの事?」
「そうそう。精霊の話で盛り上がってたじゃないの」
「あれは……研究も含んだ会話だったが」
「研究『も』って事は、単に友達としての会話でもあった、って事だよね」
 ヒロがミクリの横顔を見ながら会話に加わる。


「……まあ、そうだな」
「うんうん。よきかな、よきかな! そこの所、ヒロ君は友達少ないわよねえ」
「うるさいですよ、センダンさん」
 センダンを睨みつける。
 だが、今更ヒロの顔に怯むようなセンダンではない。

「いやー、だって事実……」
 センダンがなおも笑いながらヒロをからかおうとする。
 だが、その言葉は途中で途切れていった。

 センダンの視線がミクリに向いているのに気がつき、ヒロもまたミクリを見る。
 ミクリは微かに顔を伏せ、マフラーの中で冴えない顔つきをしていた。





「……ミクリちゃん」
 センダンの声が落ち着いたものになる。
「……うん?」
「友達ができるのは、嫌?」
「………」
 ミクリが顔を上げた。
 切れ長の瞳で、じっとセンダンを見つめている。
 普段通り無表情であるその瞳に、今はどこか憂いが混じっているような気がした。

「……嫌ではない」
 ミクリがいつも通りの落ち着いた声で返事をする。
「友達……ヒロやセンダン、サヨコと話すのは、嫌な気持ちではないよ」
「それにしちゃ、顔色が冴えないみたいだけれど」
「嫌ではない。が……そういう関係に浸る余裕がないのだ」
 ミクリの声は小さかった。

「魔法の研究が優先、って事?」
 ヒロが尋ねる。
「そうだ。なにせ、人類がまだ見つけていない魔法を再現するのだからな。
 時間はいくらあっても足りない」
「ちょっとくらい、息を抜いても良いんじゃないかな」
「……そうもいかない。両親の無念を、少しでも早く晴らしたいからな」




 ミクリの足が止まった。
 ヒロとセンダンも、同様に歩みを止める。

 少女の動きにつられたのではない。
 言葉に反応して、止まってしまった。

 ミクリは、首を上に傾けた。
 空を真っ直ぐに見上げながら、少女は言葉を続けた。




「……私の両親も、魔法省で働いていたのだよ。
 どの様な人だったのか、今ではもう殆ど覚えていない。
 私が五歳の頃に、二人とも事故死してしまったからな」

 少女は、淡々と言葉を綴る。
 普段通りの喋り方。
 でも、それはとても寂しい語り。
 合いの手を挟む事も、気休めの言葉を掛ける事もできない。
 それだけの孤独な雰囲気を、この十六歳の少女は醸し出していた。


「それから、ずっと孤児院で暮らしてきた」
「……マナ勉強堂のお爺さんは?」
「祖父と一緒に暮らしだしたのは、つい最近の事だよ。
 やはり、魔法の仕事は周囲から白眼視されていたらしく、両親は祖父から勘当されていた。
 そういうわけで、祖父が事故を知ったのも、私を見つけたのも、つい最近というわけだ」
「………」
「……両親の事で覚えているの一つだけ。
 二人とも、魔法の証明に情熱を注いでいたよ。
 だから、私はその両親の無念を晴らす為に、研究を続けている」

 ミクリが顔を下ろした。
 センダンの横をすり抜けて、前を歩く。
 風に吹かれて、髪がそっとなびく。
 その髪に引かれるように、ミクリは首だけで振り返ってみせた。



「……だから私には、暖かい関係に浸る余裕なんかないんだよ」

 少女は、とても寂しい瞳をしていた。
 吹き抜ける風は、妙に冷たかった。







 ◇







「へい、お疲れちゃーん!」
「お疲れ様です」
 センダンの威勢の良い声と、ヒロの威勢の良くない声が、夜のヒロの部屋に響く。
 続けて、二人が手にしたビール入りのグラスが、気持ちの良い金属音を立てて触れ合った。


「んぐ、んぐ、んぐっ……ぷはぁ~っ! 今日の一杯は、やっぱりうまいわあ」
「ぷふぅ。ええ、一年の中でも特に忙しい日ですからね」
「酒の肴が、重箱料理の余り物ってのも、今日だけの乙なものよねえ」
 センダンが頬に片手を当てて笑いながら、出汁巻き卵を摘んだ。
 ヒロも同調するように頷きながら、他の余り物を摘む。

 初詣の後は、今の今まで、夕食を食べる暇もなく働きどおしだった。
 それだけに、酒も肴も消費が早い。
 二人ともすぐにグラスを空にしてしまい、二杯目はじっくりと味わいながら、残る肴を摘んだ。
 だが、酔いが完全に回らないうちに、話しておきたい事がある。
 二杯目を半分程飲んだ所で、ヒロは口を開いた。





「……ねえ、センダンさん」
「うん、なぁに? ぐびり」
「ミクリちゃんの事なんですが……」
「ん」
 センダンがグラスを口から離した。
 居住まいを正す事はないものの、真剣に話を聞こうとしてくれているようである。


「あの子、笑いませんよね」
「うん、そうね」
「あれは、笑う余裕がない日々を送った結果、笑い方を忘れてしまったんじゃないかと思うんです」
「………」
 センダンはじっとヒロを見つめてくる。
 その視線に、話の先を求められている気がして、ヒロは話を続ける。


「両親の無念を晴らしたい一心で勉強して、五つも飛び級して、彼女は魔法省に入った」
「そういう事らしいわね」
「でも、本番はここからなんです」
「うん」
「彼女からしてみれば、本番を迎えた今こそ、確かに友達と笑う余裕なんかないんでしょう」
「……そうかもね」
 センダンが深く嘆息する。
 指先でグラスを弾いて弄びながら、何かを考え込むように、小さく縦に頭を揺らしている。


「お爺さん……マナ勉強堂の店主さんに引き取られたのも最近じゃあ、情操教育も受けられませんし。
 思えばあの喋り方も、魔法を志す者が安く見られないように、という意図があるのかもしれません」
「うん。それで?」
「それで、ええと……」
「結論は分かっているけれど」
 センダンが結論を求めながら、すぐさまヒロの言葉を遮った。
 アルコールで微かに顔を火照らせながら、人差し指を縦に突き立ててみせる。





「あのさ。良い事思いついたんだけれどもね。多分これがヒロ君の結論でもあると思うんだ」
「聞きましょう」
「うむ。では顔を寄せよ」
 センダンの言う通りに、彼女に顔を寄せる。
 別に内緒話にする必要はないのに、センダンは小さな声を出した。



「ミクリちゃんを、笑わせない?」
「……ふむ」
 ヒロが大きく頷く。
 センダンの推測通り、それこそが、彼女に提案したい話だった。



「笑えばなんでも良いわ。くだらない事やっても、馬鹿やっても、感動させても、面白がらせても。
 どうにかして、ミクリちゃんを魔法の呪縛から解き放ってあげたいの」
「………」
「もちろん、両親の想いを継ぐという事は尊敬できる事よ。
 でも、あの子はそれに囚われすぎている」
「苦しい戦いになりそうですね」
「でも、私達ならきっとできるわ」

 センダンが顔を離した。
 ぐっと親指を突き立て、自信ありげに笑ってみせる。
 不思議と、ヒロまで自信を掻き立てられる笑みだった。



「……新年の抱負が、一つできましたね」
「という事は?」
「ええ。僕から似たような事を提案するつもりですから。やりましょう」
「おぉう! そうこなくっちゃあ!」

 センダンの力強い言葉が、アルコールの回りだした脳に響く。
 さて……あの子は、どういう笑い方をするのだろうか。
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