3 / 19
【志摩騒乱編】祖父・九鬼泰隆の死
しおりを挟む十八歳になった嘉隆は、九鬼氏代々の居城である波切の砦から、眼下に広がる大海原を見渡していた。時に永禄二年(一五五九)の夏の暑い日のことである。
まさしく荒波を切るような高台に築かれたこの砦は、波切九鬼氏初代・隆良が貞治年間(一三六〇年代)に築城したものである。大王崎の突端にあたるこの場所には現在、大王埼灯台が設置されている。晴天の日には志摩半島と太平洋、そして神島など遠方の島を望む事ができ、沖から来る船が、マストの先端から現れることを実感できる事から、地球の丸さがわかる岬といわれている。
絶壁に打ちよせる波の音を聞きながら、嘉隆は沈痛な表情を浮かべたままである。祖父である九鬼大和守泰隆が病に倒れ、危篤の状態にあったのである。
意識混濁状態の泰隆は、うわごとのように九鬼一族の昔を語り、そして己の罪を懺悔していた。
「我が九鬼一族は、かって紀州におった。およそ二百年昔にこの地に移り、地頭の川面家の乗っ取った。以後、この地の人間いずれもが、善良で争いを好まぬことをよいことに悪事を重ね……」
さすがに聞いている嘉隆達がうんざりするほど、同じことの繰り返しである。死期が近い泰隆の枕元には嘉隆の他に、答志郡加茂郷にある田城の砦を守る兄の浄隆もいた。浄隆は嘉隆より七つ年上である。二人の父である定隆はすでに世を去り、九鬼家の現在の当主は浄隆だった。
「英虞郡の的矢と磯部は、わしが父とともに、かっての主を騙し乗っ取った。的矢砦の城主夫妻は自害させた。また北の答志郡加茂郷にある田城の砦は、わしがあの豊穣の地を欲して、主である田城左馬助を追い出し手にいれた。
この地の者達は皆我等をうらんでいる。わしが死んだと知れば、この地の他の地頭どもは、よってたかってお前達を追い出しにかかるじゃろう。一体どうしたらよいかのう……」
志摩の国という十八方里にしかすぎない小天地は、北と南の二郡のみからなり北を答志郡、南を英虞郡という。ここに九鬼一族の他に十数人もの地頭がいた。
志摩の国は耕作地が極めて乏しく、伊勢海老、いわし、ぶり、さわら、まぐろ、かつお等海の恵みなくして、いずれも生きる糧はえられない。律令制の時代にあっても、この地だけは海賊の巣窟であり、中世史において化外の地であった。
「一体どうしたものかな。今我等こうしていられるのも、おじい様が生きておられるからじゃ。本当にもしもことあらば、この国の地頭どもは、よってたかって我等を追い出しにかかるだろう」
波切の城砦にほど近く背後に海をのぞみながら、小さな岩に腰をかけた浄隆は、背後に立つ嘉隆を振りかえりながらいった。カモメの鳴き声がする。潮の香りがここちよい。そしてどこからともなく、船大工が金槌を叩く音が響いてくる。大勢の船大工達が今日も造船作業にいそしんでいる。
余談だが、古代から中世にかけてほとんど進歩をみなかった日本の造船技術は、戦国のこの時代急速に発展し始める。
遅くとも16世紀中頃までには、準構造船の船底の刳船部材を板材に置き換えた棚板(たないた)造りの船が出現した。棚板造りは、航(かわら)と呼ぶ船底材に数枚の棚板を重ね継ぎし、多数の船梁(ふなばり)で補強した構造をいう。棚板構成は根棚(ねだな)・中棚(なかだな)・上棚(うわだな)の三階造りと中棚のない二階造りが基本である。棚板同士および棚板と航・船首材・船尾材との結合には通釘(とおりくぎ)を使い、結合部には水止めとして槙皮(まいはだ)か檜皮(ひわだ)を打ち込んだ。いかに長大で幅が広くとも、航や棚板などは何枚もの板を縫釘(ぬいくぎ)と鎹(かすがい)で接ぎ合わせてつくったといわれている。
「戦するより他、ござりますまい」
嘉隆はさらりと言った。
「我等率いることができる兵の数はおよそ二百ほど、船は小早船が四艘ほどに関船が一艘程度。それでもこの国の地頭達の中では勝っているほうかもしれん。なれど他の地頭どもが結束してかかってきたら、恐らく我等この海へ追い落とされることだろう」
浄隆は表情を険しくして、海の方画をにらみながらいった。
「兄上、ならば海をへ追いおとされてみるのも一興かと」
「なんじゃと?」
「それがし最近になって思うのでござる。この狭い地で、狭い土地を巡って地頭達と争いを続ける。例え勝つにせよ負けるにせよ、果たしてそれのみが我等の生涯か否か? この波の彼方にはもっと果てしない、雄大なものが広がっているのではないかと」
嘉隆の言葉に浄隆はしばし唖然とした。
「海の彼方か……。なるほど我等には、海の彼方に広大で無限の逃げ道があると思えば、心おきなく戦うことができるかもしれぬのう。戦って活路を見出すのもよし、波の彼方に思いをはせるのもよしというわけか」
「いずれにせよ、我等海とともにあるは逃れがたい定めにござる。志やぶれた時は、共に海に帰りましょうぞ」
嘉隆の言葉に、浄隆はしばしまじまじと弟の顔を見た。もしかしたらこの弟は、己など及びもつかぬほどの器なのではないかと、しばし恐れたりもした。
ほどなく恐れていた時がきた。祖父泰隆がついに息を引き取ったのある。
嘉隆と浄隆にとりそれは、古来より幾度も伊勢湾を襲った台風のように、その身に恐ろしい災いをもたらすのであった。
0
あなたにおすすめの小説
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
対ソ戦、準備せよ!
湖灯
歴史・時代
1940年、遂に欧州で第二次世界大戦がはじまります。
前作『対米戦、準備せよ!』で、中国での戦いを避けることができ、米国とも良好な経済関係を築くことに成功した日本にもやがて暗い影が押し寄せてきます。
未来の日本から来たという柳生、結城の2人によって1944年のサイパン戦後から1934年の日本に戻った大本営の特例を受けた柏原少佐は再びこの日本の危機を回避させることができるのでしょうか!?
小説家になろうでは、前作『対米戦、準備せよ!』のタイトルのまま先行配信中です!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる

