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9 どさくさまぎれで哲也くんって呼ぶ。
しおりを挟む彼女はベッドのそばによると、息子の頭をやさしく撫でた。
「哲也、もう一週間も寝てるのよ? ほらっ、起きなさいよ」
ペチペチと頬を叩く。それでも氏家はまつ毛一本すら動かさない。
「医者はいつ起きてもおかしくないのにって言ってるの。調べて見ても脳波にも異常はないんですって。だったら、この子が起きたくないって思ってるんじゃないかって、私は思ったの。センター入試やピアノのレッスンが嫌で、私の言うこと聞くくらいなら死んでやれって思ってるんじゃないかって。ねぇ、藤守くんはどう思う?」
「あの、俺……」
氏家と話したことがない俺に、彼が事故のまえになにを考えていたかだなんてわかるはずがない。でもひとつだけ、ちょっと特別な力をもつ俺だからわかることもあった。
「哲也、このまま死んじゃったらどうしよう。うぅっ」
膝を折った彼女が、ベッドに突っ伏した。
「生きて目を覚ましてくれるなら、もうそれだけでいい! 哲也の好きにしてくれたらいいから!」
どう切りだしたらいいかわからず、俺は首を伸ばしたり引っ込めたり、手をグーにしたりパーにしたりしていた。ついには頭のなかもぐるぐるしだす。その間も彼女は、「もう一生ニートでもいいし、なんならモアイ島の嫁を貰ったっていい! ボリビアに移住したりして一生会えなくなってしまっても我慢するわっ」と、意味不明なことを叫びつづけ、ついにはうわぁぁぁぁんっ、と泣き崩れてしまった。
「お願いだから哲也ぁっ、目を覚ましてよぉぉぉっ!」
びぇぇぇぇえええんんっ! とやりだした彼女はまた氏家の頬を叩きはじめた。今度はビタンッビタンッと力いっぱいに。
「ちょっ、ちょっと、おばさんっ、やめてよっ」
(ひぇぇぇっ。美濃~っ、助けてよぉっ!)
肝心なときには姿を現さない担任の顔を恨めしく思い浮かべながら、俺は氏家母にとびついた。後ろから羽交い絞めにして、氏家のそばからひきはがす。
「やめてっ、くださいっ!」
「やっ、放してっ! 哲也ぁぁっ」
(よくもこんなイケメンに手をあげられるなっ)
見れば氏家の頬はかわいそうに。まっかに腫れている。
「哲也――っ、起きてよぉぉ。お母さんがっ、お母さんが悪かったからぁぁっ」
「おばさんっ、落ちついてっ、ここ病院だから、静かにしてくださいっ、って、ねぇっ⁉」
「お願い、死なないでっ。なんでも許すから、お母さんを許してっ、ねぇっ、ねぇっ、だから起きてちょうだいぃぃっ!」
「おばさんっ、死なないよっ! 氏家――、て、哲也くんは、死なないから、お願いだから落着いてっ」
「ほんとに死なない? ほんとに?」
くるりと振り向いた氏家母が抱きつこうとしてきたが、俺は反射的に彼女を突き飛ばしてしまった。
わずかに感じた彼女の胸のふくらみにゾゾッと嫌悪が走ったのだ。意外なことがきっかけで、自分が女のひとに興味がないだけじゃなく、どうやら女体に嫌悪感をもっているってことを知る。
ガーーン。
(俺ってそうだったんだ……)
自分がゲイだと確定した瞬間だった。いやいや、それよりもだ。
「おばさん、ちゃんと見て!」
俺は彼女の腕をひっぱると、氏家のまえに立たせた。
「ほらっ。よーく見てみて。哲也くんの霊体、ちゃんと均等に本人の身体にくっついてるでしょ?」
しかもしっかりエネルギッシュに輝いている。彼女はわかっているのかわかっていないのか、――いや、わかるわけないか? ――目をまんまるに見開いて息子のことを頭のさきからつま先まで眺めまわした。
つづいて俺は隣のベッドに続くカーテンをシャッと開けて、坊主のおじさんを指さした。
「おばさん、ほら、このおじさんと、哲也くん比べてみて。あぶないのはこっちのおじさんのほうなの。このひとの場合は霊体がくすんで見えるでしょ? しかも左のほうに偏っている。こういうのがヤバいんだよ」
俺は「おじさんっ! しっかりしなよっ」と彼の脛をバシバシたたくと、シャッとカーテンをもとのとおりに戻した。
「どう? わかった? 哲也くん死なないから! しかも霊体ピッチピチ‼」
「……ほ、ほんとなの?」
まぁ、そりゃ見えないよね、ふつうは。俺だって欲深い悪霊以外は、そうとう目をこらさないとちゃんとは見えないんだから。まぁ、そんなもの見たくないからそれでいいんだけどさ。
氏家母に見えないのはしかたない。かわりに俺ははっきり頷いてみせた。
「絶対哲也くんは死にません。俺が保証します」
「……そ、そう? 信じていいのかしら?」
憑き物が落ちたようにおとなしくなった氏家母が「哲也はいいお友だちを持ったわね」と呟いた。
もちろん氏家の友だちなんかじゃない俺の胸がしくっと痛む。
「あっ、いけない」
ふいに棚の上の時計を見た彼女は慌てて足もとに落としていた鞄を拾いあげると、
「達也を迎えに行かなきゃ。それじゃあ、ゆっくりしていってね、藤守くん! またねっ」
と、慌ただしく病室を飛び出していった。
(えっと‥‥‥、あれ?)
「……結局おばさんはここに何しに来たんだろう?」
あまりもの疲労と脱力感に見舞われてバタッとベッドに転がった俺は、しばらくのあいだ窓の外の傾いていく夕日を眺めて過ごした。
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