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第二十六話 双満月の夜

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「……?!」

 突然聞こえた声に、泰樹たいきは驚いて辺りを見回した。
 森の中はすでに暗い。木々の間から満月が一つ見えている。その光に照らされて、アルダーがうずくまる。

「お、おい! どうした?! どっか怪我したのか?!」
「……スまない、タイキ。今日は、双満月そうまんげつ、だった……」

 泰樹を見上げて、アルダー・・・・が、そう言った。
 魔獣のシルエットが、ぎしぎし音を立てて変わっていく。まず、全身の体毛がほとんど抜け落ちた。4本の脚は、腕と2本の足とに代わり、尻尾と耳はすっかり縮んで。
 次の瞬間にそこにうずくまっていたのは、黒い髪、紫の瞳、白いはだ精悍せいかんな顔つきと整えられたヒゲ。年の頃は泰樹と同じくらい。ずいぶんとガタイのいい、一人の男だった。



「……?!」

 あっけにとられて、泰樹はアルダー?を見つめる。
 ほんの少し前まで魔獣だったはずの男は、立ち上がる。その身には、一糸もまとってはいない。

「あ、アル、ダー?」
「ああ。そうだ。すまん、タイキ。俺は双満月の夜にだけ、この姿に戻ってしまう。……詳しい話は移動しながらしよう」
「ま、マジか……」

 アスリートのような背中が、満月の光を受けて森の中を進んでいく。ああ、もう訳がわからねえ。泰樹はガリガリと髪をかき回した。

「な、なあ! アンタ、魔法とか使えないのか?」
「無理だ」
「じゃ、じゃあ、せめて、着る物とか、何とかならねえか?!」

 アルダーは全裸だが、泰樹も泰樹で、引き裂かれたボロ布をまとっているだけだ。

「あ……」

 急に羞恥しゆうちいてきたのか。アルダーはばっと前を隠す。

「……その、タイキの着ている袖、片方、俺にくれないか?」
「そ、そうだな……取りあえず、これで下だけでも隠そうか……」

 ひらひらの袖があって、本当に良かった。泰樹とアルダーは慌てて袖を腰に巻いて、森の中を進んでいった。



「この姿では、鼻がきかないな……本当にすまん」

 アルダーは、くんくんと森の匂いを嗅いだ。魔獣である時のようには、鼻がきかないと謝る彼に、泰樹は首を振ってみせる。

「いや、気にすんな。……ところでさ、なんで、アンタは双満月の時だけそうなるんだ?」

 そう言えば、シーモスが『この方は産まれながらの魔獣では無い』とかなんとか言ってたな。それは、こう言う事だったのか。
 アルダーは少しだけ躊躇ためらうように押し黙って、やがて振り向いた。

「俺は……元々人間だ。魔獣に呪いをかけられて……それと知らず双満月の日に魔獣に変わった。その時に、妻と子を……食い殺した」

 森の中を進みながら、アルダーは淡々と昔話をする。

「その罪から逃れるために、俺は……記憶を無くし、放浪する事になった。放浪するうちに、俺は記憶を取り戻したいと願い、シーモスと出会った。あいつは俺の記憶を元に戻してくれた。……だが、俺は罪の意識に耐えきれ無かった。それで、あいつは俺の『呪い』を『反転』した」
「『呪い』を、『反転』?」

 泰樹はアルダーの背中を追いかけながら、首をかしげる。

「そうだ。双満月の夜にだけ『魔獣』になるはずの『呪い』を、双満月の夜にだけ『人間』になる『呪い』に変えたのだ。双満月は早くて5年に一度。俺はその時だけ、人間に戻る」
「なんで?! 何でそんなこと、したんだ?」

 泰樹には、わからない。なぜ『呪い』を何とかするために、アルダーは、シーモスは、そんな方法を選んだのだろうか。

「……獣は、過去など思いわずらわない。罪の意識に震えることも、ない。俺を救うためだとシーモスは言った。俺もそれで納得した」

 事も無げに、ともすれば他人事のようにアルダーは言う。

「それで、アンタはシーモスのボディーガードになったって訳か」
「そうだ。……もう、ずいぶんと昔の話だ」

 イリスは500年以上生きていると言っていたが、シーモスはどうなのだろう。
 どこで生まれて、何をして、どうやって生きてきたのか。
 イリスにも、アルダーにも、それからシーモスにも、泰樹が知らない長い生があった。



「はーっはーっ、は……っすまん、アルダー、俺、もう限界……」

 夜の森を、裸足で当てもなく歩く。体力はギリギリで、足の裏はもうボロボロ。泰樹は堪えきれずに、ずるずるとへたり込んだ。

「だいぶ、歩いてきたからな。少し休憩しよう」

 まだまだ元気そうなアルダーは、イヤな顔一つせず優しく言ってくれた。

「そうだな……タイキ、ここで少し待っててくれ」
「え? あ、うん。どこ行くんだ?」
「すぐそこだ。心配するな、すぐ戻る」

 アルダーはそう言って、森の中に入っていく。
 夜の森は、しんと静まりかえって。二つの満月が、皎々こうこうと木々の間から顔をのぞかせている。おかげで森の中でも、何とかモノが見える。

 ――足の裏の傷をどうにかしねーと。

 腰の布を少し裂いて、血のにじんだ足の裏に巻く。これで少しはマシになる。
 腰を布で覆っただけの格好では、心許ないうえに肌寒い。せめて火があればなー。とも思うがそれは贅沢というものか。

「アルダー、早く帰ってこねーかな……」

 二の腕を抱いて擦りながら、泰樹は心細そうにつぶやいた。



「……タイキ」
「……ひぃっ!」

 背後から声がした。うとうとと船をこいでいた泰樹は、思わず悲鳴を上げてしまう。
 暗闇から、ぬっと現れたのはアルダーだった。

「遅くなったか? すまん。これを」

 アルダーが差し出したのは、ブルーベリーのような木の実と、はがしたばかりの木の皮だった。

「腹が減っただろう? この実は食えるし、そこそこ美味い。それから、これを足に履け。足を怪我しているみたいだから」
「食い物と、靴? あ、ありがとよ……!」

 何から何まで、頼もしい。泰樹は感激しながら、アルダーの心遣いを受け取った。
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