戦国九州三国志

谷鋭二

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【第二章】秀吉の九州進出・岩石城の戦い

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 秀吉はついに動いた。畿内、東海、東山、北陸、山陰、南海諸道二十四州に動員令を発動し、天正十五年(一五八七)三月一日、大坂城を発つ。山陽道をゆっくりと西進し、二十八日豊前小倉城に入り諸将を集め軍議を開いた。
 「恐れながら、兵の数およそ二十万、馬二万頭及び糧秣一年分、十万石の兵糧揃いましてござりまする」
  と秀吉に報告したのは、堺の薬業者小西隆佐の息子で、切支丹大名でもある小西行長であった。行長と父隆佐は、この秀吉の九州征討のための兵糧、武器、弾薬等の輸送を一手に引き受けたといってよい。
 隆佐は堺町奉行で、行長は小豆島に一万石ほどの領地を持っていた。一万石といっても、この時の行長は瀬戸内海の制海権を、ほぼ完全に掌握していたといっても過言ではない。齢三十三歳。

 
「大儀であった。まあ島津ごとき征伐するに、ちと大袈裟かもしれんのう」
  と、秀吉は粥をすすりながらいった。
 「恐れながら兄上、島津は侮れません。日向・耳川で大友の軍勢破った時といい、肥前で龍造寺隆信を滅ぼした時といい、常に寡兵をもって大兵を滅ぼしております。事は慎重に運ぶが肝要かと」
  と意見したのは、秀吉の実弟羽柴小一郎秀長だった。万事派手好きな秀吉の覇業は、この実直で質朴で慎重な男の功績なくして、恐らくありえなかっただろう。この年、齢四十八歳である。

 
「たわけ! その方わしを本気で、あの宗麟とかいう南蛮かぶれと同じと思うておるのか。たかが島津如き夏の蝿も同然じゃ!」
 「さりながら……」
 「まあよいわ、それより小一郎わしには大きな夢があるのよ。九州ごときは、その夢のため踏み台にすぎん」
  

 関白にまで登りつめて、この上いかような夢があるのかと、諸将がいぶかしんだ時だった。秀吉の口から思わぬ言葉が飛び出した。
 「小一郎、九州の先にはなにがある」
 「と、申しますると?」
 「わからぬか九州の先には朝鮮国がある。そして明国がある。ゆくゆくわしは朝鮮・明国をも切り従える。それがわしの夢じゃ」
  

   
  諸将はいずれも驚き、秀吉の顔をまじまじと見た。
 「恐れながら兄者、朝鮮を切り従えると申しますが、今この日の本の民は長い戦乱に疲弊しておりまする。民百姓が望んでおるのは、戦より泰平ではござりますまいか? 異国に兵を出すよりむしろ、天下安寧の世が長く続くためいかようにしたらよいか、そのことのほうがむしろ、重大ではござりますまいか?」
  と小一郎秀長は、関白の実弟という立場から、諸将が思っていることをはっきりと口にした。
 「たわけ! そのほう本気で民百姓が、天下安寧の世など望んでおると思っておるのか。人はの所詮欲で動くものよ、利で動くものよ、今日がよければよい、明日がよければそれでいい、それだけではないわ!」
 「恐れながら、それがしも小一郎殿に同感にござりまする。言葉も違い、風俗も異なる異国に兵を出すなどと……。そのための戦費は莫大なものとなりまする。もし失敗すれば豊臣家の財力いかほどあろうと、大事に相違ござりません」
  と、商人として朝鮮ともつながりが深い行長までもが反対した。

 
「高虎! その方何故、今まで幾たびも主を変え今小一郎に仕えておる?」
  と、やや不機嫌そうな顔をした秀吉は、秀長の家臣で近江出身の藤堂高虎に、少々厳し目の質問をあびせた。
  藤堂高虎は最初浅井長政に仕えていた。長政が信長に滅ぼされた後は、浅井氏旧臣だった阿閉貞征、次いで同じく浅井氏旧臣の磯野員昌に仕える。やがて近江を去り織田信澄に仕えるも長続きせず、天正四年(一五七六年)から豊臣秀長の臣となっていた。城普請の名人で、石垣を高く積みあげる設計技法で、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城・膳所城などを築城したことでも知られている。
 「より力ある主君に仕えるほうが褒美にも恩賞にありつける。そうではないのか?」
 「さあ、それは……」
 「たわむれよ、たわむれ、気にさわったなら許せ」
  秀吉は高虎が額に玉のような汗を浮かべるのを、愉快がるかのようにいった。
 「のう隆景、そなたも明国、朝鮮の広大な領土が欲しいであろう?」
  と今度は秀吉は、この席に列していた小早川隆景に同意を求めた。隆景は返答に窮して困惑した。
 「まあよい。いずれにせよ九州など、たちどころに成敗せずばなるまいて。よいかそなた等十日じゃ、たかが九州ごとき十日でかたをつけろ、よいな」
  それだけ言い残すと、秀吉は諸将の間をすりぬけ立ち去ってしまった。諸将は驚き、呆れるより他なかった。

  
  秀吉は、弟秀長を豊後口へ派遣し、自らは筑前・筑後より肥後方面へ進出することを決めた。
  秀吉率いる二十万の軍勢来たるの報に、肥前の龍造寺を始め、九州の諸豪はたちどころに手の平を返し、相次いで秀吉の元へ臣従する。これに押されるように島津方の戦線はずるずると南へ下がった。

 
「家久、こたびは大儀であった。豊後での働き聞いておるぞ、いつもながら見事な采配ぶり誉めてとらす」
  と島津義久は薩摩の内城で、秀吉の大軍勢に抗しきれず、事実上逃げ戻る形となった家久の労を最初にねぎらった。
 「ありがたき仰せ、なれど家久、秀吉の大軍勢には歯が立たず、日向の守りをまっとうできなかったこと、お詫びの言葉もございもうはん」
 「病じゃそうだな」
  家久は以前に比べると、かなりやつれ始めていた。
 「さしたることではございもうはん。長対陣の疲れもありますれば、一日、二日静養すれば、すぐになおりもうす」
  と家久は、ややおどけた口調でいった。
 「たわけ!」
  この義久の一喝で、家久は全てを悟り表情から笑みが消えた。


 「兄者、まっこてすまん。こん御家危急の時に病などになるとは、おいの不覚の致すところ」
 「実はの家久、歳久も今中風をわずらい、歩くことに支障をきたしておるのじゃ」
  と義久は、家久に驚嘆すべき事実を打ちあけた。
 「今こそ我等兄弟結束せずばなるまいに……。かようなことでどうする家久」
  と義久は悲壮な表情を浮かべた。
 「面目次第もございもうはん」
  家久は、それ意外に言葉が出なかった。
 「いずれにしても、そなたは養生せずばなるまいて。あれいはわしは腹切らねばならないやもしれぬ。義弘も討ち死にするかもしれぬ。なれどそなたはその病。戦場に立つことはできまい。養生すれば、あれいは生き永らえる道あるやもしれぬ」
 「恐れながら、こん御家存亡のおり、おいは養生するつもりなどごわはん。戦場にお連れ下され」
 「そん体では戦はできん!」
  義久は声を荒げた。
 「さりながら、今朝方おいは鏡に映った顔ば見て、つくづく醜いと思いもうした。このまま痩せ衰えて死を待つくらいなら、戦場での死こそ薩摩武士として望むところ。さしたる働きはできぬかもしれもうはんが、せめて軍勢の端にでも加えてくだされ。何卒、何卒」
  結局義久は、家久の哀訴に押されて、死に場所を与えることとした。生きて再びまみえることがないかもしれない。義久は断腸の思いだった。

  
 九州の諸豪、ことごとく秀吉のもとへ鞍替えをはかる中、唯一島津陣営を離れない者がいた。筑前の秋月種実である。
  秋月種実の父秋月文種や長兄の秋月晴種は、弘治三年(一五五七)、大友宗麟にその居城古処山城に追いつめられ自害した。かろうじて城を落ちのびた幼子だった種実にとり、打倒大友こそが生涯の望みであり、関白の軍勢二十万といえど、その傘下に参じようとしなかったのである。
  関白の軍勢の最初の攻略目標となったのが、秋月二十四城の中でも堅城の一つとされる岩石城だった。岩石城は豊前から筑前の境にあり、標高四四六メートルの花崗岩からなっていた。
  

 寄せ手の将は第一隊が、切支丹大名でまた利休七哲の一人に数えられるなど、文化面でも優れた功績を残した蒲生氏郷。第二隊は、加賀百万石の開祖前田利家の嫡男前田利長だった。
  城を守るのは熊谷久重、芥田六兵衛の二人である。
 「天下人の軍勢を迎え討てるは武士の誉れぞ、皆喜んで死ね」
  と熊谷久重は合戦前、揮下の将兵の勇を奮い立たせようとした。
  やがて城兵達が固唾を飲んで見守る中、四月朔日七つ時(午前四時)、関白の軍勢の総攻撃は開始された。蒲生隊は城の追手から突入し、搦手口から攻め入るのは前田隊である。金銀の指物、幟が朝日を浴びてまぶしく輝き、さしも熊谷久重も息を飲む。

  
 秀吉はこの合戦の模様を、遠くから観望していた。かたわらには関白に祝辞をのべに来た、立花宗茂(この方この頃宗虎から別の名に変更しているようです。しかし生涯にわたってあまりに改名が多いので、以後は最晩年の世に最も知られた宗茂で通したいと思います)の家老薦野増時がいた。
 「上方武士の戦ぶりとくと拝観するがよかろう」
  そういうと秀吉は、茶を一服飲みほす。城方にとり決死の戦で、秀吉にとっては所詮物見遊山程度の代物だった。
  

 城方三千に対し、攻め手は五千、攻城戦にしては人数が少なかったが、勝敗を決めたのは鉄砲の数の圧倒的な違いだった。城方が弾ごめに手間どっている間に、寄せ手はほとんど切れ目なく連射を浴びせた。抜刀の突撃を得意とした熊井勢は、鉄砲の威力の前に戦意を失った。結局城は一日と持たなかった。申の刻(午後四時)落城。城は炎上し、岩石城から三里のところにある益富城で、この攻防を見守っていた秋月種実は、本拠古処山城目指して落ちのびていった。やがて夜になり、益富城周辺が煌々と燃える炎に包まれた。驚愕すべき事態は翌未明におきた。

 
「申し上げます。一大事にございまする!」
 「なんじゃどうした?」
  ようやく目を覚ましたばかりの秋月種実は、物見のただならぬ様子にかすかに動揺した。
 「昨日火に包まれた益富城が、復元されておりまする!」
 「なんじゃと? その方、まだ夢でも見ておるのか?」
  だがそれは夢などではなかった。城周辺の炎は、実は村人が一斉に篝火を焚いたものであり、城も村人が障子などを貼ったものであった。関白得意の一夜城普請だった。
 「秀吉とは人か? それとも天狗か?」
  この詐術にまんまと騙された種実は、たちまちのうちに腰砕けとなり、四日には秀吉に降伏を申し出る。種実は剃髪し、天下の三代名器とされる『楢柴肩衝』と『国俊の刀』を秀吉に献上し、娘の竜子を人質に出し、かろうじて秋月家の存続だけは許された。

  翌日秀吉は、秋月城で立花宗茂を引見した。
 「おお、立花家の凛々しい若武者とは、そなたのことか? ささ近こう寄れ遠慮はいらぬぞ」
  唐織の夜具を身につけた秀吉は、実に上機嫌で宗茂を出迎えた。
 「筑前での働き聞き及んでおるぞ、誠にそなたこそ鎮西一の誉れ」
 「めっそうもない。恐れながらそれがし関白殿下よりかようなお褒めの言葉をいただき、武門の家に生まれ、これ以上喜ばしいことはございません」
 「御父上は実にお気の毒であられたな。誠、我等もう少しかけつけるのが早かったら……」
  と、関白の右隣の武士が不意に声をかけた。
  宗茂が何者であろうかといぶかしんだ時、関白秀吉が思わぬことをいった。

 
「紹介しておこう。これなるは中国の毛利輝元の叔父にあたる小早川隆景じゃ」
  さしもの宗茂も驚嘆し言葉を失った。当時の武将達の大半は、敵方の大将や武将の顔などむろん知る由もない。よもや義父立花道雪のかっての宿敵に、じかにまみえる機会があろうとは……。
 「ははは、噂には聞いておったが、見るからに剽悍その者の武者ぶりでござるな」
  と今度は、関白の左隣に控える者が笑い声をあげた。年は五十近くであろうか。見るからにいかめしい面構えをしている。
 

「こちらも紹介しておかねばなるまい。肥前龍造寺家の家老鍋島直茂じゃ」
  宗茂が、さらに驚いたのはいうまでもない。
 「そなたら、とにもかくにも過去の怨恨は水に流して、この関白秀吉のためいっそう励め。そなたらには、この先まだまだ働いてもらわねばならぬからのう」
  宗茂は、むろん関白の言葉の意味をまだ知る由もなかった。

  
 一方、関白の弟羽柴秀長の軍勢は南下していた。秀長率いる十万の大軍と島津勢が、かっての大友・島津決戦の地高城周辺でまみえるのは、ほどなくのことであった。


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