燦燦さんぽ日和

加藤泰幸

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虹の卵編

第十七話/魔法省の少女(後編)

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 マナ勉強堂を出たミクリは、大通りを横断して向かいの路地へと入っていった。
 ずいずいと足を進める彼女に対し、さすがにヒロは少々の躊躇いを覚えてしまう。
 近道を知っていると言っていたから、この路地がそうなのだろう。

 それは良い。
 問題は、治安である。

 この一帯がスラムと言われる理由は二つある。
 一つは、身分不明な者が、この辺りの兵舎跡に不法に住み着いているという事。
 そしてもう一つが、彼らの中には物取りも少なくないという事である。



(大丈夫……なのかなあ)
 不安な気持ちを抱きながらも、前を歩く少女に続く。
 スラムの店で店番を勤める位だから、その辺りの事情は自分よりも詳しいはずである。
 そんなミクリが、こうして路地に入っているのである。
 同じ路地でも治安が良い路地なのか、それとも噂が先行していて実際にはそう危険ではないのか。
 いずれにしても、問題ないという確信があるのだろう。

 そう考えると少し気持ちが落ち着き、周囲を見回す余裕も出る。
 立ち並んでいるのは、大通りから見た時と同じく、縦方向への無理矢理な増築を重ねた兵舎跡ばかりである。
 上を見上げてみるが、建物が視界を大きく遮っていて、夕焼け空はあまりよく見えない。
 その高い兵舎跡の間を縫うように、路地は伸びている。
 そんな道なので、妙な圧迫感を感じてしまうヒロだった。





「よお、ミクリちゃんじゃないの」
 不意に、低い声が聞こえてきた。

 反射的に背筋を伸ばして奥を見ると、路地の交差点から若い男が姿を現していた。
 シワでよれている衣服を纏っていて、更にそれを着崩している。
 肌は浅黒く、額には傷跡のようなものも見える。
 格好を見る限りでは、チンピラである。
 だが、彼らは歯を見せてニコニコと笑いかけていた。
 声をかけられたミクリにも、身構えたりする様子は見受けられない。



「と……もう一人いるな。後ろの怖い顔したお兄さんは新入りかい?」
 男がヒロを見ながらそう言う。
 思わず会釈をすると、きししししっ、と子供のような笑みを返された。

「いや、この人はうちの客だよ。ちょっと港まで案内をね」
「なるほど。近道を通ってるってわけか。俺も一緒に行こうか?」
「不要だ」
「わはははっ! そうか、いらねえかあ!」
 男が豪快に笑って見せた。
 なんとも、気の良い男である。

「それじゃあ俺は行くから。陽も暮れるし、気をつけろよー」
 男はそうミクリに忠告すると、ヒロ達とすれ違って去って行った。





「……あの人、知り合いなの?」
 ミクリにそう尋ねる。
「知り合いだ。色々と阿漕な仕事をしているらしい。いわゆるゴロツキという奴だな」
「ゴロツキ……の割には、優しかったけどね」
「知り合いだからな」
 ミクリがまた歩き出した。
 ヒロもそれに続くと、ミクリは話を続ける。

「スラムに住む人々は、皆はみ出し者だ。
 そして、互いの生活環境を知っているからこそ、協力し合っている。
 だから、さっきの彼も友好的なのだろう」
「なるほど」
「家族のようなもの……と、祖父は言っていたな。
 ……だが、私には一つ分からない事がある」
 ミクリは、なおも振り返らずに話し続ける。


「生活上、助け合うのは理解できる。
 だが彼らは、私が魔法省の人間である事を知っても、蔑まないのだよ」
「……それって、当然の事じゃないの?」
「いや。魔法とは蔑まれるものだ」

 ミクリが振り返った。
 ヒロは思わず息を呑む。
 瞳が僅かに憂いを帯びているような気がした。
 だが、口ぶりには何の変化もない。
 もう一度よく見れば、瞳は元に戻っている。
 陽が暮れかけていて、見間違えたのだろうか。



「ヒロも、魔法が未だに再現できていない事は知っているだろう?」
「うん。それくらいは」
「だから、公務員である魔法省の人間は、税金の無駄なのだよ」
「い、いや、そんな事は……」
「そんな事はある。研究の結果、少々の副産物が産まれようと、魔法自体を再現できない限りは無駄だ」
「………」
 瞬時にフォローの言葉が見つからない。
 彼女の理屈は、確かに筋が通っているかもしれない。

「……そういうわけで、スラムの皆が私を嫌わない理由が、理解できないのだよ」
「………」
「社交辞令かもしれない。だが、それにしては悪意を綺麗に包みすぎているしな」
「………」
「君は、どうなのだ?」
「えっ?」
 ミクリが、一歩近づいてきた。
 ヒロを見上げるように、顎を上げている。
 ヒロの背が高いせいで、顎だけではなく、背を反らすような格好になっていた。




「君は店で、魔法省の者である事を褒めた上に、研究職について尊敬もしてくれた。
 あれも、社交辞令なのか?」
「………」
 ヒロは即答せず、眼下の少女を見つめる。

 ミクリは、無感情の表情と瞳をしていた。
 ふと、まだ彼女の笑顔を見ていない事に気がつく。
 何故、十五の少女がこのような顔をしなくてはならないのだろうか、と思う。
 魔法を学ぶだけで、そうなってしまいのだろうか。
 それは少々飛躍しているかもしれない。
 所詮は、初対面である。
 答えは、ヒロには分からない。
 ヒロは気を遣わず、思った事を口にする事にした。



「……共感できるんだ」
 ヒロは優しい声を出す。
「共感?」
「うん、そう」
「………」
 ミクリはまだヒロを見上げている。
「……魔法って、言ってみれば人間の可能性みたいなものだよね」
「解釈は人それぞれだが、私は同感だな」
「実は、僕の父が上級アカデミーで精霊学を教えているんだけれど……」
 そう言いながら、父のダイスケの姿を思い出す。
 その次に、ダイスケの言葉を思い出す。

「………」
「父は、精霊が、生命の新たな可能性になると信じて、研究に打ち込んでいる」
「ふむ……」
「僕は子供の頃から、そんな父の影響を受けて育ってね。
 だから、精霊と魔法という違いはあっても、ミクリちゃんが『可能性』を追求している事には凄く共感できるんだ」
「……そうか」
 ミクリが顎を引いた。
 一呼吸置いてから、またヒロを見上げてくる。

「なあ、ヒロ」
「うん?」
「君の苗字「おおっ、獲物がいるじゃねえの!」」

 ミクリの言葉は、突然聞こえてきた男性の声にかき消された。
 その声に反応して二人が首を曲げる。
 視線の先には、先程遭遇した男と似た格好をした男が三人いた。
 だが、内面は先程の男とは全く違うと、ヒロは直感する。
 彼らの言葉遣いや口振りは、明らかに物取りのそれであった。





「……ねえ、ミクリちゃん」
「なんだ?」
「スラムは家族じゃないの?」
「仲が悪い家族もいる」
 淡々と言ってのける。
 困ったものである。


「そこのお二人さん、用件は分かってるよな?」
「俺達も面倒は嫌だからさ。素直に頼むよ」
 男達がヘラヘラ笑いながら近づいてくる。
 反射的に、ヒロはミクリの前に出た。
 前に出たは良い……のだが、これからどうしたものか、まだ何も考えていない。



(どうしよ、怖いなあ……。
 いや、ミクリちゃんがいるんだし、怖がっていられない。
 ……とりあえず、逃げるしかないよね。
 それは良いとして、何か武器とか持っていたら、捕まった時に厄介だな……)

 ヒロはまず、相手を観察する事にした。
 だが暗さの為に、手先まではハッキリと見えない。
 ヒロは眉間にシワを寄せながら、思いっきり目を凝らす。
 
 ……それによって、ヒロの顔は人間を辞めた。





「ひ、ひいっ!」
 男達が引きつったような声を上げた。
 発見時には遠目だったが、ヒロが前に出た事で、その顔を目の当たりにしたのである。
 普段のままでも、悪魔と身間違えられる事もあるヒロである。
 その彼が、一層しかめた顔を目の当たりにしたのである。

「ひぎゃああっ! 失礼しましたあああっ!!」
 三人とも踵を返し、悲鳴を上げて逃げ出してしまった。
 俊敏な動きで、すぐに彼らの姿は見えなくなってしまう。
 路地には、ヒロとミクリだけが取り残される。
 突然の事に、二人とも呆気にとられていた。





「……そういえば、ヒロは怖い顔だったな」

 ミクリが、思い出したようにそう呟いた。







 ◇







 途中でアクシデントがあったものの、ミクリが案内してくれた近道のお陰で、
 この日最後のヒノモト諸島便が出航する前に、ヒロは港に辿り着く事ができた。

 陽はもう完全に落ちていて、港は夜闇に包まれている。
 気温はぐっと低くなり、季節はもうすぐ冬に差し掛かる事を感じさせた。
 闇の濃度は秋に比べれば濃く、その分、その中で輝く民家や星やマナの輝きは美しかった。



「間に合ったようだな」
 まだ港を発っていない小型の客船を眺めながら、ミクリが少し安堵したような声を漏らした。
「うん。ミクリちゃんのお陰だね。ありがとう」
「店を出る時にも言ったが、私は借りを返しているだけだ。
 礼を言われるような事はしていない」
 街灯の下で、ミクリは首を横に振る。

 そんな彼女を見ながら、なんとも不思議な少女と知り合ったものだ、と思う。
 ヒロにとっては、好ましい出会いである。
 趣味が近い者というのは、なかなかに出会えるものではない。

 ただ、少々無愛想ではある。
 それに加えて、影があるような気もする。
 初対面でそれをどうこうしよう、という程おこがましい事は考えていなかった。
 だが、助力を求められる事があれば、応えたい位には思う。

 どうして、それ程彼女に入れ込めるのだろうかと自問すると、答えはすぐに見つかった。
 趣味だけではない。
 もう一つ、同じ事がある。
 志だ。
 父以外で『可能性』を追い求めている者と出会うのは、初めてなのである。




 ……いや。
 本当に、初めてだろうか……?




「それじゃあ、私はこれで帰る」
 ミクリがそう告げた。
 ヒロは考えるのを止める。

「あ、うん。気を付けてね」
「帰りは大通りを歩くから大丈夫だろう。
 ……ところで、帰る前に一つ良いだろうか」
「うん?」
「ヒロは兄花島の海桶屋という民宿で働いているのだったな」
「そうだけれど?」
「うむ……」
 ミクリが右手で左の肘を掴む。
 頬に朱が差した気がする。
 少し言いよどむような様子を見せたが、言葉は途切れなかった。


「……今度、訪ねても良いだろうか」
「あ……もちろん!」
 予想外の提案だった。
 ヒロは口元を嬉しげに緩めながら頷く。
「観光したかったら、ばっちり案内するから任せてよ」
 一瞬、ベラミの事を思い出したが、すぐに脳裏から蹴飛ばしてしまう。
 彼が絡めばろくな事にはならない。

「宜しく頼もう。なんせ、島と君に興味があるものだからな」
「へ……僕にも?」
 思わず、すっとんきょうな声が出た。
「ああ、ヒロにだ。なんせ君は、ダイスケ・タカナ氏の息子なのだろう?」
「そうだけれど……お父さんの名前って話したっけ?」

 ミクリの謎めいた興味を一度棚上げして、今日の発言を思い出す。
 父の事は話したが、父の名前は話していないはずだ。
 苗字さえも話していなかった気がする。





「いや、聞いていないが、知っている」
「どうして……」
「話せば、船が出てしまう。また今度にしよう」
 その言葉を受けて振り返る。
 乗船口の係員が、しきりに腕時計を気にするような仕草をしていた。

「ほら、行きたまえ。また会おう」
「あ、うん」
 癖になっている、間の抜けた返事を返す。
 その返事を受けたミクリは、左手を掲げて別れの挨拶をすると、去ってしまった。


「……むう」

 ヒロが唸る。
 一体どういう事なのだろうと考え込みかけたが、そのような事をしている暇はなかった。
 切符は既に購入していたので、受付には立ち寄らず、乗船口で切符を渡して船の一階に乗り込んだ。

 一階は馬を載せるスペースになっているのだが、今日は一頭も載っていない。
 二階の客室に上がると、既に乗船している客は五、六名しかいなかった。

 船の最大定員は五十名で、その分客席は広く、ほぼ座り放題である。
 ヒロは後列の席に座って、無意識のうちに外を眺めた。
 かぼそい月明かりに照らされて、鳥が滑空しているのが見える。
 滑らかに空を滑っているその様は、まるで紙飛行機のようだ、と思う。





「……あれ。紙飛行機……?」
 ふと、その言葉に既視感を感じた。

 鳥を見たわけではない。
 最近、どこかで紙飛行機を見た気がする。
 ……そう、確か父のラボだ。
 あの紙飛行機に書かれていた質問は、確か……。





「ああっ!!」
 思わず大きな声を出してしまう。
 一つの仮定が、ヒロの中に浮かび上がった。
 それと同時に、客船がぼぉぉ、と低く重い汽笛を立てる。
 船は、緩慢な動きで港を離れていった。
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