ワガママな人達の交響曲

三箱

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第一章 振り回される

休日明けの朝

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 カーテンの隙間から注がれる朝日が痛い。重たい瞼に、重たい体。

「あの野郎」

 自由奔放に動き回っていたカジの姿が脳裏を過ぎり、イラッとする。同時にどこか憎めきれない感情も微かだがあった。そのせいで心はひどく荒れている。
 昨日、あの後俺とソラを県で一番の市街地まで引っ張られ、ショッピングモール、カラオケ、ボウリング、バッティングセンター、ゲームセンターなど連れ回された。おかげで帰ったのは夜遅くになった。
 朝起きたらこのざまだった。今までここまで疲労を残したことなどなかった。喧嘩をしても疲れなど感じなかった。洗面台まで脚を引き摺るように歩き鏡の前で自分の顔を確認する。
 少しやつれていた。

「情けねえ面だ」

 蛇口から水を出して顔を洗う。もう一度、顔を確認するが、依然疲労の色は濃く残っていた。おまけに背筋が凍るような感覚になる。

「……え」

 俺は声を失った。

 気がつくと鏡越しに黒髪の女性が俺の背後に映っていた。振り返ろうとするが、体は何かに縛られたように動かなくなる。
 女性は不気味な笑みを浮かべたまま、鏡越しに俺を見つめる。女性の白い手が俺の右肩を撫でる様に掴み、冷たく気味の悪い感触が伝わる。

「お、ま、え、は。何……も……のだ」

 震える口を必死に動かし何とか言葉を紡ぎ出す。
 女性は左頬に手を当ててうっとりと笑い、右手を俺の首筋に触れる。

「あなたの恋人」

 妄言だった。
 俺は鬼気にも勝る勢いでねめつける。だが女性はより愛おしい表情に変わり、首筋に口を近づけてくる。そして優しく頬撫でながらそっと囁いた。

「……好き」
「うあ!」

 引き絞られた筋肉が全力で女性の顔を襲った。だがその拳は空を切った。振り返るが女性の姿はなかった。

「ハア。ハア……」

 ドクン、ドクン、と心臓の鼓動が嫌に大きく聞こえる。
 一体、誰なんだ。
 あれがピアノの呪いの元凶か。
 何故現れる。何故あんなにも愛おしそうにする。何故そんなに俺を苦しめるんだ。何故俺からピアノを奪うんだ。しばらくの間理解できるはずない事に悩み続けた。人生最悪の朝と言っていい。
 こんな胸糞悪い感覚は初めてだった。

 締め付けられるような息苦しさに、岩のように重たい脚。力の入らない手に、時より走る寒気。普通なら風邪と思ってしまう症状。学校も休むという選択肢も十分あった。
 けど俺は学校の教室にいる。
 理由としては、質の悪い幽霊に遭遇して家で落ち着けなくなった。一人でぶらぶら探索する気にもならない。ある程度人の声が聞こえる範囲で教室の椅子に座っている方が、まだ気持ちが楽で済む。
 一人が好きだったのに、不思議な話だ。
 末期だな。
 もしそれでも落ち着かないのであれば、最終手段にプライベート情報漏洩の罪で、保健室の久江に殴り込んで鬱憤を晴らしてやる。とりあえず今は座席でできる限り楽な体勢で座って精神疲労を癒そう。今日はそれに徹しよう。

「きょうー! ちゃん!」

 一瞬でその計画は崩れ去った。

「何だカジッ……?」

 振り返った先に彼女の艶やかな指先が俺の頬を凹ませた。

「うふふふ。奇襲成功!」

 悪戯を成功させ上機嫌なカジ。逆に失意のどん底に落ちた俺。

「暇なやつ」

 前に向き直り、頬杖をつく。もう抵抗する気にもならない。

「素っ気ない。何かあった?」

 俺の前に立ち、大きな目をパチクリとする。何かあったことは事実だ。けど幽霊に会ったと言えば、こいつは話に飛びつき根掘り葉掘り聞いてくるだろう。

「昨日、お前が連れ回したせいで、こっちの体力はスッカラカンだ」

 ヒラヒラと手を振る。
 カジは「えー」と口を開き残念そうな表情になる。

「なーんだ。呪い関係で何かあったのかなと思ったのに」
「……」

 口をすぼめて不貞腐れる。本当に気づいているのか。それとも鎌をかけているのか。適当なのか。幽霊とは違う怖さをカジから覚える。これもある意味呪いではないのか。破天荒な女性に振り回されるという呪い。

「はあ」

 オカルトなんて今まで全く信じていなかったのに、こんな振り回されて、何でも呪いに置き換えるとか、俺はかなり毒されてきた気がする。

「結構、疲れてるね」
「そりゃ。呪いを持ってから、その主に会いたいと友達になって、次の日には見ず知らずのジャグラーを友達に引き込んで遊ぶ。この世で珍しいことに何回も遭遇していたら、そりゃ普通では使わない体力使うって」

 喧嘩の様な肉体的体力なら自信はあるが、変則的な攻撃を受け止める精神的防御力を持ち合わせていない。考えたくないことを考えさせられて心身的に参っている。特に呪いに関しては頭から離れない。ピアノが弾けなくなってからずっとだ。コイツの顔を見ると最初の不遇な出会いまで思い出すから腹立たしい。

「……?」

 そういえば思い出したついでに、一つ気になったことがあった。いつも聞き流していたが、状況が状況なだけに少しでも情報を聞き出す必要があるかもしれない。

「なあ。お前が言ってた三大……、なんだっけ?」
「学校三大不思議、それがどうかした?」
「俺のピアノの呪いがって言ったな。じゃあ、一つ目と三つ目はなんだ? あと何故それが二つ目だ?」

 三大不思議の残り二つも気になるが、ピアノの呪いを二つ目というのも気になる。その内の一つという言い方もあったはずなだが……。

「ふーん」

 口元に手を当ててニヤニヤとする。

「何故そんないやらしい目をしている?」
「有名な不良がオカルトに興味持ってくれたことに、私も鼻が高いと思ったから」
「勝手にお前のおかげっぽい言い方してんだ!」
「冗談、冗談。そんな怒らない。怒らない」

 どう。どう。と両手を出して俺の怒りを鎮めようとする。
 俺は馬か。
 いちいち癪に触る女だ。込み上げてきた怒りを既のところで止める。

「まあいい。それで俺の質問の答えは?」

 カジは自信満々に腕を組む。

「そこまで気になるなら答えましょう! 三大不思議の一つ目は、虹の呪い!」
「虹の呪い?」

 全く予想していない内容が飛んできた。てっきり学校関連と思っていたのだが……。

「それはどういった……」
「これは虹が見られなくなる呪い!」
「……」

 堂々と言い切るが、内容が少し小規模な気がするのは俺だけだろうか。

「呪いを貰ってもダメージがほとんど無いな」

 思ったことを口にしてみる。だがカジはその答えが返ってくるのを予想していたみたいだ。

「それは全く興味のない人にとってだけど、虹好きにとっては苦痛でしかない。今のあなたみたいに」
「……」

 ぐうの音も出ない。
 俺はむすっとしたまま、もう一つの内容に話をすり替える。

「んで三つ目は?」

 カジは更に胸を張り、堂々と答えた。

「三つ目、まだ決まっていない」
「……は」

 衝撃の内容が飛んできた。内容を咀嚼するのに十秒ほどの沈黙の時間が必要だった。

「ちょっと待て、どこが三大だ!」
「事情があって、三つ目審議中!」
「おいおい。それよくネットにある『三大○○、これとそれと、あと一つは何?』みたいなノリか」
「みたいなノリです!」

 何も悪びれることなく言い切った。あまりにも清々しすぎて、怒りを通り越して呆れてしまう。折角真剣に呪いについて考え始めて情報を得ようとしたのに、裏切られた感が半端ない。
 こうなると他の二つも適当感が漂う。

「おめえ。中途半端な情報を俺に教えたのか?」

 鋭く切り込みにかかるが、カジは首を横に一回振る。

「それは違う。確かな情報を基に我がオカルト研が作ったから。現にいるし」

 カジは俺を指差す。

「いや、二つ目は俺の存在を見っけてから作ったんじゃないか?」
「実際に驚いたけどその情報は昔からあるよ! それにピアノが二つ目という情報もあるから」

 退くことはなく、自信はあるみたいだ。

「じゃあ。その情報というのはどこにあるんだ?」
「オカルト研に来たらあるけど……。来る?」

 オカルト研……。
 湿っぽいというか、陰気臭いというか、怪しげというか……。何とも胡散臭い感じがするのだが。

「お前、オカルト研の部員なのか?」
「あ。言ってないか。そうだよ」
「何か情報がオカルト研にあるっていうのが怪しいな」

 風邪は内科、骨折は外科、みたいな流れだとは思うが、それでも疑わしく思えてならない。

「おまえ。俺を間接的にオカルト研に入部させる魂胆ではないよな」

 疑い過ぎかもしれないが、カジなら十分に有り得る。

「まさか。そんなわけないじゃん」

 と、顔の前で手を振ってすごい勢いで否定している。杞憂に終わればいいのだが。妙に心に引っ掛かりが取れない。

「でも、入部したら入部したらで面白そう。お化け屋敷のお化け要員で絶対使える!」

 一人で頷くカジ。
 俺の顔は見せものではないし、そもそも論点がズレている。

「本当に入部したいなら、顧問に相談するけど?」
「するか!」

 確実にコイツのペースに乗せられている。

「まあいい。とりあえず放課後オカルト研前に集合! これ絶対!」
「待て、俺はまだ行くとは……」
「じゃあ。もうすぐホームルームだからクラスに戻るよ!」

 俺の言葉を無視して、そそくさと立ち去った。嵐みたいな奴だな。全く好き勝手言って、こっちの意見は無視かよ。どんなに横暴な奴だよ。
 疲れた。
 机の上にグッタリと伏せた。まあいい。あいつがいなくなればもう話しかけてくる奴などいない。クラスの奴らはさっきのカジとの会話で奇異な視線を向けている。ヒソヒソと話している声も耳に入るが、直接的に声をかける様な物好きはカジ以外いない。疲労回復のため、俺はもう一度睡眠に入った。

「おはよう。風間君」
「……」

 後方から俺の苗字を呼ばれた。声質的にカジではない、だが思い当たるフシもない。無視したいが、気になりすぎて満足に休憩できない。休息を邪魔された恨み半分、興味半分で声の主を確認する。

「ごめん。寝てた?」

 少し背の高い気の弱そうな青年が、ビクッとしながらも小さく手を上げていた。

「……ソラ」

 制服姿のソラがいた。
 普通の光景なのだが、言葉にし難い驚きというか、はっきりと言えない何かというか。

「……お前、この学校の生徒だったのか。あとクラスは……」
「一応、ここなんだけど」
「……マジか」

 昨日は遊んだが、学校の話など一つもしなかった。だからソラがここの生徒というのを知らなかった上に、クラスが同じという事に驚いた。まあ俺はクラスの野郎と仲良くなる気もなかったから、一人一人の顔など覚えていない。けど知り合った奴が、ここまで身近だったとなると世間の狭さの恐ろしさを感じる。

「……ん?」

 ソラが俺と接触してから、何かクラスの周りが妙にざわついていることに気がつく。カジの時よりも周りの関心が強いのか、視線が多く感じる。

「あー。たぶん僕が理由だと思うよ」

 ソラは周りを一瞥したあと、俺に向かって話を続ける。

「風間君が驚くのもだいたい察しが行くよ。だって僕が他人に話しかけるのがたぶん珍しいんだと思う。先週は体調崩して僕欠席していたし、影薄かったし」

 その割にはソラの表情はどことなく穏やかだった。まあソラはもともと積極的に話す人ではないと思われる。でも俺は特にそれを追求する気はなかった。

「そうか」

 一言だけ言って前を向く。

「俺は適当にいるから、適当に絡んできたら、適当に接するから、適当によろしく」

 後ろに向かって手を振る。

「え、ああ、よろしく」

 おどおどした声が聞こえた。俺は前を机に肘を当て頬杖つく。同時にドアのガラガラという開閉音と合わせて、先公が教室に入ってきた。立っていた生徒は急いで席に着く。先公は書類を抱えており、それを教壇の前にドンと置く。そしてグルッと見回し確認すると、ある一方向を注視する。
 俺の後ろだ。

「紅月君、もう体調は大丈夫ですか?」
「はい。まあ大丈夫です」
「そうですか。それは良かったです。遅れた分を取り戻すのは大変ですが、これから頑張ってください」
「え、あ、はい」

 形式的な発言をする。俺は教師に求めるものは特に無いが、今の言葉で更に印象は悪くなった。正面に向き直ると、書類の上から一枚の紙を取って広げる。

「まだ夏休み前で早いですが、文化祭恒例の『ビッグスターコンテスト』の募集があるそうです。一応ポスターを黒板横に貼っておきますので、興味ある人は確認していてください」
「おー!」

 少しクラスが騒めいた。隣の席やグループ同士でヒソヒソと会話をしている。だが俺はそんなに興味がそそるものと思えなかった。学校でするコンテストなんてたかが知れている。大方知名度とか目立ちたいとかチヤホヤされたいと思っている軽い奴らが、目を光らせて集まる中途半端なイベントだろ。
 フンと鼻を鳴らす。

「風間君」

 トントンと肩を叩かれる。

「何だ?」
「あのコンテストってどんなのかな?」
「さあな。学校の行事だからそんな大層なものじゃないだろ」
「僕も思ったんだけど、みんなの話し声を聴くと豪華景品が出るとか呟いているみたい」
「……そうか」

 豪華景品、響きはいいけど具体的な物はそれと見合っているかどうか。モノに釣られるとか、高校生って単純な奴らが多いな。自分のクラスの反応に呆れる。

「みなさん静かに。文化祭のことも楽しみですが、その前に夏休みもあります」
「おー」

 今度は元気な反応が返る。

「それですが、当然宿題もありまして、この教壇に乗っている大量の紙になるのですが……」

 急にクラスはシーンと静まった。
 宿題という言葉は、生徒を黙らせる最適な言葉だということは、知っての通り。

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