燦燦さんぽ日和

加藤泰幸

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竜伐祭編

第十四話/竜伐祭(後編)

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 竜伐祭の後半には目玉となるイベントが多い。

 まずは、精霊歌歌手によるナポリの歌唱。
 例年にはなかったこのイベントを楽しみにしている客は多い。
 島外からの参加者の大半、特に女性層は、ナポリが引き連れてきたと言っても過言ではないだろう。
 楽器の調達が間に合い、竜伐祭を平穏に終える事ができれば、今年の竜伐祭が成功した最大の要因となる。

 それが終われば、すぐに例年行事である花火が開始される。
 昨日、ヒロら設営班が建てた藁の竜が、海に向かって花火を口から吹き出すのだ。
 火薬の量はそう大したものではないのだが、それが夏の残り火のようで、知る者にとってはこれも評価が高い。

 そして最後に、廃材や竜の藁を掻き集めての焚き火である。
 これら数々のイベントを目当てにしていたのだろうか、海沿い広場は、時が経つにつれて密度を増していった。
 ナポリの歌唱イベントの前には、イベントステージ前の椅子が埋まるのは当然の事、
 立ち見の客も大勢押しかけ、広場の海側半分は、ほぼ人で埋め尽くされるような状態となっている。

 センダンが時間を稼ぐ為に上がったのは、
 その様な、熱気に包まれたステージなのであった。





「はーい、皆様、お元気ですかー!」
 ステージに上がったセンダンは、観衆に元気良く手を振った。
 現在ステージに上がっているのは、センダン一人である。
 本来予定していた司会者の女性もいたのだが、事情を聞かされた司会者は尻込みした。
 またセンダンも、引き伸ばしをするには一人の方がやりやすかった為に、彼女は一人でこの舞台に立っていた。


(本当は、一人よりも相方がいた方がやりやすいんだけれど、笑いには間や空気があるからねえ。
 ある程度は知っている人じゃないと、なかなか……ね。
 さて、と……どうしたものかしら……)
 センダンは微かに尾をこわばらせる。

 観衆には、島人と思わしき者の姿もぽつぽつと見受けられた。
 見知った彼らだけが相手であれば、引き伸ばすのはそう難しい話ではない。
 普段通り、他愛もない雑談をしていれば良いだけである。
 だが、難しいのは島外から訪れたその他大勢の観衆だ。
 彼らの目当ては、見知らぬ狐亜人のトーク等ではなく、その後に控えるナポリの歌である。
 一対一であれば、まだやりようがあるのだが、広場の半分を埋め尽くさんばかりの観衆が相手では、
 それら全員をセンダンのペースにもっていくのは、そう簡単な事ではなかった。




「私、付近の民宿に勤めております、狐亜人のセンダンと申します!
 本日は、これより控えております、皆様ご存知の精霊歌歌手ナポリさんの歌唱の前に、
 少しばかり、お話をさせて頂こうと思いまーす!」

 笑顔を振りまいてそう告げる。
 観衆からは、少々の拍手が沸きあがった。
 だが、それだけである。
 事前に予定していなかったものだから、当然といえば当然なのだが、待ちわびていた様子の観衆は一人もいない。
 皆、所在なさげに、特に力の篭っていない視線をセンダンに向けている。
 奥の方からは、ナポリの登場を急かすようなざわめきさえ、かすかに聞こえてきた。


(これは手ごわいわねえ。
 せめてヒロ君がいれば、弄って盛り上げられるんだけれど……
 むう……)
 このまま話を続けても、観衆は盛り上がりそうにない。
 内心ため息を付くが、相方は馬上の人である。
 二の句をどう繋ごうか……センダンが思案した、その時であった。





「よっ、待ってましたっ!!!」





 それは、低く、そして溌剌とした男性の声だった。
 ざわめきの中にあってよく通り、はっきりとセンダンの耳にまで届いてくる。
 観客席の中から聞こえてきたのは間違いないが、正確な場所までは分からない。
 センダンを後押しするその声に、彼女は聴き覚えがあった。

「頑張れよ、センダン!」
「あっ……!」

 また、声が届いた。
 今度は、正確な場所を特定できた。
 観客席中央に陣取っているオズマ・ダッタンが、口に手を添えて応援してくれていたのである。
 オズマの両隣には、チェックインの時に挨拶をしたオズマの妻と、まだ中級アカデミーくらいのオズマの娘の姿もあった。
 二人は、突然のオズマの一声に狼狽しているようにも見受けられる。



「……応援のお言葉、頂きました! ありがとうございます!」
 オズマの声援に、いつまでも浸るわけにはいかなかった。
 一応は、他の観衆に向けて状況の説明をする。
「おう、で、どんな話を聞かせてくれるんだっ!?」
 オズマはなおも、明朗快活な声で相槌を打ってくれた。
 そんなオズマの雰囲気や、二人のやりとりにつられて、他の観客からも笑い声が沸き起こる。
 会場の雰囲気は、一瞬で様変わりを見せていた。

「お客様からご質問も頂いちゃいました! それではまず、ご質問にお答えしましょう。
 お話といいましても、皆様ご存知の事をわざわざご説明する必要もありませんよね。
 どうやら今日は、島外からお見えになっているお客様が多い様子!
 なので、あまり島外には知られていない、兄花島の昔話『船後家と精霊歌』についてお話しましょう!」
「おお、後家さんかあ。なんだか楽しそうな響きじゃないの!」
「ま! お客様、奥様とお子様の前でそんな事言って良いのですか?」
「う、うえっ!?」
「貴方、ちょっとここを離れてお話しましょうか」
「パパったら、もうやめてよぉ!」
 オズマの妻と娘が、鬼の表情でオズマをたしなめる。
 その光景に、また周囲の観客が沸き上がる。




「あははー! お客様が大変な事になっております!
 でも、この様な家族喧嘩も平穏な現代ならではの事。
 今日お話しするのは二百年前。内乱時代のお話です……」

 オズマ達に強い感謝を覚えながら、センダンはトークを開始する。
 それと同時に胸を過ぎるのは、本来の相方の姿だった。




(ヒロ君、こっちはオズマさんのお陰で、なんとかスタート切れたわよ。
 そっちも急いでよ……!!)







 ◇







 その頃ヒロは、暗闇の中で馬を駆っていた。
 周囲に、民家の明かりや街灯は殆どなく、本来であればあまり通りたくはない道だ。
 だが、この日はその様な事を考える余裕等、一切ない。
 ヒロが馬を走らせてから、もう十分以上が経っている。
 その間、ヒロは何度もこの役目を買って出た事を後悔していた。


(も、腿が……腿がつる……!)
 本来は苦悶に満ちた表情のはずなのだが、顔の皮が風でたるみ、およそ人とは思えないような潰れた顔になる。

 馬は、ゆったりと常足で走らせて時速6,7キロ。
 馬本来のペースである速歩ならば、その倍程の速さになる。
 馬は移動には欠かせない生き物であり、その為に人々は滅多な事では酷使しない。
 よって、馬を速歩よりもハイペースで走らせるケースは、なかなかない。
 インドア派のヒロも、当然、その例から漏れた事はなかった。

 だが、馬はまだ速く走る事ができる。
 時速20キロ強の駈歩、更には全速力の襲歩という速さで走る事ができるのである。
 一刻を争うこの日、ヒロは可能な限り駈歩・襲歩で駆けていた。


 これまで殆ど経験した事のない上下左右の運動。
 駈歩ならば、中級アカデミーの体育の授業で経験した記憶があるが、知識も身のこなしも、殆ど忘れたに等しい。
 とりあえずは、振り落とされまいと腿に力を入れているのだが、それが苦しかった。
 その他の体の部位も、昨日の重労働からくる筋肉痛で悲鳴を上げている。

 馬は、常に駈歩以上の速さで走る事ができるわけではない。
 時折速度を落としては加速を繰り返しているので、常時腿に力を入れなくても良いのだが、それでも十分すぎる程に辛い。
 だが……ヒロは、馬を降りて休む事はしなかった。
 諦める訳にはいかないのだ。
 皆の協力のお陰で、部外者であるナナさえも協力してくれたお陰で、コルネットを調達できる可能性が出てきたのである。
 それを、自分の体力を原因に諦める事だけは、ヒロには出来なかった。





「……見えたっ!」
 道の奥に明かりが見える。
 ひときわ強いその明かりの正体に思い当たるものは、一つしかない。
 橋の両側に設置されている、料金場の明かりである。
 明かりに近づくにつれて、その明かりの下がはっきりと見えるようになる。
 八畳程の小さな詰所と、屋外に設置された料金箱、そして料金箱の前に腰掛けている係員。
 やはり、見えていたのは料金場の明かりだった。



「よっ、と!」
 料金場の手前で、飛び降りるように下馬する。
 誰かが近づいてきたのは向こうからも見えていたようである。
 小柄な中年男性の係員も、ヒロが下馬するのと同時に立ち上がって、ヒロの方に視線を向けてきた。

「すみません、通らせて下さい!」
「はい。通行料か身分証明書ね」
 ヒロが通行したい旨を口にすると、眠そうな目つきの係員が返事をする。
 ヒノモト諸島を結ぶ橋では、この料金場のように通行料を支払わなくてはならない。
 通行料とは言っても、子供の小遣い程度の金額だ。
 また島民であれば、身分証明書を提示する事で、無料で通行できる。


「ええと、確かここに……」
 当然、その事はヒロも熟知しており、ポケットに手を入れて小銭を取り出そうとする。
 身分証明書は海桶屋に置いていたが、取りに戻る時間が無かった為に、今回は通行料を払う事にしていた。



「………?」



 だが、ない。
 手ごたえがない。
 ポケットに入れた手に、小銭が当たらないのである。

「あれ、こっちだったっけ? あれ……?」
 慌てて他のポケットを探る。
 同時に、猛烈に嫌な予感がする。
 小銭は確かに持っていた。
 家を出る前にポケットに入れていた。それは間違いない。
 では、何故見つからないのだろうか。
 その日の行動を一つ一つ思い起こし……答えは見つかった。


「……あ、焼きそば代……!」
 目を大きく見開き、それだけ呟く。
 小銭は焼きそば代に使っていた。
 すなわち、ここを通る為の持ち合わせがないのだ。





「お、おじさんっ!」
「悪いけれど、無理だよ」
 ヒロの様子を見ていた係員も、ヒロが何を頼みたいのかは察したようで、首を横に振る。
 係員の態度は当然の事だ。
 ヒロ自身、自分の提案が非常識である事は理解している。
 だが、今回だけは引き下がるわけには行かなかった。


「お願いします! 必ず後でお金を持ってきます! だから、今回だけ!!」
「ごめんなあ。例外を認めるわけには……」
「お願いします! どうか!! どうかお願いしますっ!!」
 ヒロが係員に詰め寄る。
 そう迫ってくる者を視界から外すわけにもいかず、係員は困った様子で詰め寄るヒロの顔を見る。
 ……係員の眠そうな表情が凍りついたのは、まさしくその瞬間であった。


「っ!!?」
 青ざめた顔を電流に打たれたように震わせ、身体をびくつかせながら仰け反る。


 長らく馬を駆っていたヒロの髪は、風の力によって、文字通り怒髪が天を突いたように逆立っていた。
 やはり乗馬が原因で、彼の肌は赤々と火照っている。
 三白眼の目は、その気迫を示すように限界まで見開かれていた。
 長身の彼が詰め寄った事で、小柄な男性を飲み込んでしまいそうな威圧感が生まれている。
 まさしく、鬼。
 強面はここに極まっていた。





「ど、どどど、どうぞ! あ、ああ、後で持ってこずとも大丈夫です!」
「!! あ、ありがとうございますっ! いえ、必ず後で伺いますっ!!」
 恐怖に支配された係員は、態度を一変させた。
 だが、今のヒロにその変化の理由を考える余裕等ない。
 彼は勢い良く係員に頭を下げると、傍に留めていた馬のもとへと急いで戻った。


「ほ、本当に結構です! 私が代わりに払いますので!」
「いいえ、必ず来ます! 料金だけじゃありません!! お礼にも伺いますので!!!」
 また、勘違いされそうな言葉を口走りながら、馬に鞭を入れる。
 祭事実行委員が用意していたその馬は、なかなかの体力の持ち主で、
 大した休息を取れていないにも関わらず、恐怖に震える係員の横を風のように駆けていった。





「間に合わせる……! 必ず、間に合わせる……!!」
 再び馬上の人となったヒロが、言葉を漏らす。

 これ程の熱意を持って何かに取り組んだのは、初めてかもしれない。
 一体、何故それ程の熱意が持てるのだろうか。
 おそらくは、皆が頑張っているのに、足を引っ張るわけにはいかないという責任感だろう。
 だが、本当にそれだけなのだろうか。
 彼の中の冷静な彼が、心境の分析を始めようとする。



「くっ……!」
 だが、すぐに腿に痺れのような感覚を覚えて、分析は中断された。
 頭の片隅でさえ、その様な事をする余裕はない。
 ヒロは、馬を操る事に全神経を注ぐ事にした。

 夢見島は、もうすぐそこまで迫っている。
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