燦燦さんぽ日和

加藤泰幸

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竜伐祭編

第十四話/竜討祭(前編)

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 九月も末になり、季節はもう完全な秋に移り変わった。

 風にはほのかな冷たさが宿っており、その先に待ち受ける冬を暗示するようだ。
 木々にはじわじわと黄色いものが混じり、日差しも大分穏やかになってきている。
 その様な気候の中、雲一つない夜空の下でこの日を迎えられたのは、実に好ましい。
 
 今日はいよいよ、待ちに待った竜伐祭。
 島の人々が楽しみにしていた日。
 年に一度だけの、祭りの夜なのだ。




「それにしても、随分人が来てくれたなあ」
 ヒロはそう呟きながら、買ってきたばかりの焼きそばを、受付裏のテーブルに置いた。
 受付の仕事をこなしていた時から感じていた事だが、
 休憩時間を迎えて、緊張から開放された状態で眺めると、改めてその人の入りに驚かされる。

 島の者も島外の者も、今日は大勢がこの海沿い広場に訪れている。
 人数こそ数えていないが、地面よりも人の方がよく見えるという程度に人が押しかけており、
 祭事委員用のテーブルがなければ、座って食事をする事はまず困難だったと思われる。
 特に、海沿い広場の奥にあるステージ周辺の密集具合は凄まじい。
 タイムスケジュールによれば、いつだったかセンダンが踊った精霊に奉げる舞を、地元の子供達が披露しているはずである。
 見た目だけではなく、聞こえてくる賑やかな声からも、人の多さを察する事はできた。



「やっぱりナポリさんの影響だろうな」
 同じく休憩時間を迎えたゴウが、祭りの参加者を眺めながらヒロの向かいに座る。
 ヒロとは異なり、ゴウ食事を用意せずに煙管を取り出して噴かした。
 煙と一緒に出てきた重い嘆息が、彼の疲労を表しているようだった。

「そっかあ。ナポリさん、やっぱり凄い人なんだね」
「ロビンの都で一番人気の精霊歌歌手だからな」
「そんな人が来てくれるなんてびっくりだよね」
「びっくりって、お前が呼んだんだろ? すげえコネ持ってたなあ」
「いやあ、たまたま縁があっただけだよ」
 苦笑しながら、照れ隠しで焼きそばを掻きこもうとする。
 が、そばを箸で持ち上げた所で、口の前に邪魔なものがある事に気がついた。

「あっ……」
「お前、飯の時位はそのお面外せよ」
 ゴウが苦笑しながら突っ込む。
「あ、あはは……すっかり慣れちゃって、忘れてたよ」
「しかし、面を付けるとは考えたな。大方、センダンさんの発案だろ?」
「当たりー」
 頷きながら面を取り、今度こそ焼きそばを頬張る。
 ちとせのブースで買ってきた、サヨコと彼女の父が作る、しょぶり肉入りの焼きそばだ。
 噛む毎に、しょぶり肉の肉汁が濃厚なソースと絡まって、うまい。
 顔が綻ぶのをなんとか抑えながら、二口、三口と次々焼きそばを口に入れていく。
 こうして、祭りの空気の中で食べる焼きそばは、特に美味しく感じられた。



「早く食っちまえよ。食ったら友達を会場案内するんだろ?」
「うん。よく覚えてくれてるね」
 ヒロは感心したような口調で言う。
 今日の予約客の一組であるナナとカナに、休憩時間を利用して会場を案内する約束をしていた。
 案内といっても、二十分もあれば一通りは終えられそうなものだが、
 念を入れて、ゴウには事前にその事を報告していた。

「今朝聞いた事を忘れるかよ。遅れないように戻って来いよ。
 ナポリさんの歌に花火、まだまだメインイベントは控えてるんだからな」
「了解。ところでナポリさんは、今どこにいるの?」
 焼きそばの箸を置いてゴウに尋ねる。
 日中に海桶屋のチェックインを済ませたナポリは、休む間もなく会場の下見に向かっていた。
 歌う前に、自分が歌を捧げる精霊がいる海を見たい、との事である。
 その後は、海桶屋に戻らずに祭事実行委員の総務班と打ち合わせをしに行ったので、ヒロはチェックイン以来、ナポリの顔を見ていなかった。

「広場の入り口辺りにいたはずだが、今はどうかな……」
「広場の入り口? なんでまたそんな所に?」
「総務班から聞いた話だが、今日は楽隊が遅れて合流するらしい。
 祭りが始まって暫くした頃に着く予定らしいから、多分、もう合流完了しているだろ。
 今は、別の所で打ち合わせでもやってるのかもな」
「そっかあ。ステージの前に応援しようと思ったんだけれど」

「やあやあ、応援とはなんともありがたいものだね」
 唐突に、トーンの高い声が聞こえてきた。
 反射的に振り返ると、男がいる。
 闇夜に輝くような亜麻色の長髪と、眉目秀麗な顔付き。
 だというのに、全く似合っておらず、装着する意味もないサングラスを掛けた男性。
 他に誰がいようものか。ナポリである。

「ナポリさん、またその変装ですか……」
「うむ。似合っているかね?」
「全然似合ってませんよ」
「そうかね。それは残念だ」
 ナポリは全く惜しくなさそうに言う。

「お疲れ様です。楽隊の方々は着いたのですか?」
 ゴウが煙管を伏せながら尋ねる。
「そう……。その事でちょっと話があって来たのだよ」
 ナポリは人差し指を眉間に当てながらそう言った。
 彼にしては珍しい、曇った声。

 なんとなく、嫌な予感がするヒロであった。










 燦燦さんぽ日和

 第十四話/祭りという事・1











 受付裏にある本部テントには、ウメエが常時待機している。
 ナポリから話を聞かされたヒロは、そのウメエがあるテントへと向かった。
 ゴウとナポリ、それから途中で合流したセンダンも一緒である。
 ウメエはテントの中でビールをかっくらっていたが、ナポリが改めてウメエにも話を始めると、
 話の途中でウメエは飲むのを止め、片方の眉だけをひそめながら報告を聞いた。



「ふむ……楽隊が一人これん、か……」
 話を聞かされたウメエは、唸るようにそう呟く。

「本当に申し訳ない。急病との事です」
 本部テントにて変装をしなくてもよくなったからか、
 サングラスを外したナポリは神妙な面持ちで頭を下げた。
「こんなもん、どうしようもないわい。あんたは気にせんでええ」
「いや、私が先乗りせずに、楽隊と一緒に来ていれば……」
「終わった事じゃ。それより、他の楽隊員は?」
「います。一名急病の報告は、到着した他の楽隊員から受けましたもので」
「欠席者の楽器は?」
「コルネットですね」
「ふむう、コルネットか……」

「あ、ちょっと良いかな?」
 ウメエの言葉が一度切れたところで、センダンが高々と手を上げる。
「楽器が一つ足りないと、そんなに問題になるの?
 そりゃ、もちろん想定していた音楽にはならないだろうけれど、
 最悪、ナポリさんの歌声だけでも、十分に成立するものじゃないのかな?」
「確かにその通りですけれど、精霊歌の効果を最大限に引き出すには欠かせないものなんです」
 センダンの問いには、ヒロが答える。

「精霊歌の効果?」
「ええ。精霊歌の楽隊が使う楽器には風のマナの力が篭められているんです。
 その力のお陰で、精霊歌は風に乗り、より強く精霊を刺激する事ができるんですよ」
「でも、前にナポリさんが泊まった時は……」
「もちろん精霊歌だけでも効果はあります。
 あくまでも最大限に引き出す為……という事です」
「なるほどねえ」
 合点がいったようで、センダンは深く頷いた。
「楽隊員もいないし、そんな特殊な楽器も無いなら、難しい事態ねえ」

「いや、楽器はなんとかなるかもしれん」
 そう言ったのはウメエだった。
「隣の夢見島に、昔精霊歌の楽隊をやっていた知り合いがおってな。
 確かコルネットを担当していたはずじゃ。そこで借りてくればええ」
「おっ! もしかしてなんとかなりそうです?」
「いや、あと二つ問題があってな……」
 ウメエはわしゃわしゃと髪を掻いて口を尖らせる。
「一つは、楽隊員の代わりじゃな。コルネットを吹ける者がおらん。
 更にもう一つ。精霊歌の歌唱が始まるのは、もう間もなくじゃ。
 夢見島まで往復する時間が無い。馬を飛ばしても、時間が少々足りんはずじゃ」
「むう……」
 センダンが狐耳をたたみながら唸る。
 ない袖ばかりは振り様がない。
 人と、時間。
 残された二つの問題は大きい。
 テントの中に、重苦しい空気が出来上がる。
 




「あの……」
 不意に沈黙が破られた。
 だが、意外にもその声はテントの外から聞こえてきたものだった。
 全員が反射的に振り返る。
 テントの入り口付近にいたのは、予想外の人物だった。


「ナナちゃん!?」
 ヒロがその人物、ナナ・ナバテアの名を口にする。
「おお、この人がナナちゃんなの? すっごい綺麗な人じゃん!」
 隣のセンダンが、なぜか嬉しそうに飛び跳ねる。
 ヒロは、センダンに頷く事で返事をして、顔を改めてナナに向ける。

「あら……驚かせちゃってごめんなさいね。
 ヒロ君が約束の時間になっても来ないから受付で聞いたら、
 本部テントにいるみたいだから入って良いよ、って言われて……」
「あ、そういえば約束あったんだ!」
「うん。でも気にしないで大丈夫よ」
「いや、ごめん……」
 ヒロは沈痛な面持ちで頭を下げる。
「緊急事態みたいだし、本当に気にしないで」
「……さっきの話、聞こえてたんだ」
「ごめんね。聞いちゃった」
 ナナがペコリと頭を下げる。
 だが、すぐに頭を上げた彼女は、相変わらずのおっとりした口調で言葉を続けた。
「でも、もしかしたら私、力になれるかも……」
「うん……?」
「私、コルネットなら吹けるわ。
 練習なしだから、失敗する所もあるかもしれないけれど、
 一応、それなりには扱った経験があるの」
「!!」
 皆、あっと目を丸くする。
「ナ、ナナちゃん! その……」
「うん。私で良いのなら、お手伝いするわ。
 まずは、楽譜があれば読みたいんだけれど……」
「やあやあ、楽譜ならあるよ。楽器を取ってくるまでの間に読んでもらえれば、どうにかなるかもしれないね。
 ……その『取りに行くまでの時間』という、最後の問題が残ってはいるのだが」
 ナポリが腕を組みながら言う。

 そう、まだナポリが言う問題がある。
 楽器を取りに行く時間がないのだ。
 だが、三つあった問題のうち、二つが解決できた。
 最後の問題も何かやりようがあるのでは……
 ヒロが、そう口にしようとしたその時だった。





「よぉし、いい事思いついた!」
 センダンがぐっとガッツポーズを取りながら言った。
 もはや、提案する前から解決した気になっているのだろう。
 だが、不思議と今回は嫌な予感がしない。
 ヒロ自身も、解決の糸口が見え始めていたからかもしれない。


「時間は私が稼ぐわ! その間に、ヒロ君は楽器を借りてきてよ。
 ウメエさんの知り合いなら、ヒロ君が行った方が話が通りやすいし……」
「それに、受付じゃ僕が一番役に立ちませんからね」
 ヒロは苦笑しながらセンダンの言葉を先取りする。

「そういう事~。分かってるじゃないの!
 代わりの受付はゴウ君になんとか手配してもらおうよ」
「でも、時間を稼ぐってどうするんですか?」
「精霊歌の前のステージイベントに上げてもらうわ。
 細かい事考えている余裕なんかないから、あとはその場で考える!
 ねっ、ウメエさん! これでいきましょう!?」
 センダンはウメエに歩み寄りながら聞く。

 ウメエは、すぐに返事をしなかった。
 無表情で、この場にいるものの顔を、ひとりひとり、ゆっくりと見回していく。

 欠員の急を告げたナポリ。
 その欠員の代役を名乗り出たナナ。
 時間を稼ぐと言ってのけたセンダン。
 人員の調整に当たるゴウ。
 そして、楽器を取ってくるヒロ。

 最後のヒロの所で、ウメエの視線は止まる。
 同時に、彼女の顔は一瞬で破顔した。




「よぉし、やってみい!」
「「「「「おおおーっ!!」」」」」
 ウメエの号令に、一同は気勢を上げた。
 

「センダンさん!」
「ヒロ君!」
 気勢に続いて、センダンとヒロは互いの名前を呼び合った。
 何も申し合わせていないのに、二人とも鏡写しのように片手を上げる。
 すぱぁん、と気持ちの良い音を立てて、二人の手は交差した。
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