役立たずなヒーラーは幸せな夢を見る

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村八分

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 目を開ける。心配そうに僕を覗き込んでいるエッジレイと視線が搗ち合った。「エッジレイ」。名前を呼ぶ。掠れた声が喉の奥から出た。乾いた唇が切れ、痛みがジワリと滲む。
 上半身を起こそうとした僕を、エッジレイが勢いよく抱きしめた。肺が圧迫されるほど強く抱きしめられ、僕は「グェ」とカエルが潰れたような声を漏らす。

「良かった、起きてくれて」

 どうやら僕は気を失っていたらしい。エッジレイに抱きしめられながらあたりを見渡す。部屋の中はオレンジの淡い光に包まれていて、どこかホッとする印象を受ける。鼻腔をかすかな薬品の匂いが擽った。ここは一体どこなのだろうと眠っていたベッドのシーツを手のひらで撫でる。

「エッジレイ、僕、迷惑をかけたみたいですね……」
「違う。アンタは悪くない。俺がこんな依頼を受けたのが悪かったんだ。すまない」

 依頼を受けたいと言い出したのは僕だ。それであるにも関わらず、彼は申し訳なさそうにしている。
 ────それにしても、こんなに心配してくれるだなんて……。
 エッジレイがとてもひどく後悔をしている。僕はただ気を失っていただけだ。それなのにとても動揺し、自分を責めている。
 ぎゅうと力が強まり、ゲホッと咳き込んだ。「ごめん、ごめんな」と耳元で何度も謝罪をされ、どう返して良いか分からず、その厚い背中へ手を伸ばした。
 不意に、部屋の扉が開く。そこには白衣を着た老爺が立っていた。銀縁のメガネを掛け直しながら、僕たちへ近づく。

「……これまた熱い抱擁で」

 僕へ抱きついているエッジレイを呆れたように見つめた彼は、ため息を漏らしながら近くに置いてあった椅子に腰を下ろした。
 「エッジレイ、もう離れてください」と僕が焦ったのをきっかけに、ようやく彼は身を退かせた。

「……で、金髪の君。具合はどうだい?」
「大丈夫です」
「よかった。じゃあ、いろいろ聞いてくとするか」

 老爺が足を組んだ。

「君たち二人は、あの街────エルス街へ行ったんだな? そこで、意識を失って倒れ、隣接する、アルマツ街へ着た……と」
「そうだ」
「なぜ、エルス街へ行ったんだ?」

 エッジレイと僕は目を合わせる。やがて、エッジレイが口を開いた。

「あの街に住んでいる男から、依頼を受けたんだ。その男は元々よそ者で、一年前に引っ越してきたらしい。だが、何かをきっかけに村八分にされてしまってな」
「だから、あの街へ?」
「あぁ。依頼主がまともであると街の連中に伝えてほしいと言われてな」

 「変な依頼だろ」とエッジレイが言うと、老爺は首を傾げた。

「その男は、最近までエルス街に住んでいたのか?」
「そうらしいがな」

 僕は二人を交互に見る。老爺は苦々しい顔をしていた。

「……結論から言うと、あの街に、もうすでに住人はいない」
「えっ」

 僕の驚いたような声に、老爺が肩を竦めた。

「あの街は近くにある山から漏れるガスのせいで、人が住めなくなったんだ。だから、あの街に住んでいた連中は国からの要望で、この街────アルマツ街へ移住している。そして、それは全員に伝わっているはず。半年以上前には、もうここへの移住が完了している。だから、あの街に人はいないはずだ」

 エッジレイが「あぁ」と納得したように呟いた。

「……シツウは地下室に篭って絵を描いていたと言っていただろ。きっと、それが原因だ。彼が篭っていたから、誰にも存在を知られていなかった。出入り口だって、本棚の裏に隠されていたからな」

 「まさか、未だにあの街に人が住んでいるだなんて」。老爺は驚いている様子で顎を撫でていた。
 僕は前のめりになって質問する。

「いえ、そんなはずはないです。だって僕は、様々な人影を見て、声を聞きました。シツウも僕も、あの街で人の気配を感じたんです。絶対に人が住んでいるはず────」
「ガスが、原因なんだ」

 老爺が口を挟んだ。

「あの街に充満しているガスは、人の脳に影響し、幻聴や幻覚を見せる。そんな危険なものなんだ」

 彼の言葉に固まる。「じゃあ、僕が見ていた人影は、幻覚だったんですか?」と聞くと、深く頷いた。

「……じゃあシツウが村八分にされているっていうのは……」
「妄想だったってことか」

 エッジレイがふむ、と息を漏らす。

「……シツウのそれが妄想だとして、どうして僕だけが幻覚や幻聴を? ……エッジレイだって、あの街にいたんですよ?」
「それは、身長が関係している。あのガスは下に溜まる傾向があるんだ。故に、背が高ければ高いほど、影響を受けにくい」

 「坊ちゃんが小さいと言っているわけじゃないぞ」。老爺はフォローするように続けた。僕は体から力が抜ける感覚に襲われた。あの地下室で見た光景は、幻だったのか。それにしては、リアルで恐ろしいものであった。今、思い出しても身が震える。

「……そして、まぁ言いにくいんだが……その人間の精神面にも影響してくる。悩み事がなければ影響が薄いが、何か不安なことや恐れていることがある場合、ガスの影響を受けやすい」

 なるほど、と僕は妙に納得してしまった。
 ────強がってはいたけど、僕は……。
 どうやら、元いたギルドへは帰りたくないらしい。薄々感じてはいたけれど、いざ彼らの幻覚が目の前に現れると、体が強張ってしまう。

「……大丈夫か?」

 エッジレイが不安げな声を漏らした。頬を撫でられ、彼を見上げる。その目は怯えを孕んでいた。よほど僕が倒れて心配しているらしい。「大丈夫です。迷惑をかけて、ごめんなさい」と謝罪すると、彼は首を横に振った。

「俺のせいでアンタを危険な目に晒してしまった。すまない」
「いえ、そんな……」

 彼の無骨な手が、僕の指を撫でる。もう一度「すまない」と謝罪され、狼狽えた。
 ────そんなに気にしなくても……。
 僕が倒れただけで、彼は異常なまでに困惑していた。その心配する気持ちは嬉しいが、けれどどこかで引っ掛かるものを感じた。
 ────まるで、何かを失うことに怯えているような……。

「その依頼主とやらは」

 老爺の声で我に返る。固まった僕は、顔を動かし彼を見た。老爺は組んでいた足を解き、もう一度、今度は逆の足を組み直す。

「すでに精神面の奥深くまで蝕まれているな」

 メガネを掛け直した老爺を見て、僕は項垂れる。見知らぬ女性にまで攻撃性を剥き出しにするほどだ。きっと長期間ガスに晒され続けたことによって、正常な判断ができなくなっているのだ。短い時間であれほど僕が影響を受けたのだ。シツウの見ている光景はもっと凄まじいものだろう。全てが敵に見え、恐怖の対象となっている。
 ────可哀想だ、とても。
 シツウが悪いわけではない。彼はただ綺麗な街で、あの湖を見ながら絵を描きたかっただけだ。

「しかし、私ならなんとか治療ができる。願わくば、彼をここへ連れてきてくれないか」

 老爺の言葉に、顔を上げる。同時に彼は椅子から立ち上がり、部屋を後にしようとしていた。僕はその背中に「分かりました、説得してみます」と告げる。老爺はこちらを見ることなく頷き、やがてピタリと止まった。

「あぁ、そうそう。そこの大男くん」

 老爺がエッジレイを見た。

「彼は大丈夫だから安心しなさい。もうガスによる影響で倒れたりはしないはずだ」

 「だろう?」。そう促され、僕は大きく首を縦に振った。老爺はその反応を見届け、静かにドアを閉め立ち去る。
 僕らの間に、沈黙が続いた。

「……アンタをここに連れてくる時に、俺はだいぶ取り乱しててな。あの医師には随分と迷惑をかけた」

 ポツリとつぶやいたエッジレイは、老爺が腰をかけていた椅子に深々と座った。

「アンタが無事で、本当に良かった」

 心底安心した声音でそう言われ、喉の奥が狭まる。どうしてそこまで心配をしてくれるのだろうか。
 ────これは彼の優しさからくるものではない。
 僕は薄々、そう思っていた。彼は優しい。それは事実だ。けれど、今回はその優しさが齎らす感情ではないように思えた。
 エッジレイの怯え具合は、何かに対する恐怖からくるものだ。
 僕を失う恐怖? しかし、僕は彼とまだ出会って日が浅い。そんな僕に、どうしてエッジレイはここまで固執するのだろうか。
 ────彼には一体、何が見えているのだろう。
 そこまで考え、僕はかぶりを振った。エッジレイの優しさを素直に受け止めきれない自分に嫌気が差す。
 ────彼は、優しいんだ。
 だからこそ、僕を救い出してくれたのだ。そんな好意を無碍にするなんて、僕はとても捻くれている。

「ところで、地下室でだいぶ半狂乱になっていたが……何を見た?」

 黒い瞳が僕を射る。声を出せず固まり、やがて掠れた言葉を漏らす。

「前にお世話になっていたギルド長の幻覚を、見てしまって」

 不意にヴァンサの顔が脳裏に浮かんだ。彼の鋭い眼光を思い出し、無意識に背筋が張る。
 その強張った部分を、エッジレイが穏やかに撫でた。

「大丈夫だ。怖くない。俺がそばにいるから」

 彼の声が、僕の体に根付いた蔦を解いた。呼吸がしやすくなり、静かに頷く。
 「もう少し休憩をしてから、帰ろう」。エッジレイの言葉に頷く。窓の外へ視線を投げる。厚い灰色の雲が空を覆い、太陽を遮り始めた。曇り空を眺め、息を漏らす。雨が降るのだろうかとぼんやり考え、水の染み込んだ泥の匂いを思い出し、目を瞑った。
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