燦燦さんぽ日和

加藤泰幸

文字の大きさ
上 下
33 / 54
虹の卵編

第十七話/魔法省の少女(前編)

しおりを挟む
「全部空振りか……」

 ロビン西部地区の地下街から地上に上がってきたヒロは、そう呟きながら頭を掻いた。
 この日彼は、一人でロビンに来ている。
 それも、仕事ではなく、私用である。
 理由は一つ。
 先日、ウィグがくれた虹の卵の件である。

 虹の卵は、ウィグの説明通り全く孵る様子が無かった。
 とりあえずフロントに飾ってはみたものの、一体何の卵なのかはヒロもセンダンも気になる所で、
 予約客がいないこの日、ヒロは店番をセンダンに任せて、ロビンに出かけた。
 向かったのは、ロビンの西部地区は地下街に存在する、古書店群である。



 ――西部地区地下街は、西部地区の中でも中央地区寄りに広がっている、古い地下通路である。
 元々は、市場通りが混雑する為、それを避けて移動できるように作られた歩行用の通路なのだが、想定外の利用者が多かった。
 市場通りに店を構える事ができず、代わりに地下通路に露天を開く者が多数現れたのである。
 結果、地下通路は地下街へと変貌を遂げるのであった。

 古書店群は、その地下街の一角に立ち並んでいた。
 細かい事に構う余裕のない経営者が多いのか、本を乱雑に積み上げ、水漏れや埃で本が傷むのも厭わないような、杜撰な店が多い。
 だが、読む事ができれば、それは本に代わりはない。
 学生時代のヒロを含む貧乏学生達は、よくここで本を立ち読みしていた。
 なかなかどうして、掘り出し物が見つかる事が多いのである。
 この日もその可能性に期待していたのだが……その結果、収穫はなし。
 幾つかの専門書は見つかったが、どの本にも虹色の卵に関する記述は無かった。


「帰って『卵の事は何も分かりませんでした』なんて報告したら、センダンさん、へそ曲げるだろうなあ」
 ゲンナリとしながら、帰宅後の光景を想像する。
 センダンも来たがったのだが、二人で来ても仕方がないと、どうにか説得して来たのである。
 その分だけセンダンがすねるのは、火を見るよりも明らかだった。
 帰るのが少しばかり億劫になり、港の方に向かう足取りは、自然と重いものになった。





 ……ヒロは溜息をつきながら、港に通じるスラムに入る。
 今日は、馬ではなく客船でロビンに来ていた。
 用事があるのは西地区のみの時は、船で移動した方が、馬を借りるよりも安上がりな為である。
 十月ともなれば、陽が暮れるのは早い。
 まだ夕方ではあるものの、辺りには明かりを点けている建物が多かった。
 治安が心配になり、早めにスラムを抜けてしまおうと、小走りで移動するヒロの視界に、ふと一つの看板が入った。



「マナ勉強堂だ……」
 看板に書かれた文字を読み上げる。
 看板の傍には二階に続く階段があり、その先にはマナの販売店がある。
 以前、ナポリと一緒に来た事がある、無愛想な老人が店主の店である。
 そう言えば、最近仕事が忙しくて、マナで遊んでいない事をヒロは思い出す。

 考える事、数秒。

 ヒロの頭の中で、小さなヒロがグッと親指を突き立てた。
 行っちゃえ! である。





「……ち、ちょっとだけ。まだ船が出るまでには時間あるし」
 確かに、船が出るのに時間はある。
 とはいえ、陽が暮れるのは待ってくれない。
 先程まで案じていた治安の問題はどこへやら。
 ヒロは小走りで、マナ勉強堂に続く階段を上がって店の扉を開けた。

 外はもう陽が沈みつつあるというのに、店内には明かりがともっていない。
 その為に、店の様子が良く見えなかった。
 ごめん下さい、と声を出すと、店の奥から物音が聞こえた。


「はい」
 物音から遅れて、小さい声も聞こえてきた。
 明らかに、老人の声ではない。
 少女の声のようだが、抑揚が利いている。

(あれ……店主さんの声じゃない。バイトさんかな)
 ヒロは目を凝らして、声の聞こえた方を凝視する。
 同時に声の主も、店の暗さに今更気がついたのか、卓上ランプをつけた。
 ぽぉっ、と明かりが球状に広がり、声の主が明らかになる。




 そこにいたのは、まだ十五歳前後と思われる少女だった。
 肌の色は白く、銀髪を一本縛りにしていて、顔立ちは整っている。
 肌や髪の淡い色とは異なり、衣装は緑を基調とした濃い色をしていた。

「………」
 少女はじっとヒロを見てくる。
 ヒロの知っている店主とは色々と正反対であったが、一つだけ共通点があった。
 笑わないのである。
 接客用の笑顔を浮かべずに、無表情でこちらを見てくるのである。
 どことなく、歓迎されていないような印象さえ受けた。

(い、いや……外見で判断するなんて、酷い事だよね。
 ごめんね、本当にごめんね)

 だが、ヒロはすぐに首を横に振る。
 第一印象を打ち消しつつ、心中で彼女に謝る。
 外見で判断される悲しみは、彼が最も良く理解している事だった。





「……あ」
 少女がぽつりと呟く。




「君は、元・上級アカデミーの学生だね?」
 相変わらず落ち着いた調子で、少女は言葉を続けた。











 燦燦さんぽ日和

 第十七話/魔法省の少女










「ええと……なんで僕の事を知ってるの?」
 ヒロは思ったままの事を尋ねながら、少女を凝視する。
 瞳は切れ長で、それに沿うように眉も細く長い。
 美形の類である事は間違いない。
 明らかに年下に見えるが、可愛いというよりは綺麗という言葉が適切であるように感じられた。


「祖父から聞いたのだよ」
 少女は淡々と答える。
「祖父……?」
「ここの店主の事だ」
「ああ、あの」
 ナポリと来た時に、老人の店主に、上級アカデミーで勉強していた事を話していた。
 あの店主の孫と考えれば、年齢は合致する。
 おそらくは、何らかの理由があって不在である店主の代わりに、店番を務めているのだろう。

「でも、聞いたって何を……」
「酷く恐ろしい目付きの、上級アカデミー卒の男が来たと聞いたんだよ」
「あ、なるほど」
 かっくりと肩を落とすが、同時に納得する。
 なるほど、見分けられるはずである。



「………」
 少女は、それ以上は何も言わずにまじまじとヒロを見つめていた。
 物珍しさというよりも、観察といった感じだろうか。
 怖がられる事には慣れていても、その様に見られるのは初めてで、ヒロは視線を外してしまう。

「……何か?」
「いや……その目つき、怒っていないのだな?」
「うん。これが素だよ」
「そうか。なら良かった。私は人を怒らせる事がよくあるのでな」
 少女が一人でうんうんと頷く。
 相変わらず、不躾な物言いである。
 人を怒らせる理由にはそういう所もあるのかもしれないが、ヒロはあまり気にしなかった。

「で……特に御用が無ければ、品物を見たいんだけれど、良いかな?」
「駄目」
 淡々と言う。
「駄目って……」
「その前に、マナの話をさせて欲しいのだよ」
「……ふむ」
 思わず脱力したヒロだったが、すぐに回復してしまう。
 元々、眺める位の気持ちで入店していて目的はなかったし、
 マナの話ができるのなら、それはそれで良い。



「まあ、構わないけれど……その前に、まだ自己紹介してなかったよね」
「そう言えば、そうか」
 少女は小さく頷く。
「僕はヒロ。兄花島の海桶屋って古民宿で働いてるんだ」
「ミクリ・トプハムだ」
「ミクリちゃん……で良いかな?」
「好きに呼んでくれて構わないぞ」
「じゃあ、ミクリちゃん。マナの話というと……?」
 ヒロはミクリとの距離を詰めながら聞く。
「うん。ヒロは上級アカデミーに通っていたのだろう」
「そうだけど」
「学科は?」
「精霊学」
「精霊学か。よし」
 ミクリが勝手に頷いた。
 何が良いのだろうか。
 それを尋ねようとする前に、ミクリは話を始めた。

「では聞きたいのだが、精霊戦争において、精霊弾圧側が提唱した人間独立論が知っているな?
 あの理論では触れる程度にしか述べられていなかった『マナによる人間の堕落』だが、
 やはりあれは、それ以前の人間の歴史において、堕落と挙げ連ねる事ができる失点が少ない為に、
 人間独立論においては、軽視されているのだろうか」
「!!?」
 ヒロは思わず目を白黒させる。
 とんでもなく専門性の高い質問なのである。
 中級アカデミーでも、そのような提唱があったという事しか習わず、中身まで学ぶのは上級アカデミーレベルだ。
 その中身についての解釈を求めている。
 ミクリのような少女の口から出るとは到底思えない事なのだ。

「どうなのだ? ヒロの思う範疇で話してくれれば良いんだ」
 淡々と聞かれる。
「……ああ、えっと」
 ヒロは、言葉を濁しながら時間を稼ぐ。
 同時に、彼女の言葉を反芻しながら、自分なりの見解を組み立てた。

 なんとかそれを口にすると、ミクリは矢継ぎ早に次の話を投げかけてきた。
 これまた難しい話で、思った事をぽんと口にできず、話すのに一苦労である。
 何故この少女が、そうもマナに詳しいのかという疑問について考える余裕もない。
 そして、その様な会話が五分程続くと、ミクリはおもむろにノートを取り出し、会話の内容を書き留めだした。





「あの……ちょっと、良いかな?」
「なにかな」
 彼女の意図が分からなくなり、ヒロは頭を掻きながら尋ねる。
 一方のミクリは、ペンを走らせ続けながら返事をした。

「マナの話を聞いて、メモまで取って、それをどうするの?」
「仕事なんだ」
「仕事というと、マナ勉強堂さんの?」
「いや、そっちではない。
 ……ああ、そうか。すまない、話していなかったな」
 ミクリは顔を上げ、それから立ち上がった。
 その立ち姿を見ても、やはり十五歳位にしか見えなかった。



「私は魔法省の研究員なんだ。先程の質問は、研究に関するものでね」
「魔法省?」
 ヒロは思わず顎に手をあてがう。
「……あそこに入るには、上級アカデミーを卒業していないといけないよね?」
「その通りだよ。加えて言えば、高度な学力が求められる」
「だよね。だけれど……失礼だったらごめんね。その、君は……」
「ああ、年齢は先月、十六になったばかりだ」
 ヒロの見立ては間違っていなかった。
 十六歳なら、まだ上級アカデミー一年のはずである。


「飛び級だよ」
 ミクリがなおも言葉を続けた。
 その一言に、ヒロはようやく合点がいく。
 五つも飛んでいるのには度肝を抜かれたが、その点に目を瞑れば辻褄があっている。
 しかし、五年分である。
 飛び級なのに、とんでもない飛びっぷりである。


(……天才って、こういう子の事を言うんだろうか)
 そんな事を考える。
 確かに、どこか神秘的で、特殊な雰囲気の少女ではある。
 物言いからも、その様なイメージを持ってしまうのかもしれない。



「……まだ分からない事が?」
 ミクリが発言する。
 その言葉を受けて、知らず知らずのうちに彼女を見つめていた事に気がつき、ヒロはばつが悪そうに頭を左右に振る。

「いや……凄いな、って思って」
「………」
「その歳で魔法省に入れる事も凄いし、研究職に就いている事も尊敬するよ」
「……そうか」
 ミクリが目を伏せた。
 本音を口にしたつもりだったが、気分を悪くさせただろうか。
 どうにも、分からない所がある少女である。
 船の時間もあるし、長居は無用かもしれない。





「さて……そろそろ帰るね」
「帰る? マナを見に来たのではなかったのか?」
 ミクリが顔を上げる。
「そうだけれど、特に目的があったわけじゃないんだ」
「ふむ」
「それに、これ以上遅れると船に間に合わないかもしれないから」
「……私と話し込んだせいだな」
「いやいや、違う違う。そういう事じゃないよ」
 ヒロは慌ててミクリの言葉を否定する。
「違わないぞ。私と話し込んで時間が掛かったのは事実だ」
 ミクリは淡々とそう言った。
 それから、すくっと立ち上がり、ノートを閉じてしまう。



「港まで送ろう。近道を知っている」
「そんな……悪いよ。お店だってあるでしょ?」
「どうせ客はこないよ」
 どこか、シンパシーを感じる返答である。

「でも……」
「気にするな。話し込んでいなかったら、私も送らない。
 借りを返しておくだけだ」

 そう言い放つと、ミクリは店の出入口の方へスタスタと歩き出した。
 ミクリが歩き出してしまっては、止めようが無い。
 彼女に流されるように、ヒロも慌てて店を後にした。
しおりを挟む
■ 返信 ■
作品に対するご感想のみ、こちらのアルファポリス掲示板に返信を取りまとめています。

■ イラスト ■
シリーズ毎の表紙絵は『竜伐祭編』『虹の卵編』よりご覧頂けます。
身内の者に描いてもらっています。
感想 4

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

処理中です...