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救世主

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 眩しい朝日で目を覚ました。窓からこぼれ落ちる太陽の光は、まだ微睡む目を差す。何度か瞼を擦り、体を起こした。昨日の曇り空とは裏腹に、青々とした色が世界を埋め尽くしている。
 僕は硬いベッドから起き上がり、窓辺へ近づいた。勢いよく開け放ち、身を乗り出すように外を見る。鳥が優雅に空を舞い、鳴き声をあげていた。

「自由で、いいなぁ」

 無意識に溢れた言葉に、口を噤む。
 ────余計なことを考える前に、自分の仕事をやり遂げなくちゃ。
 僕は窓辺から離れ、埃っぽい自室の隅に置かれた棚から、着替えを取り出す。袖を通すときに、肩が傷んだ。
 ────まだ魔力が全回復していないし、眩暈も激しい。治癒は後に回そう。
 「そんなことより、洗濯をしなきゃ」。僕は自室を抜け、軋む階段を降りた。いつ壊れてもおかしくないそこを、慎重に降りる。
 僕に与えられた部屋は、屋根裏にある。「お前の部屋はここでいいだろう」とヴァンサに切り捨てられるように言われた時から、ここだけは唯一僕が気を抜ける場所になった。 屋敷の一番隅に存在する屋根裏。そこにギルドメンバーはあまり近寄らない。寝込みを襲われる時もあるけれど、大抵はここにいたら平穏である。
 きっとヴァンサは嫌がらせのつもりでここを選んだのかもしれない。でも、僕はここが好きだ。誰よりも高い位置から外を見下ろせるのは、とても気分がいい。自分が自由になった感覚に陥れるから。
 グゥ。不意にお腹が鳴った。だが、早朝の食堂は空いていない。食事をもらうのは後にするかと考えながら、他の面々を起こさぬよう、屋敷の廊下を走る。
 昨日、突然の雨で生乾きになってしまった衣服をカゴに入れ、両手に抱える。そのまま駆け足で近くにある川まで向かった。屋敷の敷地内を抜け、小道を抜け、木々が生い茂る森へ急ぐ。
 見えてきた美しい川は朝日を反射させ、キラキラと輝いている。穏やかな流れは、僕の心を落ち着かせた。
 川辺まで向かい、衣服を下ろす。水に浸すと、ひんやりとした感覚に身震いをした。昨日からじくじくと痛む肩のせいで帯びていた熱と、魔力不足で眩む頭を覚醒させる。
 ────しっかり、しなきゃ。
 僕は人一倍、役に立たないんだからきちんとしなければいけない。グッと唇を噛み締めて、衣類を洗う。
 擦り合わせ、汚れを落とし、水切りをしてからカゴへ入れる。ある程度溜まったらもう一度屋敷へ戻り、日当たりの良い場所で干し、昨日、ギルドメンバーが着ていた衣類を再びカゴへ放り投げる。泥まみれになったそれは雨水を含んでいて重かった。

「ティノ、昨日はお楽しみだったみたいだな」

 起きてきたギルドの面々が目を擦りながら食堂へ向かう。別に、楽しくなかったよ。その言葉を飲み込み、眉を顰め、口元だけ笑って見せる。
 そういえば、まだ朝食を食べていなかったなと思い出し、しかし早めに仕事を終わらせるために忙しなく動いた。
 川辺まで向かい、服を浸す。美しい川は一気に汚れてしまった。ごめんなさいと心の中で謝罪をする。

「……っ」

 不意に激しい眩暈が襲った。パシャリと水の中に前のめりに倒れ、服が濡れた。じわじわと水が滲み、重くなっていく。早く体を起こさなければと思うが、うまく反応しない。
 ────頭が、ぼんやりしてきた……。

「おい」

 その声で我に返る。低い声に体が跳ねた。恐るおそる振り返ると、そこには男が立っていた。短い黒髪と漆黒の瞳。左の目元から頬にかけて、大きな傷跡があった。
 見上げるほど大きな背丈をした彼は、太い腕を腰に当て、僕を見下ろしていた。「大丈夫か、アンタ」。そう言われ、平気ですと返す。しかし、言葉はうまく空気に乗らず、喉の奥で死んだ。
 ────あれ、僕、どうして……。

「本当に大丈夫か? 体調、悪いんだろ?」

 二の腕を掴まれ、ぐいと引き上げられた。同時に体に電気のような激痛が走る。引き上げた男はギョッと目をまん丸とさせ、僕の肩を見た。
 昨日、基本的な処理だけでもと思い包帯を巻いたそこは、じんわりと血を滲ませている。

「アンタ、怪我してるじゃないか。それに、熱もひどい。こんなところで洗濯してる場合じゃないだろう」

 洗濯してる場合だ。だってこれは僕の仕事なんだから。そう彼に返せない。何故なら先ほどから全身を包んでいる熱と悪寒、そして痛みが最骨頂にまで達しているからだ。

「だいじょうぶです、ほっといてください」
「いや、ダメだ」

 絡れる舌を動かし、必死になって彼を拒絶したが、それを男はキッパリと断る。
 瞬間、体から力が抜けた。熱で気怠い脳が、泥濘へ意識を引き摺り込もうとしている。重い瞼が幕引きだと言わんばかりに降りてきた。閉じると暗い夜空で星が散るような光景が広がる。
 ぷつんと途切れる意識の中、必死に僕へ呼びかける男の声がリフレインした。
 ────いつぶりだろう、誰かにこんなに心配してもらえたのは。
 記憶を掘り起こしてみる。埃を被った棚の引き出しを開けると、母の穏やかな笑みが脳裏を過ぎった。



 昔は幸せだった。優しい母、不器用な父、そんな二人の間に生まれた僕。小さな一軒家で穏やかに暮らしていた。庭では猫の額ほどの菜園を作り、柵の中で羊を飼い、時々父が街へ降りて建築の仕事をしたりしていた。
 決して裕福ではないけど、幸せな時間を過ごしていたと思う。
 僕らはどこで狂っていったんだろうか。父のギャンブル癖が発覚した時だろうか。母が亡くなった時だろうか。よく覚えていない。けれど僕らは、徐々に壊れていった。まるで蝋がとけるかのようにゆっくりと、しかし確実に、形を無くしていった。

 目を覚ます。見覚えのない天井が見えた。屋根裏でもなければ、ヴァンサの部屋のものでもない。数回、瞬きを繰り返し、ゆっくりと体を起こす。部屋に漂う匂いに、胃が擽られた。
 あたりを見渡す。僕がいる場所は一軒家のようだった。壁には剣や銃が飾られていて、薬草がぶら下がっている。古びているが、しかし綺麗に整頓されたそこを見て、僕は一瞬、躊躇った。
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