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【志摩騒乱編】祖父・九鬼泰隆の死
しおりを挟む十八歳になった嘉隆は、九鬼氏代々の居城である波切の砦から、眼下に広がる大海原を見渡していた。時に永禄二年(一五五九)の夏の暑い日のことである。
まさしく荒波を切るような高台に築かれたこの砦は、波切九鬼氏初代・隆良が貞治年間(一三六〇年代)に築城したものである。大王崎の突端にあたるこの場所には現在、大王埼灯台が設置されている。晴天の日には志摩半島と太平洋、そして神島など遠方の島を望む事ができ、沖から来る船が、マストの先端から現れることを実感できる事から、地球の丸さがわかる岬といわれている。
絶壁に打ちよせる波の音を聞きながら、嘉隆は沈痛な表情を浮かべたままである。祖父である九鬼大和守泰隆が病に倒れ、危篤の状態にあったのである。
意識混濁状態の泰隆は、うわごとのように九鬼一族の昔を語り、そして己の罪を懺悔していた。
「我が九鬼一族は、かって紀州におった。およそ二百年昔にこの地に移り、地頭の川面家の乗っ取った。以後、この地の人間いずれもが、善良で争いを好まぬことをよいことに悪事を重ね……」
さすがに聞いている嘉隆達がうんざりするほど、同じことの繰り返しである。死期が近い泰隆の枕元には嘉隆の他に、答志郡加茂郷にある田城の砦を守る兄の浄隆もいた。浄隆は嘉隆より七つ年上である。二人の父である定隆はすでに世を去り、九鬼家の現在の当主は浄隆だった。
「英虞郡の的矢と磯部は、わしが父とともに、かっての主を騙し乗っ取った。的矢砦の城主夫妻は自害させた。また北の答志郡加茂郷にある田城の砦は、わしがあの豊穣の地を欲して、主である田城左馬助を追い出し手にいれた。
この地の者達は皆我等をうらんでいる。わしが死んだと知れば、この地の他の地頭どもは、よってたかってお前達を追い出しにかかるじゃろう。一体どうしたらよいかのう……」
志摩の国という十八方里にしかすぎない小天地は、北と南の二郡のみからなり北を答志郡、南を英虞郡という。ここに九鬼一族の他に十数人もの地頭がいた。
志摩の国は耕作地が極めて乏しく、伊勢海老、いわし、ぶり、さわら、まぐろ、かつお等海の恵みなくして、いずれも生きる糧はえられない。律令制の時代にあっても、この地だけは海賊の巣窟であり、中世史において化外の地であった。
「一体どうしたものかな。今我等こうしていられるのも、おじい様が生きておられるからじゃ。本当にもしもことあらば、この国の地頭どもは、よってたかって我等を追い出しにかかるだろう」
波切の城砦にほど近く背後に海をのぞみながら、小さな岩に腰をかけた浄隆は、背後に立つ嘉隆を振りかえりながらいった。カモメの鳴き声がする。潮の香りがここちよい。そしてどこからともなく、船大工が金槌を叩く音が響いてくる。大勢の船大工達が今日も造船作業にいそしんでいる。
余談だが、古代から中世にかけてほとんど進歩をみなかった日本の造船技術は、戦国のこの時代急速に発展し始める。
遅くとも16世紀中頃までには、準構造船の船底の刳船部材を板材に置き換えた棚板(たないた)造りの船が出現した。棚板造りは、航(かわら)と呼ぶ船底材に数枚の棚板を重ね継ぎし、多数の船梁(ふなばり)で補強した構造をいう。棚板構成は根棚(ねだな)・中棚(なかだな)・上棚(うわだな)の三階造りと中棚のない二階造りが基本である。棚板同士および棚板と航・船首材・船尾材との結合には通釘(とおりくぎ)を使い、結合部には水止めとして槙皮(まいはだ)か檜皮(ひわだ)を打ち込んだ。いかに長大で幅が広くとも、航や棚板などは何枚もの板を縫釘(ぬいくぎ)と鎹(かすがい)で接ぎ合わせてつくったといわれている。
「戦するより他、ござりますまい」
嘉隆はさらりと言った。
「我等率いることができる兵の数はおよそ二百ほど、船は小早船が四艘ほどに関船が一艘程度。それでもこの国の地頭達の中では勝っているほうかもしれん。なれど他の地頭どもが結束してかかってきたら、恐らく我等この海へ追い落とされることだろう」
浄隆は表情を険しくして、海の方画をにらみながらいった。
「兄上、ならば海をへ追いおとされてみるのも一興かと」
「なんじゃと?」
「それがし最近になって思うのでござる。この狭い地で、狭い土地を巡って地頭達と争いを続ける。例え勝つにせよ負けるにせよ、果たしてそれのみが我等の生涯か否か? この波の彼方にはもっと果てしない、雄大なものが広がっているのではないかと」
嘉隆の言葉に浄隆はしばし唖然とした。
「海の彼方か……。なるほど我等には、海の彼方に広大で無限の逃げ道があると思えば、心おきなく戦うことができるかもしれぬのう。戦って活路を見出すのもよし、波の彼方に思いをはせるのもよしというわけか」
「いずれにせよ、我等海とともにあるは逃れがたい定めにござる。志やぶれた時は、共に海に帰りましょうぞ」
嘉隆の言葉に、浄隆はしばしまじまじと弟の顔を見た。もしかしたらこの弟は、己など及びもつかぬほどの器なのではないかと、しばし恐れたりもした。
ほどなく恐れていた時がきた。祖父泰隆がついに息を引き取ったのある。
嘉隆と浄隆にとりそれは、古来より幾度も伊勢湾を襲った台風のように、その身に恐ろしい災いをもたらすのであった。
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