燦燦さんぽ日和

加藤泰幸

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竜伐祭編

第十話/ギルド裏庭の蜜柑(後編)

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 ――ギルドの歴史は長い。

 精霊戦争よりも更に遡る事約千年前、まだ国内で小規模な戦争が頻発していた時代に、
 旅人の一時的な止まり木として、食糧や短期的な宿泊スペースを国が提供し始めたのが、ギルドの始まりである。
 移動手段も地理も発達していない当時は、旅人にとってギルドは欠かせないもので、利用者は多かった。
 その利用者数をあてにして、比較的ゆとりのある旅をしている者でも、情報交換を目的としてギルドに足を運んでいた。

 だが、近代において旅は困難なものではない。
 ギルドの有用性は次第に薄れ、扶助機能も失われていったのだが、大いに隆盛したその看板まで失うのは勿体ない話である。
 そこで国はギルドに、地域の名所・名店案内や、土地の歴史を説明する機能を新たに持たせ、ギルドの再生を図った。
 その狙いは当たり、旅人……改め観光者達には観光の際には、まずその都市のギルドを訪れる習慣が生まれる事となった。

 国営観光案内所。
 一言で言えば、それが現在のギルドである。
 その運営には然程人手を必要としない。
 地方ともなれば尚更だ。
 ギルド兄花島支部もその例に漏れず、職員の数はベラミを含めて四名。そのうち一名は老齢で、二名は女性である。
 よって、力仕事の類は、若い男性のベラミに寄せられていたのだが、ベラミはベラミで力仕事を嫌っていた。

 ……つまり、この日のヒロの仕事は、なかなかに過酷なものだったのである。





「ベラミさーん、この箱はどこですかー?」
「あー、そっちそっちー」
「了解ですー」
「いやー、あっちあっちー?」
「どっちですかー!」

 七月下旬の猛暑の中、ヒロはギルド裏口と倉庫の間を何度も行き来していた。

 ベラミは荷物の運搬を相当にサボっており、倉庫には両手で抱える程の箱が十数個溜まっていた。
 無地の箱もあれば、中身が記載された箱もあるが、いずれにしてもこれが重いのである。
 手の力だけで支えるには不安があり、胸板に箱を預けながら、一つ一つをギルド裏口まで運ぶ。
 場合によっては、ギルドの中の奥深い所まで運ばなくてはならないのである。

(……これ、明日は筋肉痛確定かなあ)
 また箱を一つ運び終え、両腕を揺らして、気持ち分ほぐしながら裏口を出る。
 日差しの下に一歩踏み出すと、途端にうだるような暑さが全身に降り注いでくる。





「いやー、暑いねー。こりゃ暑いねー」
 倉庫に背中を預けながら、ヒロが戻るのを待っていたベラミが、のんきに言った。
 団扇でパタパタと自身の顔を扇いでいて、青いくせっ毛の単発が風に揺れている。

 彼の傍には倉庫内冷蔵室があり、冷蔵室内にも三つ程の箱が溜まっていた。
 それらはいずれも『濃厚ヒノモトオレンジジュース』と印刷された箱である。
 同じ箱を先程運んだのだが、箱が揺れると、中からガラスが軽く触れ合うような音がしていた。
 おそらくは記載の通り、オレンジジュースの瓶が入っているのだろう。


「この箱、やっぱりオレンジジュースが入っているんですか?」
 倉庫の軒下まで戻ってきたヒロが、汗をぬぐいながら聞く。
「うん、そうだよ。島で採れた奴を、隣の夢見島の工場で加工した奴ー。
 昨年からずーっと保存してたんだけど、やっとカウンターで売ってる分が切れたんでねー」
「って事は、今運んでいる分も、ギルドで売るんですか?」
「そういう事ー」
「ふむ……」
 ヒロは片方の目を細めながらベラミを見る。
 どうにも、胡散臭さを感じる品である。
 もしや……といぶかしんでしまう。


「あーあー、そーの目は疑ってるねー!」
 さすがのベラミも、ヒロの目つきが意味する所に気がついた。
 背中を跳ね上げると、口を尖らせ、手を振り上げながらヒロに抗議する。
「今回は違うぞー! お餅と違ってお小遣い稼ぎじゃないぞー」
 つまり、お餅の方はやはり小遣い稼ぎなのである。
 とはいえ、あまりにもあからさまだったので、ヒロは突っ込む気も起きない。

「分かりました、分かりました……お小遣い稼ぎじゃないなら、なんで売ってるんです?」
「おお、よくぞ聞いてくれましたー」
 ベラミはあっさりと振り上げた手を下ろすと、自慢げに語りだす。
「これはもちろん、観光案内を受けに来た人達に売るんだよ。
 でも、売るだけなら、小売店でも大丈夫なんだよねー。
 ギルドでも売るのは、島の名産物を強くアピールして、リピーターになってもらう為さー」
「へえ……」
「せっかくだから、休憩がてらに一つ飲んでみるー?」
「あ、もちろん!」
 今日は真夏日、炎天下。
 オレンジジュースに限らず、冷たい飲み物が飲めるのはありがたい事だった。





「それじゃあ、こっちー」
 ベラミがギルド裏口へと向かった。
 ヒロもそれに続いて歩く。

 ベラミは、先程ヒロが搬入したギルド内冷蔵庫の前まで歩いた。
 近くの棚にある試飲用のコップを取り出すと、冷蔵庫の中からオレンジジュースを一本取り出し、蓋を開けてコップに注ぐ。
 そのコップを受け取ると、指先に冷気が伝わってくる。
 元々、倉庫内冷蔵庫で十分に冷やされていたジュースなのだから、当然の冷たさである。

「はい、どーぞー」
「頂きます」
 頭を下げて、まずは一口飲む。
「……むう」
 思わずヒロは唸る。
 うまいのである。
 喉にガシガシ来るのである。
 海桶屋で出しているオレンジジュースよりも、味が凝縮していてコクがあるのである。



「……美味しい」
「でしょでしょー?」
「うちで出しているオレンジジュースより美味しいですよ、これ。
 同じヒノモト蜜柑のジュースなのに、なんでこんなに美味しいんです?」
「うーん、海桶屋さんで何を出しているのかは、知らないけれど……」
 ベラミは腕を組みながら言葉を続ける。
「とりあえず、これに限っては、糖度が高い良質な蜜柑を厳選して作った、高級なオレンジジュースなんだー。
 だから、美味しいんじゃないのかなー?」
「なるほど……」
 関心しながらもう一口飲む。
 やはり、美味い。
 海桶屋で出すオレンジジュースは、元々お金を取るものではない。
 それに、オレンジジュースとは言っても、どれも大差ないものだとヒロは思っていた。
 だからこれまで拘っていなかったのだが、この味はその考え方を変えるに十分値する味である。



(……良いなあ、これ。うちの店のオレンジジュースも……)
「ヒロ君、今、海桶屋でも同じオレンジジュースを出そうって思ったでしょ?」
「っ!?」
 思わずベラミの顔を見やる。
 指摘は鋭いが、相変わらず顔に締まりはない。


「な、なんで分かるんです?」
「ヒロ君は真面目だからねー。からかい甲斐がある……あいや、もとい。分かりやすい性格なのよー」
「む、むう……」
 そう言われては、唸るより他ない。



「これだもんねえー。センダンさんも毎日楽しいだろうねー」
「ほっといて下さい」
 ヒロは拗ねたように言う。
「あははあー。……あ、そーだ。オレンジと言えばー」
「?」
「ギルドの裏庭で、個人的に蜜柑を栽培しているんだよー。搬入が終わったら見てみるかいー?」
「へえ……」
 個人的に、という辺りにはまた胡散臭さを感じてしまう。
 だが、せっかくなので見てみたい、とも思う。
 ギルドの掛け時計を見れば、まだ時間に余裕はあった。



「それじゃあ、見せて貰っても良いですか?」
「オーケー、オーケー」
 片手で良いのに、ベラミは両手の親指を突き立ててヒロに答えるのであった。







 ◇







 ヒノモト諸島の名産品は蜜柑である。
 『ヒノモト蜜柑』のブランド名で国内全土に出荷されている蜜柑は、温暖な気候によって作られる深い甘味が評判だ。
 また、味のみならず、栽培方法にも特徴がある。
 ヒノモト諸島の島々はいずれも平地が少ない為に、山沿いに石積を築き、階段状に蜜柑畑を設けているのである。
 収穫時期になると、鮮やかな橙色の階段が島中に出来上がり、その光景はなかなかに見応えがあるものであった。

 ……だが、今の季節は七月。
 木々に生っている蜜柑はまだ青く、それはベラミの蜜柑も例外ではなかった。




「まだ真緑ですね」
「そうだねー。まだまだ、これからさー」

 ギルドの裏庭の片隅には、小ぶりな蜜柑の木が一本だけ生えていた。
 だが、小さくとも蜜柑の木に変わりはない。
 緑色の蜜柑が、秘めたる甘さを主張するように枝を大いにしならせている。
 収穫こそまだ先だが、現時点では順調に育っているように見受けられた。



「で、これも小遣い稼ぎになるんですか?」
「んなこたぁないぞ。君は僕を金の亡者だと思っていないかい?」
 何の疑いもなく聞いたヒロに、ベラミは手を振って突っ込みを入れるふりをする。

「あれだけお餅を勧められたら疑ってしまいますよ……」
「むう。狼少年ベラミになってしまったようだねー」
 悪びれもせずにそう言うと、ベラミは蜜柑に軽く触れながら言葉を続ける。

「この蜜柑は、配るのさー」
「配る、ですか?」
「うん。ヒロ君見た事ないかい? 兄花通りで子供達が蜜柑を配っている光景ー」
「……いえ、ないですね」
 少し考えてから、ヒロは答える。
「そうかー。実は、兄花島下級アカデミーの子供達が、学校で蜜柑を栽培してるんだよー」
「へえ」
「その蜜柑は、収穫しても子供達の胃袋には入らないんだよ。
 袋に詰めて、兄花通りで観光客に無料で配ってるんだー」
「……なんだか、心が温かくなる話ですね」
 ヒロが嬉しそうに言う。
 実際、彼はその話が嬉しかった。



「……あれ? でも、ベラミさんの蜜柑も配るって話はどこへ?」
「そうそう。そこで僕の蜜柑の出番なのさー」
 ベラミは自分の胸を叩きながら言う。
「小さな子供達が頑張っているのに、ギルド職員の僕が怠けるわけにはいかないからね。
 こうして自主的に栽培した蜜柑を、子供達が配る分の足しにしてもらっているのさー」
「おお。ベラミさん、見直しましたよ」
 ヒロは小さく拍手をした。
「これで島にはリピーターががっぽがぽ。僕のお餅も売れるって算段だよー」
「ベラミさん、前言撤回しますよ」
 ヒロは拍手を即止めた。



「ははは、まあまあ、そう言わないでおくれよー。
 あくまでも本来の目的は、子供達の手助けなんだからさー」
「……まあ、そうですね」
 確かに、餅という打算があろうと、ベラミが他人の為に蜜柑を栽培している事実は変わらない。
 ヒロは気を取り直して、蜜柑の木を見ながら言葉を続ける。



「皆、島の為に頑張ってるんですね」
「おや? それはヒロ君もじゃないかー」
 さも当然のようにベラミは言う。
「僕が、何か?」
「海桶屋の営業だよー」
「海桶屋が島の為になっているんですか?」
「うん、もちろんー」
 ベラミは笑顔で頷く。

「兄花島は何にもない島、小さなコミュニティーだけど、だからこそ大抵の仕事は誰かの為になるものさ。
 ギルドが仕事をすれば、海桶屋に泊るお客様が増えるかもしれない。
 逆に、海桶屋で一泊するお客様が、夜食用にギルドで僕のお餅を買うかもしれない」
「お餅はともかく、言わんとする事は分かります」
「それに、ヒロ君の海桶屋は、ヒノモト文化の存続にも一役買っているから、なおさらだねー」
「ふむ……」

 ヒロは、自分の仕事をその様に考えた事はなかった。
 ベラミの言う理屈は分かる。
 おそらくは彼の言う通り、海桶屋の存在は他の誰かの力になっているのだろう。

 だが、自分は日々の暮らしで精一杯で、海桶屋に直接関係しない誰かを意識して働いた事はない。
 だというのに、誰かの力になっていると言われては、何だか申し訳がない気がした。
 ベラミや子供達の様に『誰かの為』という目的があったのではなく、結果としてそうなっているだけなのである。

 



「そうだったら、良いのですが」
「うん、そうだよそうだよー」
 ベラミの適当な喋り方は、どうにも信用し難い。
 でも、今はそれくらい適当な方がちょうど良かった。

「……ありがとうございます」
 ベラミの緩さにつられて、ヒロも穏やかな笑みを浮かべるのであった。







 ◇







 夜になった。
 さすがに日中とは異なって、気温は下がり、夜風は涼しい。
 客室には空調を配備しているのだが、マナの消費を少しでも抑えるために、
 ヒロとセンダンの部屋では空調をなるべく使わずに、窓を開け放って夜風で涼を取っている。
 この日もヒロの部屋の窓は開いており、中に入ってくる風が室温を下げてくれる。
 のみならず、その風が小振りな風鈴を鳴らす事で、体感的な涼しさも発生していた。



「へえ。じゃあ、これが一仕事したご褒美ってわけ?」
 この日の仕事を全て終え、ヒロの部屋に遊びにきていたセンダンが、物珍しげに箱詰めの餅を摘む。
 搬入作業は、普段雑誌を買ってきてくれている事のお返しだというのに、ベラミはお土産をくれた。
 ただし、お土産とは言っても、ベラミの餅と封を開けたオレンジジュースである。
 ベラミ曰く『ヒロ君達にベラミ餅のリピーターになってもらおう』との事であった。

「ええ、ベラミさんの手作りだそうですよ」
「むう……ベラミーンの手作りか。なんだか怖いわね……」
 センダンは餅を指で軽く潰して弄ぶ。 
 大きさは親指と中指で輪を作った位で、中には粒餡が入っている。
 見た目はごく普通の餅なのだが、センダンのいう通り、ベラミの手作りという点に不安を感じる餅だった。



「売る位だから、食べられない事はないと思いますが……食べないでおきます?」
「ううん、食べる」
 結局は食欲が勝るようである。
 手にしていた餅を半分かじり、何度か咀嚼した後で、センダンは指で丸を作った。
 どうやら、味の方は悪くないらしい。


「美味しいみたいですね」
「んぐ……んぐ……うん、普通のお餅ね。大丈夫大丈夫」
「それじゃあ僕も食べようかな」
「なにそれ、私は実験台だったの?」
 センダンが頬杖をつき、わざとらしく眉をひそめる。
「まあまあ、ジュースもあげますから、機嫌を直してくださいよ」
「直した!」
 即答である。
 ヒロが苦笑しながらオレンジジュースを注いでセンダンに渡すと、センダンは美味しそうに一気に飲んでしまった。

「ん、いけるじゃない、これ!」
 センダンは尾を振りながらオレンジジュースを絶賛する。
「ですよね。これうちでも出しません?」
「うんうん、大賛成」
「じゃあ、今度お婆ちゃんの許可を取ってきますね」
「了解。島のアピールって所も付け加えると、許可を貰い易いかもね。
 今でもオレンジジュースは出しているけれど、せっかくだから、より美味しい味でアピールしたいもんね」
 そこまで言って、ふとセンダンはハッとした表情を浮かべる。



「あ。アピールと言えば……」
「?」
「私も、島の子供達から蜜柑を貰った事、あるよ」
「へえ……」
「初めて兄花島に来た時に会ったんだ」
 センダンは腕を組んで懐かしそうに語りだした。


「兄花通りを歩いていたら、向かい側から、十歳にも満たないような女の子が三人くらい歩いていたのよ。
 私を見かけた女の子達は何か話し込んでいたんだけれど、すぐにそのうちの一人が私の前に小走りで駆けてきたんだ。
 それで、恥ずかしそうに『どうぞ』とだけ言って、蜜柑が入った袋をくれたの」
「へえ。可愛いですね」
「うん、もうすっごく可愛かった! 最高のサプライズよ!」
 センダンが満面の笑みを浮かべながら言う。
 おそらくは、蜜柑を貰った時にも同じような表情をしていたのだろう、とヒロは思う。
 センダンが蜜柑を貰う光景を想像しようとして……ふと、ヒロは思い至った。



(……しかし、島に遊びに来るセンダンさん、ってのは今ひとつ想像し難いな)
 
 首を傾げながら考える。
 センダンは元々島の者ではないのだから、その光景はあってもおかしくはない。
 あくまでも、ヒロが想像し難いのである。
 無理もない話だ。
 ヒロは、海桶屋で働くセンダンしか知らないのである。
 海桶屋で働く以前のセンダンが、どこで何をしていたのかは知らないのである。





「……センダンさん」
 一度気になると、どうしても聞いてみたくなる。
 良い機会だと考え、ヒロはセンダンに声をかけた。
「ん?」
「その話っていつ頃の事なんです?」
「初めて兄花島に来た時の事? んー……」
 センダンは視線を宙に向けて考え込む。
 その視線は、すぐにヒロの顔の位置まで降りてきた。
「うん! 内緒にする!」
 それで決まりだ、と言わんばかりにセンダンは軽くちゃぶ台を叩く。

「ケチ」
「ケチで結構、晩飯食うなー」
「子供ですか……」
 ヒロはそう言って嘆息する。
 だが、その嘆息には少しばかりの笑いが篭っていた。




(……まあ、良いか。楽しいし)


「どったのヒロ君、変な笑顔浮かべちゃって」
「なんでもありませんよ。それより、お餅もっと食べましょう」
 そう言いながら、餅に手を伸ばすヒロであった。
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