燦燦さんぽ日和

加藤泰幸

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虹の卵編

第二十一話/新年初『良い事』(前編)

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 新年の朝を迎えた。
 この日の海桶屋は、流石に少しばかり忙しい。

 そのもっともたる理由は、やはり食事の用意である。
 ヒノモトの伝統行事として、この日の夕食には縁起物を詰めた重箱を出す事になっているのだが、これがとにかく品数が多い。
 黒豆、数の子、栗金団。
 鰤、鯛、海老に、昆布巻き、金柑、八ツ頭。
 その他にも計三十品程の料理が詰まっている重箱を、今年は計10人となった新年の宿泊客に出さなくてはならないのである。
 昨日のうちから下準備できるものもあるが、それを差し引いてもまだ忙しい。
 その為に、昨日からヘルプに入っているウメエは、この日も海桶屋で調理を手伝ってくれていた。



「ふぁ~あ……ああ……」
「ヒロ、なに欠伸しとるか!」
「いや、だって朝が早かったし……」
「昨日お前が出かけた分を取り返さないかんのじゃから、当然じゃ。
 それより、そろそろ海老の下準備はじめてまえ」
「はーい。ええと、四匹でいいんだよね?」
「当たり前じゃろ。四室分だから四匹じゃ。ああ、鍋煮立っとるぞ!?」
「わ、わわっ!!」

 厨房から聞こえてくる二人の声は、フロントにまで響いている。
 新年早々、なんとも騒がしいものである。
 その騒がしさを聞きつけてか、厨房の入り口付近に人影が現れた。
 人影の正体は、この日の宿泊客であるミクリ・トプハムである。


「お婆ちゃん、焜炉空いたから使って良いよ」
「おう。とりあえず水沸騰させといてくれ」
「了解ー……っと。あれ?」

 ウメエに返事をして身を翻したヒロの視界に、ミクリが入った。
 彼女もまた自分の方を見ているのに気がつくと、ミクリにニコリと笑いかける。



「やあ、ミクリちゃん。明けましておめでとうございます」
「うん、おめでとう」
 ミクリは無表情で小さく頭を下げる。
 新年だろうがなんだろうが、彼女の表情に笑顔はない。

「……なかなか、忙しそうだな」
 ミクリが厨房全体を眺めながら言う。
「まあ、たまにはこういう日もあるよ。ところで、どうかしたの?」
「ああ……いや、な。ヒノモトには初詣なる、精霊に新年の祈りを捧げる行事があると聞いて、
 その案内を頼もうと思っていたのだが……」
「ああ……」
 ヒロが申し訳なさそうな声を出す。

 山頂銭湯に向かう為の道を登ると、すぐに小さな脇道がある。
 その脇道の先には、小さな広場と社があり、神事の際に用いられる事が多い場所であった。
 ミクリの言う通り、その社と広場にて、精霊に祈りを捧げる行事がある。
 あるのだが……今のヒロには、そこまで案内する余裕は全くなかった。



「ええ、ええ」
 背後からウメエの声が聞こえた。
 首だけで振り返ると、ウメエが頭の上で手をひらひらと振っている。

「お婆ちゃん?」
「ええよ。案内してあげなさい」
「でも重箱が……」
「今のうちにできる事は限られとる。本格的に忙しいのは夕方からの調理じゃ。
 それに、お客さんを持て成すのも仕事じゃ。せっかくだから、センダンも連れて行ってきい」
 ウメエはカラカラと笑ってみせた。
 留守番をしてくれた昨日といい、珍しく親切なものである。
 本当に良いのだろうかと少々申し訳ない気持ちにはなる。
 と同時に、何か裏があるのではないかという気持ちにもなる。

 ただ、ウメエの言う通り、ミクリを社まで案内する事も大切な仕事ではあるわけで……
 結局、ヒロは申し訳なさそうに眉を下げながら頷いた。



「分かった。それじゃあ行ってくるよ」
「おう。そうせい」
「昨日の留守番といい、ごめんね」
「構やぁせん。お前が来る前までは一人で厨房切り盛りしとったんじゃ」
 ヒロにそう告げたウメエは、ミクリの前まで歩いてきた。
 ミクリとは面識があり、単なる客ではないと知っているウメエは、皺だらけの大きな手を突き出し、ミクリの頭の上に軽く乗せる。

「あっ……」
「お嬢ちゃん、島の新年、楽しんできぃ」
「……そうさせてもらう」
 困惑した様子で頭上の手を見上げながら、ミクリは返事をする。
 その返事を受けて、ウメエは満足げに頷いた。
 それから、頭の上に乗せた手で親指を突きたて、今度はそれをヒロに向ける。



「社の前の広場にゃ出店も出とるじゃろうから、土産に甘いもんをどっさり買ってこい。
 もちろん、お前の奢りでな」

 案の定、である。
 思わず苦笑が零れるヒロであった。










 燦燦さんぽ日和

 第二十一話/新年初『良い事』










 ヒロとセンダンは、ミクリを連れて徒歩で社へと向かった。
 山頂銭湯まで行くのならともかく、社ならば徒歩でも十分に行ける所である。

 外を吹く風は、いよいよ冬本番ともいえる鋭い冷たさを帯びていた。
 無論、寒い。
 しかし、その寒さをそれ程意識せずに、ヒロは雑談をかわしながら歩いた。
 普段よりも大分饒舌になっている、と自分でも分かる。
 寒さを意識しない事も、饒舌になるのも、やはり新年特有の気持ちの高揚によるものなのだろう。
 朝早くからの労働で体は疲れていたが、気持ちは充実していた。



「……それでは、初詣はヒノモト諸島のどこでも行われている行事なんだな」
「うん、そうね。他の島でもやっていたはずよ」
「ふむ……ロビンにはない行事だな」
「私も元々島の外で暮らしてたんだけれど、そうね、ロビン以外の都市でも聞いた事がないわ。
 やっぱりヒノモト特有の行事なんでしょうね」

 今は、センダンとミクリが初詣について話している。
 実は、学生時代のヒロは新年に帰省した事がない為に、初詣についてはそれ程詳しく知らない。
 一方、先程自ら説明した通り、センダンも元々は島の外の者であるのだが、
 それでもヒロよりは地元の風習には通じていて、この話題に関してはセンダンが中心になっていた。





「そだ。三社参りはどうしよっか?」
「三社参り……?」
 センダンの言葉に反応したのは、ヒロだった。

「あれ、ヒロ君は三社参り知らない?」
「ええ、恥ずかしながら」
「そっか。ふっふーん、ではセンダン先生が教えて進ぜよう」
 センダンが無駄に胸を張る。
 投げやりに拍手を送ると、彼女は両手を掲げて拍手を静めるような仕草をしてみせた。


「うむ、うむうむ! ありがとーう」
「はいはい……で、なんなんですか?」
「ま、簡単な事よ。その名の通り、新年に三つの社にお参りするのよ。
 確か居住地区側にも社が二つあったはずよ。
 そこまで行くとなると、さすがに馬車が必要にはなるわね」

「なぜ、わざわざ三つも参るのだ?」
 その問いを口にしたのはミクリだった。
「おおう、ミクリちゃんナイスクエスチョンよ! それにもちゃんと理由があるの」
「ふむ」
 ミクリは無表情でポケットからペンとメモ帳を取り出す。
 ペンを持つ手に一度息を吹きかけてから、彼女はセンダンを見た。


「準備オッケーね。んで、三社参りなんだけれど……これは、お参りする対象が違うのよ」
 センダンが指を三本突き立てながら説明をはじめる。

「一つは、先祖代々の精霊に。
 もう一つは、この土地の近辺の精霊に。
 そして最後の一つが、出身地の精霊に……ってね。
 ま、人によっちゃ重複する所もあるけれど」
「出身地の精霊に祈るのに、出身地ではない社で祈っても良いのか?」
 ペンを走らせながら、ミクリが問う。

「そこん所は私も気になっているのよね。でも答えはわからないんだ」
「ふむ」
「ま、どこで祈っても、気持ちは届くって事よ! 深く考えない、考えない!」
「センダンさん、随分あっさりと片付けましたけど、本当に気になってるんですか?」
 ヒロが突っ込みを入れる。
「むむうー、なになにヒロ君、なにか文句あるのー!?」
「あ、あたっ! 背中叩かないでください! 文句ありません!」

 気分を害したセンダンが、口を尖らせながらヒロの背中を平手で叩いてくる。
 それから逃れようと小走りになると、センダンは追いかけながらなおも叩いてきた。
 なんとも子供っぽいやり取りではあるとは思うのだが、痛いのだから逃げる他はない。



「……元気なものだ」
 そんな二人を眺めるミクリは、小さく肩を竦めながら呟いた。







 ◇







 社の前の広場はなかなか賑わっていた。
 特に人が密集しているのは入り口付近である。
 そこでは、大きめのテントが設置されていて、豚汁が無料で振舞われていた。
 机椅子はない為に、お参りに来た者は、皆そのテントの付近で豚汁を食べながら雑談に興じているのである。
 そのテントから更に進んだ所にも、林檎飴や綿菓子といった軽食の出店が立ち並んでいる。
 ちょっとした祭りのような様相と賑わいなのであった。


「ねね。豚汁貰っていこうよ! こういうのって普通の豚汁よりも美味しい気がするのよね」
 センダンが耳をパタパタさせながら提案する。
 そう言われて、ヒロは急に空腹を自覚した。
 考えてみれば、今朝は余った食材を摘む程度にしか食べていなかった。

「ミクリちゃん、まだお腹空いてる?」
 ヒロがミクリに確認する。
「空いてはいないが、食べられるぞ」
「じゃあ、貰っていこっか」
「貰えるのか?」
「貰えるの」
「そうか」

 ミクリが頷いて返事をしたのを受けて、豚汁のテントへと向かった。
 豚汁を作っているのは観光地区婦人会で、殆どがヒロやセンダンと面識のある年配の女性であった。
 彼女達と新年の挨拶をかわしながら、豚汁を貰う。
 器は木製で、豚汁の暖かさは器越しに手へと伝わってきた。
 その暖かさに誘われるように豚汁をかき込むと、豚や野菜の暖かな旨みが口内に広がる。
 思わず、ほぅ、とため息が零れてしまった。
 センダンもうまいうまいと、ひたすらに同じ言葉を連呼している。
 ミクリは特に何も感想を述べはしなかったが、食はしっかりと進んでいた。




「あら、ヒロちゃん?」
 そこで、声を掛けられた。
 辺りを見回すと、同じく豚汁を食べている人の中にサヨコの姿を見つけた。

「やあ、サヨちゃん。あけましておめでとう」
「あけましておめでとうございます。
 あ、センダンさんとミクリちゃんも、おめでとうございます」
 センダンとミクリに気がついたサヨコは、続けて二人にも挨拶を交わす。

「ふが、ふがががも、もぐぐぐもが」
「センダンさん、食べてしまってから喋りましょうよ……」
「もぐも、ふがが」
 センダンも挨拶をするにはしたのだが、何と言っているのか分からない。
 彼女が大急ぎで咀嚼をしている間に、ミクリが少し前へ出てきた。



「サヨコ……だったか。私の事を、どうして覚えてくれているのだ?」
「どうしてって、ミクリちゃんだって私の名前、覚えてくれているじゃない」
「私は……いや、確かにそうかもしれんが……」
 ミクリが小さく首を捻る。
 どこか釈然としないようであった。

「ふふ、変な子。ミクリちゃん、今日も島に遊びに来ているのね」
「研究でな。今日は精霊に関する特別な行事もあるようだし、何か発見があるかもしれない」
「魔法の研究よね。精霊さんと魔法、関係があるの?」
「そこを調べている所なのだ。精霊が生み出すマナの力を考慮すれば、接点があるかもしれない」
「そうなんだ。凄い事を考えているのね」
「……そうだろうか?」
 ミクリが首を傾げる。
「凄いと思うわ。……そうだ。良かったら少し精霊さんのお話でもしない?」
「ふむ?」
 今度は反対方向に首を傾げて、大きくまばたきをした。

「単に精霊さんに関する事だったら、私も少しは詳しいんだ。ね、ヒロちゃん」
 サヨコから話を振られて、ヒロは頷く。
 彼女には、精霊と思わしき存在に助けられた過去がある。
 それから、独学で精霊について学んでいる……以前にそう聞いた事があった。

「……それでは、悪いが聞かせてもらえるだろうか?」
「うん。でも悪い事なんてないわ。友達だから当然じゃない」
「友達……?」
 ミクリは小さな声でサヨコの言葉を繰り返した。
 切れ長の目を、じっとサヨコに向ける。
 何かを考えているように見受けられた。


(……そういえばこの前『サヨちゃん達も、ミクリちゃんの事を友達だと思っているはず』って言ったな)
 ヒロは黙って二人を見守る。
 ヒロが考えていた通りの言葉をサヨコが口にしてくれたのは、嬉しかった。
 同時に、ミクリがどういう反応を示すのか、少し怖い気持ちもあった。

 だが……





「……うん。そうだな」
 暫しの間の後、ミクリはそう返事を返した。
 それは間違いなく、否定の言葉ではない。
 ただ、それでもなおミクリは笑ってはいなかった。
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