燦燦さんぽ日和

加藤泰幸

文字の大きさ
上 下
35 / 54
虹の卵編

第十八話/蜜柑と少女(前編)

しおりを挟む
「うー寒い……」
「だから、もっと厚着した方が良いって言ったんですよ」

 冬も近づく十一月の正午過ぎ。
 木枯らしの冷たい兄花島観光地区に、今日も海桶屋の二人の声が響く。
 この日、ヒロとセンダンは、観光地区の裏手に位置しているギルドへと向かっていた。



「だってだってえ。まだ十一月なんだよ? こんなに寒いとは……」
 センダンが腕を交差させて、自身の両肩を掴みながら呟く。
 この日のセンダンは、深緑色を基調としたヒノモト衣装しか纏っていなかった。
 ヒノモト文化は、衣服の着心地については少々荒い所がある。
 というのも、夏は薄着、冬は重ね着で凌ぐというのが基本的な考え方で、
 衣服自体に特別な工夫が施してあるわけではない。
 すなわち、この日のセンダンは寒くて当然なのである。


「むう……」
 センダンが、隣を歩くヒロをちらと見る。
 ヒロは、普段着の上にコートを纏っていた。
 ヒノモトとは何の関係もないコーデだが、暖かく着心地も良い。

「……どうしました?」
「ねえヒロ君、良い事思いついたんだけれど……」
「コートは貸しませんよ」
「ぶうー!」
 センダンが口を尖らせるが、なだめる気さえ起きなかった。

「そもそもセンダンさん、狐亜人でしょう?
 狐って、寒さに強いものじゃないんですか?」
「なんだか偏見を持ってるわね、ヒロ君は。
 そんなの品種次第よ。品種次第!
 それにそもそも、本物の狐と狐亜人は別の生き物なんですー」

 センダンは、そう言いながら尾をぶんぶんと振ってみせた。
 なんともモコモコしていて、暖かそうな尾である。
 そういえば昨年の冬に、センダンがフロントで丸くなって居眠りをしていた時に、この尾で体を覆っていた事を思い出す。
 変な意味ではなく、一度触ってみたいと思っているのだが、なかなか言い出せないヒロであった。





「ほら。そんな事より到着よ」
 センダンが前を指差しながら言った。
 木造建築の立ち並ぶ観光地区に遠慮するように、他の建物から少し離れた所に建っているギルドへの到着である。
 ギルド玄関口には、猫亜人のベラミの姿があった。
 ベラミは、ヒロらの姿を見つけると、のんびりと手を振った。


「やあやあこれはお二人さんー」
「ベラミン、おまたせー!」
 センダンが元気良く出会いの挨拶をする。
「今日はお揃いで、僕のお餅でも買いに来てくれたんですかー」
「ベラミン、じゃあねー!」
 センダンが元気良く別れの挨拶をする。


「ちょっとちょっと、ちょっとー。
 いやだなー。少しふざけただけじゃないのさー」
 ベラミは小走りでセンダンに近づくと、なだめるように両手を掲げてみせる。
 とはいえ、相変わらずの間延びした口調で、本気でなだめようとしているのかは窺わしい。

「そんな事言って、ベラミーン、私達が今日来た理由忘れちゃってるんじゃないの?」
「嫌だなあ。ちゃんと覚えてるよー。準備も済んでるしねえー」
「準備というと、収穫の事ですか?」
 ヒロが口を挟むと、ベラミはこくりと頷いた。

「そうそうー。収穫した蜜柑は箱詰めにしてあるよー。
 あとはこれを、下級アカデミーの子供達に届けて、蜜柑を配る子供達を引率するだけー」
「へえ、ベラミンにしては、しっかりしてるじゃないの」
「そりゃあもちろんねえー。
 ……でも、今更だけれど、引率なんて僕一人いれば大丈夫だよ?
 そりゃ歓迎はするけれど、どうして着いてきたいのさー?」
「それなんですけれど……」
 その問いには、ヒロが答える。


「センダンさん、島に観光客として来た時に、当時の子供達から蜜柑を貰った事があるんですよ。
 それが凄く嬉しかったそうで。なので、子供達を手伝ってあげたいんだと思います」
「ちょ! ヒ、ヒロ君!!」
 暴露話をされたセンダンが慌ててヒロの口を抑えこむが、もう遅い。
 話を全て聞いてしまったベラミがニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべだした。



「むう……そんな事より、早く蜜柑がある所に案内しなさいよ!
 さっさと運んでしまいましょ!」

 センダンが頬を膨らませながら、一人でギルドの中に歩いていく。
 そんな彼女の背中を眺めていたヒロとベラミは、どちらからともなく笑いあうのであった。










 燦燦さんぽ日和

 第十八話/蜜柑と少女










 兄花島下級アカデミーの蜜柑配りは、公式なアカデミー行事ではない。
 十数年前の学生が、教師の許可を得て、自分で学校の庭に植えた蜜柑を収穫し、
 兄花島に訪れる観光客に、自主的に配りだしたのが始まりである。

 それ以来、学生有志によって、蜜柑の配布行事は細々と受け継がれてきた。
 その事は教師も承知しており、良い社会経験になると認可はしている。
 だが、万が一トラブルに巻き込まれる事がないよう、教師や関係者が私的に引率するのが決まりとなっていた。
 ベラミ・イスナットはその関係者の一人である。
 仕事柄、下級アカデミーの学生達の努力を耳にした彼は、
 ささやかながら、自分が栽培している蜜柑の寄付を毎年行っている。
 その縁あって、近年では、ベラミが引率を求められる例も増えてきたのである。


(……とはいえ、ベラミさんで引率が勤まってたのかな……)
 蜜柑の箱を積んだ台車を後ろから押しながら、ヒロはそう思う。
 前で台車を引くベラミの背中は、なんとも頼り難く見える。

 正直な所、彼に勤まっているとは思い難い。
 ベラミはどうにも掴み処がない男である。
 同じおちゃらけた者でも、センダンの場合は、自身の好奇心に忠実だという行動原理がある。
 その点ベラミは、何を考えているのか分からない言動が目立つのである。
 そういう彼だから、どうにも不安を感じてしまう。





「はーい、ここ右に曲がりますー」
 そのベラミが、前から声をかけてきた。
 同時に台車を減速させてくるので、後ろから台車を押すヒロとセンダンは、それに合わせて動く。

 一行が通過しているのは狭い路地裏である。
 兄花島観光地区は海と山の間が短く、平地が少ない為に、家々は密集している。
 その密集した家々の間を縫うように細い路地が伸びており、兄花島下級アカデミーは路地の先にある。
 その為、どうしてもこの道を通らなくてはならない。
 直進であれば問題ないのだが、曲がる時には周囲に気をつける必要があった。 



「兄花島の下級アカデミーかあ。私、行くの始めてかも」
 隣で台車を押すセンダンが、声を弾ませながらそう言った。
「島育ちじゃありませんし、僕も初めてですよ」
「そっか。そうだよね。子供はどれ位いるのかな?」
「人数は知りませんが、クラスは一学年一クラスしかないそうです。
 兄花島の下級アカデミーはここしかないんで、居住地区の子供も通ってきますけど、
 居住地区とは言っても、住んでいるのは年配の方々ばかりですからね」
「やっぱり過疎ってるよねえ。皆、普段はどういう事して遊んでるのかなあ」
 センダンの声は、なおも嬉しそうである。

「センダンさん、なんだかわくわくしてますね」
「うん? んー……うん、そうかも」
 ヒロの言葉に、センダンは照れたような笑みを浮かべる。

「ヒロ君が暴露しちゃったけれど、昔、蜜柑を貰った時は本当に嬉しかったんだ。
 子供達と触れ合えるってのは純粋に楽しいわよ。
 それに加えて、あの嬉しさの手伝いを出来るんだからね」
「そっか。納得です」
「うむうむ。そんな事よりヒロ君、子供泣かせないようにね?」
「ぐむう」
 思わず唸り声を漏らす。

 正直な所、大丈夫だとは思っている。
 確かに初対面では怖がられるが、見知った島の子供達に怖がられる事は、それほどないのである。
 それほど、である。
 たまには怖がられる事もある。

(大丈夫だよなあ。……多分)
 どうしても自信が持てないヒロであった。





 そうこうするうちに、下級アカデミーに着いた。
 校舎は他の民家と変わらない木造建築なのだが、大きい分手入れが行き届いていないのか、ペンキが剥げている部分が目立つ。
 校庭に並んでいる遊具の数は少なく、やはりこれも古さからかペンキが剥げている。
 いかにも過疎島の学校、といった所である。

「ええと、あっちだねー」
 ベラミが校舎の横を指差した。
 それに従って進むと、校舎横に蜜柑の木が三本見えた。
 そのいずれにも、濃い橙色をした立派なヒノモト蜜柑が成っている。
 蜜柑の木の下には、四人の少女がいた。
 下級アカデミーには、六歳から十二歳、六学級が存在している。
 さすがに見た目だけでは、少女達の年齢が幾つなのかピタリとは分からなかったが、
 いずれも、上級生であるようには見受けられた。



「やーやー、皆元気かーい?」
 ベラミが台車を止めて、大きく手を振りながら声を掛けた。
 すると、少女達は顔を太陽のように輝かせて、ベラミに駆け寄ってくる。

「わあ、ベラミだ!」
「いらっしゃい、ベラミー!」
「ベラミ、終わったら一緒に遊ぼうよ!」
 瞬く間にベラミを囲んだ少女達が、わいわいと声を掛ける。
 意外にも、ベラミは子供達から好かれているようだった。
 考えてみれば、見ようによっては面白いお兄さんなのかもしれない。
 なんとも微笑ましい光景である。

「ベラミ、お餅売れたよ!」
「エリちゃんの家は喫茶店してるから、お土産に買っていく人多いんだよ!」
 ……微笑ましい光景……のはずである。



「……今のは、聞かなかった方が良いんでしょうか」
「どうかしらね……」
 ヒロとセンダンが、ベラミをジト目で見ながら言う。
 そのベラミは、少女達と同じような笑顔を浮かべて、掛けられる言葉一つ一つに返事をしていた。
 少々怪しい所はあるが……多分問題はないだろう、とヒロは思う事にした。





「いやー、皆今日も元気だねえー。
 ところで、蜜柑の収穫は終わったのかいー?」
「ううん、まだ残ってる」
 先程『餅が売れた』と発言した、エリという黒髪長髪の少女が返事をする。
 他の子よりも背が高く、ベラミにも真っ先に駆け寄ってきている。
 エリの両親が開いている喫茶店にはヒロも何度か行った事があり、エリとも面識があった。
 ヒロの知る限りでは活発な子で、どうやら少女達の中心人物のようである。

「高い所のは手が届かないの。ベラミ、手伝ってよ」
「なるほど。そういう事か。それなら任せておきなさーい!」
 ベラミが力強く胸を叩く。
「このヒロお兄さんが、ばっちり手伝ってくれるから!」
 投げやりである。


「べ、ベラミさん?」
 突然話を振られたヒロは、思わずベラミの名を口にする。
「だってヒロ君、背が高いじゃないのさー」
「あ、そうか。確かにヒロ君適任かもね」
 隣のセンダンも、ベラミに同意した。
「む、むう……」
 ヒロがまた唸る。

 手伝うのは、やぶさかではない。
 問題なのは少女達の反応である。
 エリの他に、もう一人面識がある少女がいたが、残りの二人とは初対面である。
 一応センダンには『怖がられていない』とは言ったが、子供に接する役は、なるべくベラミとセンダンに任せたかった。


 ベラミの言葉を受けた子供達は、じっとヒロの顔を見つめている。
 この顔が、数秒後にどう変化するのだろうか。
 どうしても、最悪のケースが脳裏に浮かんでしまう。
 それを振り払うように、ヒロは精一杯の微笑みを浮かべてみせた。



「そ……それじゃあ、蜜柑を収穫しちゃおうか」
「「「「………」」」」

 子供達は無言である。
 やっぱり、怖がられているのだろうか。
 汗が流れ落ちる。


「うん、ヒロお兄ちゃん、頑張って!」
 だが、違った。
 エリが口火を切ってそう言い、破顔する。
 それに続くかのように、他の少女達もヒロに笑いかけながら、収穫を促すような言葉を掛けてきた。





(お、おお、おおおっ……)
 内心、狼狽の声を漏らす。

 少女達の笑顔と反応が、ただただ眩しかった。
 怖がられなかった。
 むしろ、歓迎されたのである。
 ヒロ・タカナが、である。

「くくくっ……」
 そんなヒロの心中が読み取れるのか、隣のセンダンが口に手を当てて、笑いを押し殺していた。
 だが、そんなセンダンの笑いも気にならない程、ヒロは感動していた。







 ◇







 蜜柑の収穫はすぐに終わってしまった。
 子供達が収穫できる位置のものは、既に収穫し終えていた上に、
 蜜柑の木も三本しかないのだから、それほど時間がかかるものではない。
 収穫後は、ベラミが持ってきた蜜柑も加えて、全て袋詰めにしてしまう。
 これを、基本一人一袋として配るのだ。

 一袋の中身は三つ程と、ささやかな数である。
 だが、それだけでも、貰うと嬉しいものでもある。
 その経験者のセンダンは、早々に少女達と打ち解け、雑談に興じながら蜜柑を詰めていた。
 ヒロも同様に蜜柑を詰めつつ、そんなセンダンを見ては、内心感心する。

 この少女達は自分を怖がりはしなかったが、
 それでも、やはり人と打ち解ける事に関しては、センダンが上手である。
 三人の少女も、センダンを気の良いお姉さんと捉えているのか、
 じゃれついたり、プライベートな質問を投げかけたりと、センダンと親しく交流している。



(あれ……三人?)
 ふと、首を傾げる。
 そう、センダンの付近には三人しかいない。
 きょろきょろと周囲を見回すと、その少女達から少し離れた所にもう一人の少女がいた。
 エリの他に面識があったツインテールの少女で、名はコヨリと言う。

 コヨリは、やや消沈した様子で蜜柑を詰めているように見受けられた。
 どうしたものか、とヒロは一瞬躊躇する。
 だが、元々面識がある事が背中を押して、ヒロはコヨリに近づいた。



「やあ、コヨリちゃん」
 努めて明るい声を出す。
 声をかけられたコヨリはハッとして顔を上げた。
「あ……ヒロお兄ちゃん」
「なんだか元気ないね。どうかしたの?」
「……うん」
 返事をしながら、エリは蜜柑の袋を強く握り締める。

「……袋詰めが終わったら、蜜柑を配りに行くんだよね」
「うん。そういう予定らしいね」
「それが怖いの」
 コヨリが小さな声で言う。
 泣いてはいないようだったが、声には明らかに覇気がない。

「怖い?」
「うん。だって、知らない人に声を掛けるんだよ?
 もしも怖い人だったら……って思ったら、凄く怖いの」
「ありゃあ……」
「皆が頑張るから、私もお手伝いはするよ。
 だけど……本当は行きたくないんだ」
「……ふむ」
 ヒロは、どうしたものかと言わんばかりに声を漏らす。
 良い助言は即座に浮かんでこなかった。
 だが、この少女を放っておくわけにもいかない。
 ならば何と言ったものか……と考えた所で、背後から肩を叩かれた。



「あ……」
 振り返ると、そこにはベラミがいた。
 いつも通りの緩い表情である。
 だが、口の端だけは引き締まっているように見えた。

「あとで」
 ベラミは、ただそれだけ呟くと、ヒロの肩に掛けた手を僅かに引いた。

(今は何も言うな、って事……?)
 ヒロは、ベラミをコヨリを交互に見る。
 この少女が困っているのは、いくらベラミでも分かるはずである。
 とすると、おそらくはベラミに何か考えがあるのだろう。
 正直な所、心配ではある。
 心配ではあるが……少女との交流については、ベラミに一日の長があるのも事実である。
 暫し躊躇したが、ヒロは黙ってベラミに頷いた。
しおりを挟む

処理中です...