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竜伐祭編
第十三話/竜伐祭前夜(前編)
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兄花島観光地区には、海沿いの広場がある。
広場とは言っても、ロビンの中央広場のように美観が良いものではない。
ただ単に何も物が置かれていないだけの広場で、日頃は観光客が馬を繋ぐ為に用いているスペースだ。
そんな殺風景な広場が、この島のどこよりも活気に溢れるのが明日。
すなわち、竜伐祭の日である。
「最後のテント設営急げよ。もうすぐ竜が来るぞ!」
海沿い広場でテントを組み立てている設営班に、設営班リーダーのゴウが檄を飛ばす。
普段の気だるそうな喋り方とは異なり、今日のゴウの声は常に張りがあった。
そんなゴウの指示を受けて設営班が立てているテントは、六本の柱と布張りの天幕からなる大型で、一つのテントの下にテナントが二つ入る事が出来た。
この柱が、見た目が細い割には意外と重い。
また、テントが何かの拍子に倒れないように、地面に杭を打ち込んで、杭と天幕をロープで結ばなければならない。
それなりの力仕事となる為、設営班の男性のみが担当する事となり、ヒロを含む男性陣は、もう一時間以上テント設営に取り組んでいた。
「うう、力入らない……」
だらりと腕を下げて、ヒロは最後のテントへと向かう。
大して体力のない彼にとって、この労働はなかなかに過酷であった。
明日が祭りの本番だというのに、筋肉痛確定コースである。
「おい、ヒロ!」
そこへ、背後から声をかけられた。
振り返ると、ヒロよりも一回り年上の設営班の短髪の男性がいた。
まだ名前と顔が一致していないが、がっしりとした体付きなので、内心ではマッチョさんとあだ名をつけている。
「はは! どうやら大分疲れているみたいだな」
マッチョさんは笑いながら、ヒロの背中を平手で元気付けるように叩いてきた。
「いや、これ位まだまだ大丈夫ですよ」
「そう無理をするな。最後のテントに全員で取り掛かる必要もないし、ヒロは先に休んでいて良いぞ」
「……ありがとうございます」
にこりと笑いながら礼を言う。
「はは! お前の笑顔は相変わらず怖いなあ!」
マッチョさんはまたヒロを笑い飛ばし、最後のテントへと向かっていった。
その背中を見送っていると、代わりに向かいからゴウが近づいてくる。
タオルをバンダナのように頭に巻いていて、タオルからパーマは、汗でぐっしょりと濡れていた。
指示に限らず、設営作業も担っている為に相当疲れているはずなのだが、瞳は爛々としていて覇気に満ちている。
どうやら、相当気合が入っているようである。
「お疲れ。テントはあと一つだから、お前は休んでろよ」
「さっき、そう言われたよ」
「そうか。最後に大仕事があるから、宜しく頼むぞ」
「了解」
「よし」
ゴウは満足そうに頷くと、ズボンの後ろに差し込んでいた団扇を取り出して自身を扇いだ。
小刻みに顔へ風を送りながら、彼はまた口を開く。
「そうだ。お前、明日はどうなりそうなんだ?」
「あ、それなんだけれど」
ヒロは両手を打つ。
「明日は、僕もセンダンさんも、お祭りの手伝いができそうだよ」
「店はどうするんだ? 宿の飯の時間に丸被りだろ」
「それなんだけれど……予約してくれたお客様に事情を説明したら、夕食無しのプランで良いって言ってくれたんだ。
全員お祭りに来るから、夕食はお祭りの出店で済ませてくれるんだって」
「全員か。そりゃありがてえが、本当に良いって言われたのか? 無理して貰わなかったか?」
ゴウは少し不安そうな声で言う。
「本当に大丈夫だよ。予約してくれたお客様の殆どが友人だから」
「なるほど……」
「そういうわけで、明日は僕もセンダンさんも、何でも仕事振ってくれて良いよ」
「ふむ」
ゴウが団扇を止めて考え込む。
「……分かった。多分、二人とも受付に入ってもらうと思う。
他の人を割り当ててはいるんだが、何分少数でな」
「分かった」
「具体的な仕事は、明日、他の担当者に聞いてくれ。急で悪いが宜しく頼むぞ」
ゴウが会釈程度に頭を下げる。
それから、彼は広場の入り口の方へと歩いていった。
一人残ったヒロは、近くにあったベンチに腰掛ける。
大きく息を吐いて、ようやく訪れた休息を味わいながら、周囲を見回した。
長方形状の海沿い広場には、外周に合わせてテントが立ち並んでいる。
海側の面にはイベントステージが設置されていて、明日はナポリが、楽隊を引き連れてそこで歌う事になっていた。
それ以外のスペースには、イベント観覧用の椅子や、飲食用のテーブルが並んでいるが、広場の中央には何も置かれていない。
聞いた所によると、祭りの最後に予定している焚き火は、この中央スペースで行うらしい。
「いよいよか……」
感慨深そうに呟き、空を見上げる。
九月末ともなれば、陽が落ちるのは大分早くなっており、まだ午後六時前だというのに空は茜色になっている。
祭りの話を持ちかけられたのは、四月末だった。あれからもう五ヶ月が経っている。
あまり感慨深い気持ちは沸いてこない。
前日であるこの日こそ忙しいが、それまでの準備はそれ程でもなかったからだろう。
それよりは、祭りを楽しみに思う気持ちの方が強い。
これだけ疲れたのに、今晩は寝つき難いかもしれない。
「おおい、竜が来たぞぉ~。竜が来たぞぉ~!!」
海沿い広場入口の方から、誰かの声が聞こえる。
そちらに視線を移せば、複数の馬が荷台を引いており、ちょうど広場の入口に差し掛かろうとしている所だった。
燦燦さんぽ日和
第十三話/竜伐祭前夜
「これが竜かあ」
海沿い広場の海側に運ばれた藁製の竜を前にして、ヒロのテンションは上がった。
話に聞いていた通り、全長十メートル程の藁製の竜で、横になっていても迫力は十分に伝わってくる。
人が抱きついても手が回りきらない位太い鉄製の柱に、収穫を終えたばかりの藁が巻き付けられており、竜はその柱を蛇行するようにして括りつけられていた。
竜の頭部には、花火が仕込まれた竜の顔飾りが付いている。
金色で塗られた目玉がぎょろぎょろとしていて、子供が見たら怖がりそうな顔つきだ。
「どうだ、なかなかのものだろ?」
ゴウがそう言いながら、竜の胴を軽く叩く。
「今からこいつを、海の方を向けて起こすんだ」
「そっか。明日は花火をするんだから、危なくないようにしなきゃね」
「おう。俺は声をかけるから、お前はしっかり押し上げてくれよ」
「なかなか重そうだあ……」
「全員でかかりゃあ、どうって事ないさ。よーし、始めるぞ」
ゴウがそう言いながら手を振って合図をすると、設営班男性陣が一斉に動き出した。
まずゴウが、柱を起こす為のロープを、柱の頂点に速やかに四本結びつける。
そのロープを手にした体格の良い四名が海の方に歩き、それとは別に若干名が柱の付け根の所で構えた。
ゴウはロープを持った四名よりも更に海側に立ち、全員を見渡せるようにしている。
残されたヒロを含む他の設営班は、柱を掲げる為に均等に並んだ。
「ロープぅ、引けぇ!」
ゴウが腹の底から声を出す。
それに反応して、ロープを持った男達が海側にロープを引くと、柱が頂点からゆっくりと持ちあがった。
同時に柱は海側にスライドするのだが、根元には細長い穴が掘られていて、柱の根元はその穴に埋まるようになっている。
根元に構えた者達が柱を抑え、柱は正確に穴に入り込んだ。
「うおおおし、いくぞお!」
「「「「「おおおおおおお!!!」」」」」
ゴウの号令を受けて、男達の低い声が響き渡る。
「お、おおお?」
息の合ったその反応に、ヒロは思わず面食らってしまう。
反射的に自分も声を上げたのだが、ワンテンポ遅れた上に裏返り気味の声になった。
周囲の男達が苦笑するのを感じ、ヒロの顔は赤く染まってしまう。
「ぉおおおおお、れえっ!!」
「「「「「せいっ!!!」」」」」
その次のゴウの声と共に、男達は一斉に柱を持ち上げた。
頂点の方を持ち上げる者はすぐに手が届かなくなるので、ロープの方に回って一緒にロープを引いている。
ヒロは比較的根元の方を持ち上げていた為に、すぐに柱を離すわけにはいかなかった。
太く長い柱は見た目通りの重さがあり、疲労困憊の腕には負担が大きかった。
汗が滴る。
腕に力が入らない。
顔を振りながら持ち上げるものだから、視点も定まらなかった。
「ぐ、ぬぬう……」
「ヒロ、腕で押すな、肩差し込め! 身体で持ち上げろ!」
顔を見る余裕もないが、ゴウの声が聞こえる。
「ふぬぬうう!!」
「おぉし! 他の奴らも気合入れろ!!」
「ぬおおおお!!」
「息抜くな、一気に押し上げろ! そらあっ!!」
「「「「「おああああああああ!!!!」」」」」
それは、もう掛け声という類のものではない。
皆顔を引きつらせ、全身を使って柱を持ち上げるのだから、まともな掛け声の出し様がなかった。
だが、その余裕のなさは、それだけ柱に力を注いでいる証でもある。
そして……柱は、男達の泥臭い声に押し上げられるようにして、ゆっくりと彼らの手から離れていった。
「おし、よくやった!」
ゴウが片腕を力強く掲げて、労いの言葉を掛ける。
だがヒロは、持ち上げるのに必死だった為に、その言葉を受けてもよく事態が飲み込めない。
何がどうなったのだろう、と考えながら、手を膝に付いてゆっくりと顔を上げる。
「……おお」
感嘆の声が漏れた。
そこには、まっすぐにそびえ立った柱をうねりながら、夕焼けの天に昇る竜がいた。
大きく、赤く、そして雄雄しい。
荒れる息を整えるのも忘れて、ヒロは竜に見入ってしまう。
竜が絶滅したのは、およそ千年程前の事だと聞いている。
本物の竜も、この様に千年前の空に君臨していたのだろうか。
人々は、その竜の獣害に苦しんでいたと聞いている。
竜の獣害に抗う日々とは、どのようなものだったのだろうか。
「上がった上がった!」
「竜だ! 竜伐祭だ!!」
「いやあでけえ、いつ見てもでけえ!」
各々の思い思いの喚声と共に、拍手が聞こえた。
その拍手はすぐに、男達全てに伝播する。
ヒロも想いを巡らせるのを止めると、疲れきった両手を力強く叩く。
相変わらず腕は重いが、気分は悪くない。
喜びの音を乗せて吹き抜けていく風は、とても心地良いものだった。
◇
竜が上がって暫くすると、ウメエがやってきた。
「おお、やっと上がったかね」
待ち侘びたと言わんばかりの口調でそう言いながら、ウメエは大股で竜の根元まで来る。
この日のウメエは、赤い袴と白い着物からなる、ヒノモトの伝統衣装を纏っていた。
ウメエがその恰好をするのを見るのは、ヒロは初めてだった。
「お婆ちゃん、その恰好はどうしたの?」
「どうしたもこうしたもあるかい。お祈りに決まっとるじゃろ」
「お祈り?」
「なんじゃい、ゴダイゴの倅から聞いとらんかったのか?」
「何の事だか分からないけど、今日は忙しかったから……」
「はあ……大事な事なのに、あいつも抜けとるのお」
ウメエは面倒臭そうに溜息を付くが、言葉を続けた。
「ヒロ。竜伐祭は元々どういう祭りなのかは分かるか?」
「それはセンダンさんから聞いたよ。田畑を荒らす竜を討伐するという意味のお祭りだよね?」
「左様」
「左様、なんて言葉、本当に言う人いるんだ……」
「いちいち突っ込まんでええ。
……竜を討伐するからには、必勝を祈願せにゃならん。
それを現代に照らし合わせれば、祭りの成功祈願という事じゃな」
「なるほど。祈願というと、やっぱり精霊に?」
「うむ。海におわす精霊に祈るんじゃよ」
「へえ……」
「分かったか。よし、全員整列!」
ウメエのしゃがれた声を受けた男達は、海側を向いて四列に整列し始めた。
皆疲れきっているはずなのにキビキビとした動きで、ヒロはまた出遅れてしまう。
一番右の列の最後尾にいたマッチョさんが手招きしてくれたので、誘われるがままにそこに滑り込む。
「よし」
迅速な行動に、ウメエは満足げに頷く。
それから、ウメエも海の方を向く。
背筋を真っ直ぐに伸ばした彼女は、ゆっくりと口を開いた。
「二名に神留座す、海精霊神の命を以ちて……」
厳かな口調。
普段の言動からは想像も付かない落ち着きぶりで、ウメエは祝詞を口にする。
その雰囲気は男達にも伝わり、皆一同に口を一文字に結び、海を直視している。
ウメエの言葉の中には『フタナノ』『巫女』『精霊』といった知っている名詞もあったが、
それ以外の多くは何を意味するのか分らない言葉だった。
ヒロは黙ってそれを聞きながら、海を眺める。
今この瞬間、フタナノ海のどこかで、水の精霊が祖母の言葉を聞いているのだろうか。
精霊について確実な事は、マナを生み出しているという事と、精霊歌によって分泌量が増えるという二点だけである。
人間が勝手に行っているこの祈りが、精霊に届いている保証はないのだが……その分析は野暮である、とも思う。
ウメエの祈りには、何かがあると思わせるような神秘性が宿っていた。
それに、こうして気持ちを伝えようとする事こそが大事なのかもしれない。
「……所聞食と白す」
ウメエの祝詞が止まった。
あらかじめ打ち合わせをしていたのか、それに合わせてゴウが列から離れる。
ゴウは、近くに置いてあった箱から、三方に乗せられた白磁の酒瓶を取り出した。
どうやら、献供用のようである。
それをウメエの前方に置くと、ウメエは深々と海に向かって頭を下げ、一同もそれに続いて頭を下げた。
「よし、終わりじゃ!」
頭を上げるのと同時に、ウメエがまた元の調子に戻って祈願の終了を告げた。
「おおおおお!!」
ウメエの宣言に、男達は皆湧き上がる。
声だけでなく、皆、表情は歓喜に満ちていた。
設営と祈願の終了を喜ぶにしては、派手すぎる湧き上がりのように感じられる。
「ウメエさん、早速!」
「早く飲みましょう。俺喉カラカラです!」
「ゴウ、ちゃんと冷えてるよな?」
そんな声が聞こえてくる。
それだけで、ここまで騒ぐ理由に大方の察しは付いた。
それは、ヒロも嫌いではない。
「あれ……ですよね?」
前にいたマッチョさんに尋ねる。
マッチョさんは温和な笑みを浮かべて、頷いてくれた。
「もちろん、さっきまで海で冷やしてたぞ。ほれ、誰か手伝えよ」
ゴウも口の端を緩んでいる。
献供の箱の横に置いていたもう一つの箱から、予想通り、ビール瓶と紙コップが出てきた。
皆で手分けすると、ビールの注がれた紙コップはすぐに全員に行き渡ってしまう。
早く飲みたいのは男達に限らずウメエも同様だったようで、ウメエはすぐに紙コップを掲げてみせた。
「よおし、乾杯っ!!」
「かんぱーい!!!」
ビールを求める男達の声が重なる。
皆、申し訳程度に紙コップを当てあうと、黄金色の液体を早速喉に流し込んだ。
ぐびりぐびりと、ビールが生々しく喉を踊る音がする。
「うひいうひゃあ!」
「くあーっ!!」
「はぁーー」
幸福の声が炸裂する。
ヒロも、似たような声を漏らして天を仰いだ。
彼らの声は、暫く収まる事はなかった。
広場とは言っても、ロビンの中央広場のように美観が良いものではない。
ただ単に何も物が置かれていないだけの広場で、日頃は観光客が馬を繋ぐ為に用いているスペースだ。
そんな殺風景な広場が、この島のどこよりも活気に溢れるのが明日。
すなわち、竜伐祭の日である。
「最後のテント設営急げよ。もうすぐ竜が来るぞ!」
海沿い広場でテントを組み立てている設営班に、設営班リーダーのゴウが檄を飛ばす。
普段の気だるそうな喋り方とは異なり、今日のゴウの声は常に張りがあった。
そんなゴウの指示を受けて設営班が立てているテントは、六本の柱と布張りの天幕からなる大型で、一つのテントの下にテナントが二つ入る事が出来た。
この柱が、見た目が細い割には意外と重い。
また、テントが何かの拍子に倒れないように、地面に杭を打ち込んで、杭と天幕をロープで結ばなければならない。
それなりの力仕事となる為、設営班の男性のみが担当する事となり、ヒロを含む男性陣は、もう一時間以上テント設営に取り組んでいた。
「うう、力入らない……」
だらりと腕を下げて、ヒロは最後のテントへと向かう。
大して体力のない彼にとって、この労働はなかなかに過酷であった。
明日が祭りの本番だというのに、筋肉痛確定コースである。
「おい、ヒロ!」
そこへ、背後から声をかけられた。
振り返ると、ヒロよりも一回り年上の設営班の短髪の男性がいた。
まだ名前と顔が一致していないが、がっしりとした体付きなので、内心ではマッチョさんとあだ名をつけている。
「はは! どうやら大分疲れているみたいだな」
マッチョさんは笑いながら、ヒロの背中を平手で元気付けるように叩いてきた。
「いや、これ位まだまだ大丈夫ですよ」
「そう無理をするな。最後のテントに全員で取り掛かる必要もないし、ヒロは先に休んでいて良いぞ」
「……ありがとうございます」
にこりと笑いながら礼を言う。
「はは! お前の笑顔は相変わらず怖いなあ!」
マッチョさんはまたヒロを笑い飛ばし、最後のテントへと向かっていった。
その背中を見送っていると、代わりに向かいからゴウが近づいてくる。
タオルをバンダナのように頭に巻いていて、タオルからパーマは、汗でぐっしょりと濡れていた。
指示に限らず、設営作業も担っている為に相当疲れているはずなのだが、瞳は爛々としていて覇気に満ちている。
どうやら、相当気合が入っているようである。
「お疲れ。テントはあと一つだから、お前は休んでろよ」
「さっき、そう言われたよ」
「そうか。最後に大仕事があるから、宜しく頼むぞ」
「了解」
「よし」
ゴウは満足そうに頷くと、ズボンの後ろに差し込んでいた団扇を取り出して自身を扇いだ。
小刻みに顔へ風を送りながら、彼はまた口を開く。
「そうだ。お前、明日はどうなりそうなんだ?」
「あ、それなんだけれど」
ヒロは両手を打つ。
「明日は、僕もセンダンさんも、お祭りの手伝いができそうだよ」
「店はどうするんだ? 宿の飯の時間に丸被りだろ」
「それなんだけれど……予約してくれたお客様に事情を説明したら、夕食無しのプランで良いって言ってくれたんだ。
全員お祭りに来るから、夕食はお祭りの出店で済ませてくれるんだって」
「全員か。そりゃありがてえが、本当に良いって言われたのか? 無理して貰わなかったか?」
ゴウは少し不安そうな声で言う。
「本当に大丈夫だよ。予約してくれたお客様の殆どが友人だから」
「なるほど……」
「そういうわけで、明日は僕もセンダンさんも、何でも仕事振ってくれて良いよ」
「ふむ」
ゴウが団扇を止めて考え込む。
「……分かった。多分、二人とも受付に入ってもらうと思う。
他の人を割り当ててはいるんだが、何分少数でな」
「分かった」
「具体的な仕事は、明日、他の担当者に聞いてくれ。急で悪いが宜しく頼むぞ」
ゴウが会釈程度に頭を下げる。
それから、彼は広場の入り口の方へと歩いていった。
一人残ったヒロは、近くにあったベンチに腰掛ける。
大きく息を吐いて、ようやく訪れた休息を味わいながら、周囲を見回した。
長方形状の海沿い広場には、外周に合わせてテントが立ち並んでいる。
海側の面にはイベントステージが設置されていて、明日はナポリが、楽隊を引き連れてそこで歌う事になっていた。
それ以外のスペースには、イベント観覧用の椅子や、飲食用のテーブルが並んでいるが、広場の中央には何も置かれていない。
聞いた所によると、祭りの最後に予定している焚き火は、この中央スペースで行うらしい。
「いよいよか……」
感慨深そうに呟き、空を見上げる。
九月末ともなれば、陽が落ちるのは大分早くなっており、まだ午後六時前だというのに空は茜色になっている。
祭りの話を持ちかけられたのは、四月末だった。あれからもう五ヶ月が経っている。
あまり感慨深い気持ちは沸いてこない。
前日であるこの日こそ忙しいが、それまでの準備はそれ程でもなかったからだろう。
それよりは、祭りを楽しみに思う気持ちの方が強い。
これだけ疲れたのに、今晩は寝つき難いかもしれない。
「おおい、竜が来たぞぉ~。竜が来たぞぉ~!!」
海沿い広場入口の方から、誰かの声が聞こえる。
そちらに視線を移せば、複数の馬が荷台を引いており、ちょうど広場の入口に差し掛かろうとしている所だった。
燦燦さんぽ日和
第十三話/竜伐祭前夜
「これが竜かあ」
海沿い広場の海側に運ばれた藁製の竜を前にして、ヒロのテンションは上がった。
話に聞いていた通り、全長十メートル程の藁製の竜で、横になっていても迫力は十分に伝わってくる。
人が抱きついても手が回りきらない位太い鉄製の柱に、収穫を終えたばかりの藁が巻き付けられており、竜はその柱を蛇行するようにして括りつけられていた。
竜の頭部には、花火が仕込まれた竜の顔飾りが付いている。
金色で塗られた目玉がぎょろぎょろとしていて、子供が見たら怖がりそうな顔つきだ。
「どうだ、なかなかのものだろ?」
ゴウがそう言いながら、竜の胴を軽く叩く。
「今からこいつを、海の方を向けて起こすんだ」
「そっか。明日は花火をするんだから、危なくないようにしなきゃね」
「おう。俺は声をかけるから、お前はしっかり押し上げてくれよ」
「なかなか重そうだあ……」
「全員でかかりゃあ、どうって事ないさ。よーし、始めるぞ」
ゴウがそう言いながら手を振って合図をすると、設営班男性陣が一斉に動き出した。
まずゴウが、柱を起こす為のロープを、柱の頂点に速やかに四本結びつける。
そのロープを手にした体格の良い四名が海の方に歩き、それとは別に若干名が柱の付け根の所で構えた。
ゴウはロープを持った四名よりも更に海側に立ち、全員を見渡せるようにしている。
残されたヒロを含む他の設営班は、柱を掲げる為に均等に並んだ。
「ロープぅ、引けぇ!」
ゴウが腹の底から声を出す。
それに反応して、ロープを持った男達が海側にロープを引くと、柱が頂点からゆっくりと持ちあがった。
同時に柱は海側にスライドするのだが、根元には細長い穴が掘られていて、柱の根元はその穴に埋まるようになっている。
根元に構えた者達が柱を抑え、柱は正確に穴に入り込んだ。
「うおおおし、いくぞお!」
「「「「「おおおおおおお!!!」」」」」
ゴウの号令を受けて、男達の低い声が響き渡る。
「お、おおお?」
息の合ったその反応に、ヒロは思わず面食らってしまう。
反射的に自分も声を上げたのだが、ワンテンポ遅れた上に裏返り気味の声になった。
周囲の男達が苦笑するのを感じ、ヒロの顔は赤く染まってしまう。
「ぉおおおおお、れえっ!!」
「「「「「せいっ!!!」」」」」
その次のゴウの声と共に、男達は一斉に柱を持ち上げた。
頂点の方を持ち上げる者はすぐに手が届かなくなるので、ロープの方に回って一緒にロープを引いている。
ヒロは比較的根元の方を持ち上げていた為に、すぐに柱を離すわけにはいかなかった。
太く長い柱は見た目通りの重さがあり、疲労困憊の腕には負担が大きかった。
汗が滴る。
腕に力が入らない。
顔を振りながら持ち上げるものだから、視点も定まらなかった。
「ぐ、ぬぬう……」
「ヒロ、腕で押すな、肩差し込め! 身体で持ち上げろ!」
顔を見る余裕もないが、ゴウの声が聞こえる。
「ふぬぬうう!!」
「おぉし! 他の奴らも気合入れろ!!」
「ぬおおおお!!」
「息抜くな、一気に押し上げろ! そらあっ!!」
「「「「「おああああああああ!!!!」」」」」
それは、もう掛け声という類のものではない。
皆顔を引きつらせ、全身を使って柱を持ち上げるのだから、まともな掛け声の出し様がなかった。
だが、その余裕のなさは、それだけ柱に力を注いでいる証でもある。
そして……柱は、男達の泥臭い声に押し上げられるようにして、ゆっくりと彼らの手から離れていった。
「おし、よくやった!」
ゴウが片腕を力強く掲げて、労いの言葉を掛ける。
だがヒロは、持ち上げるのに必死だった為に、その言葉を受けてもよく事態が飲み込めない。
何がどうなったのだろう、と考えながら、手を膝に付いてゆっくりと顔を上げる。
「……おお」
感嘆の声が漏れた。
そこには、まっすぐにそびえ立った柱をうねりながら、夕焼けの天に昇る竜がいた。
大きく、赤く、そして雄雄しい。
荒れる息を整えるのも忘れて、ヒロは竜に見入ってしまう。
竜が絶滅したのは、およそ千年程前の事だと聞いている。
本物の竜も、この様に千年前の空に君臨していたのだろうか。
人々は、その竜の獣害に苦しんでいたと聞いている。
竜の獣害に抗う日々とは、どのようなものだったのだろうか。
「上がった上がった!」
「竜だ! 竜伐祭だ!!」
「いやあでけえ、いつ見てもでけえ!」
各々の思い思いの喚声と共に、拍手が聞こえた。
その拍手はすぐに、男達全てに伝播する。
ヒロも想いを巡らせるのを止めると、疲れきった両手を力強く叩く。
相変わらず腕は重いが、気分は悪くない。
喜びの音を乗せて吹き抜けていく風は、とても心地良いものだった。
◇
竜が上がって暫くすると、ウメエがやってきた。
「おお、やっと上がったかね」
待ち侘びたと言わんばかりの口調でそう言いながら、ウメエは大股で竜の根元まで来る。
この日のウメエは、赤い袴と白い着物からなる、ヒノモトの伝統衣装を纏っていた。
ウメエがその恰好をするのを見るのは、ヒロは初めてだった。
「お婆ちゃん、その恰好はどうしたの?」
「どうしたもこうしたもあるかい。お祈りに決まっとるじゃろ」
「お祈り?」
「なんじゃい、ゴダイゴの倅から聞いとらんかったのか?」
「何の事だか分からないけど、今日は忙しかったから……」
「はあ……大事な事なのに、あいつも抜けとるのお」
ウメエは面倒臭そうに溜息を付くが、言葉を続けた。
「ヒロ。竜伐祭は元々どういう祭りなのかは分かるか?」
「それはセンダンさんから聞いたよ。田畑を荒らす竜を討伐するという意味のお祭りだよね?」
「左様」
「左様、なんて言葉、本当に言う人いるんだ……」
「いちいち突っ込まんでええ。
……竜を討伐するからには、必勝を祈願せにゃならん。
それを現代に照らし合わせれば、祭りの成功祈願という事じゃな」
「なるほど。祈願というと、やっぱり精霊に?」
「うむ。海におわす精霊に祈るんじゃよ」
「へえ……」
「分かったか。よし、全員整列!」
ウメエのしゃがれた声を受けた男達は、海側を向いて四列に整列し始めた。
皆疲れきっているはずなのにキビキビとした動きで、ヒロはまた出遅れてしまう。
一番右の列の最後尾にいたマッチョさんが手招きしてくれたので、誘われるがままにそこに滑り込む。
「よし」
迅速な行動に、ウメエは満足げに頷く。
それから、ウメエも海の方を向く。
背筋を真っ直ぐに伸ばした彼女は、ゆっくりと口を開いた。
「二名に神留座す、海精霊神の命を以ちて……」
厳かな口調。
普段の言動からは想像も付かない落ち着きぶりで、ウメエは祝詞を口にする。
その雰囲気は男達にも伝わり、皆一同に口を一文字に結び、海を直視している。
ウメエの言葉の中には『フタナノ』『巫女』『精霊』といった知っている名詞もあったが、
それ以外の多くは何を意味するのか分らない言葉だった。
ヒロは黙ってそれを聞きながら、海を眺める。
今この瞬間、フタナノ海のどこかで、水の精霊が祖母の言葉を聞いているのだろうか。
精霊について確実な事は、マナを生み出しているという事と、精霊歌によって分泌量が増えるという二点だけである。
人間が勝手に行っているこの祈りが、精霊に届いている保証はないのだが……その分析は野暮である、とも思う。
ウメエの祈りには、何かがあると思わせるような神秘性が宿っていた。
それに、こうして気持ちを伝えようとする事こそが大事なのかもしれない。
「……所聞食と白す」
ウメエの祝詞が止まった。
あらかじめ打ち合わせをしていたのか、それに合わせてゴウが列から離れる。
ゴウは、近くに置いてあった箱から、三方に乗せられた白磁の酒瓶を取り出した。
どうやら、献供用のようである。
それをウメエの前方に置くと、ウメエは深々と海に向かって頭を下げ、一同もそれに続いて頭を下げた。
「よし、終わりじゃ!」
頭を上げるのと同時に、ウメエがまた元の調子に戻って祈願の終了を告げた。
「おおおおお!!」
ウメエの宣言に、男達は皆湧き上がる。
声だけでなく、皆、表情は歓喜に満ちていた。
設営と祈願の終了を喜ぶにしては、派手すぎる湧き上がりのように感じられる。
「ウメエさん、早速!」
「早く飲みましょう。俺喉カラカラです!」
「ゴウ、ちゃんと冷えてるよな?」
そんな声が聞こえてくる。
それだけで、ここまで騒ぐ理由に大方の察しは付いた。
それは、ヒロも嫌いではない。
「あれ……ですよね?」
前にいたマッチョさんに尋ねる。
マッチョさんは温和な笑みを浮かべて、頷いてくれた。
「もちろん、さっきまで海で冷やしてたぞ。ほれ、誰か手伝えよ」
ゴウも口の端を緩んでいる。
献供の箱の横に置いていたもう一つの箱から、予想通り、ビール瓶と紙コップが出てきた。
皆で手分けすると、ビールの注がれた紙コップはすぐに全員に行き渡ってしまう。
早く飲みたいのは男達に限らずウメエも同様だったようで、ウメエはすぐに紙コップを掲げてみせた。
「よおし、乾杯っ!!」
「かんぱーい!!!」
ビールを求める男達の声が重なる。
皆、申し訳程度に紙コップを当てあうと、黄金色の液体を早速喉に流し込んだ。
ぐびりぐびりと、ビールが生々しく喉を踊る音がする。
「うひいうひゃあ!」
「くあーっ!!」
「はぁーー」
幸福の声が炸裂する。
ヒロも、似たような声を漏らして天を仰いだ。
彼らの声は、暫く収まる事はなかった。
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身内の者に描いてもらっています。
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