2 / 16
1.カールのかわりに
しおりを挟む
どうせ死ぬなら、カールの隣に生まれ変わりたいと、切に願った。
ええ、切に願いましたとも。でも、こういうことじゃない。
「リタお嬢様」
二次元として見知った邸宅のリアルな凹凸の感触に、つい何度目かの感動を覚え、壁に手をつき感慨にふけっていたところへ、執事のウォルターが声をかけてきた。
「ウォルター、どうしたの」
「カール様のご体調が優れないそうで、旦那様から、リタ様をお連れするようにと申し付けられました。ご案内いたします」
齢二十にして屋敷の主人から絶大な信頼を得ている彼は、いつも背筋をピンと伸ばし、糊のきいた黒服に身を包んでいる。邸宅内のあらゆる仕事をスムーズにこなすために身につけられた筋肉はしなやかで、動きに一切の無駄がない。リタとは幼少の頃よりの付き合いで、この世界の貴族のあいだで定番となっている裾の長いドレスを未だ扱いきれないリタに、本来違和感を覚えているはずの彼は、それを一切悟らせることなく、歩調を合わせてリタを大広間へと主導していく。
あの日、地震のなかで意識を失ったあと、目が覚めたら乙女ゲームの世界にいた。長い夢を見ているのかと、今でも時折疑いたくなるものの、ここへ来てからすでに季節は一巡した。いわゆる転生というものを体験したのだろうと、理解はできないが、納得せざるをえないだけの時間が過ぎたと思っている。
日に日に日本にいた頃の自分の存在が遠くなり、リタという、カールの年子の姉の記憶がはっきりとしてくる。病弱なカールは王位継承権第二位の皇族だが、姉の自分は女であるが故にその権利を持たず、身分だけ高く、また弟の病弱さを補うように大層健康で――両親に言わせれば大変やんちゃで――、それゆえに縁組が難航している。
たしかに、日本の記憶が途絶える頃に、「カールの隣に生まれ変わりたい」と願った。しかし姉という形ではない。初めてカールの頬に手で触れた日、わずかに胸が高鳴ったのは事実だが、リタである自覚が強くなってからは、異性というより弟という感情が先に浮かぶようになり、恋心は消えてしまった。これを失恋と呼んでしまうには、少しばかり長く彼の姉でいすぎてしまった。
派手ではないが、丁寧な彫刻の施された重厚な扉をウォルターが押し開け、リタを中へと促す。赤に金の刺繍がほどこされた絨毯は皇族の居城の証だ。ふと幼少期に紅茶をこぼした記憶を思い出し、背中がひんやりとした。
「お父様、お母様、お呼びでしょうか」
上品に腰を折り、スカートを摘み、持ち上げる。一年の間に習得した、挨拶のマナーだ。
「リタ、いいか、お前に大切な話がある」
「はい、何でしょう」
「カールのふりをして、カールの代わりに、王城に暮らしてほしいんだ」
「はあああああああ?!」
つい、リタでない方の自分の素の声が出てしまった。ウォルターは視界の端で無関心を貫いているが、目の前で母は大きく顔をしかめた。
「下品な声を出さないでちょうだい」
父は大きく咳ばらいをする。
「兄様、つまり国王陛下から直々に、カールを後継者候補として王城で育てたいと話をいただいたんだ。まあその、カールにとっても悪い話ではないし、後押ししてやりたいんだが、何分今はまだ体が弱っているから。カールの体調が良くなるまで、お前がカールのふりをして、ふるまってほしいと思う」
「カールの将来のために、少しの間だけで良いから、お願いよ」
矢継ぎ早に両親から頭を下げられ、無性に居心地の悪い気持ちになる。
「いや、でも私、女ですし……」
「顔はそっくりだし、体型も……その、まあ、バレないだろう」
「なんて失礼な」
口頭で抗議してみせても、リタは、リタの外見がカールに瓜二つなことを否定できなかった。すらりと伸びた手足や、色白な肌、ぱっちりとした二重、通った鼻梁、柔らかな髪質は、まさに人形のようだ。鏡を見るたびにため息が出る。だが、この世界で出会う人は誰もが同様に美しい外見をもつものばかりで、リタの容姿も社交界で特別なものでなかったし、何より彼女はほかの同世代の女性から決定的に劣っている部分があった。体のラインが直線的で、女性らしい膨らみの乏しいところだ。
「王城は豪華絢爛だが、その分ストレスの多い場所だ。今のカールが出向いたところで、体調を崩して陛下の期待を裏切るだけだ。あと一年、カールが成人する頃には、きっと健康で丈夫な体になっているはずだと医師も言っていた。それまでで良いから、リタ、代わりに王城へ行って暮らしてくれないか」
「陛下に事情を説明して、あと一年待っていただくことはできないの」
「そんなことをすれば、陛下はカールを後継者候補から外してしまうだろう」
父の言葉に、リタは、さもありなん、と納得した。
リタがゲームのプレイヤーだった頃、陛下は賢いが冷徹で、少しの不安要素も許せない人だった。今の後継者最有力候補は第一王子のアルフレッドのはずだが、陛下の期待に応え、誰よりも聡明で、誰よりも強く、正義感に満ち溢れたアルフレッドがいてもなお、万一命を落としてしまうリスクを防ぐためと、それ以外の後継者候補を集め、育てようとしているのだ。
「でも、もし私がカールでないとバレたら、お父様とお母様は、カールは、私はどうなるの」
「陛下にとっては、どちらでも同じことだ。カールが後継者候補になりえないなら、我が家は要なしだろう。いいかリタ、家のためにも、絶対にバレるんじゃないぞ」
そんな無茶な、という言葉は宙に消えた。思い返せば、どう悪く転んでも、乙女ゲームの世界だから、それほどひどいことになるはずがないという油断もあったのかもしれない。結局、リタは一週間後、唯一女性らしい象徴であった長い髪を切り、カールの服に身を包み、王城へと出向くこととなったのであった。
ええ、切に願いましたとも。でも、こういうことじゃない。
「リタお嬢様」
二次元として見知った邸宅のリアルな凹凸の感触に、つい何度目かの感動を覚え、壁に手をつき感慨にふけっていたところへ、執事のウォルターが声をかけてきた。
「ウォルター、どうしたの」
「カール様のご体調が優れないそうで、旦那様から、リタ様をお連れするようにと申し付けられました。ご案内いたします」
齢二十にして屋敷の主人から絶大な信頼を得ている彼は、いつも背筋をピンと伸ばし、糊のきいた黒服に身を包んでいる。邸宅内のあらゆる仕事をスムーズにこなすために身につけられた筋肉はしなやかで、動きに一切の無駄がない。リタとは幼少の頃よりの付き合いで、この世界の貴族のあいだで定番となっている裾の長いドレスを未だ扱いきれないリタに、本来違和感を覚えているはずの彼は、それを一切悟らせることなく、歩調を合わせてリタを大広間へと主導していく。
あの日、地震のなかで意識を失ったあと、目が覚めたら乙女ゲームの世界にいた。長い夢を見ているのかと、今でも時折疑いたくなるものの、ここへ来てからすでに季節は一巡した。いわゆる転生というものを体験したのだろうと、理解はできないが、納得せざるをえないだけの時間が過ぎたと思っている。
日に日に日本にいた頃の自分の存在が遠くなり、リタという、カールの年子の姉の記憶がはっきりとしてくる。病弱なカールは王位継承権第二位の皇族だが、姉の自分は女であるが故にその権利を持たず、身分だけ高く、また弟の病弱さを補うように大層健康で――両親に言わせれば大変やんちゃで――、それゆえに縁組が難航している。
たしかに、日本の記憶が途絶える頃に、「カールの隣に生まれ変わりたい」と願った。しかし姉という形ではない。初めてカールの頬に手で触れた日、わずかに胸が高鳴ったのは事実だが、リタである自覚が強くなってからは、異性というより弟という感情が先に浮かぶようになり、恋心は消えてしまった。これを失恋と呼んでしまうには、少しばかり長く彼の姉でいすぎてしまった。
派手ではないが、丁寧な彫刻の施された重厚な扉をウォルターが押し開け、リタを中へと促す。赤に金の刺繍がほどこされた絨毯は皇族の居城の証だ。ふと幼少期に紅茶をこぼした記憶を思い出し、背中がひんやりとした。
「お父様、お母様、お呼びでしょうか」
上品に腰を折り、スカートを摘み、持ち上げる。一年の間に習得した、挨拶のマナーだ。
「リタ、いいか、お前に大切な話がある」
「はい、何でしょう」
「カールのふりをして、カールの代わりに、王城に暮らしてほしいんだ」
「はあああああああ?!」
つい、リタでない方の自分の素の声が出てしまった。ウォルターは視界の端で無関心を貫いているが、目の前で母は大きく顔をしかめた。
「下品な声を出さないでちょうだい」
父は大きく咳ばらいをする。
「兄様、つまり国王陛下から直々に、カールを後継者候補として王城で育てたいと話をいただいたんだ。まあその、カールにとっても悪い話ではないし、後押ししてやりたいんだが、何分今はまだ体が弱っているから。カールの体調が良くなるまで、お前がカールのふりをして、ふるまってほしいと思う」
「カールの将来のために、少しの間だけで良いから、お願いよ」
矢継ぎ早に両親から頭を下げられ、無性に居心地の悪い気持ちになる。
「いや、でも私、女ですし……」
「顔はそっくりだし、体型も……その、まあ、バレないだろう」
「なんて失礼な」
口頭で抗議してみせても、リタは、リタの外見がカールに瓜二つなことを否定できなかった。すらりと伸びた手足や、色白な肌、ぱっちりとした二重、通った鼻梁、柔らかな髪質は、まさに人形のようだ。鏡を見るたびにため息が出る。だが、この世界で出会う人は誰もが同様に美しい外見をもつものばかりで、リタの容姿も社交界で特別なものでなかったし、何より彼女はほかの同世代の女性から決定的に劣っている部分があった。体のラインが直線的で、女性らしい膨らみの乏しいところだ。
「王城は豪華絢爛だが、その分ストレスの多い場所だ。今のカールが出向いたところで、体調を崩して陛下の期待を裏切るだけだ。あと一年、カールが成人する頃には、きっと健康で丈夫な体になっているはずだと医師も言っていた。それまでで良いから、リタ、代わりに王城へ行って暮らしてくれないか」
「陛下に事情を説明して、あと一年待っていただくことはできないの」
「そんなことをすれば、陛下はカールを後継者候補から外してしまうだろう」
父の言葉に、リタは、さもありなん、と納得した。
リタがゲームのプレイヤーだった頃、陛下は賢いが冷徹で、少しの不安要素も許せない人だった。今の後継者最有力候補は第一王子のアルフレッドのはずだが、陛下の期待に応え、誰よりも聡明で、誰よりも強く、正義感に満ち溢れたアルフレッドがいてもなお、万一命を落としてしまうリスクを防ぐためと、それ以外の後継者候補を集め、育てようとしているのだ。
「でも、もし私がカールでないとバレたら、お父様とお母様は、カールは、私はどうなるの」
「陛下にとっては、どちらでも同じことだ。カールが後継者候補になりえないなら、我が家は要なしだろう。いいかリタ、家のためにも、絶対にバレるんじゃないぞ」
そんな無茶な、という言葉は宙に消えた。思い返せば、どう悪く転んでも、乙女ゲームの世界だから、それほどひどいことになるはずがないという油断もあったのかもしれない。結局、リタは一週間後、唯一女性らしい象徴であった長い髪を切り、カールの服に身を包み、王城へと出向くこととなったのであった。
0
お気に入りに追加
153
あなたにおすすめの小説
破滅ルートを全力で回避したら、攻略対象に溺愛されました
平山和人
恋愛
転生したと気付いた時から、乙女ゲームの世界で破滅ルートを回避するために、攻略対象者との接点を全力で避けていた。
王太子の求婚を全力で辞退し、宰相の息子の売り込みを全力で拒否し、騎士団長の威圧を全力で受け流し、攻略対象に顔さえ見せず、隣国に留学した。
ヒロインと王太子が婚約したと聞いた私はすぐさま帰国し、隠居生活を送ろうと心に決めていた。
しかし、そんな私に転生者だったヒロインが接触してくる。逆ハールートを送るためには私が悪役令嬢である必要があるらしい。
ヒロインはあの手この手で私を陥れようとしてくるが、私はそのたびに回避し続ける。私は無事平穏な生活を送れるのだろうか?
【完結】ヒロインに転生しましたが、モブのイケオジが好きなので、悪役令嬢の婚約破棄を回避させたつもりが、やっぱり婚約破棄されている。
樹結理(きゆり)
恋愛
「アイリーン、貴女との婚約は破棄させてもらう」
大勢が集まるパーティの場で、この国の第一王子セルディ殿下がそう宣言した。
はぁぁあ!? なんでどうしてそうなった!!
私の必死の努力を返してー!!
乙女ゲーム『ラベルシアの乙女』の世界に転生してしまった日本人のアラサー女子。
気付けば物語が始まる学園への入学式の日。
私ってヒロインなの!?攻略対象のイケメンたちに囲まれる日々。でも!私が好きなのは攻略対象たちじゃないのよー!!
私が好きなのは攻略対象でもなんでもない、物語にたった二回しか出てこないイケオジ!
所謂モブと言っても過言ではないほど、関わることが少ないイケオジ。
でもでも!せっかくこの世界に転生出来たのなら何度も見たイケメンたちよりも、レアなイケオジを!!
攻略対象たちや悪役令嬢と友好的な関係を築きつつ、悪役令嬢の婚約破棄を回避しつつ、イケオジを狙う十六歳、侯爵令嬢!
必死に悪役令嬢の婚約破棄イベントを回避してきたつもりが、なんでどうしてそうなった!!
やっぱり婚約破棄されてるじゃないのー!!
必死に努力したのは無駄足だったのか!?ヒロインは一体誰と結ばれるのか……。
※この物語は作者の世界観から成り立っております。正式な貴族社会をお望みの方はご遠慮ください。
※この作品は小説家になろう、カクヨムで完結済み。
転生したらただの女子生徒Aでしたが、何故か攻略対象の王子様から溺愛されています
平山和人
恋愛
平凡なOLの私はある日、事故にあって死んでしまいました。目が覚めるとそこは知らない天井、どうやら私は転生したみたいです。
生前そういう小説を読みまくっていたので、悪役令嬢に転生したと思いましたが、実際はストーリーに関わらないただの女子生徒Aでした。
絶望した私は地味に生きることを決意しましたが、なぜか攻略対象の王子様や悪役令嬢、更にヒロインにまで溺愛される羽目に。
しかも、私が聖女であることも判明し、国を揺るがす一大事に。果たして、私はモブらしく地味に生きていけるのでしょうか!?
【完結】攻略を諦めたら騎士様に溺愛されました。悪役でも幸せになれますか?
うり北 うりこ
恋愛
メイリーンは、大好きな乙女ゲームに転生をした。しかも、ヒロインだ。これは、推しの王子様との恋愛も夢じゃない! そう意気込んで学園に入学してみれば、王子様は悪役令嬢のローズリンゼットに夢中。しかも、悪役令嬢はおかめのお面をつけている。
これは、巷で流行りの悪役令嬢が主人公、ヒロインが悪役展開なのでは?
命一番なので、攻略を諦めたら騎士様の溺愛が待っていた。
深窓の悪役令嬢~死にたくないので仮病を使って逃げ切ります~
白金ひよこ
恋愛
熱で魘された私が夢で見たのは前世の記憶。そこで思い出した。私がトワール侯爵家の令嬢として生まれる前は平凡なOLだったことを。そして気づいた。この世界が乙女ゲームの世界で、私がそのゲームの悪役令嬢であることを!
しかもシンディ・トワールはどのルートであっても死ぬ運命! そんなのあんまりだ! もうこうなったらこのまま病弱になって学校も行けないような深窓の令嬢になるしかない!
物語の全てを放棄し逃げ切ることだけに全力を注いだ、悪役令嬢の全力逃走ストーリー! え? シナリオ? そんなの知ったこっちゃありませんけど?
悪役令嬢はSランク冒険者の弟子になりヒロインから逃げ切りたい
鍋
恋愛
王太子の婚約者として、常に控えめに振る舞ってきたロッテルマリア。
尽くしていたにも関わらず、悪役令嬢として婚約者破棄、国外追放の憂き目に合う。
でも、実は転生者であるロッテルマリアはチートな魔法を武器に、ギルドに登録して旅に出掛けた。
新米冒険者として日々奮闘中。
のんびり冒険をしていたいのに、ヒロインは私を逃がしてくれない。
自身の目的のためにロッテルマリアを狙ってくる。
王太子はあげるから、私をほっといて~
(旧)悪役令嬢は年下Sランク冒険者の弟子になるを手直ししました。
26話で完結
後日談も書いてます。
完璧(変態)王子は悪役(天然)令嬢を今日も愛でたい
咲桜りおな
恋愛
オルプルート王国第一王子アルスト殿下の婚約者である公爵令嬢のティアナ・ローゼンは、自分の事を何故か初対面から溺愛してくる殿下が苦手。
見た目は完璧な美少年王子様なのに匂いをクンカクンカ嗅がれたり、ティアナの使用済み食器を欲しがったりと何だか変態ちっく!
殿下を好きだというピンク髪の男爵令嬢から恋のキューピッド役を頼まれてしまい、自分も殿下をお慕いしていたと気付くが時既に遅し。不本意ながらも婚約破棄を目指す事となってしまう。
※糖度甘め。イチャコラしております。
第一章は完結しております。只今第二章を更新中。
本作のスピンオフ作品「モブ令嬢はシスコン騎士様にロックオンされたようです~妹が悪役令嬢なんて困ります~」も公開しています。宜しければご一緒にどうぞ。
本作とスピンオフ作品の番外編集も別にUPしてます。
「小説家になろう」でも公開しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる