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34 トイレの隅っこ。

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 翌朝、俺は病院スタッフさんたちの活動がはじまるまえに、哲也くんのベッドからそっと抜けだしてトイレに隠れていた。

 ころあいをみて外にでたら、コンビニを探そう。お金を下ろさなきゃ。
 高校に入ってから遊ぶ相手がいなかった俺には、結構なおこづかいが貯まってるんだ。コンビニで食べ物を調達しながらこうやってうまく隠れていたら、何日かは哲也くんの部屋で過ごせるんじゃないか? それなら家に帰れなくたっていい。お父さんにもお母さんにも会いたくないし――。
 もし、病院ここがダメになっても、ほかに隠れられるところを探そう。

 俺はいなくなるつもりだった。――みんなから。
 でももう簡単に死のうだなんてことも考えない。
 ひとりでもがんばって生きてみる。

 だってさ、

 一昨日おととい竹中たちに襲われたときに、俺は今度こそ本当に自分が消えてしまうかもしれない、死んでしまうかもしれないって感じたんだ。
 そりゃ、俺はなんどもなんどもあいつらやクラスのやつらにちょっかい掛けられてきたよ? それで、そのたびに悔しかったり辛かったり、腹が立ったり痛かったりした。すごく、怖かったりもしたんだ。死んだほうがマシだ、死んでやるって、どれだけ思ったことか。
 けどもあの時の『消えてしまいそう』って瞬間、――俺は『助かりたい!』って。『まだ死にたくない!』って強く願ったんだ。
 
 まだ生きていたい、まだ存在していたいって。

 それでゆうくんや先生が現れて、なんとか生きながらえたんだし?
 せっかく助かったんだ。だから可能な限りは生きようって。
 幸い今は哲也くんの傍に居れる。数日彼のそばで過ごさせてもらえれば、俺の心の傷は癒えてきっと元気になる。あとは時間が嫌な記憶を風化させてくれるだろうし……。ほら、ひとりでも生きていけそうだろ?

 それにもしかしたら――。

 美濃があいつらのことを本当に上手に解決してくれるかも、という淡い期待が胸を掠めていった。

 消えてなくなるのは、最後の最後の手段。
『だからがんばれ、俺。今日も哲也くんんとラブな一日を過ごせるんだからな♡』
 そう、ちいさな声で呟いて、俺は胸のまえで寒さに震える拳を握りしめ気合を入れた。

(でなけりゃ……、)
 
 さきほどから俺の肩をスカスカ叩く男に視線を移して、俺は低く唸った。
 男こと、キノシタセイジは俺がここに籠っているのを見つけると、隣にしゃがみこんでしゃべりだし動かなくなってしまった。背後には俺の尻を撫でさすりつづける痴漢の幽霊もいる。懲りずにまた手を前にまわしてきたので、スカッと叩き落としてやる。

地縛霊こいつらの仲間入りだけはゴメンだ』
 未練や恨みつらみを多大に残してこの世を去ったひとの行く末、その名も幽霊。
 ここが寒いのは空調のせいではなく、俺をとりまく霊気のせいだ。こいつらいつまでいるんだよ、そろそろアッチ行けよっ!

「でさぁ、俺とあいつの出会いは中学んときでさ。俺、よくあいつん家に行ってたんだぁ。でてくるおやつがうまくって! なんなら晩御飯まで食べて風呂まで入って帰ってたよ。あれ? お~い。お前ちゃぁんと俺の話聞いてるのか?」
『聞いてるよっ、なんどもなんどもなんども! それで帰宅したら毎度「おにーちゃんどこ行ってたのーっ⁉」って、腹を空かせて待ってた弟に抱きつかれて大泣きされて大変だったってんでしょ?』 
 声が大きくならないように、気をつける。

「でさぁ、俺とあいつの出会いは―…」
(はっ、またいちからリピートかいっ)
 キッとキノシタセイジを睨みつければ、その隣に洗った手を拭きふきしながら老女がすうっと現れる。

「おやつといえばさ、わたしが子どものときに一番好きだったやつはね、貝殻の内側にニッキが塗ってある駄菓子でね。親にこづかいを貰ったときはそれを握りしめて妹と店に行ってね、ひとつだけ買うんだよ。それをふたりで分けあって、こう、歯でね―」
また新参者がきた、と俺はうなだれた。
『おばちゃん、ここ男子トイレだよぉ。その話こんど違うところでしてよ…』

「ねぇねぇっ、おにいちゃん、いつまでここに隠れてるの~っ! 僕もう何回もおにいちゃんのこと見つけたよ? 鬼は交代ばんこなんだって! ねぇっ、はやく代わってよーっ‼」
『お前、なんど出てくるんだ? だから、おにいちゃんはかくれんぼしてるんじゃないんだってば! もうっ! さっきからずっと云ってるでしょ⁉ こんなくさいところにいつまでもいないで、子どもは外で遊んでこいよなっ!』
「え~っ、こんな寒いのに外に行ったらボク死んじゃうよーっ」
 ……それはダイジョウブだと思うよ。

『邪魔だよ、邪魔!』
 シッシッと手ではらうと、寝転がってギャーギャー手足をばたつかせていた子は、ふっと消えてしまった。もう二度と出てくるなよっ!

 それにしても、病院のトイレの臭いってヒドイよねぇ。掃除は毎日しているのは知ってるけど、利用者が飲んでる薬のせいだ。スンとはなをすすると、鼻孔が刺激されて「オェッ」ってなる。

『だからっ、触らないでってば!』
 俺のチ●コを掴もうとする手を叩き落とす。
「なぁ、聞いてるのか?」とキノシタセイジに肩を叩かれ、『はいはい』と返す。そしてまた痴漢に尻を撫でられた……。

「俺の家ってな、最低だったんだ。親父はろくに働きもしないで、酒を飲んだら暴れ――」
『その話もなんども聞きましたーっ。さっさと日課のお散歩行ってきて?』

 え~ん、はやくこんなとこ抜け出したいよ! 哲也くん助けて~っ。
 トイレの個室の隅っこで縮こまっていた俺は、膝を抱えなおした。外来診療時間がはじまるのが待ち遠しいよ。









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