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憧れのきみ
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◇
錠剤が入っているシートを見つめ、ため息を漏らす。脳裏に浮かぶのは電車内で見つけたあの二人のことばかりだ。
最初から蚊帳の外だった僕が、自分の状況を知ることができたのだ。このままヒカルの優しさに浸り、勘違いしたまま彼に迷惑をかける羽目にならなくてよかったではないかと言い聞かせた。
ベッドの上でゴロンと寝返りを打ち、息を吐き出す。
────今後、彼とはなるべく関わらないようにしよう。
心の中に根付きつつある黒い感情を育ててはいけない。艶やかな黒髪の少女を思い出し、嫉妬するなんて惨めで仕方がないなと改めて実感した。
目を瞑ってみる。瞼の裏で散る星々を感じながら、目尻から溢れる涙を拭った。
「……バカみたいだ、僕」
ひとりごち、腕で目元を覆う。空回りしている自分を俯瞰してしまい、もう一度ため息を漏らした。
ふと、先ほどまで見ていたシートが視界に入る。
────体調を悪そうにしていたら、また声をかけてくれないかな。
僕はそんなことを考え、唇を舐める。すごく周りくどいことを考えている自分がいて、嫌気が差す。
────でも、彼なら……。
ぐるぐると頭の中を駆け巡る。枕に顔を埋め、足をバタバタと蠢かせた。
◇
電車から降りる頃には、僕はフラフラだった。グッと吐きそうになるのを耐え、外へ出る。駅構内は人が多く、ぶつかりそうになるのをなんとか避け、壁に寄りかかった。
────やっぱり、浅はかだ。
彼に心配して欲しくて薬を飲まずに来たことを、僕は今さら後悔していた。
こんなことをしてヒカルに構ってほしいだなんて、本当にどうかしている。
僕は泣きそうになるのを押さえ、目を瞑った。じわじわと腹の奥から不快感が込み上げてくる。今にも吐きそうになり、トイレへ向かおうかと壁から離れようとした。しかし、体が動かない。
「……コウ?」
声をかけられた。僕はその声の主が誰か、知っていた。けれど、振り向けなかった。喉元まで何かが到達し、吐き出しそうだったからだ。
「おい、顔色悪くないか?」
覗き込むように体を傾けた────ヒカルが僕の頬へ手を伸ばす。ヒヤリとした皮膚が触れ、何故かホッとした。「大丈夫か?」と焦った声をあげ、肩を掴む。
「コウ? どうした? 酔ったのか?」
背中を撫でられ、ぎゅうと胸が締め付けられる。必死に僕を心配してくれている彼に対して、わざとこんなことをして、気を引こうとしている。善意を踏み躙って、ヒカルを裏切っている。そう考えると、どんどん後悔が押し寄せてきた。
彼に声をかけてもらえたという嬉しさが、徐々に死んでいく。罪の意識が侵食し、上書きされて、どす黒く変色した。
「コウ、水を買ってくるからここで待ってろよ」
「ご、ごめ、ごめん、知田くん」
涙がボロボロと溢れた。体の不調と相まって、止まらなくなる。嗚咽しながら肩を振るわせた。それを見て、ヒカルがギョッと目を開く。まん丸な瞳が、今にも落ちてきそうだなとぼんやり思った。
「泣くほど体調悪いのか、お前」
オロオロとしたヒカルに申し訳なさを感じるが、涙と共に吐き気も押し寄せ、僕はどうしようもない感覚に襲われた。
不意にヒカルが「あ!」と声を漏らす。誰かを発見したようだった。
「アサヒ! ちょっと水買ってきてくんない?」
「は? なんで」
「友達が気分悪そうで」
アサヒとは誰だろう。僕は潤んだ瞳を動かし、名を呼ばれた人物へ向ける。そこにはいつか見た、藍華女子高校の制服を身に纏った少女が立っていた。彼女は僕の姿を見るなり、ヒカルと同じように目をまん丸とさせている。その仕草がどこかヒカルと似ていた。
「分かった、ちょっと待ってて」と言い残し去る彼女に、申し訳なくなる。自分の情けなさに悲しくなった。
「ごめ、ごめんね」
「大丈夫だって、気にすんなよ」
何度も背中を撫でてくれるヒカルに謝罪する。しかし、彼はその謝罪の本意を汲み取っていなかった。
声を震わせ、言葉を続ける。
「違う、僕、わざと、なんだ」
「何が?」
「き、君に、心配して欲しくて、わざと……」
何度も唾液を嚥下する。涙と鼻水を拭い、声を絞り出す。
「わざと、薬を飲んで、こなかったんだ」
僕はヒカルの方を見ることができなかった。顔を俯かせ、ぐずぐずと泣く。
「き、君に、構って欲しくて、こんな、ことをしちゃって。気分、悪そうにしてたら、君がもう一度、僕に声をかけてくれるんじゃないかって……」
恥ずかしさで吹き出したものなのか、はたまた、不調で吹き出しているものなのか定かではないが、僕は異常なまでに汗をかいていた。脳が正常な判断を鈍らせているのか、言わなくていいことまで言ってしまう。
「君と、彼女を見て、しっと、をして、ば、バカみたいでしょう」
「彼女?」
「さ、さっきの、子」
吃った僕の声に「へっ」と息が抜けるような音が聞こえた。その音の主はヒカルだった。おずおずと視線を彼へ向けた。驚いているのか、口を半開きにしている。
「彼女? もしかして、アサヒのこと?」
彼の拍子抜けした声に頷く。同時に、滲んでいた汗がじわりと頬へ流れ落ちた。
「電車、内で、仲良くしてたのを、盗み見、して、それで……」
「見られてたのかよ、はずっ」
ヒカルは頬を染め肩を竦めている。
「あれは俺の姉ちゃんだよ!」
「えっ」
「姉ちゃんに嫉妬したのかよ、コウ」
ヒカルは気持ち悪がるどころか、愉快げに笑っている。確かにアサヒと呼ばれた少女とヒカルは、何処となく似ていた。
自分の間抜けさに、眩暈を覚える。後ろに倒れそうになるのを堪えた。
「構って欲しくて、こんなことしたのかよ」
「変なやつだなぁ、お前」と労るように肩を撫でたヒカルが穏やかに微笑んだ。
「でも、良かった。お前がこんなことまでして、俺に構ってほしいと思ってくれて」
ヒカルの言葉に、ドキリと胸を鳴らせる。
「実はさ……俺も、もっと話したいって思ってたんだ。でも、お前っていいとこの生徒じゃん? だから、俺みたいなの毛嫌いしてるかなって思って、なかなか声をかけられなかったんだ」
彼の笑みに、一気に不調が溶けていく。ドロドロと体内から排出され、綺麗さっぱり何処かへ消えていくようだった。
乾きつつある涙の跡を親指で拭われ、びくりと体が跳ねた。
「……ち、だくん……」
「ヒカルって呼べよ」
「……ヒカルくん」
「おう」と彼が応答した。
「迷惑かけて、ごめんなさい」
「いいって」
「コウ。これから、よろしくな」と肩を叩かれ、頷く。
「……これって、両思いってやつだよな」
ガハハと豪快に笑う彼に、僕は驚いてしまった。両思いだなんて、そんな。僕は目を伏せ、顔を俯かせた。その表情に何かを察したのか、ヒカルは急に唇を窄め、眉を顰めた。
「な、なんだよ、俺、変なこと言ったかよ?」
頬を染めたヒカルがムッとした声を出す。「そんなこと、ないよ」と焦ったように首を横に振る。
「うん、両思い。間違いないよ」
ヘラっと笑うと、ヒカルは満足したように微笑んだ。
同時に遠くから声がした。「おおい、大丈夫?」と駆けつける少女────アサヒが声を荒げている。「おせぇよ、アサヒ」と怒鳴るヒカルに対し「うるさい、朝のコンビニは並ぶんだから仕方がないでしょ」と言い返している。
僕のせいで口論しないで欲しいなと思いつつ、二人の言い合いを見ながら微笑んだ。
錠剤が入っているシートを見つめ、ため息を漏らす。脳裏に浮かぶのは電車内で見つけたあの二人のことばかりだ。
最初から蚊帳の外だった僕が、自分の状況を知ることができたのだ。このままヒカルの優しさに浸り、勘違いしたまま彼に迷惑をかける羽目にならなくてよかったではないかと言い聞かせた。
ベッドの上でゴロンと寝返りを打ち、息を吐き出す。
────今後、彼とはなるべく関わらないようにしよう。
心の中に根付きつつある黒い感情を育ててはいけない。艶やかな黒髪の少女を思い出し、嫉妬するなんて惨めで仕方がないなと改めて実感した。
目を瞑ってみる。瞼の裏で散る星々を感じながら、目尻から溢れる涙を拭った。
「……バカみたいだ、僕」
ひとりごち、腕で目元を覆う。空回りしている自分を俯瞰してしまい、もう一度ため息を漏らした。
ふと、先ほどまで見ていたシートが視界に入る。
────体調を悪そうにしていたら、また声をかけてくれないかな。
僕はそんなことを考え、唇を舐める。すごく周りくどいことを考えている自分がいて、嫌気が差す。
────でも、彼なら……。
ぐるぐると頭の中を駆け巡る。枕に顔を埋め、足をバタバタと蠢かせた。
◇
電車から降りる頃には、僕はフラフラだった。グッと吐きそうになるのを耐え、外へ出る。駅構内は人が多く、ぶつかりそうになるのをなんとか避け、壁に寄りかかった。
────やっぱり、浅はかだ。
彼に心配して欲しくて薬を飲まずに来たことを、僕は今さら後悔していた。
こんなことをしてヒカルに構ってほしいだなんて、本当にどうかしている。
僕は泣きそうになるのを押さえ、目を瞑った。じわじわと腹の奥から不快感が込み上げてくる。今にも吐きそうになり、トイレへ向かおうかと壁から離れようとした。しかし、体が動かない。
「……コウ?」
声をかけられた。僕はその声の主が誰か、知っていた。けれど、振り向けなかった。喉元まで何かが到達し、吐き出しそうだったからだ。
「おい、顔色悪くないか?」
覗き込むように体を傾けた────ヒカルが僕の頬へ手を伸ばす。ヒヤリとした皮膚が触れ、何故かホッとした。「大丈夫か?」と焦った声をあげ、肩を掴む。
「コウ? どうした? 酔ったのか?」
背中を撫でられ、ぎゅうと胸が締め付けられる。必死に僕を心配してくれている彼に対して、わざとこんなことをして、気を引こうとしている。善意を踏み躙って、ヒカルを裏切っている。そう考えると、どんどん後悔が押し寄せてきた。
彼に声をかけてもらえたという嬉しさが、徐々に死んでいく。罪の意識が侵食し、上書きされて、どす黒く変色した。
「コウ、水を買ってくるからここで待ってろよ」
「ご、ごめ、ごめん、知田くん」
涙がボロボロと溢れた。体の不調と相まって、止まらなくなる。嗚咽しながら肩を振るわせた。それを見て、ヒカルがギョッと目を開く。まん丸な瞳が、今にも落ちてきそうだなとぼんやり思った。
「泣くほど体調悪いのか、お前」
オロオロとしたヒカルに申し訳なさを感じるが、涙と共に吐き気も押し寄せ、僕はどうしようもない感覚に襲われた。
不意にヒカルが「あ!」と声を漏らす。誰かを発見したようだった。
「アサヒ! ちょっと水買ってきてくんない?」
「は? なんで」
「友達が気分悪そうで」
アサヒとは誰だろう。僕は潤んだ瞳を動かし、名を呼ばれた人物へ向ける。そこにはいつか見た、藍華女子高校の制服を身に纏った少女が立っていた。彼女は僕の姿を見るなり、ヒカルと同じように目をまん丸とさせている。その仕草がどこかヒカルと似ていた。
「分かった、ちょっと待ってて」と言い残し去る彼女に、申し訳なくなる。自分の情けなさに悲しくなった。
「ごめ、ごめんね」
「大丈夫だって、気にすんなよ」
何度も背中を撫でてくれるヒカルに謝罪する。しかし、彼はその謝罪の本意を汲み取っていなかった。
声を震わせ、言葉を続ける。
「違う、僕、わざと、なんだ」
「何が?」
「き、君に、心配して欲しくて、わざと……」
何度も唾液を嚥下する。涙と鼻水を拭い、声を絞り出す。
「わざと、薬を飲んで、こなかったんだ」
僕はヒカルの方を見ることができなかった。顔を俯かせ、ぐずぐずと泣く。
「き、君に、構って欲しくて、こんな、ことをしちゃって。気分、悪そうにしてたら、君がもう一度、僕に声をかけてくれるんじゃないかって……」
恥ずかしさで吹き出したものなのか、はたまた、不調で吹き出しているものなのか定かではないが、僕は異常なまでに汗をかいていた。脳が正常な判断を鈍らせているのか、言わなくていいことまで言ってしまう。
「君と、彼女を見て、しっと、をして、ば、バカみたいでしょう」
「彼女?」
「さ、さっきの、子」
吃った僕の声に「へっ」と息が抜けるような音が聞こえた。その音の主はヒカルだった。おずおずと視線を彼へ向けた。驚いているのか、口を半開きにしている。
「彼女? もしかして、アサヒのこと?」
彼の拍子抜けした声に頷く。同時に、滲んでいた汗がじわりと頬へ流れ落ちた。
「電車、内で、仲良くしてたのを、盗み見、して、それで……」
「見られてたのかよ、はずっ」
ヒカルは頬を染め肩を竦めている。
「あれは俺の姉ちゃんだよ!」
「えっ」
「姉ちゃんに嫉妬したのかよ、コウ」
ヒカルは気持ち悪がるどころか、愉快げに笑っている。確かにアサヒと呼ばれた少女とヒカルは、何処となく似ていた。
自分の間抜けさに、眩暈を覚える。後ろに倒れそうになるのを堪えた。
「構って欲しくて、こんなことしたのかよ」
「変なやつだなぁ、お前」と労るように肩を撫でたヒカルが穏やかに微笑んだ。
「でも、良かった。お前がこんなことまでして、俺に構ってほしいと思ってくれて」
ヒカルの言葉に、ドキリと胸を鳴らせる。
「実はさ……俺も、もっと話したいって思ってたんだ。でも、お前っていいとこの生徒じゃん? だから、俺みたいなの毛嫌いしてるかなって思って、なかなか声をかけられなかったんだ」
彼の笑みに、一気に不調が溶けていく。ドロドロと体内から排出され、綺麗さっぱり何処かへ消えていくようだった。
乾きつつある涙の跡を親指で拭われ、びくりと体が跳ねた。
「……ち、だくん……」
「ヒカルって呼べよ」
「……ヒカルくん」
「おう」と彼が応答した。
「迷惑かけて、ごめんなさい」
「いいって」
「コウ。これから、よろしくな」と肩を叩かれ、頷く。
「……これって、両思いってやつだよな」
ガハハと豪快に笑う彼に、僕は驚いてしまった。両思いだなんて、そんな。僕は目を伏せ、顔を俯かせた。その表情に何かを察したのか、ヒカルは急に唇を窄め、眉を顰めた。
「な、なんだよ、俺、変なこと言ったかよ?」
頬を染めたヒカルがムッとした声を出す。「そんなこと、ないよ」と焦ったように首を横に振る。
「うん、両思い。間違いないよ」
ヘラっと笑うと、ヒカルは満足したように微笑んだ。
同時に遠くから声がした。「おおい、大丈夫?」と駆けつける少女────アサヒが声を荒げている。「おせぇよ、アサヒ」と怒鳴るヒカルに対し「うるさい、朝のコンビニは並ぶんだから仕方がないでしょ」と言い返している。
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