殺人鬼アダムと狂人都市

ウツロ

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一章 ベン・カフスマン

8話 感情

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 銃の弾を抜きチケットカウンターに乗せると、しばらくして扉が開いた。
 両手の平をしっかりと見せたまま、中へと入っていく。

 部屋の広さは横幅三メートル、奥行き四メートルほど。
 窓はなく、進入口は今入ってきた扉と、奥に見える扉の二つだ。
 設置されている物はあまり多くない。壁際にワンセットの机と椅子、古いモニター。そして部屋の中央でクロスボウをこちらへと向ける一人の女だ。

「ドアをロックして」

 女の言葉に頷くと、背後の扉にロックをかける。
 声が硬い。さすがに警戒している。だが安心を与えれば、それも薄れよう。

「今から銃を置く」

 肩にかけていたカービン銃をおろし、壁際へと立てかける。
 それから、再び手を上げると、ゆっくりと女の方へ向き直った。

 年の頃は二十台前半か、青いドレスに赤い靴、ブロンドの髪を後ろで束ねた、気の強そうな顔立ち。
 美人ではある。が、目の周りにできた大きなクマが、女としての魅力を著しく損なっている。
 そんな女は依然として、こちらへとクロスボウの狙いを定めたままだ。
 
「そろそろ手を下ろしていいかな? 五十肩なんだ」

 冗談ではあったが、実際に辛いのも確かだ。足も痛いし背中も痛い。気持ちで抑え込むには、この肉体は弱すぎる。
 一方、俺の言葉を聞いた女は、頭のてっぺんから足の爪先までジロリと目を這わせてくる。それから、ふうと息を吐くと、ゆっくりとクロスボウを下ろした。

「いいわ。ついてきて」

 背中を向ける女。その後を追い、奥の部屋へと歩いていった。



――――――



 部屋の中は綺麗に片付いていた。
 小さなキッチンにベビーベッド。赤い絨毯の上に革張りのソファーが一つ。
 それから奥のスチールの棚に並ぶのは多数の保存食。どれもラベルが正面を向いており、一目で品目が把握できる置き方が、女の几帳面さを物語っているようだ。

「ちょっと待ってて」

 女はキッチンに向かうと蛇口をひねる。手にしたガラスのコップに水が注がれていく。

 水……出るのか。
 コップを受け取ると、女にうながされるままソファーへと腰かける。

「すまない。助かったよ。もう少しで干からびるところだった」

 それだけ言うと、コップの水を一気に飲み干した。
 なんともうまい。乾き切った体に染み渡っていくようだ。

「大変だったみたいね。よかったら、もう一杯いかが? 水なら十分あるから」

 遠慮する理由など見当たらない。
 水のおかわりを受け取る。

「あなた一人なの? よく生きてられたわね」
「ああ、運がよかった。逃げ込んだ部屋に僅かばかりだが食料があったんだ。それでなんとか凌いでいたんだが……」

 こうして当たり障りのない話から始め、徐々に踏み込んだ内容へとシフトしていった。しかしそれは、なかなか骨が折れる作業であった。
 俺には過去の記憶がない。もちろん自身の記憶ではなく、肉体の持ち主だったベン・カフスマンの記憶がだ。
 だから不自然にならぬよう、言葉に気を付ける必要がある。
 
 結果得た情報は、女の名前がイザベラであること、街の機能がマヒして二年が経過したこと、またそれにともない電子マネーが意味をなくし、遊びとしての側面が強かったボトルキャップでの自動販売機が物資の主な供給源となったことなどだ。
 当然、物資の奪い合いはあちこちで起きる。もはや海底都市は、強盗はもとより、あらゆる犯罪が絶え間なく繰り広げられる無法地帯になってしまった。

 そして、話はいよいよ、核心部分へとむかう。
 いかにして皆が狂人となったかだ。
 しかし……

「ごめんなさい。赤ん坊にミルクをあげていいかしら?」

 イザベラのこの言葉で中断されてしまった。
 チッ、よいところで。
 ――だが、まあよい。女の機嫌が良くなれば、その分舌も軽くなるだろう。
 鞄から粉ミルクを取り出すと、つとめて笑顔を見せる。

「こちらも渡しておこう。最後の一個だ」
「ありがとう、助かるわ」

 イザベラは粉ミルクを受け取ると、ポットで湯を沸かし始めた。
 それから、缶切りで、粉ミルクの缶を開いていく。

 ギコギコギコ。

 静まった部屋に響くのは、缶を切る音だけ。
 一秒がやけに長く感じる……

「なあ、手を動かしたままで構わないんだが。答えてもらってもいいか?」

 やはり街の機能がマヒする要因となったであろう狂人化の話は、捨て置けない。
 再びイザベラへと質問をしていく。ただし、しっかりと言葉を選んで。

「その……なんだ。街がこうなってしまった一番の原因は何だと思う?」

 ズバリ、何でイカれた? と聞けないところが、なんとも歯がゆい。

「え? ええ、そうね。初期の感染を食い止められなかったのが一番大きいわ」

 感染? 感染と言ったか?
 そうだなと相槌を打ちつつも、考えをめぐらす。

 この都市の住人が狂ってしまった原因はウィルスの類か。 
 だとすると厄介だぞ。未知のウィルスならば、治療はもとより、防ぐ手立ても分からない。コイツは早めに脱出する必要がありそうだ。
 
「気付いた時にはもう手遅れだったわ。皆が疑心暗鬼になるには、そう時間がかからなかった」

 パンデミックか。まあ、そうなるだろうな。
 見えない敵と戦える者は少ない。結局は内側から瓦解していったワケか。
 
「殺人。そう、殺人事件が急速に増えだした時に手を打っていれば!」

 なるほど。大体の話は分かった。
 この際ウィルスの正体や、どこから来たのかはどうでもよい。
 医者の真似事をするつもりもなければ、壷の中で一緒に熟成してやるつもりもないからな。
 とにかく脱出経路だ。
 潜水艇のようなものがあればいいのだが。

「なあ、イザベラ。ここから――」
「やはり情けをかけちゃ駄目なのよ。被害を抑えるには決断をしなきゃ!」

 こちらの言葉に被せてくるイザベラ。
 ……どうも様子がおかしい。
 過去を思い出して感情的になっているのか?
  
「症状がでてからでは駄目。遅い、遅い、遅い」

 それにかなりの早口だ。
 おまけに視線も宙を彷徨っている。

「どんな姿だって気を許しちゃいけない。私には守るべきものがある」

 口のすみに泡を溜めながら、なおもまくしたてる。

「もう同じ過ちは繰り返さない。一人残らず駆除するの!!」


 そのとき、ポットがピィと音を立てた。
 イザベラはハッと我に返ると、粉ミルクを哺乳瓶へと入れ、湯を注ぐ。

「ごめんなさい。泣かないで。今あげるから」

 彼女はベッドから赤ん坊を抱き上げると、あやしつけるように上下に揺らした。

「これで夜泣きも収まるわね」

 そう言って哺乳瓶を、赤ん坊の口へと運ぶ。
 お湯は沸騰したばかり、ミルクはかなりの熱さのはずだ。
 だが、赤ん坊は泣き声一つ立てない。

 それもそのはず。イザベラの抱える赤ん坊は、塩化ビニール製のオモチャだったからだ。

 この女も狂っていたのか……
 ――いや、子供を守る。その強い心がギリギリで正気を保たせていたのかも知れない。たとえそれが、己の作り出した妄想だったとしても。
 母は強しか。
 しかし、俺には理解できない感情だな。大事なのは己の命、生きていれば、再び子を得る可能性もあるだろうに。

 まあ、そんな事はどうでもよい。
 問題はこれからどうするかだ。

「さて、イザベラ。俺はそろそろ出て行こうと思う。潜水艇のようなものがある場所を知らないか?」

 教えてはもらえないだろうなと思いつつ、そう言葉を投げかけた。

「ふふふ。駄目よ、逃がさないわ」

 イザベラはそっとオモチャの赤ん坊をベッドに置くと、クロスボウをこちらへと向ける。
 ……やはりこうなってしまったか。
 ふう、息をつくと、彼女の目を見ながら語りかける。

「イザベラ。俺の目的はここから出ることだ。それも可能な限り早く。引き止めること、ましてや殺すことに意味があるとは思えない」
「ふん! 白々しい。あなた、私を殺してここの食料を奪うつもりでしょう? 分かってる。やられる前にやる。そうしなきゃいけないの!」

 駄目か。いや、一瞬目が揺れ動いたか?
 もしや迷っている?
 ならば会話を続けよう。

「君の食料を奪うつもりはない。そんなことをしても、ただの一時しのぎだ。イザベラ、一緒に行こう。この街からでるんだ。ここに篭っていても未来はない」

 そう言って彼女に手を差し出す。

「そんな手に騙されるもんですか。全部見ていたのよ。あなたが殺して奪う、一部始終をね」

 ……見ていた?
 店舗を漁り、マネキン女どもを殺していたところをか?
 しかし、どうやって……
 ――そうか、監視カメラ。
 入ってすぐの部屋、古びたモニターが置いてあった。あれが監視モニターだったかもしれんな。

「渡さない。ここにあるものは全部、私とこの子の物なの。そうよ。やがて、この子が大きくなったときに必要なの」

 完全に妄想の世界へと旅立ってしまっている。
 だが、俺にはイザベラが必要だ。なんとか冷静さを保ってもらいたい。

「イザベラ。ここにある食料では生きていくことは不可能だ。全然足らない。いずれ君も誰かから奪う選択をしいられることとなる。生きる為にね」
「……」

「その子の為にも、ここを脱出する必要があるんだ。よく考えろ」
「そう……分かったわ。あなた、やっぱり……奴らの一味ね」

「奴ら?」
「いいえ、あなたこそが元凶ね。あなたがウィルスをばら撒いた。そうして何もかも奪っていくのよ」

 支離滅裂だ。
 こうして脳内で勝手なストーリーを作り上げ、互いに殺し合うのだな。

「あの子は渡さない。もちろん食料もね」

 クロスボウの照準が俺へと向けられる。
 引き金にかけられた指は、今にも引かれそうだ。

「イザベラ――」
「うるさい! 薄汚い盗人には罰が必要。罪人らしく、みじめに死――」

 彼女の言葉はそこでプッツリと途絶えた。




――――――



 足元には白髪混じりの長身の男が寝転がっている。
 ベン・カフスマン、先程まで俺だった男だ。

 俺はサイコダイバー。相手を倒すのに銃はいらない。
 ただ言葉を交わせばいいだけだ。

 やはり、若い体は良い。濡れて重くなった服を脱ぎ捨てたようだ。
 それに足も痛くなければ、息も苦しくない。健康とはなんと有り難いものだろう。

 クロスボウの引き金を引く。
 矢はベン・カフスマンの頭部を綺麗に貫いた。

 イザベラ。大丈夫だ。これで彼がここの食料を奪うことはない。永遠に。
 その代わりと言っちゃあなんだが、ちょっとだけ体を貸してくれよな。

 ベン・カフスマンの体に足を乗せ、頭部に刺さったクロスボウの矢を引き抜く。
 固いな。それにスカートが少々邪魔だ。ズボンに履き替えるべきか。

 …………
 ……

 その時、ふと、心の底から湧き上がる奇妙な感覚に気が付いた。
 今まで幾多の体に乗り換えてきたが、こんなことは初めてだ。
 この感覚は何だ? 不安? いや少し違う。だが何らかの感情であることは理解できる。

 何であろうか……


「……ぉ……」

 その時、何かが聞こえた。

「おぎゃー、オギャー」

 泣き声? 
 どうやら赤ん坊の泣き声のようだ。

 しかし、どこから……

 気付けばベビーベッドへと足が向いていた。
 中には誰かを呼んで泣きじゃくる赤ん坊の姿がある。

 ドクンと胸が跳ねた。
 誰だ? いや、知っている。
 そうだアダム、この子の名はアダムだ。
 震える手で赤子を抱くとそっと囁きかける。

「すまない。怖かったろう。もう大丈夫だ」

 頬をなでる私の人差し指を、小さな手で掴んでくるアダム。
 ここの環境は子育てに適していない。この子のタメにも出て行く必要がある。
 私は街からの脱出を強く心に誓うと、愛しい我が子をギュッと抱きしめた。


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