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8話 込められた想い
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「あ、こちらこそ初めまして。綾瀬 亮介と申します。ってえー!?」
名取 愛花と名乗った女性は、ネットで見た名取の面影を残しつつ、
より綺麗でより聡明な女性へと変貌していた。
ルキアが気を利かせてくれたのか、
どこまでも晴れやかな「ブルースカイ」も視えている。
でも、なぜその人が俺のうちにいるのだろう。
家に着いたら、名取の連絡先を調べるつもりだったのだが。
弓月を横目でちらっと見ると、弓月も予想外だったようで
目を点にしたまま固まっていた。
「何で名取、いや名取さんがここに……?」
「綾瀬さんのが年上ですし、そんな畏まらなくても結構ですよ。
私達は皇社長に会って欲しい人がいるからと言われて、参りました」
「皇社長!? 名取は皇社長とお知り合いなんですか?
ってか皇社長は、なぜうちに呼んだんだ??」
あまりにも予想外な言葉だったため、完全に頭の中が混乱していた。
「それは私がお答えしましょう」
黙って座っていた黒ずくめの男性が立ち上がり、口を開く。
「私は愛花お嬢様のボディーガードをしております、成瀬と申します。
本日皇社長から本社に連絡があり、弓月 葵と言うお名前に
心当たりがないかとの問い合わせがございました。
愛花お嬢様にお伺いした所、弓月様とは昔からのご友人との事だったので、
皇社長からのご依頼で綾瀬様の自宅に参った次第です」
おいおい、日本の大企業の社長令嬢を、うちに来させる皇社長って
何者なんだ……。
「鍵は皇社長から頂きました。許可無く入った無礼をお許しください」
皇社長が鍵を……まあ管理人さんと社長は知り合いみたいなので、
分からなくもないか。
「さぞ混乱されてるかと思いますが、皇社長は鳳(おおとり)グループを
取り仕切っており、財界にも顔がきく方なので、
名取家ともよく交流させて頂いているんですよ」
「そ、そうなんですか……」
鳳グループ。
社長が言ってた俺が知らずに買っている商品と言うのは、
鳳出版から出ている『月刊鳳凰』の事だったのか。
確かに皇電気店は、まるで趣味のように扱っていたので、
おかしいとは思っていたが……。
「葵ちゃん、お久しぶりね」
「あ、はい……お久しぶり……です」
名取はにこやかな笑顔を浮かべて、歩き出したかと思うと、
弓月を優しく抱き締めた。
「え、え!?」
弓月は顔を真っ赤にしながら、ワタワタと慌てふためいている。
「ごめんね。あの後葵ちゃんの事がずっと気になっていたんだけど、
お父様から外出や外への連絡を固く禁じられてできなかったの」
「ううん、名取さんは悪くない。
私が突然川辺の花を見たいって言ったからあんな事になったんだし……」
弓月は申し訳なさそうな顔で下を向く。
「違うの。葵ちゃんは自分が悪いって思う所があるから、
記憶とずれてきちゃったんだと思うけど、花を見たいと言ったのは私なのよ?」
「え、違う。私が見たいと言ったんだよ?」
そう言って弓月は名取に抱きしめられたまま、首を横に振る。
「それじゃ、その花の色は覚えてるかな?」
「えっと……」
弓月は真剣な顔つきで一生懸命思い出そうとするが、思い出せないようだ。
「その花はね、綺麗な黄色い花でカンナって言うのよ。
図鑑で見た事のある大好きな花だったから舞い上がってしまって。
だから葵ちゃんは何も悪くないの」
「でも、でも……」
「ごめんね、いっぱい苦しい思いさせて」
「愛花ちゃん……」
二人は今この瞬間、6年前に戻ったかのようにお互いを呼び合い、
しばらくの間深く抱き締めあった。
「弓月、名取のおかげで気持ちが解けたみたいだし、良かったな」
「綾瀬さん、それは違うと思います。誤解を解いたのは私ですけど、
葵ちゃんをここまで導いてくれたのは綾瀬さんです。
皇社長からの橋渡しがなかったとしても、綾瀬さんなら何とかして、
私の連絡先を調べようかと思ってたんじゃないですか?」
「家についたら、確かに連絡先を調べるつもりでいた。
まあ何だろう、俺としては弓月に後悔はして欲しくなかったし、
自分ができる事はやりたいって思って行動してただけだよ」
「綾瀬さん」
「ん?」
名取の横にいた弓月が、真剣な顔つきでこちらに歩いてくる。
「本当にありがとうございました。綾瀬さんが手を差し伸べてくださらなければ、
色々な事を諦めてしまっていたかもしれません。
怖くないかと言われれば嘘になりますが、綾瀬さんにかけて頂いた
言葉を胸にまた前に歩き出そうと思います」
「綾瀬さんに逢えて良かったね」
「うん、良かった」
弓月の満面な笑顔が眩しくて、この笑顔を失わなくて
本当に良かったと心から思った。
「今日は本当に収穫の多い日で、凄く嬉しかったです。
誠に心苦しいですが次の予定が入っておりますので、
今日はこれにて失礼させて頂きますね。
連絡先は綾瀬さんにお渡しします。是非ご連絡ください」
「ああ、必ず連絡する。それと忙しいところ足を運んでくれてありがとう」
「いえいえ、私がお二人にできる事なら何でもさせて頂きます」
「では、お嬢様」
成瀬さんがすっと手を差し伸べて、名取を玄関に誘導する。
「またね、葵ちゃん」
お嬢様らしく深深と頭を下げると、軽快な足取りで部屋を後にして行った。
「何か色々な事が一気に判明したから、まだ頭の中が混乱してるよ」
「そうですね……」
弓月はそう言うと、パタっとその場に座り込んだ。
「おい、どうした弓月!」
「大丈夫です……ちょっと力が抜けただけなので」
「そっか。弓月は良くやったもんな。まあ急がずゆっくり行けばいいさ」
弓月の横に座り込むと、視線に合わせて正面で見据える。
「この先もマイナスの感情を抱く事もあるし、思い悩んでしまう事もあるだろう。
でもそんな時は塞ぎこまず俺を頼ってくれ。
俺はどちらかと言うと前向きに考えて行動をするタイプだから
弓月のマイナスは俺が打ち消してやる。これでプラマイゼロ、だろう?」
「ふふ、プラスとマイナス。なかなか良い組み合わせな気もしますね。
最初は大変だし、勇気もいっぱい必要だけど、
一度施設に帰ろうかと思うのですが、どうでしょうか?」
「おお、それは良い考え方だな。それなら、これを渡しておこう」
俺はポケットから例のハンカチを手に取り出し、弓月に手渡す。
「何かが包まれていますね……これは、桔梗の花ですか?」
「そうだ。桔梗の花には、『友の帰りを願う』と言う意味も込められている。
弓月のペースで良いから前に進んでいけば、施設のみんなも弓月の事を
待っててくれるはずだ」
「綾瀬さん……ありがとうございます。
桔梗に込められた気持ちを忘れずに歩いて行こうと思います。
綾瀬さんが良ければ、時々遊びに来ていいですか?」
「時々じゃなくて、好きな時に遊びに来るといいよ。
俺も桔梗の花言葉と同じく、この家で弓月が来るのを待っているからさ」
「分かりました。綾瀬さんのパワーをもらいに遊びに来ますね!」
弓月が浮かべる満面の笑みは、これからが楽しみになるくらい最高のものだった。
思わず弓月の頭を撫でようと、手を伸ばす。
ピリリリ…
「ん、誰かから電話か?」
スマホから流れる着信音で我に返り、ポケットから取りだすと、
液晶画面には「皇社長」と表示されていた。
「おいでなすったな、真打ち」
「真打ってなんですか?」
「悪い、ちょっと待ってな」
出した手を引っ込めて、立ち上がると電話に出る。
「もしもし。そちらの方はどんな具合だ?」
「社長のおかげで当初の問題は解決できたと思います。
まさか社長が鳳グループを取り仕切っている方だとは思いませんでしたよ」
「ははは。私としては話しても良かったんだが、
あまり情報が広まると厄介な事になるので、
表舞台には出ないよう言われているんだ。
それで名取 愛花って言うのは名取グループの名取 愛花で良かったのか?」
「はい、社長の読みどおり俺が知りたい人物でした。
夢に出てきた人物の名前を、何となく口に出しただけだったので驚きました」
「夢に出てきた人物か。少し事情を説明してもらってもいいか?」
弓月と名取のこれまでの経緯を皇社長に話した。
「ふむ、そう言う事態になっていたのか。
これは私の想像だが、綾瀬が見た夢は弓月君が見た夢で、
隣にいた綾瀬に伝播したんじゃないかと」
「夢が伝播した、ですか」
「人の感情は周りに落ち込んでいる人がいたら、何となく重たい空気になるし、
喜んでいる人がいたら、明るい雰囲気になったりするだろ?
なので長年マイナスのエネルギーを溜め込んできた弓月君の気持ちが、
他に伝わるのはありえなくもないと思うんだよ」
「そう言う事ですか。
でも夢がきっかけで今に至れるのでその点はよかったですね」
「何事もプラスに考えられるのが、綾瀬の良い所だな。
長年蓄積した気持ちはすぐには消えないと思うので、
これからも弓月君を支えてやって欲しい」
「弓月の事は俺にまかせてください。
いつも笑顔を絶やさないような女性にしてみせます」
弓月を見つめながら決意を固く誓う。
「おお、一気にプロポーズの言葉まで行くとは、綾瀬は男だな」
「あ、いやそう言う意味で言った訳ではなくて……」
「ははは、冗談だ。最後に私からプレゼントを用意した。
管理人に机の上に置いてもらったので確認してくれ。ではまたな」
小声で頑張れよと社長が言い残し、電話を切られた。
「電話、誰からだったんですか?」
不思議そうな顔で弓月が、こちらを見つめてくる。
「うちの社長。名取をここに呼んでくれたのは社長だったんだよ。
それで今までの事、今後の事を色々話してたんだ」
「そうだったんですね。内容はよく分からないですが、
綾瀬さんが私の事を考えてくださっているのはよく分かりました」
嬉しそうに微笑む弓月を見ると、俺の心が洗われていく。
「いつのまにか、弓月の存在が大きくなってきているんだろうな」
「私の存在ですか?」
頭にクエスチョンマークを浮かべる弓月に、俺は慌てて独り言だと訂正するが、
たぶん俺の顔は真っ赤になっているに違いない。
『ただいまにゃー』
「お、ルキアお帰り。ちゃんと白猫を送り届けてきたか?」
『もちろんにゃ。僕はやるべき事はしっかりやる猫にゃよ?』
「そうだな。今回は色々ルキアにお世話になったし、後で魚屋に買い物に行こう」
「ルキア君は本当に良い子だね、ありがとう」
弓月がルキアをそっと抱き上げると、ルキアはふにゃっと蕩けるように身を委ねた。
「それで社長が何かプレゼントがあるとか言っていたから机を確認してみよう」
弓月を二人並んで机に近づくと、そこには青のリボンのついた鍵と
赤のリボンのついた鍵が置かれていた。
「この部屋の鍵だろうけど……同棲じゃないんだから」
「同棲ってなんですか?」
『同棲とはにゃ……』
「弓月君はまだ知らなくてもいいのです!」
そう弓月は急がなくてもいい。
ゆっくりと色々知って行ってくれればいいのだから。
「それじゃ赤のリボンの方を弓月に渡しておくな。
俺がバイトの時もあるだろうし、うちに来たくなったら勝手に上がっててくれ」
赤いリボンの鍵を弓月に手渡す。
「ありがとうございます。私大事にします」
嬉しそうに顔を寄せてくる弓月に俺も嬉しくなるが……いや、顔が近い近い!
そんなこんなで、弓月葵との出会いの物語もこれでおしまい。
まだまだ前途多難。
恋?の方は……まあゆっくり行けばいいさ。
ピロリン。
「メールが来たみたいだな。笠原さんか?」
スマホを取り出してメールを確認すると、無事女の子が生まれた!と記載されていた。
「弓月。サングラスの男の人、女の子が生まれたって!」
「女の子ですか。お父さんに似た心優しい子に育つのでしょうね。私も嬉しいです」
『笠原の兄貴もパパさんになったんにゃね!』
自分の事のように喜び、微笑む弓月。
この先どんな出来事が待ちうけているか分からないが、
この笑顔が絶えないよう隣で見守り続けたい。
そして弓月には、桔梗の花にこめられた想いを胸に歩んで行って欲しい。
そんな事を思いながら、俺は弓月の手を優しく握りしめるのだった。
名取 愛花と名乗った女性は、ネットで見た名取の面影を残しつつ、
より綺麗でより聡明な女性へと変貌していた。
ルキアが気を利かせてくれたのか、
どこまでも晴れやかな「ブルースカイ」も視えている。
でも、なぜその人が俺のうちにいるのだろう。
家に着いたら、名取の連絡先を調べるつもりだったのだが。
弓月を横目でちらっと見ると、弓月も予想外だったようで
目を点にしたまま固まっていた。
「何で名取、いや名取さんがここに……?」
「綾瀬さんのが年上ですし、そんな畏まらなくても結構ですよ。
私達は皇社長に会って欲しい人がいるからと言われて、参りました」
「皇社長!? 名取は皇社長とお知り合いなんですか?
ってか皇社長は、なぜうちに呼んだんだ??」
あまりにも予想外な言葉だったため、完全に頭の中が混乱していた。
「それは私がお答えしましょう」
黙って座っていた黒ずくめの男性が立ち上がり、口を開く。
「私は愛花お嬢様のボディーガードをしております、成瀬と申します。
本日皇社長から本社に連絡があり、弓月 葵と言うお名前に
心当たりがないかとの問い合わせがございました。
愛花お嬢様にお伺いした所、弓月様とは昔からのご友人との事だったので、
皇社長からのご依頼で綾瀬様の自宅に参った次第です」
おいおい、日本の大企業の社長令嬢を、うちに来させる皇社長って
何者なんだ……。
「鍵は皇社長から頂きました。許可無く入った無礼をお許しください」
皇社長が鍵を……まあ管理人さんと社長は知り合いみたいなので、
分からなくもないか。
「さぞ混乱されてるかと思いますが、皇社長は鳳(おおとり)グループを
取り仕切っており、財界にも顔がきく方なので、
名取家ともよく交流させて頂いているんですよ」
「そ、そうなんですか……」
鳳グループ。
社長が言ってた俺が知らずに買っている商品と言うのは、
鳳出版から出ている『月刊鳳凰』の事だったのか。
確かに皇電気店は、まるで趣味のように扱っていたので、
おかしいとは思っていたが……。
「葵ちゃん、お久しぶりね」
「あ、はい……お久しぶり……です」
名取はにこやかな笑顔を浮かべて、歩き出したかと思うと、
弓月を優しく抱き締めた。
「え、え!?」
弓月は顔を真っ赤にしながら、ワタワタと慌てふためいている。
「ごめんね。あの後葵ちゃんの事がずっと気になっていたんだけど、
お父様から外出や外への連絡を固く禁じられてできなかったの」
「ううん、名取さんは悪くない。
私が突然川辺の花を見たいって言ったからあんな事になったんだし……」
弓月は申し訳なさそうな顔で下を向く。
「違うの。葵ちゃんは自分が悪いって思う所があるから、
記憶とずれてきちゃったんだと思うけど、花を見たいと言ったのは私なのよ?」
「え、違う。私が見たいと言ったんだよ?」
そう言って弓月は名取に抱きしめられたまま、首を横に振る。
「それじゃ、その花の色は覚えてるかな?」
「えっと……」
弓月は真剣な顔つきで一生懸命思い出そうとするが、思い出せないようだ。
「その花はね、綺麗な黄色い花でカンナって言うのよ。
図鑑で見た事のある大好きな花だったから舞い上がってしまって。
だから葵ちゃんは何も悪くないの」
「でも、でも……」
「ごめんね、いっぱい苦しい思いさせて」
「愛花ちゃん……」
二人は今この瞬間、6年前に戻ったかのようにお互いを呼び合い、
しばらくの間深く抱き締めあった。
「弓月、名取のおかげで気持ちが解けたみたいだし、良かったな」
「綾瀬さん、それは違うと思います。誤解を解いたのは私ですけど、
葵ちゃんをここまで導いてくれたのは綾瀬さんです。
皇社長からの橋渡しがなかったとしても、綾瀬さんなら何とかして、
私の連絡先を調べようかと思ってたんじゃないですか?」
「家についたら、確かに連絡先を調べるつもりでいた。
まあ何だろう、俺としては弓月に後悔はして欲しくなかったし、
自分ができる事はやりたいって思って行動してただけだよ」
「綾瀬さん」
「ん?」
名取の横にいた弓月が、真剣な顔つきでこちらに歩いてくる。
「本当にありがとうございました。綾瀬さんが手を差し伸べてくださらなければ、
色々な事を諦めてしまっていたかもしれません。
怖くないかと言われれば嘘になりますが、綾瀬さんにかけて頂いた
言葉を胸にまた前に歩き出そうと思います」
「綾瀬さんに逢えて良かったね」
「うん、良かった」
弓月の満面な笑顔が眩しくて、この笑顔を失わなくて
本当に良かったと心から思った。
「今日は本当に収穫の多い日で、凄く嬉しかったです。
誠に心苦しいですが次の予定が入っておりますので、
今日はこれにて失礼させて頂きますね。
連絡先は綾瀬さんにお渡しします。是非ご連絡ください」
「ああ、必ず連絡する。それと忙しいところ足を運んでくれてありがとう」
「いえいえ、私がお二人にできる事なら何でもさせて頂きます」
「では、お嬢様」
成瀬さんがすっと手を差し伸べて、名取を玄関に誘導する。
「またね、葵ちゃん」
お嬢様らしく深深と頭を下げると、軽快な足取りで部屋を後にして行った。
「何か色々な事が一気に判明したから、まだ頭の中が混乱してるよ」
「そうですね……」
弓月はそう言うと、パタっとその場に座り込んだ。
「おい、どうした弓月!」
「大丈夫です……ちょっと力が抜けただけなので」
「そっか。弓月は良くやったもんな。まあ急がずゆっくり行けばいいさ」
弓月の横に座り込むと、視線に合わせて正面で見据える。
「この先もマイナスの感情を抱く事もあるし、思い悩んでしまう事もあるだろう。
でもそんな時は塞ぎこまず俺を頼ってくれ。
俺はどちらかと言うと前向きに考えて行動をするタイプだから
弓月のマイナスは俺が打ち消してやる。これでプラマイゼロ、だろう?」
「ふふ、プラスとマイナス。なかなか良い組み合わせな気もしますね。
最初は大変だし、勇気もいっぱい必要だけど、
一度施設に帰ろうかと思うのですが、どうでしょうか?」
「おお、それは良い考え方だな。それなら、これを渡しておこう」
俺はポケットから例のハンカチを手に取り出し、弓月に手渡す。
「何かが包まれていますね……これは、桔梗の花ですか?」
「そうだ。桔梗の花には、『友の帰りを願う』と言う意味も込められている。
弓月のペースで良いから前に進んでいけば、施設のみんなも弓月の事を
待っててくれるはずだ」
「綾瀬さん……ありがとうございます。
桔梗に込められた気持ちを忘れずに歩いて行こうと思います。
綾瀬さんが良ければ、時々遊びに来ていいですか?」
「時々じゃなくて、好きな時に遊びに来るといいよ。
俺も桔梗の花言葉と同じく、この家で弓月が来るのを待っているからさ」
「分かりました。綾瀬さんのパワーをもらいに遊びに来ますね!」
弓月が浮かべる満面の笑みは、これからが楽しみになるくらい最高のものだった。
思わず弓月の頭を撫でようと、手を伸ばす。
ピリリリ…
「ん、誰かから電話か?」
スマホから流れる着信音で我に返り、ポケットから取りだすと、
液晶画面には「皇社長」と表示されていた。
「おいでなすったな、真打ち」
「真打ってなんですか?」
「悪い、ちょっと待ってな」
出した手を引っ込めて、立ち上がると電話に出る。
「もしもし。そちらの方はどんな具合だ?」
「社長のおかげで当初の問題は解決できたと思います。
まさか社長が鳳グループを取り仕切っている方だとは思いませんでしたよ」
「ははは。私としては話しても良かったんだが、
あまり情報が広まると厄介な事になるので、
表舞台には出ないよう言われているんだ。
それで名取 愛花って言うのは名取グループの名取 愛花で良かったのか?」
「はい、社長の読みどおり俺が知りたい人物でした。
夢に出てきた人物の名前を、何となく口に出しただけだったので驚きました」
「夢に出てきた人物か。少し事情を説明してもらってもいいか?」
弓月と名取のこれまでの経緯を皇社長に話した。
「ふむ、そう言う事態になっていたのか。
これは私の想像だが、綾瀬が見た夢は弓月君が見た夢で、
隣にいた綾瀬に伝播したんじゃないかと」
「夢が伝播した、ですか」
「人の感情は周りに落ち込んでいる人がいたら、何となく重たい空気になるし、
喜んでいる人がいたら、明るい雰囲気になったりするだろ?
なので長年マイナスのエネルギーを溜め込んできた弓月君の気持ちが、
他に伝わるのはありえなくもないと思うんだよ」
「そう言う事ですか。
でも夢がきっかけで今に至れるのでその点はよかったですね」
「何事もプラスに考えられるのが、綾瀬の良い所だな。
長年蓄積した気持ちはすぐには消えないと思うので、
これからも弓月君を支えてやって欲しい」
「弓月の事は俺にまかせてください。
いつも笑顔を絶やさないような女性にしてみせます」
弓月を見つめながら決意を固く誓う。
「おお、一気にプロポーズの言葉まで行くとは、綾瀬は男だな」
「あ、いやそう言う意味で言った訳ではなくて……」
「ははは、冗談だ。最後に私からプレゼントを用意した。
管理人に机の上に置いてもらったので確認してくれ。ではまたな」
小声で頑張れよと社長が言い残し、電話を切られた。
「電話、誰からだったんですか?」
不思議そうな顔で弓月が、こちらを見つめてくる。
「うちの社長。名取をここに呼んでくれたのは社長だったんだよ。
それで今までの事、今後の事を色々話してたんだ」
「そうだったんですね。内容はよく分からないですが、
綾瀬さんが私の事を考えてくださっているのはよく分かりました」
嬉しそうに微笑む弓月を見ると、俺の心が洗われていく。
「いつのまにか、弓月の存在が大きくなってきているんだろうな」
「私の存在ですか?」
頭にクエスチョンマークを浮かべる弓月に、俺は慌てて独り言だと訂正するが、
たぶん俺の顔は真っ赤になっているに違いない。
『ただいまにゃー』
「お、ルキアお帰り。ちゃんと白猫を送り届けてきたか?」
『もちろんにゃ。僕はやるべき事はしっかりやる猫にゃよ?』
「そうだな。今回は色々ルキアにお世話になったし、後で魚屋に買い物に行こう」
「ルキア君は本当に良い子だね、ありがとう」
弓月がルキアをそっと抱き上げると、ルキアはふにゃっと蕩けるように身を委ねた。
「それで社長が何かプレゼントがあるとか言っていたから机を確認してみよう」
弓月を二人並んで机に近づくと、そこには青のリボンのついた鍵と
赤のリボンのついた鍵が置かれていた。
「この部屋の鍵だろうけど……同棲じゃないんだから」
「同棲ってなんですか?」
『同棲とはにゃ……』
「弓月君はまだ知らなくてもいいのです!」
そう弓月は急がなくてもいい。
ゆっくりと色々知って行ってくれればいいのだから。
「それじゃ赤のリボンの方を弓月に渡しておくな。
俺がバイトの時もあるだろうし、うちに来たくなったら勝手に上がっててくれ」
赤いリボンの鍵を弓月に手渡す。
「ありがとうございます。私大事にします」
嬉しそうに顔を寄せてくる弓月に俺も嬉しくなるが……いや、顔が近い近い!
そんなこんなで、弓月葵との出会いの物語もこれでおしまい。
まだまだ前途多難。
恋?の方は……まあゆっくり行けばいいさ。
ピロリン。
「メールが来たみたいだな。笠原さんか?」
スマホを取り出してメールを確認すると、無事女の子が生まれた!と記載されていた。
「弓月。サングラスの男の人、女の子が生まれたって!」
「女の子ですか。お父さんに似た心優しい子に育つのでしょうね。私も嬉しいです」
『笠原の兄貴もパパさんになったんにゃね!』
自分の事のように喜び、微笑む弓月。
この先どんな出来事が待ちうけているか分からないが、
この笑顔が絶えないよう隣で見守り続けたい。
そして弓月には、桔梗の花にこめられた想いを胸に歩んで行って欲しい。
そんな事を思いながら、俺は弓月の手を優しく握りしめるのだった。
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