孤独な屋敷の主人について[完]

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王子の秘密

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「ヒューゴ。これを味見してくれ」

 目の前に、パンケーキが差し出される。漂う匂いに胃が鳴り、口の中に唾液が広がった。そこでようやく我に返り、数回瞬きを繰り返す。
 声の主はフォールだ。ほらと促され、俺は備え付けてあったフォークを手に取る。柔らかい生地を裂き、口へ運ぶ。ハチミツのついたそれは口内へ甘味を広め、脳髄を刺激した。咀嚼している俺の反応を窺っているフォールと目が合い、思わず気まずくなる。瞑った瞼の裏で、彼と亜麻色の髪をした男が絡み合う場面が浮かんだ。慌てて首を横に振る。

「どうした?」
「い、いえ……」

 そんなに不味かったか? と問われ、もう一度首を振った。

「美味しいです、とても。柔らかいですし、口触りも良いです」
「そうか。よかった」

 実は今日、初めて自分で焼いたんだ。と、白い歯を見せ目を弧にするフォール。
 ────やはり、違うな。
 あの屋敷で見せていた蕩けるような笑みと、俺の前で見せる笑みは全然違うものだった。俺は何度か唾液を嚥下し、口を開く。

「……意中の相手に、振る舞うために学んでいるのですか?」

 ぽろっと出た言葉に、フォールが目を見開いた。俺はなんで余計なことを聞いてしまったんだと後悔する。すみません、余計な詮索をしてしまい。と、身を縮こめていると、彼が肩を揺らし笑った。

「あぁ、そうだよ。この間、いい機会があったから、意中の相手に作ってあげたんだ。意外と好評でね。だから、もっといろんなものを作ってみたくなったんだ」

 そういえば、数週間前に彼が長らく不在の時があった。その時は遠征だと思っていたが、どうやらあの屋敷に行っていたらしい。ピースがかちりと嵌り、なるほどと思わず頷いてしまった。

「料理は良いね。自分が手がけたものが、愛している人間の胃へ収まるんだ。一種の愛情表現とも言える」

 フォールを見た。彼は皿の上に乗ったパンケーキをじっと眺め、どこか悦に浸っている。その瞳は、あの男を射ていたものと同じで、背中に汗が滲んだ。そうですね、と情けないほど小さな声で返し視線を逸らす。

「……あぁ、そういえば。前回は一緒にオイルを選んでくれてありがとう。喜んでたよ」

 後片付けをしながらこちらへ視線を投げることなく、フォールがそう言った。そ、そうですか。お役に立てて光栄です。口先だけ達者なことを言いながら、脳内では彼があの男の手へオイルを垂らし、撫でながら馴染ませている様子を妄想していた。いい匂い、と笑う男を見つめ、そうだねと頷くフォールが安易に浮かび、頬が染まる。
 こんな下劣な妄想をしていると思われたくなくて、手伝いますよと明るい声をあげて目の前にあった皿を掴む。
 不意に視線を感じる。目を上げると、フォールの瞳と搗ち合った。先ほどまでしていた妄想を見透かすような瞳に、喉の奥が狭まる。
 彼はやがて穏やかに微笑んだ。

「……君に、愛する人はいるかい?」
「い……いません」
「そうか」

 彼はひどく落ち着いた声音でそう言った。その瞳から逃れられない俺は蛇に睨まれたなんとやら状態だ。彼にはきっとその意図はないのだろう。しかし、フォールの瞳には人を拘束するほどの威圧感があった。

「俺にはね、どうしても手に入れたかった相手がいた。手段を選ばずにその人を手中に収めた」

 その相手が、あの屋敷にいた彼なのだろうか。亜麻色の髪と真白い肌を思い出し、額に汗が滲む。
 ────本当に、彼は一体なんなのだ。
 一国の王子であるフォールが、どうしても手に入れたかったあの男。彼は一体、何者なのだ。

「俺とあの人は結ばれるべきだった。それは揺るぎない真実だ。だから、後悔はしていない」

 彼がハッと顔を上げる。ごめん、余計なことを話してしまったね。と頬を緩ませた。

「……いつか君にも、そういう人が現れるといいね」

 彼の微笑みに俺はぎこちなく頷く。
 俺にはフォールが言ったことの半分も伝わらなかった。どうして彼を手に入れたかったのか。手段を選ばずにとはどういうことなのか。
 けれど、これ以上踏み込むのは良くないなと悟った俺はあの屋敷で見た光景と今の話を誰にも他言しないようにと心に決めた。
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