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【大坂湾争奪編】伊勢・長島一向一揆
しおりを挟む(一)
緒戦に敗れた信長は、天満の本陣から中々動こうとはしなかった。戦局が動く時を、じっくり待つ構えであった。
やがて城外にて、一向宗達が稲刈りを始めたという報に接した。信長は籠城戦に備えての準備とみた。臣下の一人野村越中守に、稲刈りの部隊の駆逐を命じた。鉄砲の衝撃音が周囲に響き、まもなく雑賀隊も出現し、織田勢に対し反撃にでた。だが兵力では織田方に分がある。間もなく雑賀隊は崩れ遁走を始めた。森の中へと逃亡したが、これが追撃してくる織田勢を誘い込む罠だった。
山中は複雑で迷路のようになっており、雑賀隊はそこかしこの木の陰に隠れては、織田方に発砲を繰り返した。銅鑼の音や太鼓の音がけたたましく鳴り響き、その音に動揺し馬は錯乱し、そして暴れだした。織田方の将兵は、敵の数が実数よりはるかに多いかのような錯覚に陥り、いずこに潜んでいるかもわからぬ敵に対し、恐怖を感じることとなった。
ゲリラ戦は雑賀衆の最も得意とするところである。織田軍は気がついた時には、各部隊が散りじりになっており、次から次へと雑賀の鉄砲隊の餌食となった。ついには、見えない敵への恐怖から同士討ちまでおこる。野村越中守を護衛する兵士もまた、いつの間にか二十数名にまで減っていた。やがて遠くから、人の叫ぶ声が聞こえてきた。
「大変だ! 火の手があがったぞ!」
「火災だ! 逃げろ!」
実は叫んでいたのは雑賀の者達で、どこにも火の手などあがっていなかった。だがこれに、越中守を護衛する兵士達は動揺した。主を置いて逃げる兵士が続出した。
「怯むな! 体勢を立てなおせ!」
だが越中守の叫びも空しかった。わずか数名の部下と戦場に孤立した越中守の耳に、敵の武者の叫ぶ声が、いずこからともなく聞こえてきた。
「そこに見えるは敵の御大将と見た。我こそは雑賀孫一の臣で島本与四郎と申す。御首頂戴いたす!」
しかし島本与四郎がいずこにあるのか? 越中守とそのわずかな部下達は、再び見えない敵に動揺した。越中守の部下の一人が、背後を振り返ったその時である。鈍い衝撃音がした。同時に越中守の巨体が、ゆっくりと馬から転げ落ちた。喉元を銃弾が貫通し、すでに冥土に旅立っていた。
「敵将! 討ち取った!」
姿は見えないながらも、この気合の入った一声で越中守の部下達は、主君の屍を置き去りにして、そのまま逃げ出した。ほどなく雨が降ってきた。
この敗戦に信長は業を煮やした。自ら二万ほどの本隊を率い、滓上江の近くまで、軍勢とともに移動し野営した。ところがその夜のことである。信長は、地を揺るがすかのような震動をかすかに耳にし、寝床からはね起きた。そして驚くべき光景を目撃する。おそらく数千はあるであろう松明がいっせいに移動し、信長の陣に迫ってきたのである。なんとそれは、角に松明をかかげた牛の群れだった。
「どうだ! これぞ倶梨伽羅峠の木曽義仲公が考えた火牛陣だ!」
孫一は眼下の織田軍の混乱ぶりに満足しながら、馬上おもわず叫んだ。
「怯むな! たかが牛ごときに動揺するな!」
信長は絶叫した。しかし、この奇襲攻撃で、すでに織田軍は心理戦で負けていた。
織田軍は牛と衝突する者もいれば、火だるまになる者もおり、混乱を極めた。
やがて雑賀隊が約十五間のところまで迫ってくる。まるで機械のように統制がとれた軍隊である。全軍が赤、黄、白の三隊に分けられており、大将孫一の号令のもと、赤隊は敵の雑兵を狙い、そして黄、白隊は騎馬武者を狙った。最後の白隊が狙撃を終える頃には、すでに黄隊は装填を終えていた。
たちまちのうちに血しぶき、肉の弾ける音、そして硝煙の煙が辺りに立ちこめ、織田軍は収集のつかない事態となった。
信長はまたしても戦場から遁走した。だが気がついた時には背中に矢が刺さっていた。鎧が頑丈でさしたる傷ではないが、よく見ると矢の先に文が結ばれていた。
『この本願寺の領内においては、仏法こそ法なり。他に何人の命にも服さぬ。こたびはさしたることに非ず、挨拶代わりに候。次にもし本願寺を侵さんとする時は、その首なきものと心得えられよ』
(二)
こうして織田軍は、本願寺と雑賀衆に手痛い敗戦をさっした。これを見て九月、浅井・朝倉勢が動いた。三万の軍勢をもって近江・坂本まで進出してきたのである。
結局、何一つ得ることもなく、織田軍は野田・福島の陣を撤退。坂本の戦いでは、かろうじて浅井・朝倉勢に勝利するも、敗れた浅井・朝倉勢は比叡山・延暦寺にこもってしまった。
信長は叡山に中立を求めるも、叡山はこれを拒絶した。しばし坂本に本陣を置いた織田勢と、比叡山の浅井・朝倉方とのにらいあいが続く。そしてこの対陣の最中、今度は伊勢・長島において、打倒信長を旗印とする新たな一向一揆が発生したのである。
伊勢・長島は、木曽川・長良川・揖斐川の木曽三川が、伊勢湾へと流れる河口に生じた巨大な中洲である。一向宗はこの地に十四もの砦を築いた。それぞれが輪中といわれる、集落を洪水から守るための堤防によって守られており、いわば天然の要塞を頼みとし、反信長の意思を明確にする。伊勢長島一向一揆の勃発である。
一揆勢は、たちまちのうちに戦略上拠点となる長島城を陥落せしめ、さらに信長の弟織田信興が守る小木江城へと迫る。さらにこの一揆勢力に、かって信長に全面降伏したいわゆる『北勢四十八家』といわれる、北伊勢の小豪族達が加担した。
この戦いは織田方の将兵達にとり、あまりに過酷すぎる戦いとなった。この合戦に参加した一人の将兵はこう書き残している。
『まったく、今度の戦はなにがどうなっているんだ。連中は、死ぬことなんて少しも恐れていない。南無阿弥陀仏と念仏さえ唱えれば極楽往生できると、信じて疑っていないようだ。むしろ恐れているのは俺達のほうだ。
奴等は味方が倒れても倒れても、南無阿弥陀仏を唱えながら、幽鬼のように迫ってくる。川が血に染まろうが、首のない屍が山と積みあがろうが、死臭をかぎつけて、烏が大量に集まってきてもおかまいなしだ。死を恐れない兵には、弓矢も鉄砲もまるで役にたたない。ああいう敵と戦っていると、こっちの気が滅入ってくる。俺達だって、できるなら仏様相手に戦いたくないし、地獄に落ちるのも御免だ。
毎朝、毎朝、俺達は連中の唱える南無阿弥陀仏の大合唱で目を覚ます。そして即座に鎧・具足に身を包むんだ。それがいかほどの苦痛か、この合戦に参加したことのない奴にはわからないだろう。
早朝ならまだいい。昼間の戦闘で疲労困憊して、死んだように眠りこけているところへ、あの読経の音が聞こえてきた時は、気が変になるとこだった。連中が夜襲を決行したんだ。
それどころか、攻め込んでくる気配もないのに、夜通し読経の音がやまなかった夜もあった。寝床の中で、勘弁してくれ! もう勘弁してくれって幾度、敵に訴えただろう。
戦場で弓矢が大量に突き刺さり、地に伏して死んだものとばかり思った敵兵が、例のあの南無阿弥陀仏の一声とともに、むっくり起き上がったこともある。あの時は刀も槍も捨てて、戦場から逃げ出したい衝動にかられたものだ。俺の仲間は首のない敵の屍を、狂気にとらわれたように、幾度も幾度も槍で刺していた。よほど敵兵が恐ろしかったに違いない。
こんな毎日が続くくらいなら、もうひと思いに討ち死にしたほうが楽かもしれない。今は本気でそう思っている』
結局、小木江城は一揆勢の猛攻に屈し落城。織田信興は自害して果てたのである。
これに対し信長は、元亀二年(一五七一)伊勢・長島に五万以上もの大軍を投入するも、一揆鎮圧にはいたらなかった。
一揆勢の要所に伏兵をおいての奇襲、夜討ちなどに散々苦しめられ、雑賀衆の海路からの補給もあり、信長は一つも戦果をえることなく撤退することとなった。しかも撤兵する際、またしても一揆勢の奇襲にあい、柴田勝家が負傷したばかりか、氏家卜全も討ち死にした。
そうこうしている間にも、信長をとりまく情勢は刻一刻と変化し、そして厳しいものとなっていった。元亀二年九月、敵対姿勢をとる比叡山・延暦寺に業を煮やした信長は、ついに比叡山焼き討ちを決行するにいたる。
比叡山は伝教大師最澄以来、この時代まで約千年の歴史を誇ってきた。その宗教的権威ゆえ、時のいかなる為政者もおかすことができなかった比叡山は、ついに灰燼となった。
この時に焼き討ちを『信長公記』は、
『九月十二日、叡山を取詰め、根本中堂、山王二十一社を初め奉り、零仏、零社、僧坊、経巻一宇も残さず、一時に雲霞のごとく焼き払い、灰燼の地と為社哀れなれ、山下の男女老若、右往、左往に廃忘を致し、取物も取敢へず、悉くかちはだしにして八王子山に逃上り、社内ほ逃籠、諸卒四方より鬨声を上げて攻め上る、僧俗、児童、智者、上人一々に首をきり、信長公の御目に懸け、是は山頭において其隠れなき高僧、貴僧、有智の僧と申し、其他美女、小童其員を知れず召捕り』
とかなり生々しく書きのこしている。
しかしこのような事態になったことに関して、信長一人を攻めるのも酷である。当時、比叡山の僧侶の腐敗は、その極みに達していたことも事実である。およそ世界の歴史上、宗教などというものは人を幸福にするよりも、不幸にすることのほうがはるかに多いのである。
余談だが、信長が比叡山焼き討ちを実行した同じ年、はるか遠く東地中海の浮かぶ島キプロスでは、その後の世界史を大きく左右する戦いが行われていた。いわゆるレパントの海戦である。
この戦いは、当時地中海をも制圧するほどの勢いを示していたイスラムのオスマントルコ帝国と、西欧キリスト教社会のスペイン・ジェノヴァ・ヴェネツィア連合軍との戦いで、西欧側の圧勝で終わった。
キリスト教、イスラム教双方の対立の歴史は、少なくとも千年以上。二十一世紀の今日に至っても、まったく問題は解決されていない。あの有名な十字軍だけでも二百年の長きにわたり、死傷者は三百万人にも及ぶといわれる。
宗教というものは、人を狂気にかりたてるものである。俗にいう中国四千年の歴史なるものでも、王朝の変わり目、時代の変わり目ごとに怪しげな宗教団体が暗躍し、人々を煽動し、王朝の基盤を根底から覆していく。例えば一八五〇年におきた太平天国の乱では二千万人が死亡し、その犠牲者は第一次世界大戦をも上回っている。
さて、この時代日本もまた大きな節目を迎えていた。信長は武家の代表として、比叡山ばかりか、石山本願寺とも戦わなければならなかった。そればかりかすでに、足利義昭との関係も絶縁に近い状態と化していた。浅井・朝倉は衰えたりとはいえ、まだ油断ならず、さらにはるか遠く甲州には、戦国最強といわれる武田信玄がいた。まさしく四面皆敵であった。いわゆる信長包囲網である。やがて不穏な空気の中、元亀二年も終わり、同三年迎えるも、一向宗との戦いは、まるで進展しない有様だった。
(三)
「あきませへんな。いかに嘉隆殿の頼みでも、わてらとて地獄に落ちるのは御免やわ」
嘉隆の懇願にも、諸崎七郎左衛門は首を縦にふろうとはしなかった。嘉隆はこの日、信長の命を受け伊勢・大湊の公界に、かって安宅船を製造する際世話になった、諸崎七郎左衛門の屋敷をたずねた。
信長は長島一向一揆鎮圧のため、長島周辺の海上封鎖を画策していた。そのためには船がいる。嘉隆は大湊の会合衆と交渉して、なんとか船を手にいれようと、諸崎のもとへやってきたのである。
「仏に弓引く方とは関わりたくありませんな。それに信長公は、今や日本国中が敵といっても過言ではない有様。貴殿もそろそろ、身のふり方を考えたほうがよいのではありゃしませんか?」
諸崎は、南蛮から伝わった珍しい煙草などをふかしながらいった。これ以上の交渉は埒があかないと思った嘉隆は、
「こうまで頼んでも駄目だと仰せなら致し方ない。今日は帰りましょう。なれどこれだけは覚えておいていただきたい。織田家は滅びぬし、それがしは信長様以外の方に仕える気などもうとうござらん」
かろうじて怒りをおさえながらいった。
「あいや、待ってくんなはれ嘉隆殿」
七郎左衛門は、素早く煙草の火を消すと、去ろうとする嘉隆を制止した。
「何か?」
「いやなに、信長殿からの申し出の件はおいておくとして、実は貴公がここにいると聞き、どうしても一目会いたいとおっしゃる方がおりましてな。何でも嘉隆殿とは旧知とか」
いったい誰のことであろう? 嘉隆は深く疑念をもった。やがて諸崎が部屋から出てゆき代わりに、いかにも頑強そうな、齢四十ほどの男が入ってきた。男は眼光が尋常一様ならず鋭い。そして頭が異様に大きく、知恵と胆力が全身から感じられた。なによりも嘉隆は、男が姿を現したその瞬間に、海の臭いを敏感に感じとっていた。自分と同じ海の男であることを、瞬時にして察した。
「おまえ達、席を外してくれないか」
嘉隆はこの男と差しで話をしてみたいと思った。部屋にはあの平八と、他に数名の家臣がいたが、とりあえず別室へとさがらせた。
「まずは、名乗られるがよろしかろう」
嘉隆にうながされ、男は常人よりはるかに大きな声で、
「我こそは村上天皇の末裔にして、能島村上水軍の主村上武吉と申す」
と姓名をあかした。嘉隆の眼光が瞬時にして鋭くなった。
「ほう……して、貴公の名はかねがね聞き及んでいる。その村上水軍の長が、何用あってこの伊勢大湊へやってまいった」
「それは我等の軍事機密というものじゃ。聞くだけ野暮というものであろう。実は今、都を支配している織田家の水軍大将がおると聞き、是非一度会って、話でもしてみたいとおもってな。なるほど、わしが思っていたよりも、はるかに凛々しい男だ。どうじゃ御主、信長と縁を切って毛利の殿に仕える気はないか?」
武吉が遠慮なく、ずけずけとものを言うので、嘉隆は半ば困惑しながら、
「いや、わしは信長様に深い恩がある。今更、織田家を見限ることなどできん」
ときっぱりと、武吉の申し出を断った。
「信長は今や四面楚歌。周りは敵だらけにして、しかも叡山焼き討ちは人々を驚愕せしめ、今は天下に信などなき有様じゃ。天下はいずれ毛利のものとなる。鞍替えするなら今のうちじゃ」
「これは異なことをうけたまわる。毛利家を興した元就殿は、すで老いて先が短い身。後継ぎの輝元殿は、その器量に問題あると聞いておるが」
「いや、例え元就殿にもしものことがあったとしても、毛利には勇将・智将数多ある。特に輝元殿を支える隆景殿、元春殿は天下にその名を知られた器量人。そしてなにより毛利には、このわしがおる。ゆくゆく天下は毛利のものとなる」
嘉隆は武吉の自信過剰ぶりに驚き、しばし言葉を失った。
「では聞くが、毛利殿にとり天下とは一体なんであるか? それをお聞かせ願いたい」
と嘉隆は、まるで武吉と毛利家を試すかのようにたずねた。
「誰ぞある。筆と硯を持て」
武吉は、紙になにやら太い文字を書き始めた。それはこう書いてあった。
『百万一心』
「これはのう一人、一力、一心とも読むのじゃ。どちらでも大筋の意味は同じこと。百万の人間が心一つにして事にあたれば、成せぬことなどなに一つないという意味じゃ」
「しかし、ただでは百万の人の心は一つにはならぬぞ。いかようにして人の心を一つにする」
嘉隆は、すかさず突っ込んだ。
「なに案ずることはないぞ。毛利にはのう、これがあるからのう」
武吉はすかさず、懐からなにやら取り出した。それは巨大な銀塊だった。
「なんといっても毛利には石見の銀山がある。所詮人は銭で動くものよ。これで人の心一にすることができるというもの」
「しかし銀などというものは、掘って、掘って、堀つくせばいつか枯渇するものだ。その時になって、毛利殿はいかようにして人の心束ねるつもりであるか?」
武吉はここで返答に窮して困惑した。
「ならば我が主、信長公にとっての天下をお見せしよう。誰か折らぬか」
嘉隆が叫ぶと、隣の部屋に詰めていた小姓が入ってきた。嘉隆に何事かを耳打ちされ、やがて大きな球体をした物体を持参し嘉隆に渡すと、すぐに部屋を後にした。
「これが、信長公にとっての天下、すなわちこの世じゃ」
「なに? これがこの世とはどういうことじゃ?」
さすがの武吉も意味が理解できず、問い返した。それは地球儀だった。それから嘉隆は自らもはっきりと地球が球形であることを理解できないながら、己の持てる知識の限りをつくして、この世の形を説明した。武吉は唖然として言葉を失った。
「よいか武吉殿、これが我が日本国じゃ。かように狭い。なれど世はかくの如く広大なれば、金銀を産出できる土地は他に数多あるはず。いずれ信長公は大船を仕立て、この世のまだ見ぬ土地へと赴くことになろう。どうじゃ、いっそのこと御主こそ、毛利殿と縁を切って信長公に仕えぬか」
「それはできぬ相談じゃ。なれど世がかように広大なら、いつかわしも広大なるこの世を旅してみたいものだな。なれどそのためには、まずは毛利の殿に天下を取ってもらう。そしてそのためには、織田信長、そして汝を倒さねばなるまい」
武吉はかすかにうすら笑いをうかべながらいった、つられて嘉隆も笑った。しかし両者とも目は笑っていなかった。
「それはともかくとして、今宵一夜限りは我等は友じゃ。おおいに飲みあかそうぞ」
それから武吉は、嘉隆から珍しい南蛮渡来の葡萄酒などをふるまわれ、おおいに酔った。両者は翌未明別れたが、果たして両者が次に出会うのは、戦場だったのである。
(四)
天正元年(一五七三)は波乱の年となった。四月、甲斐の武田信玄が二万五千の兵とともに上洛を志すも、病のため信州伊那にて無念の最期を遂げた。信玄の突然の死は、将軍足利義昭はじめとして、信長の敵対する全ての諸勢力を落胆せしめた。
七月、信長はついに足利義昭を京より追放する。室町幕府はついに十五代、二百三十七年をもって滅亡したのである。
その後の信長の勢いは破竹のようだった。まず浅井長政・久政父子をその本拠小谷に追い詰め自害せしめ、さらに朝倉義景をも、本拠地である越前一乗谷まで執拗に追撃し、ついにこれを滅ぼすに至った。
この年死亡したのは武田信玄だけではない。戦国随一の城砦都市といっていい小田原城を中心とし、関東一円を支配した北条氏康も世を去った。山陰山陽の覇者毛利元就も死去した。これにより信長包囲網は、事実上雲散霧消したといっていい。まったくもって信長という人物の強運は、にわかに信じがたいものがある。
九月をむかえ、織田軍は再び伊勢・長島に侵攻した。信長は伊勢湾の海上封鎖をなんとか実現しようと、再三にわたって伊勢・大湊の会合衆にはたらきかける。しかし大湊の会合衆達は頑なにこれに応ぜず、かえって一揆側に加担してしまう始末だった。結局海上封鎖は実現せず、織田勢は合戦でも、犠牲のわりにはかばかしい戦果をえることはできず、対陣一ヶ月ほどで美濃に撤退せざるをえなかった。
(五)
その夜、嘉隆は久方ぶりに夢で篠と会い、そして体をかわした。
「なんの真似だ?」
気がつくと篠は片手に刃を手にしていた。
「お命、頂戴いたしてもよろしゅうございますか?」
「何故」
「貴方が、仏に背かんとしていると聞きました。罪を重ねてほしくないのです。もし可能なら織田様との縁はこれきりにして、他の大名家に仕えるが得策かと存じます。織田様はあまりに過ちを犯しすぎました」
「できぬと申したら?」
嘉隆がかすかに声を荒げると、今目の前にいたはずの篠の姿が、突如としてはるか遠方に移動していた。海を瀬にし、濡れた髪をかすかにかき上げたかと思うと、突如として刃を己の喉元に押しあてた。
「よいですか、もし貴方が仏に背くとおおせなら、私との縁もこれまでです。罪をおかさないでほしいのです」
中ば泣いているのか、声がうわずっていた。篠の幻は消え、嘉隆は夢から覚めた。信長の三度目の伊勢長島討伐の命がくだったのは、それから間もなく、時に天正二年七月のことだった。
第三次の伊勢・長島攻めが実行にうつされようとしていた。
織田軍の布陣を見ると、伊勢長島の東側、市江口の攻め手の総大将は、信長の長男織田信忠である。これに池田恒興、森長可などが従った。
西側は香取口である。ここは背後に養老山脈があり、かって柴田勝家が負傷し、氏家ト全が討ち死にした。そのため佐久間信盛、柴田勝家等、織田家きっての戦上手が配置された。
北側は織田信長本陣である。信長のもとに丹羽長秀、安藤守就等が従った。
そして九鬼嘉隆と滝川一益は安宅船に乗船し、これに百隻以上の小早船が従った。
総勢十万を越す大軍勢で、まさに蟻のはいでる隙間もないほどの包囲を完成させたのである。
七月十三日、ついに信長による長島一向一揆殲滅作戦が開始された。
過去二度の失敗から学んだ信長は、今回は無駄な力攻めをさけた。特に九鬼水軍をはじめとした水軍の力を利用して、徹底的な海上封鎖が行われた。
九鬼嘉隆が見たところ、伊勢・長島の各輪中は、まさしく水郷地帯に浮かぶ『船』であった。しかも動かない、燃えない、沈まない。いかな優秀な船乗りをもってしても、このような『船』は攻めあぐねるであろう。
しかし信長という武将の優れていたところは、合戦の場において、決して賭博行為をしなかったことである。たしかに桶狭間の際は、運を天にまかせての決死の敵陣突撃を決行した。しかしそれ以降の戦においては、常に敵に数倍する兵力をもって、勝ち易きように戦い、そして無難に勝利した。
一揆方の各輪中は、まず陸上からの攻撃で、松ノ木、小木江、篠橋、前ヶ洲の順で陥落していった。さらに海上からの攻撃で蟹江、新子、熱田、大高と各輪中・砦が陥落していった。
ついに一揆方に残る砦は、ほとんど長島のみとなってしまった。しかも他の砦から人が一斉に長島に集まったため、たちまちのうちに砦内は食糧難におちいってしまった。しかしそれでも、長島の砦からは朝・夕問わず読経の音が響きわたり、彼等の信仰がこの苦難の最中にあっても、決して衰えていないことをしめしていた。長島の砦は二ヶ月もの間、織田方の包囲に耐えたのである。
「ええい、何をもたついておる! 何故城は落ちぬ? 何故連中は降伏せぬのだ?」
軍議の席上、信長はその形相に、憤怒の色をありありと浮かべながらいった。一座は沈黙していた。このような時の信長に声をかけることは、最悪の場合切腹になりかねなかった。
「佐久間信盛、柴田勝家、池田常興! そのほう等はそろいもそろって懈怠者じゃ。いったいいつまで敵を攻めあぐねる。よもやその方達まで、坊主相手に、戦はできぬなどと申すわけではあるまいな」
「決して、決して、そのようなことはござりませぬ」
名指しを受けた諸将の内、柴田勝家が主君に必死の抗弁をした。
「九鬼嘉隆、その方には何か策はないのか?」
指名をうけて嘉隆は辞を低くし、
「されば、長島一帯の川はことごとく浅瀬にござれば、大船を乗り入れることかないませぬ。我等にできることといえば、ひたすら水路を封鎖し、敵が音をあげるを待つことのみにござる」
「うぬ、水軍というは役に立たぬものだな」
一瞬、嘉隆の胸中に動揺がはしった。とにかく役に立つものはとことん利用し、役にたたぬものは切り捨てるのが信長のやり方である。織田家の一員となって以来、嘉隆はそのような信長の峻烈な一面を、幾度となく見せつけられてきた。とくかく織田家中において、役にたたぬといわれることは、終わりの始まりといってよかった。
「恐れながら、どうしてもというならば一つだけ策がござる」
「聞こうではないか、いかなる策があると申すか」
「さればでござる、かって羽柴筑前守様におかれましては、墨俣に一夜にして砦を築かれ、織田家の美濃攻略の最大の布石を打たれました。我等もし許しをいただけるなら、一夜を待たずして、長島砦の眼前に、新たなる砦をつくって御覧にいれましょう」
信長はしばし怪訝な顔をした、居並ぶ諸将もまた、嘉隆にいかなる策があるのか計りかね、しばしその表情をうかがった。
「一夜を待たず砦をつくると? よかろう、そのような策があるならやってみるがよい」
信長は、なおも不思議なものでも見るような目で嘉隆を見ながら、その作戦に許可を与えた。
九月二十四日未明のことである。長島砦の見張り番の者は、眠い目をこすりながらも、川のはるか彼方に、何者かの影が蠢いていることを察した。おりしも濃い霧がたちこめ、それが何者であるのか、しかと確認できなかった。やがてそれが、敵の安宅船であると肉眼ではっきりと確認できた時は、夢でもみているかのような錯覚におちいった。船の知識がなくとも、浅瀬に乗り上げてしまうことは、誰の目にも明らかだった。
「恐れながら殿、これ以上は無理にござります。確実に座礁いたしまするぞ」
しかし甲板上の嘉隆は、家臣の言葉に耳をかたむけようともしなかった。案の定、嘉隆の乗った安宅船はガツンという鈍い音とともに、船の動きを停止せざるをえなくなってしまう。後に続く安宅船もまた同様に、浅瀬に乗り上げてしまった。
長島の砦の一揆勢は、この光景に歓喜した。中には包囲戦で食糧もろくにとっていない者もいたが、戦える者はそれぞれ武器を取って、動きのとれない嘉隆の船団めがけて殺到した。
ところがここに信じられない事態が待ち構えていた。
「今ぞ、放て!」
嘉隆の号令一下、たちまち数百丁の鉄砲が火を噴いた。一揆勢の悲鳴、絶叫、そして肉の弾ける音がした。さらに嘉隆の巧妙なことは、一隻の安宅船が弾込めに時間を費やしている間に、もう一艘の安宅船から射撃をおこなったことだった。
まるで海の長篠合戦さながらに、あれよの間に一揆側の犠牲者が続出した。しかしこの間も、長島の砦からは読経の音が鳴り響き、途切れることがなかった。
頃合を見計らって、嘉隆は敵前に上陸した。だがここで嘉隆は、敵の砦から響いてくる読経の音の心的効果が、予想以上であることを、思い知らされることになる。味方の兵の動きが、想像以上に緩慢なのである。嘉隆揮下の将兵にも、浄土信宗の信者がおり、彼等は仏に弓引くことを恐れた。
「何をしておるか! 者どもかかれ!」
嘉隆は業を煮やして叱咤するも、戦局はいっこうに好転しなかった。霧の中で凄まじい白兵戦となり、死を恐れず迫ってくる一向宗に恐れをなし、逃げ出してくる兵士までいた。
「この臆病者め!」
嘉隆は激怒し、ついには刀をぬき逃亡をはかる兵士の首を自らはねた。
「よいか! 敵は百姓、土民の群れぞ! 武士の戦とはこうしたものだ」
嘉隆はついに自ら刀を手にし、軍勢の先頭で敵を斬りまくった。その形相には憤怒の色がありありとうかがわれた。中にはほとんど戦闘能力のない老人、足がびっこになっている者、幽鬼のように痩せ衰えた者もいたが、嘉隆はかまわず斬りまくった。何者かに憑かれているとしか思えなかった。狂気といってもいいだろう。
信長はこの好機を見逃さず総攻撃を命じた。九月二十七日、ついに長島城は陥落したのである。
平伏して戦勝報告をする嘉隆を、信長は冷厳な表情で見おろし、
「船をあえて座礁させ、砦となすとは驚いた策である。大儀であった」
とだけいった。嘉隆はいっそう辞を低くした。
数日を待たずして、摂津・石山の本願寺に伊勢長島から急使が到着した。この時本願寺顕如上人は、いつも通り仏の前で念仏を唱えていた。しかし報に接し、しばし魂がぬけたかのような表情をうかべ、やがて数珠を持つ手を震わせ、血がゆっくりと滴り落ちた。めまいがし、吐き気すらもよおした。
急使がもたらした、伊勢長島のその後は凄惨だった。
長島砦陥落後、降伏した一向宗の門徒達は、他所への移動を許可し、命までは奪わないという信長の言葉を信じ、それぞれが船に分乗し、川を移動し始めた。ところがその一向宗達に、織田方の兵は突如として発砲を始めたのである。
一向宗の者等は、信長の違約に激昂した。ほとんど全裸の姿で川に飛び込み、織田方の兵士を斬りまくり、ある者はその場で弓・鉄砲の餌食となり絶命し、またある者はいずこともなく姿を消した。
さらに屋長島・中江の両輪中では、周囲に柵が設けられ、小屋に女・子供・老人のかかわりなく押し込められ、二万人が焼殺された。断末魔の叫び、肉の焼ける臭気、そし読経の音。見守る織田方の将兵達でさえ、気分が悪くなる者が続出した。日本の歴史がいまだ経験したことさえない、史上最悪の大量殺戮だった。
こうして伊勢・長島一向一揆は鎮圧されるにいたった。すでに信長包囲網は事実上瓦解したおり、信長は今や一向宗にとっての本丸、摂津・石山本願寺城へと迫ろうとしていたのである。
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戦国時代九州は、三つの勢力が覇権をかけて激しい争いを繰り返しました。南端の地薩摩(鹿児島)から興った鎌倉以来の名門島津氏、肥前(現在の長崎、佐賀)を基盤にした新興の龍造寺氏、そして島津同様鎌倉以来の名門で豊後(大分県)を中心とする大友家です。この物語ではこの三者の争いを主に大友家を中心に描いていきたいと思います。
歴史改変戦記 「信長、中国を攻めるってよ」
高木一優
SF
タイムマシンによる時間航行が実現した近未来、大国の首脳陣は自国に都合の良い歴史を作り出すことに熱中し始めた。歴史学者である私の書いた論文は韓国や中国で叩かれ、反日デモが起る。豊臣秀吉が大陸に侵攻し中華帝国を制圧するという内容だ。学会を追われた私に中国の女性エージェントが接触し、中国政府が私の論文を題材として歴史介入を行うことを告げた。中国共産党は織田信長に中国の侵略を命じた。信長は朝鮮半島を蹂躙し中国本土に攻め入る。それは中華文明を西洋文明に対抗させるための戦略であった。
もうひとつの歴史を作り出すという思考実験を通じて、日本とは、中国とは、アジアとは何かを考えるポリティカルSF歴史コメディー。
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
天竜川で逢いましょう 起きたら関ヶ原の戦い直前の石田三成になっていた 。そもそも現代人が生首とか無理なので平和な世の中を作ろうと思います。
岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。
けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。
髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。
戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
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弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
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そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
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華瑠羅
歴史・時代
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札束艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
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あるいは、根っからのギャンブラー。
札田場敏太(さつたば・びんた)はそんな自身の本能に引きずられるようにして魑魅魍魎が跋扈する、世界のマーケットにその身を投じる。
時は流れ、世界はその混沌の度を増していく。
そのような中、敏太は将来の日米関係に危惧を抱くようになる。
亡国を回避すべく、彼は金の力で帝国海軍の強化に乗り出す。
戦艦の高速化、ついでに出来の悪い四姉妹は四一センチ砲搭載戦艦に改装。
マル三計画で「翔鶴」型空母三番艦それに四番艦の追加建造。
マル四計画では戦時急造型空母を三隻新造。
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科学技術の低さもそれに工業力の貧弱さも、金さえあればどうにか出来る!
改造空母機動艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。
そして、昭和一六年一二月。
日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。
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