燦燦さんぽ日和

加藤泰幸

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虹の卵編

第二十話/オズマの女神(前編)

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 この日のロビンの雑踏は相当たるものであった。
 西も東も中央も関係なく、全ての地区に人がひしめき合っているのだが、
 その中でも特に活気に満ちているのは商店周りである。
 店員は声高らかに商品をアピールし、それを受ける買い物客達も、楽しそうな表情で商品を物色している。

 それもそのはず。
 今日は、今年最後の日。
 沢山の事があった今年に別れを告げ、また沢山の事がある新年の準備をする為の、最後の日なのである。
 その為に商店が賑わうのは当然の事であったが、もう一ヶ所、ロビンでも特に賑わっている一帯がある。
 そして、ヒロとセンダンは、周囲の熱気に気圧されながら、その一帯を歩いているのであった。





「いやあ、凄いわ。皆盛り上がってるわね」
 センダンがきょろきょろと周囲を見回しながら呟く。
 二人が歩く剣術競技場の周囲では、剣術興行団のファンと思わしき集団が幾つもできていた。

 皆、声量を抑えようとせずに、今日の応援の段取りなり、意気込みなりを語り合っている。
 ここに突然放り込まれようものなら、耳を覆いたくなるような騒々しさではある。
 だが、今のヒロはそれを騒がしいとは思わない。
 むしろ同じように、心中に宿る熱気を吐き出したい気持ちでさえいる。
 それも、無理のない事なのだ。


「そりゃそうですよ。今日の最終戦で、ロビンが優勝するかもしれないんですから」
「その上、オズマさんから招待されちゃ、行かないわけにはいかないわよね。
 ……この忙しい時期にお店をお願いしたウメエさんとダイゴローさんには申し訳ないけれど」
 センダンが珍しく声を曇らせる。
 実際申し訳ないと思っているのだろうし、宿の仕事を生きがいにしている彼女にとっては、
 知人の応援という事情があるとはいえ、掻き入れ時の休日には抵抗があるのだろう。

「この所休みの日も少なかったから気にするな、って言ってくれてましたし、あまり気にしないようにしましょう。
 その分、お土産買って行きましょうよ」
「……うん、そうだね。今日はロビンの応援に集中しよっか!」
 彼女の声は、すぐに明るくなった。




 話も落ち着いた所で、二人は観客用入口を迂回して、裏にある関係者用エリアに向かう。
 オズマから関係者用パスを貰っており、試合前の面会を求められていた為である。
 この付近にいる者は、ガードマンやマスコミ関係者、それに選手と思われる体格の良い男が主だった。
 皆、仕事でこの場にいる。
 それだけに、観客側とは一転してピリピリとした空気が漂っているのを、ヒロは感じ取った。
 だが、前を行くセンダンは、相変わらずのあっけらかんとした様子で、軽い足取りで関係者用入口に入ろうとしていた。


「ああ、駄目だよ。お客さんは向こう」
 当然、付近にいたガードマンがセンダンの前に立ちはだかる。
 この大一番に乗じて、不法な侵入を試みる者もいるのだろうか。
 ガードマンの声は荒く、特に張り詰めているように感じられた。

「そっか。パス出すの忘れてたわ。ヒロ君ー」
「はいはい。えっと、これパスです」
 小走りでセンダンに追いつき、パスを提示する。
「……これ、本物?」
 だが、ガードマンはいぶかしむようにパスとヒロらを交互に見るだけで、まだ二人を通そうとはしてくれない。
「本物ですよ。オズマさんから貰ったんです」
「君達オズマさんの家族?」
「いえ、ただの知り合いですが……」
「本当にオズマさんから貰ったの?」
 どうにも、第一印象が良くなかったようである。
 面倒な事になりそうだ、とヒロは口の中で嘆息する。

 ……さわやかな声が聞こえてきたのは、その時であった。





「その二人は本当にオズマからパスを貰っているよ」

 声の主は、関係者用入口の奥にいた。
 オズマ並に体格が良く、薄水色の綺麗な長髪をした男である。
 おそらくは、選手なのだろう。
 どこかで見たような気はするが、ヒロは思い出せなかった。

「ペレイラさん!」
 ガードマンは居住まいを正し、その男に一礼する。
 そう言われれば、そのような名前の選手がいたような気がした。

「オズマから、強面の青年と狐亜人の女性を招待した、と聞いていてね。
 多分、その二人の事だろう」
「そうですか。ペレイラさんがそう言われるのであれば」
 そう言うと、ガードマンは素直に体を横にどかした。
 奥では、ペレイラが笑顔でヒロらに向かって手招きしている。
 二人は、招かれるがままにペレイラの前まで進んだ。



「どうも、ありがとうございます」
「気にする事はない。事実を証明しただけだよ」
 ヒロが礼を言うと、ペレイラは小さく手を横に振った。
 体格だけでなく、雰囲気にも大人の貫禄がある男だった。

「ペレイラさん……と呼ばれてましたよね。
 ペレイラさんは、オズマさんのお知り合いなんですか?」
 センダンが疑問を口にする。
 それはヒロも気になる所だった。
「うん。実はオズマとは同期でね」
「そうだったんですか。ごめんなさい、私達剣術興行はあまり詳しくなくて、知りませんでした……」
「いやいや、詳しくないのならしょうがないさ」
 ペレイラはまた手を横に振る。
「それに同期と言っても……」
「おい、ペレイラ!!」
 ペレイラの言葉は、大声にかき消された。
 今度は、聞き覚えのある声である。
 横に広がる通路の右側を見ると、そこにはオズマの姿があった。



「……ここまでにしておこう。優勝決定戦前に敵味方が雑談するのも考えものだ」
 ペレイラは苦笑交じりでそう呟いた。
 それから、オズマやヒロらに目礼をすると、オズマとは反対側の方の通路へと駆けていった。
 そこは、今日の対戦相手であるゼダ剣術興行団員用のエリアに通じる通路だった。










 燦燦さんぽ日和

 第二十話/オズマの女神










 関係者用入り口の先では、表以上に人々が慌しく動いていた。
 特に選手達の忙しさと緊張感は相当たるもので、声を掛けるのも躊躇われるような雰囲気を醸し出している。
 しかしながら、マスコミ関係者の胆も座っており、そんな選手達に次々に食らいついてはコメントを求めている。
 そんな異様な雰囲気に満ちた通路のど真ん中を、オズマは堂々と闊歩した。
 彼もまた時折マスコミから声を掛けられるのだが、サラリと笑顔で「後でな」と返す。
 そんなオズマに連れられ、ヒロらは前回同様に食堂へと足を踏み入れた。



「あいつとは、同期なんだ」
 他に客のいない食堂で、どっしりと腰を下ろしたオズマは、まずそう切り出した。

「あ、ペレイラさんからも聞きましたよ。同期の選手、まだいるんですね」
 センダンがそう言う。
「もう、俺とペレイラの二人だけだけれどな。
 エース候補として期待されながら入団したあいつと、お情けで入団させてもらった俺。
 なんとも対照的な二人だけが残っちまったもんだ」
「でも、ペレイラさんは他所に移ったんですね」
「移ったというか、移された、だな。トレードだ」
 そう言うオズマの声色は暗くはない。
 むしろ、どこか当時を懐かしむような穏やかさがある。


「あれは入団五年目だったか……俺もあいつも、お前達くらいの歳の頃だな。
 俺はともかく、ペレイラはその頃には、もうバリバリのエースとして戦ってたんだ。
 それに目をつけたのが、盟主のゼダさんだ」
「首都ゼダの興行団ですよね?」
「そうそう。今日の対戦相手でもある所だ。
 いつもスター選手を抱えているチームなんだが、当時はちょうど谷間の時期でな。
 で、若く将来有望、その上甘いマスクで人気もあるペレイラに移籍を持ちかけたんだよ」
 そこまで語った所で、店員の女性が注文を取りに来た。
 オズマが「ちょっと席を借りているだけだ」と返事をすると、
 女性はオズマに激励の言葉を掛けて、奥へと戻っていった。


「で……どこまで話したっけ?」
「ペレイラさんに移籍の話が来た、という所までですよ」
 センダンが返事をする。
「そうだそうだ。一方のウチ、ロビンは貧乏興行団でな。
 この先更に成績を伸ばし、年俸高騰が確実だったペレイラを長く抱えられない事情もあった。
 んで、ゼダの移籍話を受けて、ペレイラは金銭トレードされたってわけだよ。
 ま、貧乏興行団ならどこでもある話だ。ビジネス、ビジネス」
「そっか。期待されてたんですね、ペレイラさん」
「そうだな。移籍後も期待に応え続けて、三十六歳になる今年でもゼダのエースなんだから大したもんだ。
 ゼダどころか、剣術界全体の大エースだよ。ちくしょうめ」
 オズマが悪態を付いてみせる。
 だが、どこか嬉しそうな悪態だった。



「ところでオズマさん、この後は優勝決定戦なのに、のんびりしていて良いんですか?
 他の選手さんは誰も休んでいないみたいですけれど……」
 ヒロが、ここに来てずっと気になっていた事を尋ねる。
「ああ。今更ジタバタしてもしょうがあるめえ。リラックスして挑むのも一つの調整だよ」
「さすがベテラン、落ち着いてますね」
「開き直り、とも言えるな」
 オズマは苦笑する。

「なんとか今日のスコア次第で、ゼダを逆転できる所までは漕ぎ着けた。
 だが、ウチは今日の相手のゼダとは相性が悪いんだよ。
 その上、俺なんかを起用せにゃならん状態ときたもんだからな」
「あ、という事はやっぱりオズマさん、今日は出るんですね!?」
 センダンが身を乗り出して、嬉しそうな声を出す。

「おうよ。連戦で主力が皆疲れきっててな。
 ま、それでも主力は主力だ。
 本来はそれだけで、この大一番に俺が起用される事はない。
 だがな……」
 オズマも同じように身を乗り出した。
 ヒロとセンダンの顔を交互に見ると、内緒話でも打ち明けるかのように声を潜める。


「ここにペレイラが絡むんだ。
 あいつもウチには滅法強いんだが、どうした事か、俺とは相性が悪いんだよ。
 俺の泥臭い戦い方に、うまく噛み合っていないんだろうな。過去の成績は五十勝五十敗のイーブンだ。
 イーブンとはいえ、三十戦以上戦った他の相手には全員勝ち越しているんだから、こりゃもう苦手も良い所よ」
「という事は……」
「おう。今日もペレイラキラーとしての起用予定だ。
 多分、十戦目の一番ポイントがでかい所で出る事になるな」
「すっごーい! かっこいい!」
 センダンが目を輝かせて小さく拍手をする。
「それなら、オズマさんの試合結果で優勝が決まるかもしれませんね」
 ヒロも同意するように頷きながらそう言った。


「いやいやいや、そう持ち上げてくれるなって。
 戦略上そうなっただけだよ。俺は相変わらずのロートルだ」
 オズマはまた背中を背もたれに預けながら笑ってみせる。
 だが、彼の目は大きく見開かれていた。
 瞳は爛々と輝いている。
 この一戦に燃えているのが、それだけで伝わってきた。



「センダンさん、試合前にあまり長々とお邪魔するわけにもいきませんから、そろそろ」
「あ、そうね。行きましょうか」
 ヒロがそう持ちかけると、センダンは素直に頷いた。

「それじゃあ、私達はそろそろ客席に行きますね」
「関係者用席まで抑えて下さってありがとうございます」
「いやいや、いいって事よ。俺の嫁と娘もいるから、宜しくな」
 オズマの言葉に頷いて返事をすると、二人は立ち上がる。

「それじゃあ、応援よろしくな! 熱烈な奴を頼むぜ!」
 大一番を控えた剣士は、親指を突きたてて二人を送り出してくれた。







 ◇







 関係者用席はなかなかの作りだった。
 観客席の真上にせり出すようにして作られている席で、完全な個室となっている為に、リラックスして観戦する事が出来る。
 その部屋が競技場を囲うように幾つも備わっていて、ヒロ達にあてがわれたのは、その中の一室である四人用の部屋だった。
 床には、チームカラーである青の鮮やかなカーペットが敷かれていて、その上には質の良さそうな木製の椅子とテーブルが備えられていた。
 壁こそ石造りなのだが、むしろ洗練された印象を受ける空間である。



「あら、お久しぶりです」
 先に部屋に入っていたオズマの妻、サリー・ダッタンは、柔らかな物腰で声を掛けてくれた。
 彼女とは竜討祭の時に面識があったのだが、あの時は何かとオズマが窓口になっていて、彼女とは殆ど話す機会がなかった。
 奔放なオズマとは対照的な印象の女性だが、こういう人だからこそ、オズマを支えられるのかもしれない、とヒロは思う。

「どうも、ご無沙汰しています」
「お久しぶりですー!」
 ヒロとセンダンが返事をする。
 早速センダンが先程オズマと会ってきた事を報告しはじめたので、ヒロは荷物を部屋の隅に纏めようとする。
 そこで、部屋にもう一人少女がいるのに気が付いた。



「あっと……メイちゃん、だっけ?」
 ヒロが声を掛けると、オズマの娘であるメイ・ダッタンは頷く事で返事をした。
 だが、言葉は発さずに、すぐに俯いてヒロから視線を逸らしてしまう。

(これは、もしかするとまた怖がらせたかな……)
 思わずよぎる嫌な予感に、ヒロは表情を微かに曇らせる。
 とはいえ、ダッタン一家が海桶屋に泊まりに来た時には、怖がられた記憶はなかった。
「メイ、ちゃんと挨拶なさい」
 サリーが穏やかな、しかし芯の通った声でサリーに注意する。
 母から注意された事で、サリーはようやく小声で挨拶してくれたが、やはり視線は逸らされたままだった。

「ごめんなさい。普段はこんな事ないのに、今日はずっと拗ねていて」
 サリーがヒロに頭を下げる。
 とりあえず、ヒロの顔のせいではないようだった。

「あ、いえいえ、全然大丈夫です。でも、なんで……」
「今日の試合を観に来たくなかったようなんです」
「え? 優勝がかかった試合なのに?」
 サリーの言葉に反応したのはセンダンだった。
 小走りでメイに近づき、真正面に立って顔を覗き込もうとする。



「ねねね、メイちゃん、なんで?」
「………」
 メイはなおも顔を逸らそうとする。
 だが、センダンの視線はそれを追いかけた。
「メイちゃん、私に教えてくれないかな……?」
「……だって」
 根負けしたメイが小さな声を捻り出す。

「だって?」
「パパが試合に出ると言っても、必ず勝つわけじゃないんだもん」
「……それは、そうね」
 センダンが頷く。
 意表をつかれたようで、やや気の抜けた声だった。

 ヒロとしても、メイの言葉は寝耳に水である。
 仮にペレイラと戦う事になっても、勝率は五割。二回に一度は負ける。
 言うまでもなく、当り前の事ではある。
 だが、それを意識する事は殆どなかった。
 優勝がかかった熱気に当てられて、勝つ事ばかりを考えていたのかもしれない。



「それに、もしもパパのせいで優勝できなかったら、パパがかわいそうだよ……」
「うむむ。確かにその気持ちは分からなくもないわ」
「せ、センダンさん、元気付けてあげないと!」
 メイの言葉に呑まれてしまうセンダンを慌てて嗜める。
 しかし、そう言いながらも、自分でもどう元気付けたものかは分からない。
 さて、どうしたものだろうか。
 突然の難問に、ヒロが側頭部をぽりぽりと掻いた時であった。





『御来場のお客様、本日はロビン剣術興行団対ゼダ剣術興行団の試合にお越し頂き、誠にありがとうございます。
 なお、本日の試合は今シーズン最終戦となります。皆様、心ゆくまで試合をお楽しみ下さいませ』





 拡声器から、女性アナウンサーの試合開始を告げる声が聞こえてきた。
 その声に背中を押されるように、メイを含む全員が部屋の奥にある席に着く。
 席の向かい側の壁はガラス張りになっていて、フィールドは当然の事、向かいの観客席の様子も見る事ができた。
 観客席からは、声の塊がうねったような歓声が聞こえてくる。
 その塊からは、強い熱気が感じられる。
 これから始まるかもしれない世紀の瞬間に、ホームであるロビンのファンは燃え上がっていた。



 そして、このような特別な日でもショーパートは開催された。
 肝心の点取り試合を待ち望む客にはじれったい時間になるのではないか、とヒロは思っていたが、そのような事はなかった。
 ショーパートの参加選手も、今日の試合が特別である事は重々理解しているようで、その動きからは張り詰めた緊張感が伝わってくる。
 ファンもその演舞に応えて熱烈な声援を送り、結果としてショーパートは、会場の熱気を高めるのにちょうど良いウォームアップとなった。

 それから休憩を挟んで、いよいよ点取り試合である。
 追う側であるロビンにとっては、緒戦から一試合たりとも落としたくはない。
 勝負を分けるのは、最終的な勝敗数ではなく、ポイント数なのである。

 現時点のシーズン総合得点では、ゼダがロビンを10ポイント上回っていた。
 一方、この試合で両チームが得られる得点の総数は55。
 最低でも、九試合目までのポイントをイーブン以上とした上で、10ポイントがかかる十試合目に繋がなくてはならない。
 10ポイント差は、小さいようで、その実大きな差であった。


「メイちゃん、始まったよ。こうなったらもう応援しよう!?」
「はい……」
 メイは一応は頷く。
 だが、その声に力はない。
 そんなメイの消沈振りとは対照的に、華々しいファンファーレと共に選手が入場する。
 先頭から順に第一試合の出場者となっていて……そして、ロビンの監督の采配は的中した。
 ロビン側の最後尾、すなわち十戦目の選手はオズマ。
 一方のゼダ側は、ペレイラなのである。
 無論、ファンもその相性の事は重々承知している。
 オズマとペレイラが同列で入場する様子に、観客席は大いに沸き立った。
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