3 / 16
愛親覚羅ヌルハチの大汗即位
しおりを挟む「なんだと、兄が鄧禹に殺された!」
李宝には弟がいた。史書に名前が残っていない以上、それほどの男ではなかったかもしれないが、弟として兄を殺されて憤怒するのは当然であろう。
彼は鄧禹との対面に臨場せず、兄の部隊を預かって待機していた。そこにこの凶報である。弟は呆然とした直後、決然として鄧禹への復讐を誓うと、部隊の兵へその意思を説き、彼らを味方につけることに成功した。もともと弟自身がこの部隊の副将であったし、兵も李宝の子飼いである以上、これは難しいことではなかった。
だが復讐自体は困難を極める。鄧禹の本陣は当然のことながら兵は多く、また今そこには劉嘉がいて、彼の兵も近くに駐屯していた。
李宝同様、弟にとっても劉嘉は主君だが、彼が兄の謀殺を受け容れたのであれば、鄧禹共々討つのにためらいはない。しかし鄧禹兵だけでも困難であるのに、劉嘉兵まで斬り破って彼らを討ち取るのは不可能である。
「よし、ならばせめて一矢を報いてくれる」
弟は歯噛みしながら周囲を見回す。と、一つの部隊が少し離れたところに駐屯しているのを見つけた。
鄧禹配下の赤眉将軍・耿訢の部隊である。
弟にとって相手は誰でもよかった。自分の部隊でも充分に戦果が見込め、鄧禹に一泡吹かせるに適当な規模の部隊であれば誰でも構わなかったのだ。
「あの部隊に夜襲をかけるぞ。準備せよ」
弟は自軍の兵にひそかに伝えると、他の部隊にばれないよう夜襲の準備を始めた。
その夜、鄧禹は接収した一家屋で眠っていた。
李宝を斬った件について、劉嘉や来歙への説明はさほど困難ではなかった。理と、皇帝である劉秀の意とをからめての弁は、彼らを納得させた。何の相談もなくいきなりのことだったため、いささかのしこりは残っているかもしれないが、さほど深刻なものでないのは鄧禹にも見て取れる。またこれは鄧禹も知らぬことだったが、彼ら二人もすでに李宝に小さな疑念を持っていたことも事を荒立てない一因だったのだろう。
宴は礼儀を損なわないなごやかさで終始し、劉嘉の降伏は成り、彼は準備の後洛陽へ向かい、劉秀に直接拝謁することも決まった。
また劉嘉はこの日もこれまで通り雲陽城内で寝み、鄧禹が城外で寝ることともなった。これは皇族である劉嘉に対する礼もあるが、鄧禹が自軍からあまり離れたくないという事情もある。
事ここに至ってまずありえないが、万が一劉嘉が襲ってきたとき、即応する必要があるためだ。
このあたり乱世で生きる鄧禹に甘さはなく、劉嘉もその意図を薄く感じ取っていたが、なにも言わなかった。
それゆえ一応は様々に懸念の片付いた鄧禹は、久しぶりに深く安眠できていたのだが、その眠りを破る凶報が飛び込んできた。
「赤眉将軍(耿訢)の陣が襲われております!」
どれほど深く眠っていても即座に覚醒できるのは、乱世の将軍にとって必要な資質の一つである。鄧禹もそれを持ち合わせていたが、状況に対しての混乱は他の兵と変わらなかった。
「誰の襲撃か! どこからだ!」
「わかりませぬ。現在調べている最中ですが、とにかくまずはご報告をと思いましたもので」
報せに来た兵の言うことはもっともなので鄧禹もそれ以上は怒気を飲み込み、急ぎ牀(寝台)から起き上がると、従卒に手伝わせて着替えと武装を急ぐ。
だがこのときすでに耿訢は討ち取られ、襲ってきた兵は逃走に入っており、鄧禹が兵をひきいて駆けつけたときは、完全に逃げ去った後だった。
襲撃してきたのは当然李宝の弟の部隊で、彼らは完全に油断していた耿訢の陣へ飛び込むと、脇目も振らず大将の陣へ突入し、彼を撃殺してしまったのである。もともと鄧禹に一泡吹かせることが目的だっただけに、それ以上は求めず逃げ去ってしまったことが成功の要因だった。
鄧禹は李宝に弟がいて、彼と一緒に劉嘉に臣従していたことを知っていたのだろうか。
知っていたとすれば兄を殺した後、彼を放置していたことが解せない。
知らなかったとすれば、彼の存在を劉嘉たちは鄧禹に教えていなかったのだろうか。
あるいは劉嘉は、鄧禹が弟のことをすでに知っていて、そちらへの対処も独自におこなうであろうと考え、何も言わなかったのかもしれない。
いずれにせよ、鄧禹はこれで遠征当初からひきいてきた将軍をまた一人失った。
李宝をいきなり処刑するという果断を選んだにしては事後処理に難がありすぎ、その報いを受ける形となってしまったが、これもまた鄧禹の失調がさらに浮き彫りになる結果と言えた。
李宝の弟たちのその後はわからない。どこかの勢力に吸収されたか、野盗となったか、それとも窮死したか。
劉嘉としてもこれは部下の不始末ということになるが、原因が鄧禹の拙速のせいでもあり、互いに非難も抗議もできない気まずさを残したまま、彼は劉秀に会うため、洛陽へ向けて出立することとなった。
劉嘉から兵を借りるという話は、ついに切り出すことができなかった。
李宝には弟がいた。史書に名前が残っていない以上、それほどの男ではなかったかもしれないが、弟として兄を殺されて憤怒するのは当然であろう。
彼は鄧禹との対面に臨場せず、兄の部隊を預かって待機していた。そこにこの凶報である。弟は呆然とした直後、決然として鄧禹への復讐を誓うと、部隊の兵へその意思を説き、彼らを味方につけることに成功した。もともと弟自身がこの部隊の副将であったし、兵も李宝の子飼いである以上、これは難しいことではなかった。
だが復讐自体は困難を極める。鄧禹の本陣は当然のことながら兵は多く、また今そこには劉嘉がいて、彼の兵も近くに駐屯していた。
李宝同様、弟にとっても劉嘉は主君だが、彼が兄の謀殺を受け容れたのであれば、鄧禹共々討つのにためらいはない。しかし鄧禹兵だけでも困難であるのに、劉嘉兵まで斬り破って彼らを討ち取るのは不可能である。
「よし、ならばせめて一矢を報いてくれる」
弟は歯噛みしながら周囲を見回す。と、一つの部隊が少し離れたところに駐屯しているのを見つけた。
鄧禹配下の赤眉将軍・耿訢の部隊である。
弟にとって相手は誰でもよかった。自分の部隊でも充分に戦果が見込め、鄧禹に一泡吹かせるに適当な規模の部隊であれば誰でも構わなかったのだ。
「あの部隊に夜襲をかけるぞ。準備せよ」
弟は自軍の兵にひそかに伝えると、他の部隊にばれないよう夜襲の準備を始めた。
その夜、鄧禹は接収した一家屋で眠っていた。
李宝を斬った件について、劉嘉や来歙への説明はさほど困難ではなかった。理と、皇帝である劉秀の意とをからめての弁は、彼らを納得させた。何の相談もなくいきなりのことだったため、いささかのしこりは残っているかもしれないが、さほど深刻なものでないのは鄧禹にも見て取れる。またこれは鄧禹も知らぬことだったが、彼ら二人もすでに李宝に小さな疑念を持っていたことも事を荒立てない一因だったのだろう。
宴は礼儀を損なわないなごやかさで終始し、劉嘉の降伏は成り、彼は準備の後洛陽へ向かい、劉秀に直接拝謁することも決まった。
また劉嘉はこの日もこれまで通り雲陽城内で寝み、鄧禹が城外で寝ることともなった。これは皇族である劉嘉に対する礼もあるが、鄧禹が自軍からあまり離れたくないという事情もある。
事ここに至ってまずありえないが、万が一劉嘉が襲ってきたとき、即応する必要があるためだ。
このあたり乱世で生きる鄧禹に甘さはなく、劉嘉もその意図を薄く感じ取っていたが、なにも言わなかった。
それゆえ一応は様々に懸念の片付いた鄧禹は、久しぶりに深く安眠できていたのだが、その眠りを破る凶報が飛び込んできた。
「赤眉将軍(耿訢)の陣が襲われております!」
どれほど深く眠っていても即座に覚醒できるのは、乱世の将軍にとって必要な資質の一つである。鄧禹もそれを持ち合わせていたが、状況に対しての混乱は他の兵と変わらなかった。
「誰の襲撃か! どこからだ!」
「わかりませぬ。現在調べている最中ですが、とにかくまずはご報告をと思いましたもので」
報せに来た兵の言うことはもっともなので鄧禹もそれ以上は怒気を飲み込み、急ぎ牀(寝台)から起き上がると、従卒に手伝わせて着替えと武装を急ぐ。
だがこのときすでに耿訢は討ち取られ、襲ってきた兵は逃走に入っており、鄧禹が兵をひきいて駆けつけたときは、完全に逃げ去った後だった。
襲撃してきたのは当然李宝の弟の部隊で、彼らは完全に油断していた耿訢の陣へ飛び込むと、脇目も振らず大将の陣へ突入し、彼を撃殺してしまったのである。もともと鄧禹に一泡吹かせることが目的だっただけに、それ以上は求めず逃げ去ってしまったことが成功の要因だった。
鄧禹は李宝に弟がいて、彼と一緒に劉嘉に臣従していたことを知っていたのだろうか。
知っていたとすれば兄を殺した後、彼を放置していたことが解せない。
知らなかったとすれば、彼の存在を劉嘉たちは鄧禹に教えていなかったのだろうか。
あるいは劉嘉は、鄧禹が弟のことをすでに知っていて、そちらへの対処も独自におこなうであろうと考え、何も言わなかったのかもしれない。
いずれにせよ、鄧禹はこれで遠征当初からひきいてきた将軍をまた一人失った。
李宝をいきなり処刑するという果断を選んだにしては事後処理に難がありすぎ、その報いを受ける形となってしまったが、これもまた鄧禹の失調がさらに浮き彫りになる結果と言えた。
李宝の弟たちのその後はわからない。どこかの勢力に吸収されたか、野盗となったか、それとも窮死したか。
劉嘉としてもこれは部下の不始末ということになるが、原因が鄧禹の拙速のせいでもあり、互いに非難も抗議もできない気まずさを残したまま、彼は劉秀に会うため、洛陽へ向けて出立することとなった。
劉嘉から兵を借りるという話は、ついに切り出すことができなかった。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
残影の艦隊~蝦夷共和国の理想と銀の道
谷鋭二
歴史・時代
この物語の舞台は主に幕末・維新の頃の日本です。物語の主人公榎本武揚は、幕末動乱のさなかにはるばるオランダに渡り、最高の技術、最高のスキル、最高の知識を手にいれ日本に戻ってきます。
しかし榎本がオランダにいる間に幕府の権威は完全に失墜し、やがて大政奉還、鳥羽・伏見の戦いをへて幕府は瓦解します。自然幕臣榎本武揚は行き場を失い、未来は絶望的となります。
榎本は新たな己の居場所を蝦夷(北海道)に見出し、同じく行き場を失った多くの幕臣とともに、蝦夷を開拓し新たなフロンティアを築くという壮大な夢を描きます。しかしやがてはその蝦夷にも薩長の魔の手がのびてくるわけです。
この物語では榎本武揚なる人物が最北に地にいかなる夢を見たか追いかけると同時に、世に言う箱館戦争の後、罪を許された榎本のその後の人生にも光を当ててみたいと思っている次第であります。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

猿の内政官の息子 ~小田原征伐~
橋本洋一
歴史・時代
※猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~という作品の外伝です。猿の内政官の息子の続編です。全十話です。
猿の内政官の息子、雨竜秀晴はある日、豊臣家から出兵命令を受けた。出陣先は関東。惣無事令を破った北条家討伐のための戦である。秀晴はこの戦で父である雲之介を超えられると信じていた。その戦の中でいろいろな『親子』の関係を知る。これは『親子の絆』の物語であり、『固執からの解放』の物語である。
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
戦国九州三国志
谷鋭二
歴史・時代
戦国時代九州は、三つの勢力が覇権をかけて激しい争いを繰り返しました。南端の地薩摩(鹿児島)から興った鎌倉以来の名門島津氏、肥前(現在の長崎、佐賀)を基盤にした新興の龍造寺氏、そして島津同様鎌倉以来の名門で豊後(大分県)を中心とする大友家です。この物語ではこの三者の争いを主に大友家を中心に描いていきたいと思います。
枢軸国
よもぎもちぱん
歴史・時代
時は1919年
第一次世界大戦の敗戦によりドイツ帝国は滅亡した。皇帝陛下 ヴィルヘルム二世の退位により、ドイツは共和制へと移行する。ヴェルサイユ条約により1320億金マルク 日本円で200兆円もの賠償金を課される。これに激怒したのは偉大なる我らが総統閣下"アドルフ ヒトラー"である。結果的に敗戦こそしたものの彼の及ぼした影響は非常に大きかった。
主人公はソフィア シュナイダー
彼女もまた、ドイツに転生してきた人物である。前世である2010年頃の記憶を全て保持しており、映像を写真として記憶することが出来る。
生き残る為に、彼女は持てる知識を総動員して戦う
偉大なる第三帝国に栄光あれ!
Sieg Heil(勝利万歳!)
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる