上 下
61 / 73

第五十四話 帰還の『儀式』を始めましょう

しおりを挟む
「……それでは、帰還の『儀式』を始めましょう」

 戴冠式の夜。片付けられたシーモスの工房の床には、一面に魔法陣が描かれている。
 四隅には、燭台のようなモノが置かれていて、てっぺんにはロウソクが燃えている。
 その真ん中に、泰樹たいきは座らされた。
魔法陣の外には、シーモスとイリス、アルダーとイクサウディ、それから事情を全て聞かされたシャルが立っている。
 泰樹は、白Tにニッカポッカ姿で、安全帯と腰袋も下げている。すっかり、『地球』から落ちてきた時の服装。忘れ物はない。
 元気で、さようなら。それぞれに、別れの挨拶は済ませた。いよいよ、泰樹は『地球』に帰る。

「待って、シーモス! タイキの写真、撮るから……」

 イリスは『スマホ』を取り出した。泰樹はピースを作って、にっと笑顔を浮かべる。
 パシャリ、とシャッター音がした。泣き出しそうに唇をかんだイリスが、『スマホ』を胸に抱く。

「……始めましょう。『母なる混沌、空と大地の父母、時の王、境界の王……』」

 シーモスが呪文を唱える。それは、いつもの魔法の呪文よりずっと長い。
 うたうように、語るように。シーモスが唱え続ける間に、魔法陣が光を帯びてくる。
 ――なんだか、あったかい。光の中にいる泰樹は、まぶしさに眼を閉じた。
 ああ、この世界に落っこちてきて、いろんなコトがあったな。楽しいことも、苦しいことも、そして、出会いも。
 イリスは、立派な王様になれるだろうか。優しい彼なら、きっと良い王様になるだろう。
 アルダーは、真面目すぎるから、少し心配だ。少し、肩の力を抜いてくれると良いのだが。
 シャルは、驚いていたな。俺が『他の世界』から来たと知って。アイツのかたきが、早く見つかると良いな。
 シーモス、は……うん。俺がいなくなっても元気でやるだろう。なぜだが、彼のことはまったく心配していない。
 ここに落ちてきて、出会った人びとのことを一人一人思い出す。イリスの屋敷の使用人たち、街の人びと、それから……
ふっ、と宙に浮く感覚。どこまでも高く高く上って行くような。
 泰樹は慌てて眼を開く。暗い。辺りの視界は暗く閉ざされていた。上の方に、明かりが見えている。それが、少しずつ近づいてくる。
 海の中から、水面に浮かび上がるように。
 泰樹は光に包まれた。



「……あ……」

 ――ここは、どこだ?
 見たこともない、真っ白い天井。カーテンが閉じられていて、天井しかわからない。身体が、動かない。ケーブルとチューブが、身体中に取り付けられているのがわかった。
 機械音、多数の人の気配。それから、ずっとずっと、会いたかった、人の、顔。

「……詠美えみ……?」
「……泰、ちゃん?」

 泰樹の手を取って涙ぐむ、詠美。その顔はひどく疲れているようで。

「……ここ、どこ、だ……?」

 声がかすれる。まるで、長くノドを使っていなかったみたいに。

「病院だよ、泰ちゃん」
「病、院……なんで……?」
「泰ちゃんは現場で転落して……ネットに引っかかったけど、それまでにずいぶん落ちて、怪我して……ずっと……半年間、意識が戻らなかったの」

 ぽろぽろと泣きながら、詠美は泰樹の手にすがりつく。

「半、年……も……?」
「泰ちゃん、泰ちゃん! 良かった……目が覚めて、ホントに良かった……!」

 泣きながら、詠美は笑っている。夫の生還を心から喜んで。

「俺、……俺、が……」

 ――半年間、眠っていた?

 では、あの、俺が落っこちたファンタジーな世界は?
 あの世界で出会った人びとは、出来事は、みんな……夢?
 わからない。夢だと言うならあまりにもリアルすぎる夢。泰樹はひどく混乱した。

「あ……ナースコール、鳴らさなきゃ。泰ちゃんの目が覚めました、って」
「……」

 でも、詠美が握ってくれる手のひらの感触も、彼女が流した涙の温かさも、全ては本物で。帰って来た。俺は確かに『地球』に、日本に、愛しい人たちの元に帰って来た。

「……子供、たちは……?」
「今はママが、見てくれてる」
「ごめんな、詠美……ごめん、苦労、かけて……」
「ううん。そんなこと、いいの……泰ちゃん、お帰りなさい……!」
「……ああ、ただいま!」

 今すぐに詠美を抱きしめたいのに。ケーブルとチューブが邪魔をする。ぎゅっと詠美の手を握りしめると、自然と眼が潤んできた。
 二人は泣きながら、手を取り合った。



 病院で目が覚めて、3ヶ月。リハビリを経て、泰樹はようやく退院の日を迎えた。
 大きな骨折は3ヶ所。左腕と両足。ヒビの入った所は数え切れない。半年の昏睡状態の間に骨を繋ぐことは出来た。だが、寝たきりで落ちた筋力を取り戻すのに時間がかかった。
 泰樹は頭を強く打っていて、そのせいかなかなか目覚めなかったのだと医者は言っていた。そんな状態で、後遺症がほとんど無かったのは奇跡だとも。
 確かに、身体には何も違和感は無い。リハビリが進むにつれて歩くことも問題なく出来るようになった。
 ――やっぱり、アレは、夢だったのか。
 イリスたちの写真を撮ったスマホは、落下の衝撃で完全に壊れてデータも飛んでいた。
 日常を取り戻すにつれて、『あちら』の生活は薄れていく。どんどん現実感が無くなって、泰樹が退院する頃には完全に夢だったと思うようになった。
 不思議な、夢だった。自分の脳みそが作り出した幻にしては、奇妙でリアルだった。
 季節はすでに夏が近い。初夏のまぶしい陽射し見上げて、泰樹は眼を細める。

「泰ちゃん、どうしたの?」
「とうちゃん?」
「とーちゃん?」
「……ん。なんでもねーよ」

 自分を見上げる詠美と子供たちの顔を見ていると、あの出来事が夢であったのかどうかはどうでも良くなった。
 だって、俺はここに、生きているのだから。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

【完結】別れ……ますよね?

325号室の住人
BL
☆全3話、完結済 僕の恋人は、テレビドラマに数多く出演する俳優を生業としている。 ある朝、テレビから流れてきたニュースに、僕は恋人との別れを決意した。

人気アイドルグループのリーダーは、気苦労が絶えない

タタミ
BL
大人気5人組アイドルグループ・JETのリーダーである矢代頼は、気苦労が絶えない。 対メンバー、対事務所、対仕事の全てにおいて潤滑剤役を果たす日々を送る最中、矢代は人気2トップの御厨と立花が『仲が良い』では片付けられない距離感になっていることが気にかかり──

目覚ましに先輩の声を使ってたらバレた話

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
サッカー部の先輩・ハヤトの声が密かに大好きなミノル。 彼を誘い家に泊まってもらった翌朝、目覚ましが鳴った。 ……あ。 音声アラームを先輩の声にしているのがバレた。 しかもボイスレコーダーでこっそり録音していたことも白状することに。 やばい、どうしよう。

幽閉王子は最強皇子に包まれる

皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。 表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。

パパの雄っぱいが大好き過ぎて23歳息子は未だに乳離れできません!父だけに!

ミクリ21
BL
乳と父をかけてます。

騎士が花嫁

Kyrie
BL
めでたい結婚式。 花婿は俺。 花嫁は敵国の騎士様。 どうなる、俺? * 他サイトにも掲載。

処理中です...