嘘つき女とクズ男

猫枕

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  「自殺した?」

「ええ。運河に飛び込んだらしいですよ」

  グレアムは一瞬目が見えなくなったような感覚になった。

 「・・・死んだのか?」

「さあ。でもこの季節ですからね。水も冷たいですし、知り合いがその場に出くわしたらしいんですよ。
 引き上げられたご令嬢は蒼白で息をしているようには見えなかったって。
 そのあと運ばれて行ったけど、あれはダメだったんじゃないかなって」

 グレアムはスクリーバが何を言っているのかよく聞き取れてはいなかった。

ただ、相槌を打ちながら平静を装うのが精一杯だった。

 「悪いスクリーバ。なんだか今日は疲れたからもう休む」

 グレアムは動揺を気取けどられないように明るいトーンの声で言った。

「そうですよね。
 やっとカトリーヌ様と婚約解消もできて肩の荷も降りたでしょう。
 グレアム様にはもっと身分の高いご令嬢がお似合いだと常々思っていたんですよ。
 今日はゆっくりお休みください」

 グレアムはスクリーバのくどくどと長ったらしい挨拶を愛想笑いでやり過ごしてやっと一人になると、倒れ込むようにベッドに横になった。


 思い出すのはセリーヌの柔らかいピンクブロンドのフワフワとした手触り。

 いつも穏やかで他人を疑うことのない笑顔。

 都合良く弄ばれているのに気づきもせずに、グレアムと結婚したい、と彼女は言った。

 それが無理だと知るとグレアムを責めることなくあっさりと身を引いた。

『幸せになってね。私の王子様』

 最後に会った時の、涙を流しながら笑う彼女の顔がありありと脳裡に浮かんでくる。

 『オレはなんてことをしてしまったんだ』

 涙が溢れてきた。






 陸軍大臣の娘が自殺を図ったというスキャンダルは翌日の新聞で大々的に報じられた。

 ただ、彼女は未だ意識不明ながらも一命は取り止めたということだった。

 新聞には彼女が大臣の婚外子であることや、先日婚約者が決まっていたことなどが容赦なく書かれていた。


「よっぽど婚約が嫌だったのかな?

 こんなことをされたのでは婚約相手もいい面の皮だな。
 もちろん破談だろうけど、このご令嬢には二度とまともな縁談は来ないだろうし、一生家から出られないかも知れないね」

  他人のことをとやかく言えた立場ではないと思うのだが、朝食の席で新聞を広げた父が好奇心むき出しで語るのをグレアムは緊張しながらも軽蔑の籠った気持ちで聞いていた。

 まるでこんなスキャンダルに巻き込まれた大臣に比べれば我が家なんて平和なものだ、とでも言いた気な父に、

『そのご令嬢がそんな事件を起こしたのは私のせいなんですよ』

 と言ったら、この人はどんな顔をするのだろう、と考えていた。

 


校門の前で馬車を降りたグレアムは、

「今日は友達と約束しているから迎えは要らない」

 と告げ、そのまま学校には行かずにフォルティス・ティメンテス陸軍大臣の家に向かった。

 新聞では昨日の段階ではセリーヌが一命をとりとめたことが報じられていたが、今も無事である保証はない。

 緊張と恐怖がグレアムの運ぶ足を僅かに震わせる。


 大臣は在宅していて、突然のフォルコンリー侯爵令息の訪問に驚きながらも面会を許可してくれた。

 「今は人と会える状況じゃないので」

 と対応に出た家令に、

「セリーヌ様のことでお話したいことが」

 と伝えたからだ。


 初めて対面した大臣は威厳のある老齢に差し掛かった恰幅の良い男だったが、憔悴しきっている様子だった。

  目に入れても痛くないほどに愛する娘の命の危機に加えて、スキャンダラスな報道が彼の心を容赦なく抉っていた。

 グレアムは自己紹介をすると直ぐに床に身を投げ出して額を床に擦り付けて赦しを乞うた。

 「申し訳ありませんでした」

 面食らった大臣だったが、グレアムの告白を聞くと激昂した。

 軍人上がりの男の重いパンチが炸裂した。

 男は泣きながら何度も何度もパンチを繰り出した。

「貴様、よくも、・・・よくも私の・・私の大事な宝物を!!」

 男はボロボロと涙をこぼしながらグレアムを打った。

 グレアムは痛みに耐えながら意識を失わないように気を張った。
 せめて気を失うことなく、全ての痛みを受け止めようと思った。

 グレアムはボッコボコの文字通り『半殺し』にされた。

 ティメンテス家の馬車で運ばれてきたボロ雑巾のようなグレアムを見た母は絶叫したが、何故か息子は痛みに顔を歪めながら晴れやかな顔で微笑んでいた。


医者に絶対安静を言い渡されたグレアムは肋骨が折れた体でティメンテス邸に通った。

 そして門の前で地面に頭を擦り付けてセリーヌへの面会を願った。

 生来情に厚いティメンテス大臣はグレアムの熱意に根負けし、渋々セリーヌに面会することを許してくれた。
 
 


グレアムがそっとセリーヌの手を包みこんで、

 「お願いだから目を覚まして、オレのお姫様」

 と手のひらにキスをすると、セリーヌの目がうっすらと開いた。

 ぼんやりとしたセリーヌは状況を理解できていなかったが、その虚ろな目がグレアムを捉え認識していくにつれ、ニコーっと可愛い笑顔に変わった。

 グレアムはそんなセリーヌを見ていると泣けて泣けて仕方がなかった。

「ごめん、ごめん・・・」 

 泣きながら繰り返すグレアムをキョトンとした顔で見ているセリーヌ。

 知らせを受けて駆けつけて来た大臣が、

「なんで目覚めて一番最初に会うのがワシじゃないんだ~」 
 
 と泣きながらセリーヌを抱きしめていた。

 

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