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サルフ戦役(二)

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 この時、杜松に率いられた明軍の不幸は、行軍が大雪にみまわれたことだった。
『渡河の日おりしも雪降る。寒威峭削、士卒みな戦慄して、営を結ぶに至らず』
およそ三万の軍勢が渾河を渡河しようとするも、雪と寒波のため中々うまくいかない。溺死する者、寒さのあまり心臓麻痺をおこす者などが続出し、多くの犠牲者をだすこととなった。それでもなお猛将杜松の戦意は挫けることなく、自ら裸身大呼して河を渡ったとある。全軍の渡河が終わると、たちまちのうちに眼前にそびえ立つ、後金の兵が手薄のサルフ山を占拠することとなった。
 
 杜松はさらに、対岸のジャイフィアン山を手薄と見ると、軍の半数を残して再度渡河を決行。山を幾重にも包囲した。この時、ジャイフィアン山を守っていたのは、ヌルハチの甥にあたる、正黄旗の旗手をまかされたアミンだった。
 三月一日未明を期して、杜松軍による総攻撃は開始された。
「よいか後退しながら弓を放ち、敵を消耗させろ。父上及び主力の部隊の到着まで、少しでも時をかせげ」
 アミンは素早く全軍に指示をだした。
 果たして明軍は、すでに幾度にもおよぶ渡河作戦で消耗しきっているうえに、さらなる不幸は、この数日の積雪であった。山頂に築かれた堅固な敵の陣地を攻略しようにも、降り積もった雪と、雪まじりの強風が視界をさえぎることとなった。一寸先は闇の山頂から弓矢が凄まじい勢いで飛来する。明軍は、凍結した山の斜面で足を滑らす者もおり混乱をきわめた。
 昼を待たず、明軍の突撃は勢いを失速しはじめる。
「よし頃合はよし。例のものを用意しろ」
 アミンの命令で出現したのは、巨大な雪の玉だった。それは斜面をものすごい勢いで転がり、消耗しきった明兵に強力なダメージを与えた。多くの将兵が恐怖の叫びとともに、雪にその身を埋めることとなった。かくして明軍の第一次攻撃は失敗に終わり、杜松は新たな作戦を迫られることとなった。

 
 その頃、ヌルハチはヘトゥアラにおり軍事演習の最中だった。明軍動くの報に接しヌルハチは、
「確かな報であろうな」
 と、まず疑念をていした。
「間違いありませぬ」
 長子の代善が、ややもすると血気にはやった様子でいった。
「待て、この雪道での行軍は厳しいものがあるぞ」
 ヌルハチは明らかに躊躇していた。
「父上、もしや父上は今この事態に及んで、アミンを見殺しにされるつもりか?」
 思わず代善は父の本心を疑った。


  アミンは、ヌルハチの弟シュルハチの第二子だった。しかしこのシュルハチなる人物は、一六〇九年にヌルハチに対する謀反の罪で幽閉され、そのまま世を去った。その際ヌルハチはアミンをも殺そうとしたが、この時、猛然と反対したのが兄弟同然に育った代善だった。
「アミンには罪はありませぬ。罪なき者を殺すは、父上が常日頃から申している天道に反するのではござりませぬか」
 ヌルハチは困惑し、とりあえずしばしの間、アミンを幽閉することにした。ところがアミンが幽閉されてから数日が過ぎ、失火によるものか、あれいは何者かによる放火であるのか、小屋が焼けてしまった。

 体の自由を奪われていたアミンは、もはや死を待つのみの有様であったが、この光景を目の当たりにした代善は、身の危険をかえりみず小屋に侵入、火傷をおいながらもアミンを救出してしまう。
 ヌルハチは激しく後悔した。ふとあの時のことが思いだされた。祖父と父を明によって焼き殺された時のことである。あの時、燃えさかる炎を目の当たりにしながら、己は何もできなかったではないか……。
 その日以来ヌルハチは、アミンを自らの子同様に育ててきた。そして今回は、アミンは自らすすんで、もっとも危険なサルフの防備を申し出たのである。
「今回ばかりは死ぬぞ、それでもよいか」
 ヌルハチは念を押した。
「それがし御恩に報いるは今であると確信しております。死など怖くはありませぬ」
 アミンは、はっきりいった。


「恐れながら父上、父上がゆかぬと申すなら、それがし死出の旅路の先がけつかまつる」
 代善は素早く馬首をかえした。それを見たヌルハチもまた決断した。ヌルハチ率いる後金主力軍の大反転作戦が開始されたのである。なにしろ女真人は物心つくと同時に騎乗する。馬は体の一部といっても過言ではない。しかも平野をかけまわることに慣れた女真族の馬は、四百メートルほどの距離を無酸素呼吸で一気に走りぬける。特にこの時のヌルハチの行軍はすさまじく、約五十キロの距離を六時間で走破するという驚くべきものだった。
 

 
 ついに戦場に到着したヌルハチは、まずサルフ山の火器部隊を攻撃する。かすかに雪が降りしきる中、明軍は予期せぬ後金軍の出現に、まったく不意をつかれた形となった。雪で火器が使えないことも災いし、サルフ山の部隊はたちどころに壊滅した。
 さらにヌルハチは、ジャイフィアン山を囲むように布陣していた杜松の部隊にも襲いかかった。杜松の部隊は、後金軍の迅速な動きを把握することができず、闇の中で混乱を極めた。お互いの意思疎通すらうまくいかず、同士討ちまでおこる始末であった。そこにアミンが山頂から反撃に転じた。これにより杜松の部隊は、壊滅状態となった。
 しかし自軍の半ば壊滅は、生粋の武人である杜松の戦意をさらに高揚させることとなった。杜松は青龍刀を振りかざし、乱戦の中で敵兵を斬りまくった。後金側のアミン、次いで代善が一騎打ちを挑んだが、それでも杜松は屈しない。
 しかしこの光景を見守っていたヌルハチは、雪まじりの強風の中、ついに弓を引いた。通常、弓の射程距離はせいぜい九十メートルほどであろうか。しかしヌルハチは、敵将との間にそれをはるかに越える距離をおいていた。眼光を獲物を狙う虎のそれに等しくし、初老の人物とは思えない膂力で、矢は見事に杜松の左の肩に命中した。
 鮮血とともに落馬した杜松。兵士達が杜松の盾となり、かろうじて敵の重囲を脱した。やがて逃げるうち、広大な敷地をもつ寺があった。ここに避難した時には、杜松以下、主従わずか三十人ほどに減っていた。


 杜松は、寺の周囲四方にくまなく火薬を巻かせた。
「これまでだな。わしが愚かであったために、お前たちをこんなめにあわせてしまった。心から詫びをいれたい。わしはこれより、少しでも多くの敵を道連れにして、あの世とやらに旅立つつもりだ。おまえ達は早くに敵に降伏するがよい」
 しかしその場に残された将兵達は、誰一人として杜松の言葉に従おうとはしなかった。
「何を申します。勝敗は兵家の常。我らあの世までもお供つかまつりまする」
 杜松は猪武者であったかもしれないが、部下に対しては配慮がいきとどき、そのためその場の誰もが共に死ぬ道をえらんだ。
「そうか、わしは果報者であったかもしれぬのう。酒はない。敵が来るまでの間、昔話しでもするかのう」
 それから主従三十人は、とりとめもない話を続けたが、やがて後金兵の雄叫びが迫ってきた。
「逃げるなら今のうちじゃぞ」
 杜松は念を押した。
「いや、我等は命より名を惜しみまする。ここで命落としても、正史において我等の尊厳は保たれるというもの」
 杜松と主従は、最後はひたすら祈った。金兵はなにも知らず、火矢を放ってしまう。ほどなく爆発がおこり、杜松とその主従は、敵をもまきこみ跡形もなく消しとんでしまった。こうして明の左翼中央軍は消滅した。










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