ワガママな人達の交響曲

三箱

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第一章 振り回される

オカルト好きだそうだ。

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 その後、特に目立った事件は無く自分のアパートに帰ることができた。
 部屋には誰もいない。
 当然だ。一人暮らしだからな。
 俺はベットに座り、フーっと息を吐いた。気を緩めるとドッと疲れが出てきた。体が気怠くなり、もの凄く重く感じる。今まであまり使わなかった能力を使う羽目になったからか。
 まず保健室から起き上がったら倒れていた事実を明かされ、音楽室に行ったら妙な女性と会話するし。帰り道には間抜けな自転車男に轢かれそうになり、結局助けるし。

 変な日だ。

 それに、音楽室に倒れていたことについて、全くと言っていいほど思い出せそうにない。昨日の記憶が、奴らをぶっ飛ばしてから全く無い。色々と疑問は多いが、正直考えたところで変に偶然が重なったという発想しか至らない。
 仕方ない。ピアノでも弾いたら少しはこのわだかまりも発散できるだろう。
 俺はベットから立ち上がり、リビングにある電子ピアノの前に座り、鍵盤の蓋を開けた。

「……」

 一瞬見間違いかと思った。何度も目を擦り確認した。でもその現実が変わることがなかった。

 鍵盤がなかった。

 そこにあるべき白と黒の鍵盤の姿はどこにもなかった。
 数秒の思考の硬直を終え、事実を認識すると同時に、焦燥と恐怖が襲ってきた。
 俺は両手でその部分を鷲掴みする。だが鍵盤を押下する時の感触はなく、固く冷たい鉄が指先を通じて感じるだけ。

「どうなってやがる」

 何度も何度も触り、なぞり、掴み、叩いた。
 だが俺の知っている感覚はどこにも無かった。

「クソ!」

 ガシャっと音を立て椅子を蹴り飛ばした。派手に吹っ飛び壁に突き刺さった。
 ジーンと脛に痛みが走る。

「ハア。ハア。ハア」

 原因は何だ。

『君は音楽室で倒れていたんだよ。』

 久江の言葉が蘇る。
 だがさっき行った時はあの女に邪魔をされた。
 女性の顔を思い出すと急に憎悪と怒りが湧き上がってきた。

「あの野郎……」

 俺は本能のまま、ドアを蹴り飛ばして開けて、一直線に学校に向かって走った。さっきの半分以下の時間で学校まで戻った。学校の廊下を疾走し、音楽室のドアを思いっきり横に開けた。
 誰もいなかった。
 あの女性もいなかった。
 俺はまっすぐにグランドピアノに向かい、蓋を開けた。

 鍵盤は無かった。
 
 ギリっと歯を食いしばり、ギュッと拳を握り締めた。
 何故だ。
 体から冷や汗がツーっと流れていく。
 困惑の中でふと朝の光景を思い出す。
 あの女性はピアノを弾いていた。清々しいくらいに気持ちよさそうに。間違いなく弾いていたはず。音は聞こえていた。鍵盤は角度的には見えていなかったけど確かに弾いていた。
 じゃあ見えていないのは俺だけなのか。
 ますます意味が解らない。
 それにこのままじゃ、俺の生きがいまでも奪われてしまう。
 
「ふざけんな!」

 全力でグランドピアノの屋根を殴ろうとしたが、既のところで止めた。
 そして力なく屋根を掴み、ガクッと床に膝がついた。
 ピアノを弾けぬ悲しみが、ジワジワと湧いてきた。

「どうすればいい」

 目がジワっと熱くなり、靄がかかってきた。
 情けねえ。

「あれ。君、さっきの?」

 誰もいなかったはずの音楽室の入口に、一つの人影があった。その姿の正体を認識すると、急いで立ち上がって敵意を向ける。

「なんだ。お前か。どっか行け!」

 今の姿を女性なんかに見られたのが屈辱だ。
 咄嗟に顔を伏せる。
 だが銀髪の女性は引き下がることなく、むしろ普通に音楽室に入ってきた。俺の横を通り過ぎて鍵盤の正面に立ち、俺の顔と鍵盤を交互に見つめる。

「ピアノ弾いて!」
「はあ?」

 こいつに恐怖心というのは存在しないのか。

「妙に焦っているけど、あんなに啖呵切っていたのに、もしかして弾けない?」
「……」

 何てやつだ。
 こいつの観察眼は、人智を逸していると思えてならない。
 でも女性の言いたいことは、ピアノ弾く実力が無いという意味の「弾けない」であり、物理的に「弾けない」という状況とは思っていないはず。
 ただどっちにしろ、俺は今弾けない。

「もしかして……。図星?」

 大きな瞳をパチクリとし、怪訝そうに見つめてくる。
 視線が痛い。
 このまま、嘘つき認定だけは受けたくねえ。ピアノの実力がないだけは言われたくねえ。
 俺は手を高く上に挙げた。
 くそ野郎。猿知恵だが悪知恵だが知らないが、今俺に思いつく打開策はこれしかない。

「あー。もうどうにでもなりやがれ!」

 振り上げた手を上から叩くように鍵盤の上に置いた。

 何も聞こえなかった。

 俺の手には鍵盤の感触は無い。ピアノの棚に手を置いているだけ。でもそれは異常だと気づくはずだ。本来の構造上、棚を上から直接触れることなどできないから。
 女性の目にどう映ったか。
 瞳は大きく開かれ、小さく口を開いた。
 だがそれ以上の驚きを見せることはなかった。
 女性は鍵盤に注いでいた視線を、俺に移した。

「あなた……、もしかして、学校三大不思議の二つ目、ピアノの呪いをうけたの!?」

 女性の透き通るような肌を持つ顔が、ぐいっと急接近してきた。

「……なんだそれ」

 初耳だ。
 突拍子もなさすぎて、緊張感と怒りがどこか彼方に吹っ飛んでいった。

「昔あった話なんだけど、この音楽室で自殺した女性がいたみたい。その自殺した霊がこのピアノに取り憑いているという専らの噂」

 ものすごく目をキラキラさせていた。

「ほ。ほう。それで?」

 反応に困る。

「それで、呪いというか、女性の霊に取り憑かれた人は、ピアノが弾けなくなるって」
「……」

 何だそれ。地味に質が悪い。
 特に俺にとっては、ピアノ弾きには生き地獄に近い。
 あれか、音楽室で倒れたのって、呪いを受けた衝撃で倒れたのか、けど倒れる直前の記憶がさっぱりない。

「ねえ。君はその女性の幽霊を見た?」

 グイグイ迫ってくる。

「ちょっと離れろ!」

 俺は女性の両肩を掴んで強めに押し返す。
 女性は少しフラつくが、倒れることは無かった。

「声の割に、意外と優しめに押すんだね」

 感心感心と両手を組んで頷く。

「お前の言動がクレイジー過ぎて、力抜けた」

 ハアーっと深いため息を吐く。

「んで、どんな幽霊だったの?」
「んなの知るか。記憶ねぇんだから」
「えーー」

 疑い深く、ジトーとした目で俺を舐め回すように見てくる。

「キモチワル」
「あ。侮辱した。純粋な乙女の探究心を侮辱した!」

 今度は悪事を見つけた子供のように俺を指差した。さっきの視線は純粋さが一つも無い動きだろ。疑いを探究心とは言い換えるとは無駄に前向きな思考回路だな。
 俺は一つ一つに反応するのが面倒だから、無視して話を変える。

「お前は幽霊を信じているのか?」
「もちろん!」

 輝かしい瞳で即答する。

「だから、わざわざ土曜日の朝からここのピアノ弾いていたの。幽霊を呼び出すために!」

 女性はギュッと握りこぶしを作る。

「幽霊って夜じゃねえのか」

 安易な疑問を口にすると、女性は「チッチッチッ」と指を横に振る。

「確かに幽霊って夜行性が多いという印象が大衆的にも強い。でもそれを考えると朝は寝ていると思うから、ピアノを弾いて無理やり起こして機嫌を悪くすれば、夜に私を呪いに姿を表すという算段!」

 ただの近所迷惑な隣人じゃないか。
 ピアノを目覚まし変わりとか雑に扱いすぎだ。つうか幽霊より質が悪い。

「でも、何で私に憑かずにあなたに憑くの? もうかれこれ二ヶ月ぐらいは試したんだけど」

 二ヶ月も試したのか。バカだ。
 女性はシュンと肩をすぼめる。

「落ち込みてえのは俺だよ。唯一の心の安らぎを奪われたこっちの身にもなれって!」

 いい迷惑だ。お前に幽霊が憑いていれば、どっちも問題なかったというのに。
 事実を認識するとまた腹立ってくる。
 睨みつけて威圧するが、まったく女性は気にしない。少し考えたあと、顔を横に振って何か吹っ切れたように面を上げてニヤリと笑う。

「わかった。幽霊に会うため、私はあなたと友達になって、行動を共にする!」
「はあ?」

 一オクターブ高い声を出してしまった。
 俺は勢いで彼女の胸ぐらを掴む。

「ふざけんな! 何故お前の友達にならなければいかねえんだ!」

 オカルト好きもここまで来ると病気だろ。
 ここまで怒りを向けても女性は、動揺の色をホンの少し浮かべただけで毅然としている。

「別に減るもんじゃないし、それにあなたはピアノ弾けないのなら暇だよね。私と友達で話しして時間潰せばいい。それにあなた呪いの解き方もしかしたら分かるかもしれないし」
「……」

 このままピアノが弾けないのは確かに厄介な上に、死にたいレベルだ。
 でも女性の言葉を信じられるのか、オカルト好きで呪いに憑かれたい上に、方法がただの騒音迷惑をかけようとした奴だぞ。
 オカルト好きにしては、知識が乏しいと推測する。
 それに俺は……。

「信じられねえ。今の言葉に説得材料がオカルト好きだけじゃ、呪いが解ける理由にならねえ。それに俺は人と関わるのが面倒だ」
「ピアノ弾けないままだけど」
「お前が解ける確証がない」
「なら一緒に探すという考えになればいい。どうせ一人で考えったって答えが出るとも限らないけど」
「……」

 妙に説得力がある。一人で探せるのかという不安につけ込まれている。けど確かに思いつかない。反駁する言葉を見失う。

「それにあなたは私の一つの夢を奪ったんだから、それに見合った代償がいるし」
「おめえの勝手を押し付けてんじゃねえ!」
「別にいいじゃん。友達で同行するだけで少し話し相手として対応する。それだけのことに何か不満でもある?」
「ああああ! もう解った好きにしろ!」

 俺は乱暴に女性を突き放した。
 女性はバランスを崩し、尻餅をついた。
 拒否する言葉を言っても、悉く切り返してきやがる。
 冷たく上から見下ろす。
 女性は軽く胸元の襟を直したあと、何とも無かったように立ち上がった。
 そして妙に含んだような笑いを見せる。

「何発か殴られるかと思ったけど、意外と優しいんだ」
「面倒になっただけだ。お前と関わるのが」

 説得する方が体力を使う。仕方なしだ。

「でも好きにしろって言ったから、友達と名乗っていいんだね。あとこれから学校で話しかけるから」
「わかった。その代わり俺はお前がいないものだと思っているから。幽霊探索適当にやっとけ」
「えー。つまんない」

 ムスッとした表情だが、何故か嬉しそうに見つめてくる。
 どこまでも、退かないやつだ。
 幽霊見られないからって俺と友達になるって頭おかしいだろ。不本意だが好きにやらせておくことにしよう。こいつが飽きるまで適当にあしらっておいたほうが楽か。

「まあいいわ。とりあえずよろしくきょうちゃん!」
「な!」

 もう何度目か分からない衝撃だった。

「いきなり名前でちゃん付けとか、馴れ馴れしいにも程があるだろ! それになんで知ってんだ」
「え。響ちゃんは知らないと思うけど結構学校内では有名だよ。これからそう呼ぶから。それに何? 他に呼ばれたい名前でもある?」
「ああー。解ったそれでいい」

 これ以上話を続けると、もっと恥ずかしい名前を付けそうな気がするから、諦めてその話題を終りを示すように手を振る。

「良かった。私は梶原渚かじわらなぎさ。だからナギと呼んで」
「ああ。解った。カジだな」
「真面目に聞いていない上に、全然可愛くない!」

 俺はカジに背を向けて歩く。
 後ろでは抗議の雄叫びが聞こえるが、適当に聞き流した。
 全く、ピアノが弾けなくなるわ、変なオカルト好きと関わるハメになるわ。どうなってんだよ。

 前途多難な高校一年の夏の始まりだった。
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