燦燦さんぽ日和

加藤泰幸

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竜伐祭編

第十一話/質問は紙飛行機で(前編)

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 その日、ヒロは久々に書店ロレーヌを訪れていた。
 ロレーヌの玄関の前には、ライルの丘を見渡せるようにパラソルが設置されている。
 その下で昼食休憩を取っていたナナ・ナバテアは、ヒロの話に乗り気だった。



「お祭り……良いなあ。大人になってからは行く機会って減っちゃって」
 ナナはそう言いながら微笑み、胸の前で両手を合わせる。
 落ち着いた女性であるナナが行うと、絵になる仕草だった。

「僕も上級アカデミーに上がってからは、街の収穫祭に行く事はなくなったなあ」
 ヒロも懐かしそうにそう言う。
 思い出せる限りで、最後に祭りの類に参加したのは中級アカデミーの頃である。
 ロビン中央広場で秋に開かれる収穫祭で、今眼前にいるナナから誘われ、クラスメート十数人で行ったものだった。

「中級の頃は、友達皆で行ったわね」
「そうだね。僕もちょうどそれを思い出してた」
「……ふふっ」
 ナナが突然含み笑いをする。
「どうかしたの、ナナちゃん?」
「あの頃のヒロ君、お祭りに誘ったら『僕も行って良いの?』って戸惑っていたのを思い出したの」
「む、むう……」
 恥ずかしい思い出に返す言葉もなく唸る。

 今でも多くはないが、当時は輪をかけて友達が少なかった。
 多くのクラスメートに、人相だけでこの上なく怖がられていた為だ。
 そんな自分が参加したら、空気を微妙なものにしてしまうのではと、当時のヒロは参加を躊躇した。
 結局はナナに強引に誘われて参加したのだが、案の定、クラスメートが連れてきた弟が泣き出して一騒動となった、苦い思い出である。



「……そんな事より、どうするの?」
 ヒロが眉をひそめながら聞く。
「兄花島のお祭りの事? こんな楽しそうなお誘い、断るわけがないじゃない。
 もちろん遊びに行かせてもらうわ。海桶屋さんにお世話になります」
「本当!? ああ、良かったあ。これで三室埋まったよ」
 ナナの回答に、ヒロは安堵の息を零した。




 
 ――八月も、もう終わりに近づこうとしている。
 だが、まだまだ蒸し暑い日は続いており、インドア派のヒロは、できる限りは海桶屋から出ないように過ごしている。
 そんな彼が、この暑さの中わざわざロビンを訪れた本来の目的は、祭りの誘いではない。
 祭りのメインイベントである竜の花火を実施する為には、花火に用いる火薬が必要になる。
 しかし、火薬というものは需要が薄いのである。
 兄花島では、当然の如く火薬を取り扱っている店がない。
 そこで、設営班の中でも暇をしているヒロに白羽の矢が当たり、彼は火薬の買い付けにロビンを訪れていた。

 だが、せっかくロビンに来たのだから、おつかいだけ済ませて帰るのも勿体無い。
 そう考えたヒロは、火薬店を訪れる前に、自分の用事を済ませる事にした。
 それが、ナナにした提案……竜伐祭の誘いと、当日の海桶屋への宿泊案内である。

 対象の人選が良かったのか、ヒロが声をかけた者は、皆宿泊予約してくれた。
 当日はステージで精霊歌も披露する予定となっているナポリ。
 家族サービスを怠っていたので良い機会だと喜んだオズマ。
 そして先程快諾してくれたナナ。
 海桶屋の全四室のうち三室が、一ヶ月前に埋まるのは、これが始めての事であった。





「さて……用件だけで悪いんだけれど、僕、そろそろ行くね」
 ヒロはそう言って立ち上がると、ズボンをはたく。
 彼の用事は、祭りと宿の案内だけではなかった。
 その為、今日はかなり早い時間に兄花島を出たが、それでも現時点で既に正午を過ぎてしまっている。

「あらら。今日も忙しいの?」
「うん。今日は元々お使いでロビンに来たんだけれど、その他にもちょっとね」
「乙会……?」
 ナナが首を傾げる。
 どの様な解釈をしたのかヒロには分からないのだが、変な勘違いをしているという事だけは伝わってきた。
「ナナちゃん、多分、また何か勘違いしてるよね……買い物の事だよ」
「ああ。そっちのお使いなのね。皆が労いあう会合を想像しちゃった」
 ポヤヤンと言ってのける。
 一度、何故そのような光景に辿り着くのかジックリと聞いてみたい所だったが、今日はそのような余裕はない。



「じゃあね、ナナちゃん。カナちゃんにも宜しくね」
「うん、分かったわ~」

 ナナと手を振り合って、ロレーヌを離れる。
 一段飛ばしでライルの丘の石段を降りながら、ヒロは次の目的地……ロビン上級アカデミーへの道順を考えていた。


「たまには顔を見せておかないとね……」
 ぽつりと呟きながら、なおも石段を降る。
 ヒロのもう一つの用事……それは、両親への顔見せであった。
 別に、両親に話しておくような事があるわけではない。
 昨年の春にロビンを離れて以来、彼は両親と顔を合わせていなかった。
 たまには顔でも出しておこう、というだけのものである。

 父は、採取に出かけていなければ上級アカデミーにいるはずだ。
 母は、間違いなく上級アカデミーに隣接する職員社宅にいる。買い物に出かけるのはいつも夕方だ。
 久々に会う二人に、何か土産でも買っていった方が良いだろうか。
 いや、かえって気を使わせるだけかもしれない。
 ……その様な事を考えいたものだから、どうしても注意力は散漫になっていた。





「おっと……ごめんなさい!」
 不意に前方下部に人影を感じ、つんのめる。


「うわっ! また悪魔だ、逃げろ!!」
「……またあの人」
 ヒロの顔を見るなり逃げ出した前方の人影は、いつぞやの絵描きであった。










 燦燦さんぽ日和

 第十一話/質問は紙飛行機で










 ロビン上級アカデミーは、広葉樹が立ち並んだ緩やかな坂道の上に位置している。
 上級アカデミー周辺は、学生街という事もあって飲食店が多く、ヒロが学生時代によく通っていたパン屋も営業中だった。
 店主と簡単な挨拶をかわしてサンドイッチを購入してから、ようやく上級アカデミーの門を潜る。
 繋ぎ場に馬を停めながら、大学名が大々的に刻まれた無粋な時計塔を見上げると、時刻は間もなく午後二時になる所だった。


「ちょっと遅れちゃったな……」
 ラボ棟まで伸びている歩道を歩きながら、周囲を見渡す。

 卒業してから一年半。その短期間では当然かもしれないが、古煉瓦の校舎は何も変わっていない。
 歩道の周囲に敷き詰められている芝生は、今も昔も深い緑色が美しかった。
 校舎を出入りする学生達の表情は、ヒロの在学中と同様に活気に満ちている。
 要するに、母校は何も変わっていない。


「……強いて言えば、違うのは学生かな」
 自分よりも幾つか若い学生を眺めながら、少し寂しそうに呟く。
 もう自分も同級生達も、殆どはこのアカデミーの生徒ではないのである。
 アカデミーの見た目は何も変わっていないというのに、その一点の違いだけで、全く違う空間のように感じられた。

 それが、どことなく寂しい。
 思えば、下級、中級を含めて、卒業後にアカデミーを訪れるのはこれが初めてである。

 ノスタルジックな感情に浸りながら歩道を歩くうちに、前方に見知った老年の教授の姿を見つけた。
 マナ学部の最大学科であるマナ学科の教授で、学部のボスと言っても差し支えのない老人である。
 当然、マナ学部精霊学科卒のヒロも、在学中は世話になっていた。





「やあ、ヒロ君じゃないか」
 教授が先に声を掛けてくる。
 髪は真っ白だが、背筋は曲がっておらず、声にも力が籠っている。
 精気を感じさせる教授である。

「先生、ご無沙汰しています」
「うんうん。卒業して以来だねえ」
「はい。よく僕の事覚えていてくれましたね」
「当然じゃないか。ヒロ君の顔は忘れようとしても忘れられんよ」
 教授は茶目っ気交じりのウインクを飛ばしてくる。

「むう……やっぱり、そんなに怖い顔ですか……」
「ほほほっ、冗談じゃよ、冗談。
 勉強熱心な良い子だし、ダイスケ君の息子じゃ。忘れるわけがなかろうて」
 教授は愉快そうにヒロの前でおどけてみせる。
 学会における評価は凄まじく、上級アカデミーへの貢献も高い大人物なのだが、それでいて子供らしい所がある。
 相変わらず、なんとも憎めない人だ、とヒロは思う。


「ところで、今日はアカデミーに何か用事かね?」
「はい。近くまで来たので父に挨拶でもしようかと」
「なるほど。良い事じゃのう」
「父は今どこにいるかご存知です?」
「ラボの自室におったようじゃよ」
 外出はしていなかった。
 どうやら、無駄足にならずに済んだようである。

「そうですか。ありがとうございます」
「良い良い。早速行ってきたまえ」
 教授は品のある笑みを浮かべて手を振った。
 ヒロはもう一度会釈をすると、小走りでラボ棟への道を行った。







 ◇







 タカナラボ教授室の扉には鍵が掛かっていなかった。
 一応扉をノックするが、反応はない。
 研究に没頭するダイスケがノックに気が付かないのは、日常茶飯事である。


「お父さん、入るよ?」
 一声掛けて扉を開く。

 八畳程の教授室の中央には、一応用意したという程度の小さい応接机と椅子があり、その左右は本棚で固められている。
 部屋の奥にはダイスケのデスクがあるのだが、案の定、ダイスケは前屈みでデスクに向かって何やら執筆していた。
 流石に扉が開いた事には気が付いたようで、ヒロの入室に遅れてダイスケは顔を上げる。


「おや、ヒロ。どうしたんだい?」
「近くまで来たから、ちょっと寄ってみたんだ」
「そうだったのか。前もって言ってくれれば良かったのに」
「ごめんごめん。昨日になって思いついたものだから」
 返事をしながら、手にしていたサンドイッチの紙袋を応接机に置く。

「お父さん、その調子じゃ、どうせ昼ご飯は食べていないんでしょ?」
「ああ。よく分かったね」
「そりゃあ、お父さんの子供だもん」
 ヒロは小さく笑う。
「で……少し多めにサンドイッチ買ってきたけれど、食べない?」
「いいね。頂こう」
 ダイスケは席から立ち上がると、脇机に置いていたコーヒーメーカーでコーヒーを二杯作り出した。
 その間に、ヒロは紙袋を破いてサンドイッチを食べやすいように並べ終える。
 コーヒーを二杯持ったダイスケが向かい側に座ると、煎ったピーナッツのような香ばしい香りが漂ってきた。



「さて、何を買ってきたんだい?」
「フルーツ、たまご、ハム、ポテトサラダ、アジ」
 買ってきたサンドイッチの名前を羅列する。
「アジ? アジというと、あのアジかい?」
「うん。魚のアジ」
 正式には、アジのトマトのマリネサンドイッチであった。
 学生時代に、怖いもの食べたさで一度食べた事があったが、
 トマトとマリネの酸味がアジに程良い味付けをしてくれて、美味しかった記憶がある。

「へえ、アジのサンドイッチなんかあるのか。知らなかったなあ」
「せっかくだから食べてみる?」
「そうだね。それを貰おうか」
 頷いたダイスケに、固めのパンで包んだサンドイッチを渡す。
 受け取ったダイスケは、はじめの一口こそおそるおそる食べていたが、
 何度か咀嚼すると、満足したように頷いて、あとは一気に食べきってしまった。
 どうやら、満足したようである。
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