燦燦さんぽ日和

加藤泰幸

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虹の卵編

第十九話/ミクリと兄花島(前編)

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「むむう」

 冬の海桶屋のフロントに、センダンの唸り声が響く。
 彼女の視線の先には、ウィグから貰った虹の卵が飾られていた。
 綿詰めのクッションを卵の下に敷くと、卵は小洒落たインテリアのようにも見える。
 海桶屋を訪れた客の目を最初に楽しませてくれるので、それは良い。
 だが、そこから一歩踏み出されると困る。
 すなわち、客から『何の卵なのか』と聞かれても、答えは未だに分からないのである。


「何の卵なのかしらねえ、本当に……」
 センダンが呟きながら指先で卵を突く。

 卵の正体については、ヒロもセンダンも調べてみた。
 この間、ヒロがロビンに出かけて調べただけではなく、センダンも島の図書館で調べたり、
 二人よりも博識であるウメエら年配の者に聞いて回ったりしたのだが、結果はすべて空振り。
 結局、答えは分からず仕舞いで、今ではこうして謎の卵として、海桶屋のフロントを彩っていたのである。



「センダンさん、また卵とにらめっこですか?」
 そこへ、ヒロが厨房から顔を覗かせた。
 夕食の下ごしらえを終えたヒロは、エプロンを脱ぎながらセンダンに近づいてくる。

「あ、ヒロ君。だってだって、何の卵か気にならない!?」
「そりゃあ気になりますけれど、打つ手なしですからねえ」
「首都のゼダなら、こういうの調べてくれる施設とかあるんじゃないかな?」
「あるかもしれませんけれど、ゼダに行く機会がありませんからね」
「そうなのよねえ。ロビンみたく、ちょっと行ってくるって所じゃないもんねえ」
 センダンがダラリと受付台の上に突っ伏した。
 まるで狐の干物のようで、ヒロは思わず吹き出してしまう。



「ははっ。それよりセンダンさん、そろそろ時間ですから、お店は宜しくお願いしますね」
「あ、そか。ミクリちゃんとかいう子が泊まりに来るの、今日だっけか」
 ヒロの言葉に、センダンは身体を跳ね起こす。
「ええ。夕方まで島を案内してきますから、夕食は帰ってから作ります」
「了解了解ー。で、どんな子なの?」
 センダンが耳を突き立て、ヒロに詰め寄りながらそう尋ねる。
 瞳はらんらんと輝いていて、いかにも興味津々だ。
 なんともセンダンらしい反応である。

「そんなに気になります?」
「なるなるなる! 島に興味があるのはまだしも、
 ヒロ君に興味があるなんて面白いじゃない。酔狂の極みよ!
 しかも十五歳の女の子なんでしょ? 気にならない方がおかしいわ」
「むう」
 酔狂の極み、という言葉には反論したい所だったが、反論した所で改善された例がない。
 眉をひそめはしたが、とりあえずその言葉は置いておく事にする。



「興味と言っても、お父さん絡みですからね」
「はいはい。魔法研究に打ち込んでいる子なのよね」
「ええ。精霊が魔法に関わっていると考えているみたいで、主に精霊の事で質問責めにあいましたよ」
「ふんふん」
「凄く研究熱心で……あの追求する姿勢は、僕のお父さんにも似ていて、ちょっと共感できます」
「なるほどねえ。という事は、積極的で社交的な子なのかな」
「ううん、そういう感じじゃないかな……」
 天井を見上げながら、マナ勉強堂で出会った時の事を思い出す。
 薄灯かりの下に浮かんだミクリの顔は、センダンの言葉とは正反対の少女だった。

「じゃ、どういう感じ?」
「好きな事には積極的でしたけれど、普段話している時は物静かでしたよ。あとは……」
「あとは?」
「社交的というのも、違うかな。
 というのも、色々あるんですけれど……笑わないんですよね」


「ふぅむ。笑わない子、ね……」
 センダンが腕を組みながら何やら考え込む。
「会ってみれば、どういう子か分かると思いますよ」
「ま、そりゃそうよね。それで、何時頃来るんだっけ?」
「手紙には、午後一時ちょうどに海桶屋に来るとありましたが……
 あ、時間ですね」

 ヒロがフロントの掛け時計を見上げると、短針が一、長針が十二を指し示す直前まで来ていた。
 そのまま見上げ続けていると、午後一時になった瞬間に、掛け時計から木製の鳩が飛び出す。
 鳩は飛び出すのと同時に一度だけ鳴いて、午後一時を示してくれた。

 ちょうど、その時だった。



「こんにちは、失礼するよ」
 海桶屋の玄関の引き戸が開かれ、噂の人、ミクリ・トプハムが姿を現した。

 ヒロがマナ勉強堂で出会った時と同じく、緑を基調とした衣服だった。
 それに加えて、衣服の上には紫色のコートとマフラー、それから大き目の帽子を纏っている。
 小さな手には懐中時計を手にしていて、ミクリの視線はその懐中時計に寄っていた。
 もしかすると、あえて時間きっかりに来たのかもしれない。



「あらー、可愛い子じゃない! いらっしゃい!」
「!?」
 センダンの挨拶は熱烈だった。
 黄色い声を上げながらミクリに駆け寄るが、当然、その様な挨拶をミクリは想定していない。
 突然の事に、少女は反射的に後ずさってしまう。

「ねねね! 貴方がミクリちゃんよね?」
「そ、そうだが?」
「私センダン・コトノハって言うの! よろしくね!」
「う、むう……よろしく」
 センダンが尾を振りながらミクリに笑いかける。
 狐というよりは、犬のような反応だ。
 一方のミクリは、まだよく事情が飲み込めていないようだった。
 無理もない事である。



(そりゃ面食らうよなあ……)
 思わず苦笑を零しながら、ヒロはその光景を眺める。
 どこか表情に乏しいミクリが狼狽するのは、何となく微笑ましいような気がした。

 








 燦燦さんぽ日和

 第十九話/ミクリと兄花島










 兄花島の冬は寒い。
 冬なのだから当然寒いのだが、海風が特に冷たい。
 海桶屋から出たヒロとミクリの体は、早速その海風に晒される事となった。
 とりあえずは風が当たらない場所に出ようと、ヒロはミクリを先導して、
 直接海風に吹かれる事のない兄花通りへと足を進めた。
 その最中、ヒロは首だけで振り返ってミクリの様子を伺う。
 ポケットに手を入れてスタスタと歩いてくるミクリの顔からは、もう既に狼狽の色は消えていた。 


「さっきはごめんね。センダンさんに急に話しかけられて、驚いたよね」
「いや……驚きはしたが、問題ない」
 ミクリはそう言って、マフラーの中で微かに首を左右に振る。
「そう。なら良かった」
「センダンは、誰に対してもああなのか?」
「割とそうかなあ。ミクリちゃんは僕の知り合いって事もあるから、特に砕けて接してたみたいだけど」
「そうか……」
 ミクリがちらりと振り返る。
 視界の先では、もう海桶屋は見えなくなっている。



「ところで、島を案内するって話だけれどさ」
「うむ?」
「手紙には『魔法の手掛かりを探しに』って書いてあったけれど……
 精霊はともかく、魔法の方は僕さっぱりだから、何が手掛かりになりそうか分からないんだ。
 どういう所を案内したものかな?」
「ああ、その事か」
 ミクリの声が少し高くなった。
 ヒロの真横まで早歩きで近づいて、ヒロを見上げながらミクリは言葉を続ける。

「そうだな……この島の人と話す機会があると、助かるのだが」
「誰かが魔法の手掛かりを知っているかもしれない……って事?」
「それに期待している。……正直な所、自分でも行き当たりばったりの調査だとは分かっているんだ」
 ミクリがマフラーの中で溜息を付きながら、帽子を被り直す。
 そう自嘲する必要もないような気がしたが、とりあえずヒロはミクリの言葉を待った。

「だが、研究も完全に行き詰っていてね。
 精霊研究の第一人者であるダイスケ・タカナ氏の故郷であれば、
 もしかすると、何か思わぬ収穫があるかもしれないという、根拠のない願望だよ」
「なるほどねえ。そういう繋がりに賭けたい気持ちは分かるよ」
「……そうかね」
 ミクリがまた帽子を弄る。
 ヒロが先導するはずなのに、彼女はヒロの数歩前を歩き出した。
 どうにも、恥ずかしがっているようである。
 やはり笑う事はないのだが、まるっきり無表情というわけでもないのであった。







 ◇







「へえ、こんなに小さい子が魔法の研究なんて凄いわ」
 居酒屋ちとせのカウンターの中で、昼営業後の掃除をしていたサヨコは、
 ヒロからミクリの事を紹介されると、感心した様子で目を細めてミクリを見た。

「ちなみに成人している。今年で十六歳だ」
 ミクリは淡々とそう言う。
「あ。じゃあ私と三つしか違わないのね。小さいなんて言ってごめんなさい」
「構わない。実際、年齢の割に小さいからな……」
「でも成人したてだし、まだまだ背は伸びるんじゃないかな」
「どうだろうな。ところで聞きたいのだが……」

 適当な所で話を切り上げたミクリは、島の地理や歴史に関する質問を幾つか投げかけた。
 サヨコは、それら一つ一つに丁寧に回答する。
 気の小さいのサヨコにしては、随分と前向きな対応であった。







 ◇







「……で、俺の所にも来たの?」
「そういう事」
「ふうん。魔法の研究ねえ」
 魚屋後醍醐の軒先で、ゴウがミクリを一瞥する。

「……可愛い子だな。さしずめ美少女と野獣って所か」
「ちょっとゴウ君。野獣ってどういう事?」
 ヒロが眉をひそめる。
 分かってはいるが、聞かなくてはならなかった。

「そんなもん、お前に決まってるだろ」
 びしぃ! と右手に持っていた煙管をヒロに突き立てる。
「け、獣はないよゴウ君! 怖いのは否定しないけれどさ」
「じゃあ、天使と悪魔とでも言い換えるか?」
「それはそれで……」
「なんだよ、我侭な奴だなあ」
「変な例えしなきゃいいじゃないのさ」
 ぎゃーすかぎゃーすかと、仲良く口論するヒロとゴウ。

「あの……魔法……」
 その後ろで、ミクリは呆気にとられていた。







 ◇







「やーやー! そんな事よりこのお餅を」
「あっ、ここはいい」







 ◇







「お姉ちゃん、蜜柑をどうぞ!」
「……蜜柑?」
 今日も蜜柑を配っていたコヨリから差し出された蜜柑袋を前に、ミクリは小さく首を傾げた。

「うん。島で取れた蜜柑を配ってるの。おうちでいっぱい食べてね」
「なぜ、私にくれるんだ?」
「美味しいから!」
「それは答えに……ああ、いや、むう……貰おう」
 天真爛漫な声でそう主張されては、ミクリはそれ以上問い尋ねる事はできなかった。
 ミクリが蜜柑袋を受け取ると、コヨリはヒロとミクリに笑顔を振りまいてくれた。
 この間の件以来、コヨリは少しずつ人を怖がらなくなっていった、と先刻の餅男から聞いている。
 今日はヒロの知り合いという事で、特に怖くなかったのかもしれないが、それを差し引いても嬉しい変化であった。







 ◇







「……蜜柑か」
 ミクリが困惑したような声を漏らす。
 彼女は、片手だけをポケットから出して、貰ったばかりの蜜柑を一つ弄りながらヒロに続いて歩いていた。

「子供達が学校で育てている蜜柑だよ。観光客に配っているんだ」
「先程聞き損ねたが、何故配っているのだ?」
「やっぱり、喜んでほしいからだと思うよ」
「私に?」
「そう。ミクリちゃんに」
「……何のメリットもないのに」
 ミクリが足を止める。

 ふと、スラムでも似たような会話をした、とヒロは思う。
 確かあの時は、スラムの人々が親身に接する理由について話していたはずだった。
 ミクリは、優しさの理由が分からないのだろうか。
 もしかすると、だから笑わないのだろうか。
 何故、彼女はそう育ってしまったのだろうか。




「まあ、良いか。ところで、次なんだが……」
 ミクリが蜜柑を袋に戻しながら口を開いた。
「あ、うん」
「良ければ、竜伐祭に詳しい者に会わせてもらえないだろうか?」
「竜伐祭に……?」
 予想外の名前が出てきた。
 だが、少し考えてみれば、竜伐祭は精霊への祈願祭でもある。
 確かに、ミクリが調べている事とは無関係というわけでもない。

「うん。実はこの前の竜伐祭に参加し損ねてね」
「あ、来てくれようとしたんだ!」
「何か参考になりそうだったからね。
 だが、普段は最低限の外出しかしないもので……
 恥ずかしながら道に迷って、島に着いた頃には、もう祭りは終わっていたがね」
 ミクリが肩を竦める。

「それは残念。来年は是非間に合うように来てよ」
「考えておくよ。で、詳しい者だが……」
「あ、そうだね」
 ヒロが両手をぽんと打ち鳴らす。

 竜伐祭に詳しい者。
 そう言われれば、一人しか思い浮かばない。
 親族だから、突然押しかけて話を聞くのも無理な話ではない。
 だが、祖母のウメエから、何か変な事を聞かれないか、という心配はある。
 その為にも、幾つかの疑問は事前に解決しておきたかった。
 その中でも、比較的聞きやすいものを聞いてみよう、とヒロは判断した。




「詳しい人というと……うちのお婆ちゃんかな。竜伐祭実行委員の音頭も取っていたし」
「そうか。では、案内してもらえるか?」
「了解。……ところでさ、前から気になっていた事、一つ聞いて良いかな?」
 祖父母の家へ足を向けながら、ヒロが尋ねる。

「うん?」
「ミクリちゃんさ、僕のお父さんの事、知ってたよね」
「知っていたよ」
「……もしかしてさ。お父さんの教授室に紙飛行機を投げ入れているのって、ミクリちゃん?」
「えっ……!?」
 ミクリが目を大きく見開いた。
 声も普段より高く、どことなく砕けた喋り方のようにも感じられる。
 どうやら、返事は聞くまでもないようだった。



「……な、なんでそれを!?」
「やっぱり、そうなんだ」
「だ、だってあれは……あ、えと……ごほん」
 ミクリが一つ咳払いをする。
 首を沈めて、顔をマフラーの中に埋没させようとしたが、
 隙間から微かに見える肌は、ほんのりと赤くなっていた。

「……そうか。この前スラムで、生命の可能性だかの話をしたが、
 それと似たような質問を、紙に飛行機に書いた事があったな。それを見せてもらったのか?」
 ミクリの口調が元に戻った。
 もしかすると、この口調は作っているのかもしれない。


「察しが良いね。そういう事」
「恥ずかしいものを見られたな」
「別に恥ずかしくはないと思うけれど……でも、なんで直接聞かなかったの?」
「……聞けないんだ」
 投げやりな言い方だった。
 同時に、口の中で小さく嘆息したようである。

「聞けない……?」
「知っての通り、私は魔法省の人間だ」
「うん、そうだけど……」
「魔法省では、上級アカデミーのような公の場で、講師に接する事が禁じられているんだ」
「……なんでまた」
「その事が広まれば、また魔法省が無駄な事をしていると揶揄されるんだ。
 聴講まではギリギリ許されているのだが。
 だから、ああやって妙な形で質問をしたわけだよ」
「……無駄なんて事はないと思うけれどな」
「世間は、そうは見ていないという事だ」
 ミクリは、つまらなそうに呟いた。
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