死ぬほど退屈な日常で

猫枕

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電車

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 クミはまもなく男の子を出産しカイトと名付けた。

 二人は川元家の離れ、元々ヒサシが一人で暮らしていた部屋で暮らし始めた。

 結婚式は出産後落ち着いてから。
 新居もその後ゆっくり考えよう、と一人ヒサシの父だけが張り切っていた。

 ヒサシには好きでもないオッサンのところに嫁いできたクミの真意がわからなかったし、彼女にどう接していいのかも分からなかった。

 ただ、ちょっと前まで煩わしい両親から離れて一人になれる場所だった自分だけの城が、ピンク色やらキャラクターグッズやらのよく知らない相手の趣味に徐々に浸食されていく居心地の悪さだけを感じていた。

 それでもヒサシは自分の子でもないカイトをあやしたりオムツを替えたりミルクを飲ませたりした。

 特別可愛いとも思わなかったが、拒否することもなく結婚を受け入れた以上は法律上の父として育児に協力する義務はあるだろうから、と考えてのことだった。

そんなヒサシにクミは足をバンっと投げ出して、

「めっちゃダルいんだけど揉んでくんない?」

 などと言い、

 言われた通りに遠慮がちに足を揉むヒサシの方を見ることもなくスマホでYouTubeを観ながら、

「もうちょい力入れてグイグイやってくんない?全然効かないんだけど」

 などと更なる要求をした。


 そんな生活が3ヶ月ほど過ぎて、カイトの首が座ってきた頃、

「ねえ、アンタってさ、私に何にもしてこないけど遠慮してたりする?」

 とクミが言った。

「何が?」

 ヒサシの声は緊張していた。


「またまた~。若いコとヤれるから結婚したんでしょ?」

 クミはソファーに座るヒサシの上に対面で跨がってきてヒサシの目をからかうように見詰めてきた。

 恥ずかしさに思わず目を反らしたくなるヒサシの頬を両手で挟んでクミはヒサシに口づけてきた。

 相手が自分より遥かに若いコだからだろうか?甘い感触に脳を痺れさせながらヒサシは

「最後にキスしたのっていつだったかなあ」

 と思い出すこともできないでいた。

 クミがヒサシの手を取って自分の胸に導いた。

「いいよ」

 どうしていいのか分からずに留まっていたヒサシの手がモゾモゾと動き出す。

 それに合わせて軽く揺れたクミがしなだれかかるようにヒサシの肩に顎を載せた。

 クミの艶のある茶色の髪がヒサシの頬をくすぐり、自分とは違うシャンプーの匂いがした。

 その漂う甘い香りを嗅ぎながら、

『ああ、風呂場にあるあのピンクの可愛らしい容器のって、女の子のシャンプーって、こんな匂いがすんだなあ』

 などと妙に感心していた。

 互いの頬をくっつけるとクミのしっとりとした感触が伝わってきた。

 その心地良さを堪能していると、クミが抱きつくように両手を首の後ろに回してきて、下半身を押しつけるように密着させてきた。

 その瞬間、罪悪感でも嫌悪感でもないなにかがヒサシになだれ込んできて、ヒサシはクミを押し戻した。

 一瞬驚いた顔をしたクミはすぐにいつもの他人をバカにしたような表情に戻って、

「え?ナニ、もしかして愛し合ってないとそういうのダメな感じ?」

 とニヤニヤ笑うように言ってから、

「ま、私はどっちでもいいけど~」

 と立ち上がるとキッチンに行ってしまった。

 ヒサシは冷蔵庫の開閉する音を聞きながら、何か言った方がいいのかと思案していた。


 

 そんなことがあった日から数日後、


「東京から友達が遊びにくるから2~3日ばあちゃん家に泊まる」

 とクミがカイトを連れて相沢家に行ってしまった。

 クミの友達ならこっちに来てもらっても構わないのだが、向こうの方が気を使わないのだろうし、第一、こんなオジサンと結婚したことを友達に見られたくないのだろうとヒサシは思っていた。

 2日後、

「友達を見送るから駅まで連れて行って欲しい」

 とクミからLINEが入った。

 相沢家に迎えに行くと、何故かそこにいたのはクミとカイトだけで友達の姿はなかった。

 用事があって先に駅周辺に行っている友達をホームで見送ることになっている、というクミの説明に疑問も持たなかったヒサシが後部座席に取り付けたベビーシートにカイトをしっかり固定する。

「久しぶりに友達に会えて楽しかった?」

 何か喋った方が良いかと思ってヒサシが話を振ったが、

「うん」

 とだけ答えた感情のこもらないクミの声に、それ以上車内で会話が弾むことはなかった。




 ホームには当駅始発の東京行きが既に入線していたが、クミの友達らしき人物の姿は無かった。

 用事とやらが長引いて予定の電車に間に合わなかったんだろうか?
 ならば連絡くらいよこしそうなもんだが。
 ヒサシは色々考えたが何も言うこともなく、クミの行動を待った。


間もなく電車が出発するという時になって、急にクミが

「ちょっとお願い」

 とカイトを渡してきた。

ああ、とカイトを抱き上げたヒサシの目の前でクミがひらりと電車に飛び乗った。

 ヒサシの目の前で扉が閉まり、するとさっきまで出入口付近のバーに凭れ掛かってスマホをいじっていた派手な成りをした若い男とクミが手を繋いでこっちをみている。

 電車は滑るように動きだした。

 カイトを抱いたヒサシは遠ざかる車両を呆然と見送りながらホームに立ち尽くしていた。


 

 

 
 
    
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