孤独な屋敷の主人について[完]

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秘密は柑橘の匂い

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「兄さん」

 屋敷の門を潜り抜け、兄の部屋へ向かう。無意識に急ぐ足は、まるで子供のようだった。
 扉を開けると、カルベルがこちらを見る。声音で察したのか、ニコリと穏やかに微笑む。

「フォール。また、会いに来てくれたの?」

 嬉しそうな兄を見て、頬が染まる。この屋敷に軟禁されている彼にとって、外部の人間と接する時間は貴重なものなのだろう。
 ────時間が許すなら、ずっとそばにいたいのに。
 弟としてでも、無口くんとしてでも。毎日のようにそばにいて、彼に寂しさを与えない様にする。ずっと笑みの絶えない環境で、愛で続ける。そうやって兄を芯から溶かしていきたい。
 今の俺には叶わない願望を押し殺し、よろよろとこちらへ近づく兄の手を取る。じんわりと滲む体温を感じ、口内に唾液が滲んだ。同時に勃起しかけ、反射的に息を止める。
 兄に見えてないとはいえ、どうしようもなく滑稽で情けなく思えたのだ。

「この間ぶり、だね。すごく嬉しい」

 掴んだ手に力が籠る。滑らかな肌触りに、脳の奥がチカチカと弾けた。無口くんとして彼に触れる時とは、また違う悦びである。

「……俺も、兄さんに会えると嬉しいです」

 素直に溢れた言葉を慌てて飲み込む。照れている俺のことなど気にしていないのか、兄が流暢に言葉を紡いだ。
 さっきね、レジューと一緒に花の種を植えたんだ。どんな花が咲くか分からないけど、フォールに見てほしいな。
 少年の様に語る彼が可愛くて、無意識に頭を撫でてしまった。反発的にパッと手を離し、謝罪する。

「す、すみません。子供扱いして……」
「あはは」

 カルベルはきゃらきゃらと笑っている。年下の、しかも弟に撫でられたのに穏やかだな、と彼の性格の柔らかさを実感した。

「僕、撫でられるの好きだなぁ。昔は、レジューがよく撫でてくれていたんだ」

 触れた部分へ手を伸ばし、懐かしげに語る彼へもう一度手を伸ばしそうになり、思いとどまる。
 幼少期のカルベルと今より幾分か若いレジューを想像し、胸が締め付けられた。きっと、記憶から離れないほど美しい光景だろう。
 ゴホンと咳き込み、乾いた喉から声を絞り出す。

「……是非、見たいな。兄さんが植えた花を……」
「うん! きっと綺麗な花が咲くよ」

 カルベルはどうやら花が好きらしい。今度、花の苗を持ってこようと心に決める。
 不意に、視界に瓶が見えた。棚に置かれたそれは、兄との行為で随分と減っていた。

「……兄さん、これ、結構使ったんですね」

 瓶を指先で小突きながらそう言うと、あからさまに兄が頬を染めた。顔を伏せ、目を泳がせる彼が額に汗を滲ませている。口をパクパクとさせ、何を言って良いかわからず迷っていた。
 先ほどまで花の話を溌剌としていた兄の脳内には、きっとあの日の秘め事がよぎっているのだろう。柑橘の匂いに包まれながら、あられもなく喘いでいた自分を恥じているに違いない。
 瞬間、腹の奥が疼いた。あの……と口を開いた彼に意地悪したくてその耳元に近づく。

「気に入ってくれて、嬉しいな」

 唇が微かに耳朶に触れる。ビクンと体を揺らした兄を見て、爆ぜそうなほど鋭い熱が頭を突き抜ける。これ以上はしてはいけないと分かっているが、自分を止められない。
 ────耳を舐めたい。
 間近で見る兄の耳はとても形が良かった。今まで気がつかなかったことを恥じる。今度、耳を攻め続けてみようか。きっと、兄は嫌がるだろう。やめてよ、と俺を払い除けようとするが力に勝てず、やがて喘ぎながら身を委ねるのだ。
 想像するだけで、達しそうになる。新たな楽しみが増え、小さく微笑んだ。

「う、うん……すごく、気に入ったよ」

 ぎこちない返事をしながら指先で服をいじる兄が、唇をゆっくりと舐めた。眩暈がするほど蠱惑的で、誘っているのかと勘違いしてしまうほどだ。
 唇を耳から、彼の口元へ寄せる。スレスレまで近寄った俺は、ぐっと自分を押し殺し身を反らせた。

「良かった。じゃあ、また新しいの持ってきますね」

 彼の手を掴む。さらりとした手を取り、鼻へ近づけた。いい匂いですね、と言うと兄が驚いたような表情をしたあと、下手な笑みをしてみせる。
 これ以上、カルベルに接触して困惑させたくなかった。けれど、心のどこかで彼を困らせたいと駄々をこねる自分がいる。
 兄は今、どちらを思い浮かべているのだろうか。実の弟であるフォールか、悦びを与えてくれる無口くんか。
 どちらでも、良い気がした。最終的に、彼の全てを手中に収めるのは自分なのだから。
 目を伏せたままの兄を見つめ、うっとりと口角を上げる。
 彼が植えた花は、どんな色や形をしているのだろうか。きっと、カルベルのように清らかな花に違いない。
 そんなことを想像し、汗ばんだ兄の手をゆっくりと握った。
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