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二章 イザベラ・コンラート
13話 ファーストコンタクト
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私が選んだ扉は下段、三つ並ぶうちの真ん中。
特に悩みもせず、なんとなくで決めた。
どうせどれを選んでも変わらない。中で繋がっているに違いないから。
扉の隙間から中を覗く。
ピンと張られたワイヤーが見えた。
負荷がかからないように注意して、そのワイヤーをナイフで切断する。
それから扉の取っ手に紐を結ぶと、後ろへと下がった。
身を屈め、ゆっくりと紐を引く。
音もなく開く扉。と同時に中から何かが高速で飛び出してくる。
矢ね。
あまりに速くて見えなかったけど、頭上を通過した風きり音からいってたぶんそう。
扉が開くと自動で射るように仕掛けてたのね。
目に付くワイヤーはおとり。本命はこっち。
なかなかの知性をみせるじゃない。
ふふふ、期待しちゃう。
どこの誰だか知らないけども、ここまで趣向を凝らす人。会話できるかもって思いは膨らむじゃない?
どんな人かしら?
聞き分けのいいひとなら嬉しいんだけど……
ううん。でも、悪くたって大丈夫。
殺したりなんてしない。スペアの体があるって、とっても素敵なことだから。
こうして、まだ見ぬ容器の保存方法を思案しつつ、松明の炎で前方を照らし、ゆっくりと扉の奥へと足を踏み入れていった。
予想通り、中はとても大きな部屋だった。
奥に長い楕円が、はるか上部まで吹き抜ける筒状形のつくり。
左右の壁には、前へと張り出した多段構造のテラスが設けられている。
天井には一面の油絵。壁に直接描かれたその絵画は、食卓を囲む貴族と思わしき人たちと、その頭上を飛ぶラッパ吹きの子供の天使たちと、どこか厳かな雰囲気をかもしだしている。
また、床に並べられているのは高い背もたれのついた豪華な椅子。
横一列に連結され、それが等間隔でいくつも動かぬよう床に固定されている。
しかもこれら豪華な椅子は、ある一点に向けて角度を調節されており、着席した者の目線がそちらに向かうように計算されている。
すなわち、部屋の最奥に設置された、一段高いステージへと。
これは……劇場ね。オペラを観覧するための劇場。
なるほど、この区画に入ったとき見たパペットシアターという案内板。あれは映画館ではなくオペラを意味していたのね。
横道にそれたりしたけど、結局はこの区画の中心部に辿り着いてしまったと。
まあ、いいわ。
都市の見取り図がない以上、目的地までまっすぐというわけにはいかないから。
ただの無駄足じゃない。スペアの体、消えたキャップの行方を追うと考えればいい。コントロールルームじゃなかったのは残念だけどね。
さて、肝心の私のキャップを盗んだネズミたちはどうかしら……
――改めて劇場を見渡した。
壁や天井に備え付けられた間接照明が、部屋全体を映し出す。
連結された椅子の切れ目に取り付けられた非常灯が、ステージまでの道をまっすぐと縁取る。
遮るものは何もない。
ただ規則正しく並べられた椅子が、絨毯のように床一面に広がるのみである。
不思議ね。
あれだけいたネズミの姿がどこにも見当たらない。
ここにはもういない?
ここは彼らの巣じゃないの?
いえ、鼻をつくのはドブ臭さと獣臭。たとえ姿は見えずとも、部屋に充満するこの不快な香りが、彼らの存在を教えてくれている。
「チュッ」
どこかでネズミが小さく鳴いた。
音の方角へと目を向ける。
椅子の影からヒョコリと姿を見せたのは一匹のネズミ。
真っ白な体をしたそいつは鼻をヒクヒクさせたかと思うと、じっと私を見つめてくる。
……何?
なにか変。
これまでのネズミとは違い真っ白な体毛もそうだけど、それだけじゃない。
その瞳に宿る知性の光は、なにかを私に訴えているよう。
「お前は――」
薄暗かったステージに明かりが落ちた。
それは一つのスポットライトがつくる光の輪。ステージの中央を奇妙に照らしだす。
言いかけた言葉は途中で止まった。白いネズミのことなど、もう脳の片隅に追いやられた。
ただ、視線の先で繰り広げられる奇妙な光景に釘付けになってしまう。
ザザ、ザザザザ。
実際には音が聞こえたわけじゃなかった。でも頭の中では確かにそう聞こえた気がしたの。
どこからともなく現れた黒い小さな影。
スポットライトがつくる光の輪の中へと寄り集まる。それは、さながら街灯にむらがる蛾のよう。
やがて彼らは一本の大きな柱を作り出すと、バラリと散って崩れて、何かを残した。
人?
そう、出てきたのは人だった。
年のころは四十代か、手入れのされていないボサボサの頭。また、頬がこけた細身の男で、マントのようにボロ切れを身にまとっている。
そいつが、体と頭を左右にプルンと震わすと、宙を見つめたままポツリと言葉を発した。
「オハヨウ……いいあさダネ」
鳥肌が立った。
アレは危険だと本能が訴える。
こんなことは初めて。
すぐさま銃を構えた。
そして……引き金を引いた。
タンという銃声がこだまする。
しかし、放たれた弾丸は男に到達することはなかった。
何故なら私が引き金を引くより早く、男の前で黒い塊が盛り上がったから。
ネズミ。黒い塊の正体は大量のネズミ。
その分厚い肉の壁に遮られて、弾丸は男まで届かない。
突如、部屋全体に影がさした。
暗かった部屋が更に暗くなる。
周囲を見回すと、大きな黒い塊がいくつもできていた。
間接照明の前、ロビーへと続く五つの扉。まるで逃げ道を塞ぐかのように盛り上がる。
でもそれだけじゃない、その数はみるみるうちに増えていき、やがて積み上げた土嚢のように部屋を大きく囲ってしまう。
まさか、あれ全部がネズミ!?
押し合いへしあい、うごめく小さな影たち。影の上に影が折り重なる。
そんな彼らは一瞬動きを止めると……一斉にこちらへと視線を向けた。
来る!
まさに堰を切るとはこのことか。決壊したダムの水のように押し寄せるネズミども。
うずまき、うねり、濁流となって、私を飲み込まんとする。
なんて数なの! 手榴弾でどうにかなるレベルじゃない!!
奴らを止めるにはどうしたらいい?
男を狙う? こいつが操っているに違いないから。
でも、それで間に合う?
再び男へと目を向ける。
盛り上がったネズミの山で、今は姿が見えない。
銃も届かない、手榴弾も間に合わない。
たどたどしい言葉であいさつを発した男。
ならば私のすべきことは……
「ええ、おはよう、よ!!」
男へと挨拶をかえした。
特に悩みもせず、なんとなくで決めた。
どうせどれを選んでも変わらない。中で繋がっているに違いないから。
扉の隙間から中を覗く。
ピンと張られたワイヤーが見えた。
負荷がかからないように注意して、そのワイヤーをナイフで切断する。
それから扉の取っ手に紐を結ぶと、後ろへと下がった。
身を屈め、ゆっくりと紐を引く。
音もなく開く扉。と同時に中から何かが高速で飛び出してくる。
矢ね。
あまりに速くて見えなかったけど、頭上を通過した風きり音からいってたぶんそう。
扉が開くと自動で射るように仕掛けてたのね。
目に付くワイヤーはおとり。本命はこっち。
なかなかの知性をみせるじゃない。
ふふふ、期待しちゃう。
どこの誰だか知らないけども、ここまで趣向を凝らす人。会話できるかもって思いは膨らむじゃない?
どんな人かしら?
聞き分けのいいひとなら嬉しいんだけど……
ううん。でも、悪くたって大丈夫。
殺したりなんてしない。スペアの体があるって、とっても素敵なことだから。
こうして、まだ見ぬ容器の保存方法を思案しつつ、松明の炎で前方を照らし、ゆっくりと扉の奥へと足を踏み入れていった。
予想通り、中はとても大きな部屋だった。
奥に長い楕円が、はるか上部まで吹き抜ける筒状形のつくり。
左右の壁には、前へと張り出した多段構造のテラスが設けられている。
天井には一面の油絵。壁に直接描かれたその絵画は、食卓を囲む貴族と思わしき人たちと、その頭上を飛ぶラッパ吹きの子供の天使たちと、どこか厳かな雰囲気をかもしだしている。
また、床に並べられているのは高い背もたれのついた豪華な椅子。
横一列に連結され、それが等間隔でいくつも動かぬよう床に固定されている。
しかもこれら豪華な椅子は、ある一点に向けて角度を調節されており、着席した者の目線がそちらに向かうように計算されている。
すなわち、部屋の最奥に設置された、一段高いステージへと。
これは……劇場ね。オペラを観覧するための劇場。
なるほど、この区画に入ったとき見たパペットシアターという案内板。あれは映画館ではなくオペラを意味していたのね。
横道にそれたりしたけど、結局はこの区画の中心部に辿り着いてしまったと。
まあ、いいわ。
都市の見取り図がない以上、目的地までまっすぐというわけにはいかないから。
ただの無駄足じゃない。スペアの体、消えたキャップの行方を追うと考えればいい。コントロールルームじゃなかったのは残念だけどね。
さて、肝心の私のキャップを盗んだネズミたちはどうかしら……
――改めて劇場を見渡した。
壁や天井に備え付けられた間接照明が、部屋全体を映し出す。
連結された椅子の切れ目に取り付けられた非常灯が、ステージまでの道をまっすぐと縁取る。
遮るものは何もない。
ただ規則正しく並べられた椅子が、絨毯のように床一面に広がるのみである。
不思議ね。
あれだけいたネズミの姿がどこにも見当たらない。
ここにはもういない?
ここは彼らの巣じゃないの?
いえ、鼻をつくのはドブ臭さと獣臭。たとえ姿は見えずとも、部屋に充満するこの不快な香りが、彼らの存在を教えてくれている。
「チュッ」
どこかでネズミが小さく鳴いた。
音の方角へと目を向ける。
椅子の影からヒョコリと姿を見せたのは一匹のネズミ。
真っ白な体をしたそいつは鼻をヒクヒクさせたかと思うと、じっと私を見つめてくる。
……何?
なにか変。
これまでのネズミとは違い真っ白な体毛もそうだけど、それだけじゃない。
その瞳に宿る知性の光は、なにかを私に訴えているよう。
「お前は――」
薄暗かったステージに明かりが落ちた。
それは一つのスポットライトがつくる光の輪。ステージの中央を奇妙に照らしだす。
言いかけた言葉は途中で止まった。白いネズミのことなど、もう脳の片隅に追いやられた。
ただ、視線の先で繰り広げられる奇妙な光景に釘付けになってしまう。
ザザ、ザザザザ。
実際には音が聞こえたわけじゃなかった。でも頭の中では確かにそう聞こえた気がしたの。
どこからともなく現れた黒い小さな影。
スポットライトがつくる光の輪の中へと寄り集まる。それは、さながら街灯にむらがる蛾のよう。
やがて彼らは一本の大きな柱を作り出すと、バラリと散って崩れて、何かを残した。
人?
そう、出てきたのは人だった。
年のころは四十代か、手入れのされていないボサボサの頭。また、頬がこけた細身の男で、マントのようにボロ切れを身にまとっている。
そいつが、体と頭を左右にプルンと震わすと、宙を見つめたままポツリと言葉を発した。
「オハヨウ……いいあさダネ」
鳥肌が立った。
アレは危険だと本能が訴える。
こんなことは初めて。
すぐさま銃を構えた。
そして……引き金を引いた。
タンという銃声がこだまする。
しかし、放たれた弾丸は男に到達することはなかった。
何故なら私が引き金を引くより早く、男の前で黒い塊が盛り上がったから。
ネズミ。黒い塊の正体は大量のネズミ。
その分厚い肉の壁に遮られて、弾丸は男まで届かない。
突如、部屋全体に影がさした。
暗かった部屋が更に暗くなる。
周囲を見回すと、大きな黒い塊がいくつもできていた。
間接照明の前、ロビーへと続く五つの扉。まるで逃げ道を塞ぐかのように盛り上がる。
でもそれだけじゃない、その数はみるみるうちに増えていき、やがて積み上げた土嚢のように部屋を大きく囲ってしまう。
まさか、あれ全部がネズミ!?
押し合いへしあい、うごめく小さな影たち。影の上に影が折り重なる。
そんな彼らは一瞬動きを止めると……一斉にこちらへと視線を向けた。
来る!
まさに堰を切るとはこのことか。決壊したダムの水のように押し寄せるネズミども。
うずまき、うねり、濁流となって、私を飲み込まんとする。
なんて数なの! 手榴弾でどうにかなるレベルじゃない!!
奴らを止めるにはどうしたらいい?
男を狙う? こいつが操っているに違いないから。
でも、それで間に合う?
再び男へと目を向ける。
盛り上がったネズミの山で、今は姿が見えない。
銃も届かない、手榴弾も間に合わない。
たどたどしい言葉であいさつを発した男。
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