アルデリク家の兄弟

中頭かなり

文字の大きさ
上 下
23 / 23
兄の話

9

しおりを挟む


「絶対にカーテンを開けないこと。そして、外に出るのは新聞を取りに行く時と、花壇に水をやるときだけ。それ以外の外出は許さない。いいな?」

 地下倉庫から出た僕に、弟が淡々と告げた。重々しい黒いカーテンを窓一面に設置しているグランドの背中をぼんやりと眺め、いよいよ僕はこの家から逃れられないのだなと理解する。何が弟をここまで狂わせたのだろうか。僕には理解できなかった。
 彼が振り向き、僕からの返事を待つ。その目は愛憎に包まれていた。

「……君が、望むなら」

 微笑んでみる。けれど、うまく笑えたか自信がない。しかし弟は納得したのか、居心地が悪そうに再び手を動かした。後ろ姿が、父と重なる。僕は首を振り幻想を掻き消した。その背中に寄り添い、体温を分け合う。
 弟は、何も言わなかった。



 弟の言う通り、僕は新聞を取りに行く時と、花壇に水をやるときだけ外出を許された。父がいた頃は、外に出ることを許可されていたが、弟はそれを拒んだ。この平屋に僕は閉じ込められた。まるで大事なぬいぐるみを誰にも取られないために、玩具箱にしまうように。
 僕が外に出る短い時間は、大体が朝と夕方だった。朝に花壇に水をやり、ついでに新聞を取り、家へ帰宅する。その間だけ、僕は外と交流ができる。澄んだ空を見つめ、心地よい風を浴び、通り過ぎていく人々に挨拶をする。
 近くにある小学校へ向かう児童たちが家の前を通り過ぎていくたびに、あぁ、自由で羨ましいなと思う。枷のない人生を謳歌している子供を見つめ、時折、衝動に駆られる時がある。ホースを投げ出し、新聞も無視して、この敷地内から出たら、果たしてどうなるのか。
 きっと、行動に移すのは簡単だ。なんの資格もいらないし、料金だってかからない。パスポートも要らない。ただ、左足を前に出して歩道に出るだけでいい。そのまま歩みを進めてこの平屋を離れ、遠い────どこか遠い場所へ逃げたらいい。足を必死に動かして、ただこの道をまっすぐ、まっすぐ向かえば、僕は何処にでも行ける。
 簡単な、ことだ。

「兄貴」

 不意に声がした。振り返ると弟がいた。玄関からこちらを見つめ、呆然と立っている彼に気がつき、思わず唾液を嚥下した。一瞬で意識を舞い戻し、手に持っていたホースへ視線を投げる。ぼたぼたと地面へ落ちる水が、花壇の土を抉っていた。跳ね返った泥が僕の足元を汚している。

「なんで歩道を見つめてたんだよ」

 近くに来たグランドがひとりごちるようにそう言った。咎めるわけでも、怒るわけでもない声音だ。寂しさを孕んだ言葉を受け、ぼんやりと彼を見つめる。
 ────あぁ、母もこんな気持ちだったのだろうか。
 「置いていかないで」と縋った息子を捨てた女の気持ちが、そこで一気に理解できた。
 何がなんでも、逃げたかったのだ。全てを薙ぎ払い、何もかもがどうでも良くなって、ただ、道を歩むことを決める。
 その時の心境は、後悔と共に清々しさがあったのだろう。

「……兄貴?」

 グランドが問う。その声は、まるで泣き出しそうな子供のものに似ていた。潤んだ目は、きっとあの日の僕と同じ瞳をしている。母の背中を見つめ、ただ声をかけて悲嘆に耽るしか道が残されていなかった、僕と同じ────。

「……ちょっと、ぼんやりしてただけ。ごめんね、すぐに戻るよ」

 石のように硬くなった足を動かし、蛇口を締めに向かう。麻痺した足が、ズキリと痛んだ。
 途端、後ろから体を抱きしめられた。「わぁ!」。僕は素っ頓狂な声を漏らす。

「ぐ、グランド、何して……」
「兄ちゃん、どこにも行かないで」

 弟の言葉が胸に刺さる。彼はいつからか「兄ちゃん」から「兄貴」と呼ぶようになった。僕はその変化に気がついていたが、彼は無意識だったのだろう。寂しいなと思う反面、もうそんな年頃か、と思っていた。
 そんな彼が、珍しく昔の呼び方を使った。その幼さにぐらりと揺らめく。

「行かないでよ」

 抱きしめる力を強められ、僕は慌てて彼を振り解こうとする。「外だよ、やめてよ、グランド」と制する僕のことなどお構いなしだ。頬に擦り寄られ、猫のように甘えられる。

「お願い」

 まるで幼い子供のようだ。僕はため息を漏らして頭を撫でる。「行かないよ」「君を、愛しているから」。囁くと、グランドは安心したように体を離した。そのまま手を引き、家の中へ僕を引きずり戻す。
 玄関にたどり着き、後ろを振り返った。広がる外の風景を眺めながら、僕は母のように無情にはなれないな、と思った。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

尻で卵育てて産む

高久 千(たかひさ せん)
BL
異世界転移、前立腺フルボッコ。 スパダリが快楽に負けるお。♡、濁点、汚喘ぎ。

バイト先のお客さんに電車で痴漢され続けてたDDの話

ルシーアンナ
BL
イケメンなのに痴漢常習な攻めと、戸惑いながらも無抵抗な受け。 大学生×大学生

召喚された美人サラリーマンは性欲悪魔兄弟達にイカされる

KUMA
BL
朱刃音碧(あかばねあおい)30歳。 ある有名な大人の玩具の開発部門で、働くサラリーマン。 ある日暇をモテ余す悪魔達に、逆召喚され混乱する余裕もなく悪魔達にセックスされる。 性欲悪魔(8人攻め)×人間 エロいリーマンに悪魔達は釘付け…『お前は俺達のもの。』

公開凌辱される話まとめ

たみしげ
BL
BLすけべ小説です。 ・性奴隷を飼う街 元敵兵を性奴隷として飼っている街の話です。 ・玩具でアナルを焦らされる話 猫じゃらし型の玩具を開発済アナルに挿れられて啼かされる話です。

部室強制監獄

裕光
BL
 夜8時に毎日更新します!  高校2年生サッカー部所属の祐介。  先輩・後輩・同級生みんなから親しく人望がとても厚い。  ある日の夜。  剣道部の同級生 蓮と夜飯に行った所途中からプチッと記憶が途切れてしまう  気づいたら剣道部の部室に拘束されて身動きは取れなくなっていた  現れたのは蓮ともう1人。  1個上の剣道部蓮の先輩の大野だ。  そして大野は裕介に向かって言った。  大野「お前も肉便器に改造してやる」  大野は蓮に裕介のサッカーの練習着を渡すと中を開けて―…  

過ちの歯車

ニューハーブ
BL
私は子供の頃から、何故か同性に気に入られ沢山の性的被害(自分は被害だと認識していない)を 経験して来ました、雑貨店のお兄さんに始まり、すすきののニューハーフ、産科医師、ラブホのオーナー 禁縛、拘束、脅迫、輪姦、射精管理、などなど同性から受け、逆らえない状況に追い込まれる、逆らえば膣鏡での強制拡張に、蝋攻め、禁縛で屋外放置、作り話ではありません!紛れもない実体験なのです 自分につながる全ての情報を消去し、名前を変え、姿を消し、逃げる事に成功しましたが、やもすると殺されていたかも知れません。

変態村♂〜俺、やられます!〜

ゆきみまんじゅう
BL
地図から消えた村。 そこに肝試しに行った翔馬たち男3人。 暗闇から聞こえる不気味な足音、遠くから聞こえる笑い声。 必死に逃げる翔馬たちを救った村人に案内され、ある村へたどり着く。 その村は男しかおらず、翔馬たちが異変に気づく頃には、すでに囚われの身になってしまう。 果たして翔馬たちは、抱かれてしまう前に、村から脱出できるのだろうか?

無理やりお仕置きされちゃうsubの話(短編集)

みたらし団子
BL
Dom/subユニバース ★が多くなるほどえろ重視の作品になっていきます。 ぼちぼち更新

処理中です...